東一番丁もイルミネーションで飾られてました。
仙台の方なら東二番丁通りにある、タワービルは良くご存知でしょう。
その南側の横丁、東一番丁の江陽写場に抜ける通りは、明治33年に一番町の角に森徳座と言う劇場が出来てから「森徳横丁」と呼ばれ、その前身の森民座があった頃は、「森民横丁」と呼ばれていたようだ。
このタワービルの前は、市立病院がありましたが、その昔には仙台地裁があり「裁判所横丁」と呼ばれたこともあったようです。
しかし、もっと昔は、東南の角に藩の医学館があり、その跡地に憲兵隊でき、「憲兵隊横丁」とも呼ばれたようです。
さて、時は幕末、南側には小高い土手があり北側には竹薮があり大きな杉の木が陽の光をさえぎり日中でも薄暗い場所だった。
藩の医学館(文化十二年[1815]創建)があり、通りに産後の胎盤を捨てると、子供が育つと言う俗信が広がり、道の草むらには胎盤が捨てられていたといいます。
そんなことから、鬼火や幽霊が出ると言う噂が広まり「化物横丁」といったとようです。
当時の敷地内には、我が国の公開図書館の元祖とされる、「青柳文庫」天保二年、蔵書二万巻と資金を藩に献じて青柳文蔵さんが創設した。
正面を横切るのが、一番丁です。 現在の写真は後程加えておきます。
この中ほどから、タワービルの裏手に、右折すると、正面に三越、その手前左側が「東一市場」がある。
これだ・・・1・2・3
この建物は昭和31年に鉄筋に改築。
ぐずらさんが小便横丁と言ったのは、ここではないだろうか?
中に入ると、今でも公衆トイレがありました。
チョットその前に、この写真、昭和22年(1947)頃
仙台三越向かいの東一連鎖街商店(青葉マーケット)とあります。
福引大売出しと書いてありますね。
東一市場は昭和21年にバラックからスタートとありますから、きっとこれでしょう。
※東一市場の場所と小便横丁は、ぐずらさんのコメントをお読み下さい。
それでは、東一市場を通過します。
一番丁側からの様子です。 神田の立ち食いそばですね。 たまにお世話になってます。
さて一番丁に出ましたね。 昭和22年にタイムスリップ
東一番丁の女学生(撮影:千葉正一氏・雑華文庫所蔵)
昭和22年
昭和22年
昭和29年です。大内屋付近の一番丁
前にも記事にしてましたが、虎屋横丁です。 チョットイルミネーションが・・・・
昭和40年の虎屋横丁
国分町のタバコ屋さん! ここのタバコの種類は昔からすごいですね。
洋モクは何でも揃ってました。
ラーメンと言えば、「味よし」ここで食べた殿方も多いのでは?
「支那そば」派もいますね。
看板や店もちょっと改装したようですね。
このあたりの古い地図はこちらをご覧下さい。仙台今昔物語:一番丁地図
今日はこの辺で 土曜日・・・今から出勤です。
仙台の方なら東二番丁通りにある、タワービルは良くご存知でしょう。
その南側の横丁、東一番丁の江陽写場に抜ける通りは、明治33年に一番町の角に森徳座と言う劇場が出来てから「森徳横丁」と呼ばれ、その前身の森民座があった頃は、「森民横丁」と呼ばれていたようだ。
このタワービルの前は、市立病院がありましたが、その昔には仙台地裁があり「裁判所横丁」と呼ばれたこともあったようです。
しかし、もっと昔は、東南の角に藩の医学館があり、その跡地に憲兵隊でき、「憲兵隊横丁」とも呼ばれたようです。
さて、時は幕末、南側には小高い土手があり北側には竹薮があり大きな杉の木が陽の光をさえぎり日中でも薄暗い場所だった。
藩の医学館(文化十二年[1815]創建)があり、通りに産後の胎盤を捨てると、子供が育つと言う俗信が広がり、道の草むらには胎盤が捨てられていたといいます。
そんなことから、鬼火や幽霊が出ると言う噂が広まり「化物横丁」といったとようです。
当時の敷地内には、我が国の公開図書館の元祖とされる、「青柳文庫」天保二年、蔵書二万巻と資金を藩に献じて青柳文蔵さんが創設した。
正面を横切るのが、一番丁です。 現在の写真は後程加えておきます。
この中ほどから、タワービルの裏手に、右折すると、正面に三越、その手前左側が「東一市場」がある。
これだ・・・1・2・3
この建物は昭和31年に鉄筋に改築。
ぐずらさんが小便横丁と言ったのは、ここではないだろうか?
中に入ると、今でも公衆トイレがありました。
チョットその前に、この写真、昭和22年(1947)頃
仙台三越向かいの東一連鎖街商店(青葉マーケット)とあります。
福引大売出しと書いてありますね。
東一市場は昭和21年にバラックからスタートとありますから、きっとこれでしょう。
※東一市場の場所と小便横丁は、ぐずらさんのコメントをお読み下さい。
それでは、東一市場を通過します。
一番丁側からの様子です。 神田の立ち食いそばですね。 たまにお世話になってます。
さて一番丁に出ましたね。 昭和22年にタイムスリップ
東一番丁の女学生(撮影:千葉正一氏・雑華文庫所蔵)
昭和22年
昭和22年
昭和29年です。大内屋付近の一番丁
前にも記事にしてましたが、虎屋横丁です。 チョットイルミネーションが・・・・
昭和40年の虎屋横丁
国分町のタバコ屋さん! ここのタバコの種類は昔からすごいですね。
洋モクは何でも揃ってました。
ラーメンと言えば、「味よし」ここで食べた殿方も多いのでは?
「支那そば」派もいますね。
看板や店もちょっと改装したようですね。
このあたりの古い地図はこちらをご覧下さい。仙台今昔物語:一番丁地図
今日はこの辺で 土曜日・・・今から出勤です。
自分の年を重ねてみています。
知っている所もあれば、知らない所もおおいです。
気分転換を兼ねて、私も綺麗なイルミーネーションを見に行ってきます
小学校の頃 三越の側に友達の家がありませた。
時計屋さんで遊びに行くと急な階段を登って部屋に案内してくれました。
狭くて急な階段には時計も置いてあったので
登る時はとても気をつけて登りました。
三越前に不思議な本屋さんがありました。
整然と並べてなくて山積みになっていました。
古本屋さんではなかったような気がします。
周りの店がだんだん整ってきたのにもかかわらず
その店だけは古びていて本が山積みされていたような。
昭和何年ごろまで店は続いていたのでしょう。
ひーさんはその本屋さんをご存知ではないでしょうか?
ありがとうございま~す
むかしは
丸顔の健康美人多かったんですね (^_-)-☆
相変わらず~自分のブログ開く時
重たいんでしょ~か?
お世話かけま~す m(__)m
年代の写真が繋がればわかりやすいのですが…
気分転換もいいでしね。
ページェントは混んでるようですが。
僕はわかりませんね~古い地図は、かなり古のですが、自宅に帰ったら見て見ます。
一応対処しましたので大丈夫かと…
携帯からは、サクサクなのですがね。
白黒写真だと遠い昔のように感じてしまうのですが、カラーだと少し親しみやすく感じてしまいます。
時計屋さんは三越側です。
本屋さんは三越の道路を挟んで向かい側にありました。
薄暗くて不思議な本屋さんでした。
んでもって、ここには東一市場のトイレとは比べ物にならないくらいくっさ~い便所があって、これが別名「小便横丁」の云われなんだでば。
ところで、林さんの覚えてる本屋は、かき徳ビル1階の高山書店のことじゃないですかね?
かき徳ビルが建てなおされてからは店内もだいぶ明るくなったけど、以前は薄暗かったかも・・・
横丁は壱弐参横丁にたまに行きますよ
好きなコーヒーやさんがあるので
今日は仙台市博物館に行ってきました