そういえば、ずっと菜箸が気に入らなかった。
そもそも長さが違うものを3膳、という組み合わせなのが理解できなかった。
紐でつながれていることは憎むほど許せなかった。
さすがにイライラした果てに紐は切ったけど。
一本は先が割れている。
もう一本は欠けている。
つまり3膳のうち、まともなのは1膳のみ。
いったいこれでどうやって料理してたのか。
年明け娘と買い物に行った時に100円ショップで菜箸を手にとった。
これでいいかな。
いや。ちがうな。
フロアを横切ってキッチン用品売り場に来た。
少し高いけど好きなのをみつけた。
高いったって大したことない。
これがいい。
3膳、いや4膳。
もちろん紐はなし。
すっきりとしたデザイン、同じ長さ。
帰ってきて洗って、快適に使っている。
脳の片隅がほっとしている。
なぜ早くこうしなかったのか。
そうしてうっすらとずっと気に入らない切れない包丁のことを思う。
次は包丁。
それから大根おろし。
そういうところ、そこをやっていきたい。
私はその辺のところをうかつに甘く蔑ろにしていた。
小さなことは大きなことと地続きなんだ。
嫌いな菜箸を使い続けることは、もっと早く別れたらよかった人と長くつきあってしまったようなことに繋がっている。
(そしてそこにはZ型というかやりすぎようとするベクトルがあるからやらなくなるというひっかかりのような構造がある)
ということが今はわかるんだ。
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