去年の10月に行っていたのですが、記事にしていなかったので遅ればせながら書きました。
この日は、伊勢鳥羽の宿から直行で埼玉まできました。
残念ながら、4泊目で雨にあたりました。 天気のこともあり薄暗くなって来たところです。
ホテルから直ぐのところにあったのがこの熊野神社でした。
御由緒 神社ホームページから
当社は、『明細帳』によると天正18年(1590年)蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことに始まり、以後、松郷の人々が氏神として崇敬した。
下って、正徳3年(1713年)同寺十六世然誉了鑑僧正の時、社殿を改築し鳥居を石造りとした。現在ある二の鳥居がそれである。
御祭神
御祭神は熊野大神で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、事解之男尊(ことさかのおのみこと)、速玉之男尊(はやたまのおのみこと)の御三神です。
伊弉諾尊、伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、一番最初に出てくる夫婦の神様です。
このお二人の神様は、夫婦道を興しになられただけでなく、多くの国や森羅万象の神様をお産みになられました。
そのようなことで『縁結び』の神様としてのご信仰があるわけです。特に、当社の主祭神であられる伊弉諾尊は, 天照大神(あまてらすおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの御親神様でもあり、御神徳の高い神として人々に敬われています。また、禊(みそ)ぎをとても大切にしている神道ですが、その起源は古事記によると伊弉諾尊の禊ぎにあるとされています。
伊弉諾尊、伊弉冉尊の二柱を祭っている神社は大体、縁結びを掲げていますね。
熊野神社や大社って、神社造りというよりお堂に近いような感じがします。もちろん神社造りもありますがね。
この日は、伊勢鳥羽の宿から直行で埼玉まできました。
残念ながら、4泊目で雨にあたりました。 天気のこともあり薄暗くなって来たところです。
ホテルから直ぐのところにあったのがこの熊野神社でした。
御由緒 神社ホームページから
当社は、『明細帳』によると天正18年(1590年)蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことに始まり、以後、松郷の人々が氏神として崇敬した。
下って、正徳3年(1713年)同寺十六世然誉了鑑僧正の時、社殿を改築し鳥居を石造りとした。現在ある二の鳥居がそれである。
御祭神
御祭神は熊野大神で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、事解之男尊(ことさかのおのみこと)、速玉之男尊(はやたまのおのみこと)の御三神です。
伊弉諾尊、伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、一番最初に出てくる夫婦の神様です。
このお二人の神様は、夫婦道を興しになられただけでなく、多くの国や森羅万象の神様をお産みになられました。
そのようなことで『縁結び』の神様としてのご信仰があるわけです。特に、当社の主祭神であられる伊弉諾尊は, 天照大神(あまてらすおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの御親神様でもあり、御神徳の高い神として人々に敬われています。また、禊(みそ)ぎをとても大切にしている神道ですが、その起源は古事記によると伊弉諾尊の禊ぎにあるとされています。
伊弉諾尊、伊弉冉尊の二柱を祭っている神社は大体、縁結びを掲げていますね。
熊野神社や大社って、神社造りというよりお堂に近いような感じがします。もちろん神社造りもありますがね。
広く浅くがもっとーですので、何にでも興味深々です。
でね、小田原奪還はマジ大事ですね。
国府津の辺りでここの探索以外でも同じ地に連動してきちゃいました。
でまた川越も東京の6月のお祭り関係でもどうも関わってきてるんで。
でどうもしがらみがありそうなんで面倒なので私は自由に木の信仰としてみてみたいと思ってます。でどうも出雲も関係しそうですよ。天神に入ってるかも?です。
あくまでもどっちかにくっ付くとどっちかからのとばっちりを受けちゃうんで、ここはあくまでもどちらも大事のスタンスで争わせないように行きますね。争う理由は争わせたい者がいる為でご本人たちの意思では全くないはず。でないと今の世もあり得ないので。違う者同士の化学反応による人間の適応性の向上により今人間は生きていられるはずです。
時期がきたら小田原行かないとまたその後川越にも。冷静になってからじゃないと、6月ですから護りと祓いをしておきたいですね。
でひーさんと卑弥呼って最新の記事まで連動して思っていなかったんですけどこの関係との思わぬ連続性にもちょい納得してしまいます。うちは父を探ると祖母の方と連動していくんで被ってくるように思いますね。
小田原奪還で卑弥呼のヒントも出てくると思いますよ。
という事で神奈川埼玉の考古学者の皆さん、そして独自に動いている組織の皆さんの今までの苦労をその他の件と連動してどうか見えない歴史(文書改ざん、抹消等)を繋げるのは関東の皆さんですよ、宜しくお願いします。
それが出来たら奈良大阪の近畿や琵琶湖周辺、岡山や東北、熊本辺りも連動してくるでしょうね。
キーワードは赤、火の祓いを神聖に感じれた民族。お水の祓いと連動して大事に見つけたいですね。製鉄や銅の加工もそれがないとあり得ないはずです。川越熊野にはないのか?そこに戻ってもみますね。2513
本人が話してくれるでしょう。
国府津は隣の街にもありますね。国府跡の東側になります。 塩釜ですが地名は香津町です。
先日、神社仏閣を巡ったのですが、黒石寺というところに行って御朱印をもらったら薬師如来と書いてありました。
ここは一度記事にしています。今から随分前ですがJRのポスターでお客様からクレームがあった裸祭りの写真で有名になりました。
あとで御朱印を追加しておきたいと思います。
https://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/74256f08785f24d938919d97397f8112
まぁ、願い事は却下されそうですね。
高橋一族ですか。 繁栄する時代もあれば亡びていく時代もありますからね。
権力者の跡地に神社はよくありますね。
蕎麦も気になります。
で前回コメントのあと天神と小田原で調べたら
国府津の山沿いの立地であるんですけどここは平野が水没していた時代は岬になりますね。かなり大事な地になりそうです。電車等でと通った時も駅名でかなり気になりましたよ。中世にも栄えてたような名前ですね。国府+津(港)ですから。
でその岬の対岸の先端が小田原城の辺りでここも峰によって八幡や天神と明らかに気になる地名ありますね。この辺りのお祭りとしては3社ありそうな情報もあります。で一つが大久保氏が関わりそうなので大の一族も地図からでも想定してましたけど神社や方位避けだか護りだかでも大久保さんも関わってきます。なにかプンプンしますね。稲荷だとしたら火除けかしら?
あと象やっぱりいたみたい。名前がうめ子ですからね。道真さんとも関係ありそう、偶然にしても。お祭りだか武者行列だかの前に一人で行った記憶あります。
それからクロンシュタットさんが、またいい味出してますね。なるほど、背景も色々ありそうで今後が楽しみです。シュタットとの言葉でドイツに縁あるかな?そこも気になってますよ、あと深大寺も父好きだったし、大阪と調布の古代の繋がりも個人的な身近な方の人間ウォッチでも感じてましてそこと東北も絡むとまた伊達さんなら東京都心もですもん。楽しみです。
小田原を地形的に見た事は全くなかったですけどそうみていくとかなり足柄と松田町(この二つの場所が以前から気になるのも湾状になっている入江ならば港としても中世はもちろん縄文辺りも遡って栄えていた可能性ありそうですよ。
で天神さんや天祖辺りも、クロンシュタットさんの川の名前から色々と見えてくるとはとても有意義でしたよ。
夜中から考えていて頭が痛くなってきたのでここまでにしますね。怨霊になるには原因がありますもん。なんか初期の出雲に関わってきそうですね。伊達さんのバックにも北条さんのバックにも大久保さんのバックにも。高橋氏についてもハシゴ高なんて名字を表現しますが、神様に近い所に一族いたなのは確かですよね。巫覡が今不足してますのでクロンシュタットさんにも期待しております。7749
高橋一族が深大寺(そばで有名)に城を築いた際の支城がやがて廃城となった後、
時代がめぐり今は近在の氏神さん「神明神社」となっております。
この辺は北条氏が滅んだあと土着した高橋一族が開墾した武蔵野の地でして、
高橋一族の部下(分家?)の家系が、かみさんちの本家になっております。
まあ代々の農家一族ですね。ちなみに現代の高橋さんの家は銀杏農家で有名です。志村けんの自宅のそばです。
末端の末裔の私としては、ぼちぼち小田原城奪還に打って出ようかと思います。
攻略戦の構想を練るために、今朝も散歩のついでに神明神社でビール飲んでましたが......
それぞれの時代で歴史上欠かせない場所でしょうね。
仙台関係では、伊達政宗が小田原参陣の時、母親からの毒殺未遂事件があります。そのため遅れてしまい白装束で秀吉と謁見します。 まぁ結果許されたんですけどね。
仕事で小田原城に行きましたが、お客さんをバスの中で待ってました。その時はそれほど興味が無かったのです。
菅原道真と聞くとやはり怨霊とか恨みとか封じこめるとか、こんな言葉を思いだします。
天神さんって道真さんの裏にもっと昔何かありそうです、それも出雲(スサノオの前の)絡みが気になります。
小田原ですね。小をオと読むのも田も原をワラと読むのも気になります。一回城に行ったなあ。象とかいなかったかな?北条さんですね、政子さんはどうもある程度の知識ありそうなので北条さんが関わるなら気になります。あと、松島とも北条政子さん縁ありますよね。
小田原ちょい調べてみます。田原と言えば藤太ですし、彼田原って関係ないという説もありますけど文字と音でもいいヒントになりますね。
藤太と鎌足は私の中で被るんですよね、やった方。で産湯信仰がお母様関係で鎌足あったのがびっくりしたんですけどこの二人出雲の方だったらどうしましょっか?悪者なのになっているので、みんな避ける所も盲点かも?
ちょっと東京の藤太の出没地でも木と稲荷も含めて個人的には可能性高く感じてます。個人的なものですけどね。
小田原と天神掘ってみます。8810
天満宮ですが、伝承によると自宅の敷地が祀っていたもののようです。
こんな天神さんもあるんですね。
子供のころ歌ってましたね。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
埼玉県川越市の三芳野神社が舞台であるという説があるようです。
もう一か所は小田原のようですよ。
どうしても怖い場所であり祓い的な意味もある。なら簸川そのものですよ。埼玉と仙台も出雲?面白くなりそうですね。6442
そうそう今ちょい面白いのが天神さんに出雲色とそうじゃないのとありそうなんですよ。
結局水神さんみたいなんですけどね。風神と雷神?ここも面白そうですよ。
その先に「浪切不動尊」があり。
予想では、津波の時、この川を遡上するがこの不動尊の辺りで浪は立ち消えるというイメージですね。
あの震災の時も、どの川も波が遡ってきましたからね。
今は川を塞ぎその上を道路が走っています。
平地の少ない塩竈の街は、仕方がなかったのかもしれませんね。
烏もとても好きな時期もあったんですけど昔この時期頭突かれた事がありやたら怖く感じるようになりましたね。なので私の味方なのか敵なのか?全く分からずです。白い鳥のが父の関係ではよく出てきます。で太陽を基準にすると逆光だと白も黒なので結局太陽をどちらに見るか?での単純な違いだとは思います。私の中は朝日系が烏で夕日系が白い鳥とは考えてます。烏は石の信仰を持っていて、白い鳥は木の信仰を持っているように感じますけど結局実態同じで人間が勝手に派閥作っているようにも思います。結局お水の信仰だとは思うんですけどね。いろいろで言うと青と赤に分けて理解してます。次郎坊と太郎坊、青鬼と赤鬼、青不動と赤不動とか。結局揉めるんならお水の透明メインとしていくと安全なはず、どちらに傾くと面倒くさい事になりそうでして。
そうそんな事より、新河岸川ですけどひーさんのお友達のご指摘の川は興味深いですね。また吉見の地形と入間川へと西にいくと山があります。
元加治なんて昔行った場所で飯能や高麗神社のある高い山が連なる境界線に色々何かあるんではないかな?
あと朝霞もそうなんですけど、父のキーワードでは霞っていうのもあるんですよね。地図で霞ヶ関なんてありましたよ。このエリアは後々調べる事になりそうですね。それまで氷川ってどうも怖いのもあるのでほっておきます。22655454
櫻のトンネルのようになっていて。満開の時は綺麗だろうなぁと考えていました。 やはり全国ニュースでやってましたよ。 舟にのれるようです。
伝承の中で八咫烏又は霊鳥は大きな意味がありますね。
正体は何なんでしょう?
自分も熊野さんも意識してまわりますよ。
今では気が付かれないほどの存在感になっているようですが.....
この「気が付かれないほどの存在感」がいとおしいですね。
神田川と玉川上水が最も近づいたあたりに住んでいます。
「気が付かれない」まま静かな時が流れているような地域です。
川越の熊野さんも静かな時を重ねていって欲しいですね。
私は東京でも熊野ってあると行きまくっていた時代がありまして父が亡くなった後も芝東京タワーの辺りとか王子とか青砥とかそれ以外小さい所も気になります。で東京だけじゃなく関東でみると埼玉辺りは以前から行きたいとも。川越ですか、行きたいですね。徳川関係での関係者が関わるんでしたっけ?鷹狩りとかだったかな?ならお水も大抵付き物ですけど川越は地形的にはどうかな?熱帯雨林的な川の間だと興味ありますね。
ゴールは山形、で少し遠回りして各地の熊野回りたいです。候補にいたします。ひーさんが行かれたならば。7721