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姫路城/白鷺城
生憎の曇り空で。ちょっとがっかりしましたがここまで来ることが出来たことに感謝です。
やはり姫路城はbackが青空の方が生えますからね。
次回行くときは、姫路に宿泊したいと思います。
アマチュア無線でいうと兵庫のこのエリアは3エリアです。
例えばその場合コールサインは「JA3×××」になります。私の自宅からは7メガヘルツでの交信では相性が良く姫路市内の局や兵庫の局とはよく繋がります。
それでは、写真を数枚選びUpします。 最後に動画も作りましたのでご覧ください。
そうそう、先日ブラタモリで放送になりましたね。
姫路城が江戸城としてロケをされているのは知っていましたがこれほど江戸城との間に共通点があるとは思いませんでした。
今の姫路城になるまで長い歴史があり色々な武将の名も出てくるのですが割愛します。
慶長5年(1600年)、池田輝政が関ヶ原の戦いの戦功により三河吉田15万石から播磨52万石(播磨一国支配)で入城した。
他のお城が黒の漆を使うお城の時、姫路城は白い漆喰を使います。耐火の意味もあるのでしょう。漆喰1Kgで塗れる範囲は25平方センチメートルです。
相当の料と金額がかかったことでしょう。
江戸城も白です大天守に小天守がある様子は江戸城そっくりです。
また外堀も「の」の字を書くように渦巻く状になっています。そこも江戸城そっくりです。
また、城下には大きな水軍を構え「お召し舟」は動くお城のようだったそうで最近資料が見つかったそうです。水軍を所持し四国の水軍をコントロールしていたのでしょう。
池田輝政そして徳川家康はすごい武将だと思いますよ。
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姫路駅から見える定番のスポットですね。
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駅から真っすぐ姫路城に向かうわけですが途中にこんな石垣がありました大手門でしょうか?
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石垣を見ると野面積みのようです。戦国時代の石垣ですから秀吉の頃に造られたのかも知れませんね。
仙台城の一部も野面積みの部分が見られます。
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天守には神社がありました。たしか新たに発見されたものと思うのですが?
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ウィキから一部抜粋
播州皿屋敷実録
『播州皿屋敷実録』は、成立時は明らかではないが、江戸後期に書かれた、いわば好事家の「戯作(げさく)」であり、脚色部分が多く加わっている。
姫路城第9代城主小寺則職の代(永正16年1519年以降)、家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし、鉄山の計略を探らせた。そして、元信は、青山が増位山の花見の席で則職を毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出、家島に隠れさせ再起を図る。
乗っ取りに失敗した鉄山は家中に密告者がいたとにらみ、家来の町坪弾四郎に調査するように命令した。程なく弾四郎は密告者がお菊であったことを突き止めた。以前からお菊に惚れていた弾四郎はこれを好機としてお菊を脅し、妾になれと言い寄るが、お菊に拒まれる。その態度を逆恨みした弾四郎は、お菊が管理を委任されていた、10枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿「こもがえの具足皿」のうちの一枚をわざと隠す。そして皿が紛失した責任をお菊に押し付け、ついには責め殺して古井戸に死体を捨てた。
以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。
やがて衣笠元信達(則職の家臣)によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、則職の元に返った。その後、則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、十二所神社の中にお菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。その後300年程経って城下に奇妙な形をした虫が大量発生し、人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたといわれる。
このほか、幕末に姫路同心町に在住の福本勇次(村翁)編纂の『村翁夜話集』(安政年間)などに同様の話が記されている。
江戸の「番町皿屋敷」が最も知られていると思う。江戸期には芝居だったり近代では映画化されたりしているため最も普及した怪談話しだと思います。
他の地域でも同じような話が伝わっておりますが、ここの播州皿屋敷が元になっていると思います。
いちま~~い、にま~い、さんま~い、・・・・・
井戸を覗いている子供たちは、有名な怪談話の舞台とは知らないことでしょう。
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長々とありがとうございました。一部動画がありましたので編集しました。
姫路城と神戸の小さな旅
生憎の曇り空で。ちょっとがっかりしましたがここまで来ることが出来たことに感謝です。
やはり姫路城はbackが青空の方が生えますからね。
次回行くときは、姫路に宿泊したいと思います。
アマチュア無線でいうと兵庫のこのエリアは3エリアです。
例えばその場合コールサインは「JA3×××」になります。私の自宅からは7メガヘルツでの交信では相性が良く姫路市内の局や兵庫の局とはよく繋がります。
それでは、写真を数枚選びUpします。 最後に動画も作りましたのでご覧ください。
そうそう、先日ブラタモリで放送になりましたね。
姫路城が江戸城としてロケをされているのは知っていましたがこれほど江戸城との間に共通点があるとは思いませんでした。
今の姫路城になるまで長い歴史があり色々な武将の名も出てくるのですが割愛します。
慶長5年(1600年)、池田輝政が関ヶ原の戦いの戦功により三河吉田15万石から播磨52万石(播磨一国支配)で入城した。
他のお城が黒の漆を使うお城の時、姫路城は白い漆喰を使います。耐火の意味もあるのでしょう。漆喰1Kgで塗れる範囲は25平方センチメートルです。
相当の料と金額がかかったことでしょう。
江戸城も白です大天守に小天守がある様子は江戸城そっくりです。
また外堀も「の」の字を書くように渦巻く状になっています。そこも江戸城そっくりです。
また、城下には大きな水軍を構え「お召し舟」は動くお城のようだったそうで最近資料が見つかったそうです。水軍を所持し四国の水軍をコントロールしていたのでしょう。
池田輝政そして徳川家康はすごい武将だと思いますよ。
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姫路駅から見える定番のスポットですね。
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駅から真っすぐ姫路城に向かうわけですが途中にこんな石垣がありました大手門でしょうか?
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石垣を見ると野面積みのようです。戦国時代の石垣ですから秀吉の頃に造られたのかも知れませんね。
仙台城の一部も野面積みの部分が見られます。
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天守には神社がありました。たしか新たに発見されたものと思うのですが?
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ウィキから一部抜粋
播州皿屋敷実録
『播州皿屋敷実録』は、成立時は明らかではないが、江戸後期に書かれた、いわば好事家の「戯作(げさく)」であり、脚色部分が多く加わっている。
姫路城第9代城主小寺則職の代(永正16年1519年以降)、家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし、鉄山の計略を探らせた。そして、元信は、青山が増位山の花見の席で則職を毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出、家島に隠れさせ再起を図る。
乗っ取りに失敗した鉄山は家中に密告者がいたとにらみ、家来の町坪弾四郎に調査するように命令した。程なく弾四郎は密告者がお菊であったことを突き止めた。以前からお菊に惚れていた弾四郎はこれを好機としてお菊を脅し、妾になれと言い寄るが、お菊に拒まれる。その態度を逆恨みした弾四郎は、お菊が管理を委任されていた、10枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿「こもがえの具足皿」のうちの一枚をわざと隠す。そして皿が紛失した責任をお菊に押し付け、ついには責め殺して古井戸に死体を捨てた。
以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。
やがて衣笠元信達(則職の家臣)によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、則職の元に返った。その後、則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、十二所神社の中にお菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。その後300年程経って城下に奇妙な形をした虫が大量発生し、人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたといわれる。
このほか、幕末に姫路同心町に在住の福本勇次(村翁)編纂の『村翁夜話集』(安政年間)などに同様の話が記されている。
江戸の「番町皿屋敷」が最も知られていると思う。江戸期には芝居だったり近代では映画化されたりしているため最も普及した怪談話しだと思います。
他の地域でも同じような話が伝わっておりますが、ここの播州皿屋敷が元になっていると思います。
いちま~~い、にま~い、さんま~い、・・・・・
井戸を覗いている子供たちは、有名な怪談話の舞台とは知らないことでしょう。
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長々とありがとうございました。一部動画がありましたので編集しました。
姫路城と神戸の小さな旅
敵役だがどこか憎めない風に、演出されていました。
天守閣がある城郭を見るにつけ、仙台のお城に天守があれば、どんな風だったのだろうと、想像してしまいます。
仙台駅あたりからでも望むことが出来るような、威風堂々の存在であったのでしょうか。
でも、観光用のコンクリート造りの、エセ天守などは、絶対に建築して欲しくはないですが。
今日は秋葉原、明後日は西新宿。まだまだ仕事納めとはいきません.....
どっこいしょ!と.....
コンクリートだけは勘弁ですね。
エレベーターを付けるの付けないのと国会で騒ぎになりますからね。
徳川家康を尊重し遠慮して天守を持たなかったと
聞きます。
仙台駅からは、大町の辺りでチョット角度を変えますが天守があったら見事だったでしょうね。