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何故、伝承したものを文章化しないのか?
富氏はこう話しています。
「文字はただの記号です、本当の感情を伝えることが出来るのは肉声しかない。 しかも、文章にして残せば、敵方に奪われ迫害され、その記録を焼かれ書きかえられてしまう恐れがある」
これは1話の前文で述べた勝者によって歴史はねじ曲げられるという事実ですね。
これは古事記・日本書紀にも通じることでしょう。
同じ日本の歴史であるべきことがこのもっとも古いとされる文献の中で食い違いを見せています。
つまり、作り話が含まれるというわけです。
古事記を要約した本を見ると神様の誕生は、あまりにも汚いものから出来ていたりします。
それはいずれまた話をしたいと思います。
話を戻します。
神話の「国ゆずり」の場として有名な稲佐浜に立った時、富さんはすざましい表情になったといいいます。
天孫族の大軍団から使者として来た武甕槌命が、この砂浜にホコを突き立て「否(いな)、然(さ)」
(イエス?か、ノー?か)と迫り、この談判で出雲大帝国の主、大国主命は降服を決意したという。
富さんはここへ来ると血が逆流するという。
「2千年前、ここで私の先祖が・・・・・・
私の先祖は、侵略者の目の前で抗議の自殺をしたんだ! ここでだ! ここで!」
大国主命から出雲国を奪った天孫族は大国主命の血族を完全に根絶する為、どれほど苛酷な迫害を繰り返したことか。
富家の先祖を祀った富神社が簸川郡富村にある。
その紋章は亀甲の中に大根が2本交差した図柄なのだがそもそも富家の紋章は亀甲の中にホコが2本交差したものだったそうです。
ところが平安時代(貞観2年)にホコを大根に変えさせられたそうです。
ホコは王権の象徴だからです。
大社の町の旧家では、富さんのことを「向さん」と呼びます。
実は紋ばかりか姓まで変えられて来たのです。
平安時代から明治維新まで「富」と「向」を11回も家名を変えてきたそうです。
敵がの力や情勢によって流れに逆らわず生きてきたのです。
先祖の中には毒殺されたものが数名・・・つい数代前の当主は迫害から身を守る為に狂人の真似をしたといいます。
◎富家の伝承
著者が門外不出とされながら富氏から話を聞けたのは、著者が質問し富氏が答えるという形式なら許されるだろうと富氏が判断したことと、著者の誠意が通じたのでしょう。
そして、著者である吉田大洋氏なら天孫側に立って書かれた誤れる歴史を正してくれると思ったからだそうです。
富氏の正式な名称は。「富上官出雲臣財當雄」(とみのじょうかんいずもじんたからまさお)といいます。
出雲神族は、祖神の魂の具象化である勾玉を”宝石”(たから)と呼び、これを付すことのできる王家を”財筋”と称します。
つまり、上記した名前は出雲神族を統括する出雲臣、財筋の當雄を意味するのですね。
この「財筋」を称する出雲神族はわずかに十二軒だそうです。
いかに迫害が大きかったのかが想像つきます。
それでは、何故富氏が養子縁組をしたのでしょう。
富家の伝承は”財筋”の中で一番優れた青年を選んで本家に迎え入れ、語り継ぐのだそうです。
この4000年の伝承を10年もかかって丸暗記するわけですから賢い青年が選ばれるわけですね。
もう少し書きたいのですが、今回はこの辺で・・・
3話はこちら
何故、伝承したものを文章化しないのか?
富氏はこう話しています。
「文字はただの記号です、本当の感情を伝えることが出来るのは肉声しかない。 しかも、文章にして残せば、敵方に奪われ迫害され、その記録を焼かれ書きかえられてしまう恐れがある」
これは1話の前文で述べた勝者によって歴史はねじ曲げられるという事実ですね。
これは古事記・日本書紀にも通じることでしょう。
同じ日本の歴史であるべきことがこのもっとも古いとされる文献の中で食い違いを見せています。
つまり、作り話が含まれるというわけです。
古事記を要約した本を見ると神様の誕生は、あまりにも汚いものから出来ていたりします。
それはいずれまた話をしたいと思います。
話を戻します。
神話の「国ゆずり」の場として有名な稲佐浜に立った時、富さんはすざましい表情になったといいいます。
天孫族の大軍団から使者として来た武甕槌命が、この砂浜にホコを突き立て「否(いな)、然(さ)」
(イエス?か、ノー?か)と迫り、この談判で出雲大帝国の主、大国主命は降服を決意したという。
富さんはここへ来ると血が逆流するという。
「2千年前、ここで私の先祖が・・・・・・
私の先祖は、侵略者の目の前で抗議の自殺をしたんだ! ここでだ! ここで!」
大国主命から出雲国を奪った天孫族は大国主命の血族を完全に根絶する為、どれほど苛酷な迫害を繰り返したことか。
富家の先祖を祀った富神社が簸川郡富村にある。
その紋章は亀甲の中に大根が2本交差した図柄なのだがそもそも富家の紋章は亀甲の中にホコが2本交差したものだったそうです。
ところが平安時代(貞観2年)にホコを大根に変えさせられたそうです。
ホコは王権の象徴だからです。
大社の町の旧家では、富さんのことを「向さん」と呼びます。
実は紋ばかりか姓まで変えられて来たのです。
平安時代から明治維新まで「富」と「向」を11回も家名を変えてきたそうです。
敵がの力や情勢によって流れに逆らわず生きてきたのです。
先祖の中には毒殺されたものが数名・・・つい数代前の当主は迫害から身を守る為に狂人の真似をしたといいます。
◎富家の伝承
著者が門外不出とされながら富氏から話を聞けたのは、著者が質問し富氏が答えるという形式なら許されるだろうと富氏が判断したことと、著者の誠意が通じたのでしょう。
そして、著者である吉田大洋氏なら天孫側に立って書かれた誤れる歴史を正してくれると思ったからだそうです。
富氏の正式な名称は。「富上官出雲臣財當雄」(とみのじょうかんいずもじんたからまさお)といいます。
出雲神族は、祖神の魂の具象化である勾玉を”宝石”(たから)と呼び、これを付すことのできる王家を”財筋”と称します。
つまり、上記した名前は出雲神族を統括する出雲臣、財筋の當雄を意味するのですね。
この「財筋」を称する出雲神族はわずかに十二軒だそうです。
いかに迫害が大きかったのかが想像つきます。
それでは、何故富氏が養子縁組をしたのでしょう。
富家の伝承は”財筋”の中で一番優れた青年を選んで本家に迎え入れ、語り継ぐのだそうです。
この4000年の伝承を10年もかかって丸暗記するわけですから賢い青年が選ばれるわけですね。
もう少し書きたいのですが、今回はこの辺で・・・
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出雲国造家との関係も出てきます?
anyhow 興味津々なりぃ ♪
天孫族の「好戦的」な資質がもたらした災いが、幾分かは軽減されていたのではないでしょうか?
・・・ってな事を戦前戦中に語ってしまったならば「特高」のお世話になっていたのでしょうね。
もしかすると富氏も「特高」体制にがんじがらめの時期があったのかもしれません。
あの時代、思想犯は仙台刑務所に収監される例が多かったと思います。
耐寒設備の脆弱な仙台刑務所は、北海道よりも厳しい懲罰となったのでした。
まだまとめていませんが・・・
カットすると話が半端になり、悩んでます。
最後苦しくなったら、結論のみにするかも?
冗談ですが、確かに仙台の暖房対策は中途半端な気候が仇になっていますね。
冬の除雪対策もしかり・・・
民族の戦いはどちらかが負けるまで続くのかも知れません。対立的な状態は安定しないでしょうね。
負けるか勝つかなのかも知れません。
もしくは国を分断、しているかも?
やはり~荒神谷や加茂のことが効いているのでしょうね(^_-)♪
きょうも新聞に ゲゲゲの出雲神話の計画あるそうな
水木先生に妖怪?!が書いてくれとせがむそうです
富村~でてきてびっくりしました (^_-)v
このへんにカギがありそうな気がします。
香取神宮と鹿島神宮は藤原氏の氏神で、
祭神はそれぞれフツヌシとタケミカズチです。
春日大社もそうですが、
元々は藤原氏ではなくて別の氏族が祀っていた神社だったという話を聞いたことがあります。
そういえば我が塩竈神社も、
右宮と左宮にフツヌシとタケミカズチを祀ったのは伊達綱村ですね(どっちがどっちだったでしょうか)。
伊達は藤原氏の分家筋ですから。
塩竈神社本来の祭神は別宮のシオツチオジノカミ。
参拝する時は、勿論のことまず別宮に参ります。
とはいえ塩竈神社から香取神宮と鹿島神宮に何やら納める神事がありますが(具体的に何かは忘れました)、
それはそれで興味深いことです。
富村は合併したのでしょうね。何町?または市になりましたか?
出雲にいたら全部歩いてみたいところです。
この後も神社等が出てきますので、わかっていたら教えて下さい。
伊達家を遡ると藤原不比等にまでも行き着くようで・・・
富氏の伝承では、後で書きますが北から南下しています。途中塩の作り方を教えた!とあり、塩竈でないかと想像できます。
スサノオの話を纏めていましたが、どこを詰めるか悩みます。どうも渡来のようです。