久しぶりに、蒲生に行きました。
震災後何度か来ていますが、今までお袋は連れて来ませんでした。 それは・・・
お袋からすれば、母の実家があり親戚も多く、この震災でその親戚や友人を亡くしてしまっていたからです。
母の目には涙が溢れていました。
手を合わせる母でした。
消えた蒲生干潟/憎き3.11
震災後何度か来ていますが、今までお袋は連れて来ませんでした。 それは・・・
お袋からすれば、母の実家があり親戚も多く、この震災でその親戚や友人を亡くしてしまっていたからです。
母の目には涙が溢れていました。
手を合わせる母でした。
消えた蒲生干潟/憎き3.11
またお借りしてもよろしいでしょうか?
蒲生の「養鯉場」が懐かしいです。
周囲には、堤防が作られているようです。
ここまで伸びて来るのだろうか?
今後、時々様子を見てます。
以前にもコメントさせていただきました。
日和山看板のたくさんのメッセージ、胸が詰まります。仙台に住んでいた頃は、調査や観察会のため、ほぼ毎月のように通っていましたから。まして、暮らしていらっしゃったお母様の思いはいかほどでしょう。
干潟の生態系は、いずれ再生することでしょうが、人の営みがどうなっていくのか。少しでもよい方向へ向かうよう祈るのみです。
震災後、こうして見に行くと、必ず誰かしら見に来ています。
ため息しか出ませんが・・・・
震災前に記事を書いていて良かったと思いました。
以前の姿を記録して置けたので。
田老町の記事は震災直後一日3万件のアクセスがあり多くのコメントを頂きました。
あの時は驚きました。
また、新たに野鳥達が集まってくれる事を願っています。