昭和3年の仙台市内地図完全復刻
本屋さんをウロウロ・・・・・
以前から興味があった仙台市内地図をゲット
図書館に行っても、全部をコピーさせてくれません。
戦前の仙台地図で、昭和3年に発行されたものを再現したようです。
戦前の町並みや通りの名前、そして店の名前もそのまま再現されてます。
現在と比べる楽しみ、80年前の杜の都がここにあります。
今は、走っていない鉄道や陸軍の射撃場・・・・などなど
地図だけかと思ったら、当時のポストカードや写真・解説本も付いてました。
ただの古い地図ですが、私にはワクワクする一枚の地図です。o(^-^)o
宮城県庁舎 昭和6年
玉澤駅前売店 昭和初年
九重本舗の看板が見えますが、老舗の和菓子屋です。
小さい頃、粒粒の色の着いたあられのようなもの湯のみの入れて、お湯を注ぐと
出来上がり。 当時は甘い物は、イコール美味しいものでしてね。
玉澤の由来
延宝参年(西暦1675年)弊舗の初代、玉澤伝蔵が伊達家第四代藩主・
綱村公の招きにより近江の国(現在の滋賀県)から来府し、
仙台藩のご城下・国分町に「御用御菓子司」として開業したのが"玉澤"の始まりです。
だから社長さんの名前は「近江」なのですね。
宮城電鉄 (現在の仙石線です。 昭和3年11月に 全通しています。)
宮城電鉄「仙台駅」 仙台駅の地下通路にモダンな駅舎が
・・・日本最初の地下鉄です。
地下ホームは知りませんが、駅前に出るのに、地下道をくぐり地上に出ると
丸光デパートがあり、仙台は大都市だと感じたものです。
後に仙台第二中学校「現在の仙台第二高等学校です。
戦闘機がありますね~
東北産業博覧会 昭和3年
仙台停車場 昭和3年頃
編集発行(有)イーピー風の時編集部
http://www.sendai-city.org/kaze.htm/
本屋さんをウロウロ・・・・・
以前から興味があった仙台市内地図をゲット
図書館に行っても、全部をコピーさせてくれません。
戦前の仙台地図で、昭和3年に発行されたものを再現したようです。
戦前の町並みや通りの名前、そして店の名前もそのまま再現されてます。
現在と比べる楽しみ、80年前の杜の都がここにあります。
今は、走っていない鉄道や陸軍の射撃場・・・・などなど
地図だけかと思ったら、当時のポストカードや写真・解説本も付いてました。
ただの古い地図ですが、私にはワクワクする一枚の地図です。o(^-^)o
宮城県庁舎 昭和6年
玉澤駅前売店 昭和初年
九重本舗の看板が見えますが、老舗の和菓子屋です。
小さい頃、粒粒の色の着いたあられのようなもの湯のみの入れて、お湯を注ぐと
出来上がり。 当時は甘い物は、イコール美味しいものでしてね。
玉澤の由来
延宝参年(西暦1675年)弊舗の初代、玉澤伝蔵が伊達家第四代藩主・
綱村公の招きにより近江の国(現在の滋賀県)から来府し、
仙台藩のご城下・国分町に「御用御菓子司」として開業したのが"玉澤"の始まりです。
だから社長さんの名前は「近江」なのですね。
宮城電鉄 (現在の仙石線です。 昭和3年11月に 全通しています。)
宮城電鉄「仙台駅」 仙台駅の地下通路にモダンな駅舎が
・・・日本最初の地下鉄です。
地下ホームは知りませんが、駅前に出るのに、地下道をくぐり地上に出ると
丸光デパートがあり、仙台は大都市だと感じたものです。
後に仙台第二中学校「現在の仙台第二高等学校です。
戦闘機がありますね~
東北産業博覧会 昭和3年
仙台停車場 昭和3年頃
編集発行(有)イーピー風の時編集部
http://www.sendai-city.org/kaze.htm/
タクシーが増えて増えて!
街中タクシーだらけです。
規制緩和の政策が、このざまです。
共倒れですね。
でも居酒屋タクシーはまだ聞きませんね~
乗りたいものです。
チケットくれ~
妄想は広がり続けてます。
小説のように。
仙台市がまず第一号の規制対象になったと云ってました。
まさに今昔の感がありますね
大好きで~見飽きることありません
横浜は関内地区を持っていますが
神戸はまだなので~GET楽しみ
新しい車両より、味があっていいですね。
よくわかりま~す (^^)v
宮城電鉄のような~電車~
いまでも~
畑電では~現役~ (^_-)-☆
そこの平台にあったと思います。
でも2千円もします。
今、地図で見たら、産業博覧会の第一会場として使われたようです。
知らない時代ではありますが、現代に繋がる貴重な資料ですね。
(モチロン仙台といっても旧市内・古い地名)
古くてカビっぽくて捨てました。
貴重品だったかも。
ポストカードもついているのですか。
いいですね。
宮城県庁の建物は学校の帰りとおったので懐かしいです。
私も一度見てみたいです。
今とどれだけ違ってるのでしょうか・・
人のもの見ると欲しくなるのは…子供と一緒かしら?
旧制二中は今の二高と同じ場所にあったのでしょうか?広瀬川沿いのあのあたり(西公園とか)は軍の施設があったと聞いています。なので仙台空襲では狙われた場所なんですよね。よって、駅の東側は空襲を免れ、現在開発されている状態。焼けてしまった駅の東側はだだっ広い道路が造られた。今では狭いみたいだけど。
昭和3年なら空襲の前だし、現在とはずいぶん違っているのでしょうね。
いろいろ思いをめぐらしていたら…やっぱり欲しくなってきた。仙台に戻った時にはまだ売っているだろうか?
地下鉄、仙台から始まったんですね。
それにしても、何故、学校に戦闘機が?
何となく、軍国日本の象徴みたいにも見えてしまいますね。