歴史に学ぶ人事・経営論

横浜の社会保険労務士・行政書士関口英樹です。

先代の英知の件

2021-12-02 13:27:35 | 歴史に学ぶ人事経営論
甲斐の国に広大な領地を有した名将武田信玄亡き後、28歳の信玄の子勝頼が跡を継いだ。
亡くなる前、信玄は勝頼を呼び寄せ、遺言を遺した。
「よいか、これから言うことを肝に銘じるのじゃ。もし、信長、家康と戦うなら、我が領地に引き入れ、有利な条件で戦うのじゃ。」

武田家を継いだ勝頼が狙いを定めたのは、家康の持つ三河の長篠城だ。
家康の拠点である岡崎に近く、徳川と戦う上で、抑えておきたい交通の要所だ。

長篠城を包囲し、猛攻撃をかける武田軍。
しかし、家康の家臣である奥平信昌が粘り強く戦い、2週間たっても落ちなかった。
そんな折、勝頼のもとに、知らせが届いた。
「親方様、織田の軍勢が既に三河まで来ております。」
家康からの援軍要請に応じ、大軍を伴い、駆け付けたのだ。

「長篠は、渓谷の広がる山間地だ。信長の大軍は展開できるはずがない。」
山国育ちで山間地での戦いを得意としていた勝頼は、高を括っていた。

この時、信長と家康は、長篠城に援軍に向かうことなく、3キロほど離れた設楽原で行軍を止めていた。
信長は、なぜかぴくりとも動かなかった。
武田軍1万、織田、徳川連合軍3万は、数日間、にらみ合いを続けた。

「敵は我らよりも大軍です。ここは退くのが得策かと。親方様、どうかご決断を。」
軍議では、重臣たちが撤退を主張。
「敵に背中を向けるは武田の名折れ。突撃あるのみじゃ。」
勝頼は、頑なに合戦を主張。
包囲していた長篠城から、設楽原に軍勢を動かし、織田、徳川連合軍に突撃した。
信長が用意した3000丁の鉄砲隊の前におびき寄せられた武田勢は、多数の戦死者を出し、重臣の多くを失った。(長篠の戦)

山国育ちで山間部での戦いに慣れていた武田軍。
一方、鉄砲で迎え撃つため、平野に敵をおびき寄せた信長軍。
戦う前に、勝敗は決していた。
命からがら逃げかえる勝頼の脳裏に、父信玄の遺言がこだました。

ここ一番のときこそ先代の英知を。
現代のビジネスでも、通じるのではないだろうか?


~中小企業の人事・法務担当~
関口総合法務事務所 社会保険労務士・行政書士
ALPHA FOLKS株式会社 代表取締役
関口 英樹

〒221-0005 神奈川県横浜市神奈川区松見町1-12-12-3F
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