案内板によると
この稲荷神社は約六百年まえにお城ができた頃から守護神として祀られていました。当時はこれより東手の三ノ丸にあったものを現在の地にうつされたといわれています。
伝説によれば、築城の縄張りに苦心した芦名直盛が勧請先の田中稲荷神社に祈ったところ、霊夢があり目覚めてみると降り積もった雪に狐の足跡があり、それをしるべとして築城の縄張りを決め、名城を築くことができたと伝えられています。
現在は蚕養国神社(会津若松市蚕養町)の管理で、元旦詣りや学業成就、商売繁盛、家内安全や交通安全祈願など広く人々の信仰を集めています。
以前は気にもしなかったお稲荷さんや神社ですが、覗かぬわけにはいかなくなってきました。
特にこのように笠を被ったりユニークな狐や狛犬は避けて通れませんね。
参道の階段だけで三対いました。
この狐の足元を見て下さい。
普通は子狐や宝珠そして口に巻物がメジャーですがこれは何でしょう?
わかりました!他に何があるかと考えましたら、稲や鍵がありました。 これは鍵ですね。
これは宝珠に巻物
これは子狐
これは米俵ですね。
当日は雨が降っていたので雨が写りこんでいますね。
やはり葵の紋が・・
まだまだいます。
稲荷神社から見た鶴ヶ城
お稲荷さまはあるんですね (^^♪
松江城にもありました~よ
お使いのお狐さん達可愛いですねぇ~
それより 鶴ヶ城と聞くとあの悲劇を直ぐに思い出させます。
白虎隊…戦わさせるには若すぎた。
ところで酔漢さんのところに佐浦酒造の大根紋のことを書き込んでたようなので・・・
大根の家紋は、大聖歓喜天(たぶんガネーシャのこと)信仰に由来するらしいです。
また、それほどめづらしいものでもなく、違い大根と一本大根があってそれぞれ何パターンかあるようです。
実はよく似たものに丁子(クローブ)紋がありますが、違いは葉っぱの形です。
大根紋は実物の大根らしいフサフサした菜っ葉状に表現されていますが、
丁子紋の方は、葉っぱがサザエさんの前髪型に表されています。
佐浦のはどっちだろう・・・?
オイラが見かけたものでは、有備館の軒破風に丁子紋が透かしてありました。
出雲の鉾と大根の云われは知らなかったけど、家紋には植物由来のものが結構多いですよ。
ちなみにオイラの身内では、父方に橘と菊、母方には梅と桐の家紋があります。
葉の所がかなり長かったと思います。
佐浦酒造のは、いつか父に「大根?」と尋ねたところ「丁子(ちょうじ)」だと教えられました。丁子が実際どんなものかは、知らないのですが、香辛料の和名で「クローブ」の事だとは、先ほど知ったばかりです。
あれが、「クローブ」だといたしますと、何故家紋になったのか、その経緯までは分かりませんでした。
大根が変形したのか。「クローブ」は直訳しますと「釘」となりますので、「釘」がその形の元というふうにも、推察できるのですが。
すみません、そこまでしか知識がなくて、今度、ご本人にも聞いてみましょう。
ひーさんからご紹介されました、記事へ、同じコメントをいたしております。
ぐずらさんと見解は一緒でございます。
ただ、今思いますれば、「釘」がどういう意味であるのか、そこが気になるところです。
東北には案外少ない家紋とも聞きました。実際佐浦酒造の他、私も知りません。
「交差した釘」これが、家紋ですから、実際の意味はどうなるのでしょうか。
私実家の家紋は「九枚笹」でした。
そういえば「謎の弁才天女・吉田大洋著」に、お稲荷さんに一度参拝に行き、外の神様の神社に参拝したら祟りがあると書かれていた事から、私は一番お稲荷様が怖いです。
あっ、それと蚕養国神社の境内社には鬼渡神社もあります。行かれましたか?
佐浦酒造の縁の方でしたか。
二本大根の家紋のコメントを読ませて頂きました。興味深いですね。
ひーさんも知っていると思いますが、「謎の出雲帝国・吉田大洋著」に大国主・長脛彦直系の直系の子孫である富氏の話が出てきますが、この富氏の家紋は、本来は矛が交差した図の家紋でしたが、時の政府により大根が交差した図に変えられたと書かれていました。
この富氏の家系の富神社が出雲にまだ在ったと記憶していますが、多分、二本大根の神紋だったと思います(間違っていたら御免なさい)。
ある古文書には塩釜神は出雲から逃げてきた長脛彦で、塩の作り方を地元民に教えたと書かれていますが、お酒の造り方も教えていたとしたらロマンですねぇー。ホント興味深いです。
ではでは。
ちなみに丁子はインドネシア原産のクローブの蕾を乾燥させたもので、古くから
食品や香油の香りづけに使われてて、日本では正倉院にあるのが最古のものらしっすよ。
形が似てるんで和名では釘を表す丁字、同じく西洋でもラテン語の釘からクローブと呼ぶようです。
実は、日本では江戸時代に匂い袋やビンツケ油の香料として大量に使われていて、薬種屋とか
小間物屋なんかが家紋に使ったようです。
調べてみたら、一本丁子の他、交差型、矢車型(最大8本)、囲み紋や巴紋各種など
バリエーションも豊富でしたよ。
信仰する人も合わせて増えたことでしょうね。
白虎隊のことを書きたいのですが、なかなか纏める時間も無いし・・・かいつまんで、画像と共に記事にしたいと思います。
興味が多すぎる自分には何時になることやら?
薬屋に関係があるようでもあります。
今度図書館に行ったら家紋の辞典でも見てます。
「丸に違い大根」の家紋で問い合わせしている人も居ましたね。
確かに家紋が何で大根?っておもいますよね。
ネットで見ていましたら、大根の交差している姿は相撲の組んでいる姿を現しているという話が絵入りでありました。
これから意識して図書館で調べてみます。
蚕養国神社はまだ未訪です。あの日は雨が降っていましたのでそうそうと立ち去りました。
酔漢さんとの大根の家紋についてのやりとりは、私の方から佐浦酒造さんの蔵に違い大根の家紋があることから、出雲の話を出して振ったのです。
伝八郎さんのコメントの通り、出雲神族は北から下りて鹽竈を通って行った時に塩の作り方を教えて行ったと話していますね。それが頭に残っていて、あの家紋を見た時にもしやと思って私の意見をコメントしたのです。
酔漢さんはこの分野ではブログ等の記事を書いていませんので私から変わりに・・・
本当にその時に酒造りを教えてその神族が鹽竈に残り加えてアラハバキを祀っていたら最高のストーリーですね。 それが鹽竈神社の根底にあるとしたらまた面白い。
今、鹽竈神社の本を読んでました。
いずれHPの1ページに纏めます。
あれ、けっこう目立つんですよ。
丁子紋を調べるとそうなんですよね。
伝八郎さんがコメント入れてくれましたが、出雲神族の話を見たといいますか読んだといいますか?
古代史的に考えると、見方が変わってきて、といいますか想像が膨らんでくるのですね。
そういう経緯でしたか。
私もバッテンの大根と聞いて、直ぐ富氏の話を思い出しました。塩釜神社の記事、楽しみにしています。
さて、お稲荷さんですが、お稲荷さんは豊受大神と同神とされています。「豊受稲荷」もありますので、その説正しいと思います。故に豊受大神=宇賀神と考えられます。
豊受大神は豊受姫の存在から女神と考えられていますが、御神体は男性・女性の木製の性器です。これは豊受大神を祭る神社の禰宜である私の友人から聞いたので確かだと思います。
とすればアイヌ語で読むと男性器は久那斗大神、女性器はアラハバキ神となります。
出雲大社に宇賀神の絵が祭られているとしたら、やはり出雲大社は本来は久那斗大神とアラハバキ神が祭られていたとする富氏の話は正しい思いました。
ではでは。
殆どがそうだったですね。
宇賀神の絵は、どの本で見たのか忘れましたが、見たことがあります。
出雲の方やほぼ国民の皆が神話を中心に出雲を見ますが、その裏側には隠された秘密があることをもう少しアピールしたいですね。
そうでないと出雲に代々住む人々は騙されたまま過していることになるのでは?なんて考えてしまいます。
それとも、私達の方が変わりもの?(笑)
こんなユニークな、神使 見たことない!
ご紹介、おおきにぃ <(_ _)>
雨の日もめげずに傘を被ってお使いしているのですよ。ww