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ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

南宮神社/津波に流された女神・多賀城市

2020年07月06日 14時15分42秒 | 多賀城の散歩道
2011年6月11日の記事ですが、追記のため再投稿しました。

南宮神社
実はここを訪れたのは、アラハバキ神社の説明にこの神社を取り上げており、まだ未訪だったので行ってきました。
多賀城の荒脛巾神社の記事にこのように紹介しています。

「多賀城跡の南側に「南宮」があり製鉄とのかかわりを示している。
   南宮社と中山神社は製鉄・冶金の神である金山彦を祀っている。」


中山神社はまだ発見できず・・・しばらくお待ち下さい。
中山神社ですが中山王の「山王社(現在日吉神社)」ではないかと想像しています。
この山王の神との伝説もこの神社にあります。深い関係にあると考えました。

ところが、この神の他にも伝説が隠されていました。
祭神が金山彦としているのは、南宮大社(岐阜)がこの祭神をお祀りしているからでしょう。

ところが、女神であることが知られており、金山比女神(かなやまひめのかみ)
          金山比女神:鍛冶屋の神、金工職人の職神、金物商の神
とするHPもあります。

しかし、ここは合祀されたことを伝説「色の御前」で知ることができます。

是非お読み下さい。

また、「鹽竈神社十四末社」の一つとされています。

鎮座地:多賀城市南宮色の地



多賀城市のHPに「色の御前」と云う伝説があります。

南宮区にある南宮神社は、区の家並みを一望に見渡す田圃のなかに小ぢんまりと鎮座しています。
この神社を地元の高齢者の方たちは「色の御前」と呼び、鎮座しているところを「色の地」と言っています。

この変わった呼び方について、神社の縁起などを書いた神明帳のなかには「応仁のころ (約510年前)多賀城に大津浪が襲来し、八幡に鎮座していた若佐姫命を祀る神社の社殿が激流に押し流され、南宮に漂着したので、南宮神社に合祀した。

「色の御前というのは、おそらく若佐姫命のことをさすのであろう。」ということが記載さ れているそうです。
この南宮神社は、明治41年、西部六区に鎮座している小祀とともに、当時、村社総社宮に合祀されました。
ところが、それからまもなく南宮区にたびたび火災が発生したり、疫病が流行したりして区民を苦しめました。
年をとったお婆さん方は、これは何かのたたりではないかなどとしきりに心配するようになりました。

そこで、地元の代表の人びとが、祈祷師のところへ行って祈祷してもらいました。
すると、「色の御前」の霊が祈祷師に乗り移り、ご託宣を言いました。
「私は、若佐姫命である。これまで、南宮の人びとの奉仕によって安楽に暮らしてきたが、このたび、市川の総社宮に合祀されることになり仕方なく移ってみたが、総社宮には男の神ばかりで、私のような独身女はとても気苦労が多く住みづらいところである。
もとの南宮が懐かしく、とうとう、辛抱しきれず帰ってきた。
しかし、お宮は跡形もなく片付けられてしまい住むところがなくなってしまった。
凍るような冷たい雨が降っても、身を切るような寒い北風が吹きつけても、避けるところもなく、ただ、木の枝にじっと止っている有様でとてもつらい惨めな思いで毎日を過ごしている。
なんとか住めるようなお宮を建ててもらいたいものと願い、お前たちの目をさまさせようと心ならずも災を下したのである。速かに私の願いを聞いてもらいたい。」

これを聞いた人々はびっくり仰天して村に帰り、村人と相談しました。

そうして、前よりは粗末ですが真心のこもった社殿を建て、「色の御前」のお祭りを行ったということです。

この近く国府があった市川に疫病を流行らせた石があります。それは次回ご紹介いたします。







なんと、狛犬が居ました。 驚きましたね~ ここでお目にかかるとは思いもしませんでした。

狛犬は後程。

社は思ったような規模の物でした。

覗いて見ると、小さな社が中にあり、この建物はそれを雨風から守っているようです。







鳥居の横には、鏡池がありました。
枯れてはいましたが、池があった窪みには草が生えています。
この池にも云われがあります。




「鏡ヶ池」
これは、坂上田村麻呂の恋人、悪玉御前(あくだまごぜん)が京に向かう途中、この池を水鏡にして化粧をした、ということから名前がついたそうです。

悪玉御前は紀伊の出身で公家の美しい娘であったといいます。
伊勢参りの際に悪人に騙され、利府の豪農の屋敷に召使いとして売られてきました。
悪玉は自分の身を守るために「普通の人には醜く見え、高貴な人には元の美しい姿に見えるように」と利府の伊豆佐比売神社の観世音菩薩に祈願し、普段は大変醜く見えたことが悪玉の名の由来とも云われています。

しかし、田村麻呂の伝説には色々と表現があります。
悪玉姫などとも呼ばれ、阿久玉と書かれるものもあります。
相手も田村麻呂本人だったり、田村麻呂の父、苅田麻呂の場合がありますが、だいたい醜女だったと伝えられています。
それから、悪玉姫は蝦夷の娘だったとされていることもあります。

どれが本当かわかりませんね。 まぁこれが伝説というものです。



またこんな話も・・隣りの山王の神(いずれご紹介します)に見染められて困っていました。
ある日、山王の神が結婚を強く迫り、女神を追いかけてきました。
驚いた女神は必死で逃げましたが、途中で芋の葉を踏んで滑った際に茶の枝で目を傷つけてしまいました。
怪我をしたので近くの麻畑に隠れましたがあっさり見つかり、大和町の桝沢まで逃げたところ、ちょうど里人が臼を作っていて、その臼の中に隠れて逃げ切ることができました。
それ以来、南宮の里人は芋、茶、麻を植えないようになり、また迷惑をかけた桝沢にある船形山神社には「何かお咎めがあるかもしれない…」ということで誰も参拝しなくなったそうです。

ちょっと長くなりましたが、地元の人には聞きなれた地名(今でも現存)が出てきてフムフムと思った方もいらっしゃったでしょう。


それでは、狛犬です。

嬉しかったですね~ 逢えるとは思っていませんでしたから。








尾の形といいますかデザインが今までとはチョット違った感じです。

奉納の年代は明治7年戌年ですね。 なかなか良いお年頃・・・・

古ければ古いほど感激しますね。











台座があり、階段がついて三つの社が並んでいます。
どんな意味があるのでしょう?
この辺で三つ並ぶのは出羽三山信仰ですが、中はお稲荷さんのようですからなんともいえません。
境内にはアチコチにこんな光景が・・・

お地蔵さん? 文字が風化し読めないのが残念です。
 

 



2020/07/06追記
多賀城「歴史の風」から引用
南宮の集落の北側、字色の地の水田の中にチンジンサマ(鎮守様)やイロノゴゼン(色の御前)と呼ばれるお堂があります。
安永3(1774)年の「風土記御用書出」には、美濃国不破郡(現在の岐阜県南部)の南宮神社から金山彦命を勧請したと記されていますが、祭神は金山彦命だけではなくその妻である金山姫神、さらに若(岩)佐姫命の3柱がまつられているとされています。
若(岩)佐姫命は年若い女神でもとは本市南部の八幡に祀られていましたが、津波で南宮まで流されたところを南宮神社の神様に迎え入れられ、依頼ここで祀られるようになったと伝えられています。 「色の御前」とはこの若い女神を指し、鎮座地一帯を「色の地」と呼ぶのもこの女神に由来すると考えられています。
南宮には多くの昔話が伝わっていますが、色の御前にまつわる話は多く、南宮の人々がこの女神をとても身近な存在として慕ってきたことがうかがえます。
また、神社を信仰する人たちによるチンジンコウ(鎮守講)という講があり、年に一回、1月9日みヤド(宿)と呼ばれる当番の自宅に集まっていました。かつては上区と下区にわかれて二つの講があったとされていますが、いつの頃からか一つになりました。
男女関係なく一戸から一人が参加する決まりで、解散の直前には7戸の代表者が「皇南宮大神」と書かれた掛軸を拝んでいました。
平成28年に講員の高齢化などを理由に南宮自治会に祭祀の一切が託され、記録帳や掛軸は今でも集会所で大切に保管されています。




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36 コメント

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木方さんへ (ひー)
2020-12-03 11:50:36
ここの他にも疫病に関する場所が多賀城にあります
日光院 
https://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/5c7f416a5a355a6bb71d607a73998533

この記事の後、少し整備されて明るくなりました。
返信する
木方さんへ (ひー)
2020-12-03 11:50:24
ここの他にも疫病に関する場所が多賀城にあります
日光院 
https://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/5c7f416a5a355a6bb71d607a73998533

この記事の後、少し整備されて明るくなりました。
返信する
Unknown (木方)
2020-12-02 22:36:18
ランキングで久々に。
どうも榛名はこの数年本当お世話になっていたようで記事も覗いてみたら色の御前ですね。
多分金山姫さまも含めて本当苦労したんでしょうね。

それから芋、茶、麻ですがこれも今だからこそ気になる所もありますね。里芋かな?芋煮には必要なんですよね、お茶もコロナで烏龍茶からメインに切り替えたんですよね、そして麻ですけどどうしても辛い時に麻の御守り頼ってしまいましたもん。色の御前からの後世へのメッセージのように感じちゃいました。

禊ぎもそうですけど日本って昔からコロナ対策していたのが今の風習に繋がっているように思っちゃいますよ。子宮に戻るのならまた改めて赤ちゃんとして生まれて来る際には人間が悪意でちょっといたずらしているかもしれない歴史や固定観念も少し改めて見たら実はいい御守りや厄祓いになったりするのでは?

そのためにも年末の祓いも利用して馴染み過ぎた服をかぐや姫の映画みたいに脱ぎ捨ててしまうのもいいのかも?風習と文化は大事なので基準としてみんなが大切に受け継いでいる物は絶対離さないで、自分だけの荷物だけ半年ごとに置いて新しくお宮に入る気持ちで生き続けたいなあと思います。結構若くなったりして、気持ちだけはですから身体にはいたわりながらですけどもどの年代も気持ちは若くなれば細胞にももしや?なんて思いますね。
返信する
Unknown (ひー)
2020-08-02 18:29:41
木方さんへ

多胡碑、確か日本三古碑の一つですね。
多賀城碑の記事を書いたとき、記憶に残っています。
最近TVで群馬県の榛名山の火砕流で埋もれてしまった。古代人(古墳時代)の甲冑とその遺骨がそのままの形で出土したそうです。 たまたまNHKと民放の番組で放送していました。
ポンペイの遺跡を想起しますが、実際に見たとき、カルチャーショックでしたね。 紀元前の人々は、水道管を作り。庭には噴水があり水を止めたりするコックまで作られていました。
石畳の道路に馬車のワダチができ、その幅です。が現在の鉄道のレールの幅です。 脱線しました。 最上川も素晴らしい川ですね。何度か舟下りもしています。
氾濫しそうになり、通行止めの経験もあります。
義経と弁慶達が通ったルートだったと思います。
唯一山形県内だけを流れる川ですね。景色もいいし大好きです。
美しさと恐怖は紙一重なのかも知れません。
新型コロナは、長い年月が必要ですね。簡単には収まらないでしょう。 世界の人々が日本人のような心や態度を持てばもう少し良くなる感じもありますが、経済はガタガタですね。
政府は縦割り、役人はカタブツ、知識と知恵と技術が円を描かなければ上手くいくわけないのです。
何故それがわからないのか? 権力を持つ人がやらなければ一つになれないのです。
返信する
Unknown (木方)
2020-07-30 11:30:07
日本全体で危険を周知出来る機関って活躍出来ないんですかね?そう言う意味では理系的分析と歴史神話などの文系的な分析が一緒にコラボ出来るといいですよね。数十年ぶりがまた頻繁ですので。

人間愚かでお金や楽さに流れるのは当たり前なのですから、古代の人や神社等でも石の碑を作ったり金属で欠落も訂正もされないようにしていたと思うと身近にそんな危機があったんでしょうね。

この前博物館で多胡碑のレプリカ観ましたよ。写真撮ってきたかな?気になる名前もあったんですけど忘れました。

ちょっと前も忘れるくらいなので、動かせない物で忘れないようにしたんですよね。

あともう一つは、縁も大事で先祖からだともちろん継承しようと思いますよね。DNAとか環境とか共通ならば一番可能性が高いわけですから。

だからこそ隣のおじさんの祖先でもいいから自分にどうにかくっ付ける事も継承には大事かも。

なのでひーさんが言っているならばすんなり私にも本当の地元の方が直で言っている事は入ってきますよ。

なので私本は困った時しか読まないで直聞いちゃいます。もちろん信用ある人にしか接点も持たないですよね。けど今はその方が安心で偶然性もあり楽しいです。

東北は父のおかげで第二の故郷になっています。
最上川は山もありお水の回避が出来にくいだろうから歴史の分析でこれからの役に立つはず。
山形の方の縁来ないか?期待します。人に興味が湧かないと調べたいとも思わずです。

宮城は伊達さんの関係か相当今絡んできています。伊達さんのお屋敷の場所も調べないとと思っていました。
まだ梅雨明けがすっきり出来ないようなので、うまく切り抜けたいですよね。
東京は、毒吐こうとしたら地震速報でびっくりしましたけど揺れた感じもなくでした。

7月に世界では南と北とで大きいのがありましたので歪みの解消がプレートの各部に起こるはずなのでまだまだ注意です。

人災で命奪われないのは当たり前で、自然に命奪われそうになってもどうにか歴史の中の知恵で生き抜きで来ますようにと思います。
返信する
木方さんへ (ひー)
2020-07-29 08:02:51
やりたいことがありすぎて、更新もできないブログになっています。
そうそう「おしら様」は通常伝承されている内容より、元の話はかなりハードです。
遠野は民話の宝庫ですからね。 小さいストーリーが沢山あります。

2011年の津波の時、先祖の遺言が守られ助かった家がありました。確か江戸時代からのものだったと思うのですが、その内容は「ここから下に家を建てるべからず。」でした。 子孫はその言葉を守っていました。おかげで津波を避けられた。

田老町には10mの防潮堤がありましたが、簡単に破壊されました。
私も泊まったことがあるのですが、そこにあったホテルは、防潮堤の海側にあったのです。
人間は愚かなものです。 喉元過ぎれば熱さ忘れず・・・ 防潮堤よりも高い津波が過去に3度以上来ているのに、もう来ないと思ってしまうのですかね。
100年後200年後の人々に災害があったこと伝承しないといけないと思いました。
返信する
Unknown (木方)
2020-07-27 14:39:55
多分青じゃないんじゃないかな?と。青は男だといいんですけど女性なら赤か白がいいなあと。オシラ様もまた調べた方がいいなあとは思ってます。
早く梅雨明けないかと気が気じゃないですよ。
添付記事拝見させて頂きます、ヒントになりそうです。

古代から今も絶対的な強さがあるのは自然のみです。人間は何しても敵わないですよね、なので従うのみ。ただその驚異のきっかけがお金への執着やお金に依存する現在の人間に漂う行動が理由ならば自然とも同志にもなりかねないですよね。
お金あってもそれを生み出す人間がコツコツと頑張らないならば、多分そもそもお金も全く意味がないものになりますよね。コツコツ頑張っている人間に渡らないならばおそらくまだまだ色んな脅威が続いちゃうように思いますよ。それすれば改善するのにしないって。歴史でも結構集中してますよね、それで神社の格を上げたりしてたりってまたまたおかしいですもん。

コロナも梅雨明けも変化してます、火山も地震も怖いですよ。人間が変わっても変化ないでしょうけど、人間が変わって変化するならやってみるだけやってみたいですよね、そこに争いがあれば時間の無駄とも思います。争わないで教えて変化するればラッキーくらいに思えるといいですよね。歴史もそう、思った事を研究してそれぞれが解釈を断定しないでお互い尊重し合いながら平行してみていたら実は同じ方向になっていたとなるといいですよね。子育てでも苦戦していますが、大人の目線じゃない物も聞いてみてからの判断の方がいいようにも。
スポーツもまだちゃんと出来ていない子たち、受験の教科によってはどうも時間長くなるみたいですし二転三転に合わせても決まる前にちゃんと意見聞いてるのか?も気になります。
意見の対立は日本では争いに感じるようですけど、外国はそこから答えを引き出すための前提条件。周りはケンカしているように見えんですけど、後ひかず。目的一緒ですので出来そうに思うんですけどね、ずっとこのままだと心配ですね。

氷が溶ければお水は増えるだろうし、溶かさないか?お水対策するか?そのままにしていい変化はこれからはないのでしょうね。去年行った大学のオープンキャンパスでも治水に関しての堤防の巨大化はもうなくなってくると、高さに応じて面積も当然強度を保つために広くなるのも想像したら納得ですし、メンテナンスも相当大変なようですよ。とすると違う方法を並行でする事になると。
その地の歴史とその地の伝説は知らない人には知るチャンスは平常時にしておけるといいですね。
東京は全くないので東北の事もヒントになります。
あと昨日も江戸時代の地図見比べてびっくりしたのが最近用事で出会った場所にお不動さんがあったんでお詣りしたらどうやらその脇に川流れていたようでびっくりしてしまいました。神社仏閣くらいしか変化しない場所もないですからね。去年も回っていたのがどうも川の昔の流れの痕跡だったりして。現状では全く想像つかないんで教えてあげることも必要ですよね。
お金絡みであえて伝えたくない事もありそうですけど、のちの事での損害が増えるのもダメージが大きくなりますよね。

そう思うと必要になった時に集められる状態にしておきたいですよ。東北はまた未知ですのでありがたく普通に生活する事に役立たせて頂いていますよ。ありがとうございます。
返信する
木方さんへ (ひー)
2020-07-23 20:47:34
昔、広瀬川が氾濫していた時人柱になった娘がいました。橋姫明神(観音)古い記事です。
https://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/0687789978e287fa80930c488fc31d2e
三内丸山遺跡に行ったときに拝見しましたが、ヒスイの穴は中央に砂を置き水を垂らしながら石の棒で擦るようです。
https://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/99a5d8105abc327c9404c6cf96151b91

東北の青を象徴する姫はどこでしょう?
地球規模で何かが狂っているかも?

返信する
Unknown (木方)
2020-07-22 11:38:59
この記事は覚えてますし、そもそもそこに諏訪との関連ないか?と当時思った事思い出しました、当時金山姫の勾玉作ろうとパーツ揃えてたんですよね。そろそろ作ってみようかと思います。

で今は旧石器の頃のやたらハマっていまして細石刃とかを作っていた方々を追ってます、だって凄い技術なんですから。それともう一つは川の氾濫等去年から多い事やスイスの氷河も目に見えて減ってたのもありお水が多くなってきたとしたら旧石器に陸地だった所は水没してくるはずです。時代のよる民族の定住の場所や古墳遺跡の場所も動いてくるでしょう、お水の際に合わせて。

そうした事を現在考えていますので今回改めて聞いた姫さまの移動を妄想すると、その姫さまは旧石器の頃の民族との縁を持ってそうですよね、洪水で流されて不本意な所に居る事を考えると。元の所には戻りにくいのもお水だったのかも。で今はそのどの時期なのか?ですよ。

最近の雨は前代未聞ばかりだとしたらだんだん海進の時代に近づいてくるとしたら今すでにお水の中にある所以上のお水が上がってくる傾向に入っている可能性あるのでしょう。おそらく長い太古からの歴史から考えると一瞬ではありますが、私達その時代に生きているので出来るだけ安全に暮らしたいですよね。古代も遺跡が平地の場所は古いだろうし、尾根線上や山の傾斜利用ならおそらくお水が近くまで来ていた時代でまた石の運搬も水際で出来る方が効率いいですからね。

で姫さまなんですけど、そう岐阜の姫さまもちゃんと伝える事が出来る姫さんなので、その点も本当今の時代でも尊敬ですよね。なので金は使わないお名前で呼びたいくらいです。

ちょっと別件で青が象徴の姫居るんですけどここに繋がるんじゃないかな?とも。自分も行った場所で関わるようで、東北で一番気になる姫さまでもあります。
その後別件で関東でも川で亡くなった姫や池で身を投げた姫や逃げて炭焼きに嫁いだ姫など、素材と居る場所の違いがよっぽどの事がないとって思う姫さんが関東東海でも各地にいます。なんとなく同じように思いますよ。ある意味では引っ張りだこみたいです。

ただ思うのはその素材はきっと本来の場所じゃないとその土地への効果って出てこないと思うんですよ。だからこそ戻す事が出来なくても居るかも?って思う人が増えたらいいなあとも思ってます。それが昔話の効果みたいに教訓や警鐘やその後の行動の役立つヒントが出てくるようにも思います。

今ある場所は流れ着いた場所ならばその場所は安心でもありますよね。その地の伝承をこうして残してくれているのが未来にもきっといい効果があるはずです。

昔の美人さんは髪が黒々して綺麗なイメージもあります、フコイダン摂ってそうですよね。コロナへの知恵も持ってそうにも思いますのでこうして記事を再度みれる事に感謝します。関西にも実務が出来る姫いるんですけど赤が象徴なんですよね、ただ女系では繋がってそうにも思うんで関連でコロナ対策考えてみます。

雨もコロナもどっちにも転ぶ怖い局面ですが、昔からの知恵や年長者からの助言などで若い人も子供も命を落とさずに過ごせるようになりますように。
返信する
りひとさんへ (ひー)
2016-01-24 11:09:06
コメントありがとうございます。
まだまだ、知らないことばかりです。
大きな神社もいいのですが、私はこのような小さな祠を訪問することが多いです。
理由が無くて祠はありません。そこにお祀りされたことには何かしらの理由があるはずです。
伝説伝承は面白いものです。
返信する
姫さまは。 (りひと)
2016-01-23 11:25:15
本当に高貴な方のように思いますね。
自分の見栄えをおとしてあえて品のない者を寄せ付けないって、これって良い知恵ですよね。黒々した姫はいつもたらい回しにされたり自殺したり歴史なのか伝説にも良くあるケースです。外国を歩いていても思ったのは見た目で悪い方を排除出来ます、まさかお金持っているように見えなければ狙われませんから。
万人によく思われる必要はないんです、ストーカーも悲劇ですよね。見栄えにごまかされず分かる人に分かるというのはこの世で知恵になりそうですね。

どこかで凄い大事な女神は何故か怖い神や醜い神にされてしまっていたと思っていたところもありましたが自分から願ってなった可能性もありそうですね。なんだか安心しました。タイムリーにこの記事を読めてありがたいです。

話がすっかりそれましたが、そちらにも金山姫がいらっしゃったのですね。嬉しいです。大事な方です。ありがとうございます。

狛犬は角は左ですね。三神が湯殿山が関わるなら私のルーツ探しの関連性も感じて、いろいろとフムフムと思った事がありました。いつの日か地元の方の気持ちのこもったお社とその地に縁を持ちたいと思います。お世話になっている方のプログで出会った事もありましたね、過去の記事もいっぱい拝見させて頂きますね。8568
返信する
ほまさんへ (ひー)
2012-12-20 07:28:09
コメントありがとうございます。
この記事も多少修正しようと思ってました。
この辺まで林だったのですね。
カムリ川神社は今の紫波彦神社ですね。
高崎の日光院も流行り病を封じたお坊さんの話です。
岩出山のあらはばき神社はいぼ取りの神様とも言われています。
いずれも私の記事にありますのでご覧いただければと思います。左のサシドバーにホームページをリンクしています。
まぁ、目次見たいなものです。神社仏閣のページにあります。

なかなか時間が無くて更新できませんが、多賀城の記事はこれから増やしていきたいと思っています。
また、コメント頂ければ幸いです。
返信する
Unknown (ほま)
2012-12-19 18:07:01
南宮に住んでいます。
明治生まれの古老より聞いた話では子供の頃神社までは田圃ではなく林だった。
南宮神社と南宮のははどんな大水でも水没することはない。
境内にある3つの小さな社は「浮き八幡・もと砂押川近く」と「鳴る神様・元鳴神の地にあった」で稲荷が入っているのは屋敷内の社をを処分のため持ち寄ったものと思われます。
由来は解りませんが「いぼ取り」としても信仰の対象となっております。
元塩釜様の末社としてカムリ川神社、大日様、お山王さなどそれぞれに病い封じがあります。
返信する
伝八郎さんへ (ひー)
2011-06-23 14:03:25
瀬織津姫・・・荒祭宮の祭神でしたね。
なかなか神の名前が頭に入りません。興味を持ったのがここ数年ですからね。
平家の落人は全国に散らばっていますが、仙台ではやはり定義ですかね。
サイドバーに定義の記事をリンクしています。
カミさんが平家の落人の子孫になりますから、ちょっと興味を持ちまして調べました。
アラハバキについては、会津に確か2箇所あったと思いますので、行きたいのですがなかなか時間が取れません。氷川神社にも行きたいです。天保の頃の地図に荒波々幾社と書いてありました。隠された古代(アラハバキ神の謎)にありました。
色々と興味を持っているものですから時間がいくらあっても足りません。
返信する
伊勢神宮の荒祭宮 (伝八郎)
2011-06-23 13:12:26
度々失礼します。丁重な返信、痛み入ります。

さて伊勢神宮の荒祭宮には、天照大神の荒魂、瀬織津姫が祭られていると言われています。

私は福島県出身ですが、福島県の民話から私と同じ姓の平家の落ち武者の存在を知り、その落ち武者が祭られている福島の神社を調べ、瀬織津姫にたどり着きました。
私も瀬織津姫はアラハバキと関連が深いと考えております。

多賀城のアラハバキ神社の周りには、その昔、熟蝦夷のテント村が配置されていたそうですが、熟蝦夷に信仰されていたと考えます。

伊勢神宮を見ると、天照大神の宮の前後に、矢乃波波木神と瀬織津姫を祭っているのは興味があります。

そして伊勢神宮の地主神がどこに行ったのか?

この点が塩釜神社・一万束の秘密を解き明かす鍵ではないかと考えています。

ではでは。


返信する
桃源児さんへ (ひー )
2011-06-22 23:34:54
東北には、田んぼの真ん中にこのようにして鎮座しているのがよく見かけられます。

いつもそんな小さな神社が気になって います。

伝説があると実に面白い。
返信する
あーさんへ (ひー )
2011-06-22 23:27:22
そうそう南側に伊勢がありますね。
でもこの辺田んぼばかり・・奈良時代は違うと思いますが?

南宮なるほど・・・実はここに国府が置かれた時、朝鮮から 多くの瓦を焼く職人が移住したと思います。
また百済王敬福が国司として多賀城に来ていたはずです。チョット記憶が曖昧ですが・・・

それを考えると辻褄が合いますね。
勉強になりました。今後の参考にします。
また、地名の由来も調べてみます。
返信する
Unknown (桃源児)
2011-06-22 21:50:01
田んぼの中にこんもりとした森、昔ながらの風景に見えますね。
トタンで出来た建物、神社自体ではなく、雨避けなんですね。
丸い感じの狛犬様、風格あります。
返信する
お晩です (あーさん)
2011-06-22 19:04:08
小体な神社ですが、体裁は整ってるやうですね♪
狛さまも鎮座してるなんて嬉しき限り♪


地図で 伊勢 を発見!

外しますが、朝鮮の数少ない二文字姓の一つに 南宮(ナmグn) というのがあるんですヨ
返信する
伝八郎さんへ (ひー )
2011-06-22 15:30:03
誤字を訂正・・・
苦難を共に乗り越えましょう。
でした。何せ携帯からなので、御了承を・・・

よくやらかします。老眼で小さい字が見えないんですよ。

返信する
伝八郎さんへ (ひー )
2011-06-22 13:01:13
ご返信ありがとうございます。
お互いこの苦難をの越えましょう。

私も富氏の伝承を知りたくて、本を探しましたが、オークションではプレミアがついて一冊9千円以上もするので 、図書館の在庫をネットで検索しましたら県内に一冊だけありましたので県の図書館に行き取り寄せました。確か古川 の図書館にあったはずです 。

謎の出雲帝国(吉田大洋氏著)ですね。
私の記事でも殆ど引用してしまった感じですが、記録しておきたい内容でした。

伊勢神宮の荒祭宮も私はアラハバキと大きな関わりを持っているものと考えています。

なるほど境界ですね。広義の意味での境界と小さくは境内の境界ですね。
門客神になれば境内の隅に追いやられることもありますが、入口付近なら守る意味合いも考えられますね。

古い本では、後に偽書として扱われるのも多いのでその辺は冷静に判断しながら古代の風俗や神を楽しみたいと思います。
返信する
ひーさんへ (伝八郎)
2011-06-22 08:52:51
名前を間違い重ね重ね失礼しました。

私もアラハバキが弁財天・お稲荷さん、クナトの大神がお地蔵さん、と姿を変えたとする富氏の伝承を信じています。

アラハバキは境界線の神でもあり、多賀城のアラハバキ神社が多賀城の境界線に配置されているのもその為だと思います。

そして境界線=関所・関場=門です。
伊勢神宮で一番重要な天照大神の宮地に門番のごとく配置されている、立ち入り禁止の矢乃波波木神はアラハバキと考えています。

金山彦は黄金山神社では龍蔵権現として祭られています。金山彦はホツマツタエで色々語られていて興味深いですね。多分、猿田彦との関連が深いと思います。

それと私は仙台市・泉区在住です。
今回の震災で私の商売もストップしてゲンナリしています。まだまだ再起に時間がかかりそうです。もうケセラセラです。

ひーさんも大変な状況とお察しします。余り根を詰めずにがんばって下さい。

機会がございましたら、お会いしたいですね。

ではでは。



返信する
大京さんへ (ひー)
2011-06-22 07:31:08
先日のメッセージにコメントを返せず。
このブログの多賀城の荒脛巾神社の記事にコメントをいれさせていただきました。
ありがとうございます。
弥生以前にはあったと思われる神社に興味が付きません。
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魅せられる (大京)
2011-06-21 23:09:13
先日は、アラハバキの興奮を抑えきれず、いきなりメールしてしまい、申し訳ありませんでした。
自分としては、「アラバキ」と「アラハバキ」の響きから、自ら気が付いたことでしたので、バカバカしいですが、非常に浪漫を感じてしまいました。
HPで紹介されていた本も、馴染みの本屋さんへ注文を出しました。来るのが楽しみです。
・・・難しすぎて、素人の私には読み切れないかもしれません・・・。
また、勉強しにここに来ます。
身辺、落ち着かないと察しますが、お身体お大事にしてください。
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いっくさんへ (ひー)
2011-06-21 22:51:05
基本的には、片方ですね。
ところが、色々まわっていますと、規定は無いようにも思います。

今回の津波で神社が流され、新たな伝説が出来るかも知れませんね。
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伝八郎さんへ (ひー)
2011-06-21 22:47:47
PS:悪路王の話もUP済ですが、この話がくっつくと面白くなりますね。

まだまだ奥が深いようですね。
勉強不足です。
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伝八郎さんへ (ひー)
2011-06-21 22:43:41
www自分の名前を間違えないように。
それにしてもお詳しい・・・
どちらに御住まいですか?
黄金山神社は訪問済でしたので、再度確認しましたら、天照皇大神・金山彦神(金山毘古神)・猿田彦神・・で間違いなく金山彦が祀ってありますね。
弁才天は気になりますね。アラハバキは弁才天に変化し、出雲に祀られるクナト大神は地蔵になった・・・とも云われています。
アラハバキとの関係は興味深いんですよ。

伊豆佐比売神社は関係が深いようなので、後程訪れたいものです。
現在、震災の関係で引越しの準備などもろもろ忙しく趣味に没頭できない状態です。
また、面白い話がありましたらご教授下さい。

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おばんです (ほでなすいっく)
2011-06-21 22:32:36
小さいお社に狛ちゃんがいるって珍しいですね

あれ?
角は片方の狛ちゃんだけですか?
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維真尽さんへ (ひー)
2011-06-21 22:11:37
金山彦は全国にあるでしょうね。
地元の人は、自分達に必要な神様を祀ったのでしょう。
いずれ時代と共に合祀され複数の神が集められたのですね。
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酔漢さんへ (ひー)
2011-06-21 22:08:33
ずーっと気になっていた神社でした。
仙台市内でも小さな神社や祠を知れべて見ると伝説が残っていたりします。
江戸時代に急激にお稲荷さんが増えましたが、こうして祀られているのには、それぞれ理由があるのですね。
忘れられないように、伝説は伝承するべきですね。
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伝七郎でなくて伝八郎でした。 (伝八郎)
2011-06-21 20:40:31
あっ、名前、伝七郎になっている(涙)。「伝八郎」の間違いです。すみません。
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悪玉のモデル (伝七郎)
2011-06-21 20:36:09
南宮神社の存在は知りませんでした。今度行ってみたいと思います。

さて金山姫は黄金山神社では弁財天として祭られていますね。

そして伊豆佐比売神社は利府、岩切の社とも山形県鶴岡市の由豆佐売神社からの分霊。祭神は恵比寿様の彼女の溝咋姫。

由豆佐売神社はその昔は龍蔵権現と呼ばれ、御神体は十一面観音。山形の多賀城的役割を果たしていました。

そんでもって伊豆神社系の神紋は九曜紋。九曜紋は太陽、北斗七星等、九つの星をくくったククリヒメの意。つまり白山信仰の菊理姫。

悪玉は紀伊出身。伊勢からの帰路は柴神・阿須波神の名がつく阿須波道、つまり鈴鹿峠。
そこに田村麻呂とくれば、悪路王を裏切り田村麻呂に付いた鈴鹿御前。つまり瀬織津姫となります。

悪玉伝説は、暗にそれを悟らせるがための伝説じゃないかなぁーと考えています。
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金山彦 (維真尽(^.^))
2011-06-21 16:56:29
各地に祭ってあるんではないでしょう~か?
出雲にも
もののけ姫などの関係やらで
結構あるように思います (^_-)~☆
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散歩道・・ (酔漢です)
2011-06-21 11:13:37
このあたりで自転車に乗っていて、丁度真夏の夕方。逆光の中に、しかも田圃のど真ん中に見えた神社。
回りには車の音もなくて、蜩だけが鳴いておりました。その日の午後は36℃近くも気温が上がり、酔漢も自転車に乗りながら、Tシャツがもうホルスタイン状態。
ですが、誘われるままに神社へ向かいました。
別に何をどうするわけでもなかったのですが、神社に着いた途端、にわか雨。すぐさまやみましたが、「きつねの嫁入り」を思い出しまして。非常に背中がもぞもぞしたのを覚えております。
南宮神社へ行きますと、案外不思議な出来事に出合うのでした。
この神社の傍を通ると、車がエンコするとか・・。
うーーん。不可思議!不可思議!
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ビタースイートさんへ (ひー)
2011-06-21 07:39:22
境内の中は空気が違うんですよ。

さも無い神社ですが、立派な伝説が残っていますね。
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Unknown (ビタースイート)
2011-06-21 05:24:48
ここだけ現世から超越しているようです。
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