真道山から中町を望む。上へ上へと延びている街並みです。
呉市本通り一丁目で、国道31号線を引き継ぐように、
国道487号線は突然始まるのです。
音戸大橋を渡り、警固屋バイパスを一回りし、
倉橋島の音戸町の半分を横切り早瀬大橋を能美島に渡ります。
能美島に入ったら大柿町、能美町を通り、突然津久茂の瀬戸を対岸の江田島町に入り、
切串で、海に落ちているのです。
江田島と能美島は陸続きです。
合併して江田島市となるまでは、行政は呉圏の江田島町と
広島圏の能美町、大柿町及び沖美町の二つに分かれていました。
どうして、国道が通っているのか、また切串で海に落ちているのか。
きっと、切串から広島へ延びる橋を計画していたこともあるのでしょう。
冒頭の絵で、山へと延びていく集落を描きたかったのです。
人々は、土地を求め山の奥へと進んだのです。
今は、停滞しています。切り開いた耕作地は、山に返りつつあります。
過疎です。放置された耕作地にソーラー発電設備が設置されていました。
採算は取れるはずが、あまりにも高い発電コスト故脅かされています。
沖縄に国道58号線が通っています。
鹿児島と沖縄は、国道58号線で海の上を架空につながっています。
新たな国道は旧国道につながっていなければならないのでしょう。
思い切った行政の判断です。
地域おこしを考える時、いつも思うのはこの「道」のことです。
どこでも、行き詰まりの道が存在します。
人々は、自分の土地を提供してまで道を延長しました。
中には、せっかくの道を閉じてしまう方がいらっしゃいます。
残念なことです。
自分の車を停めたいために、道を塞いでしまう人もいらっしゃいます。
道は、未知につながる手段です。
それを塞ぐ人は、未知について考えないのでしょうか。
道はつながっているが、袋小路ではなく停滞させる広場が必要です。
この広場は、無料の駐車場であり、休息所のことです。
これが英断できない地域は、単なる通過点になってしまうのです。
わずかな駐車料金のために、みすみす旅行客をおもてなしできなくしているのです。
各地に道の駅が作られています。ほとんどが無料です。
人々には休息が必要です。トイレ休憩でも良いではありませんか。
シャッター街には、いっぱい休業の店舗があります。
どれも有料の駐車場に変わります。次の展開を待つ有効な手段です。
どれだけ待てば、次の展開が始まるのでしょう。
駐車場に挟まれた一軒家に住む老人夫婦に何を待っているのでしょう。
人々は、未知につながろうと道を造ったのです。
休んでいただく場所を提供してきたのです。
地域おこしの計画を阻害するのは、知恵無き欲です。
どんな川にも淀みがあります。
護岸工事で直線に仕上げたところから、氾濫するのです。
バッファーがないからです。バッファーは普段は無用です。
しかし、それは人々を安心させ守ることなのです。
地域おこしに必要なのは、嘆くのを止めることです。
未知につながる道を探す努力をすることです。
人が休息できる真道山のように素晴らしい景観を放置しないことです。
もちろん生き抜かなければなりません。
皆が労力を無償で提供したのです。
かつて道を造ったように、道を通って耕作地を広げたように。
その時、誰が反対したでしょう。
国道487号線は未知につながっていたのです。
お日さんは いつも笑って いるような
2015年12月29日