ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

夜泣き地蔵(縛り地蔵)/慈雲寺:多賀城市南宮

2016年02月03日 15時29分58秒 | 多賀城の散歩道

夜泣き地蔵

南宮の慈雲寺の境内に「夜泣き地蔵」があり、子供の夜泣きを治す霊験があり、願う者は地蔵を藁で縛り、礼詣りをして解く。
 子供の夜泣きを治してくれるというお地蔵さんで、お願いするときは、藁でお地蔵さんを縛り、夜泣きが治れば礼詣りに藁を解き赤い頭巾や腹掛け供える。
この地蔵はかつてこの地の西方の一里塚の近くにあったが、その当時のことである天候が悪い年だったが、ある百姓が、「泣くな騒ぐな秋まで待てよ、百に三升の米食(か)せる」 と歌を詠んだ。
やがて天候が回復して歌のようにその年は豊作になった。
                                     多賀城市史より


向かって左側が夜泣き地蔵


鳥類供養の碑は珍しいですね。

湯殿山は定番ですね。




慈雲寺

慈雲寺は南宮の領主成田氏の菩提寺で、正保2年(1645)に開山したと伝えられます。
慈雲寺にある山門は、江戸時代の寛文期に建てられた伊達忠宗の廟所である感仙殿の廟門と伝えられています。経ヶ峰にある伊達家の墓所の感仙殿、善応殿は明治10年から12年にかけて整理され、本殿以外の建物は取り壊されることになりました。この時、慈雲寺がその廟門を譲り受け移築したと言われています。
江戸時代初期の装飾手法をとどめるもので、現在では伊達家歴代藩主廟門の中で唯一の遺構となっています。

瑞鵬殿
この記事の中に感染殿があります。







本堂











この本堂数年前に建て替えられたと記憶しています。
以前の向拝は鹽竈神社に関連する法連寺の向拝で、現在は佐浦酒造さんのところに移築されています。

その向拝がこれです。






塩竈市本町:佐浦酒造/浦霞

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勝画楼(しょうがろう)




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2 コメント

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向拝 (りひと)
2016-02-06 11:23:56
初めて知りました。次の記事のコメント先にみていたので山王鳥居に見えちゃいますね。
そう私は4と2に縁がありますがやっぱり湯殿山と縁があるように思いました。
この前良い夢をみたんですが、稾のような物で三角形というより菱形のようなフォルムでしたが真ん中に顔があったように思います。全て稾で出来ていました。
向拝に付けたらどうかな?と思いましたが付けるとピラミッド+目で秘密結社になっちゃうのかも?

その夢では、神社で森や川を通りすぎて社の入ったのですが拝殿がないんのです。入ったとたんに涙が出てここに来たかったんだとなんだか気持ちよくなりました。拝殿がない神社もあるんだなあ思った時に稾の物が突然画像で。意味は全くわかりませんが。直感で香取さんだと思いました。

塩竈さんならば私の関係する神社でもフツさんが近くにいます。向拝と塩竈さんと香取さん、そして山王と国立競技場がなくて東京でも見えるダイヤモンド富士と大日如来、妄想の中では繋がりつつあるようです。

問題は一関市の地震です。どうしても回数が多くて気になりますがなにを感じ取ればよいのかわかりません。

東北に詳しいひーさん
一関市と鯰やお寺神社などの伝説で地震と関わりそうな事ありませんか?
ヒント頂ければありがたいです。
夜泣き地蔵は関係するとは思うので。5107
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りひとさんへ (ひー)
2016-02-08 10:53:28
色々考えてみたのですが、一関で地震に関する言われや伝承は記憶に無いですね~。

想起するのは、蝦夷、悪路王、田村麻呂、厳美、団子、げいび、鍾乳洞、金の鶏、などばかり。
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