故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

何々をしなくてもよい

2024-11-11 04:43:44 | よもやま話

絵のタイトルは、「大崩海岸」です。
波間に見え隠れする岩です。
波に洗われ、貝や海草が付くままです。
岩は何も考えていない。
自然を美しいと思う所以ではないでしょうか。


今日のタイトルは、「何々をしなくてもよい」です。
例えば、寝なきゃと布団に入ります。
眠れません。
テレビを観なきゃ、本を読まなければと始めます。
10分もしないうちに、大あくびです。

「何々をしなくてもよい」を考察することにしました。
考察することが、まずいことの始まりです。
息をしなくてもよい。
無理です。
ご飯を食べなくても、水を飲まなくてもよい。
これも、無理です。
人と話さなくてもよい。
これは、気分次第でできそうです。
周りは、気を使い、やがて放っておかれるでしょう。

嫌なことはしない。
好きなことをやり続ける。
いずれ、寝なきゃ、食べなきゃとなります。
「頑張って」を外しました。
頑張らないんなら、できるかも。

なにか変なんです。
そもそも、やらなきゃと誰が決めたの。
突き詰めれば、自分です、他人ではありません。
決めたのが、自分だからギャップに苦しむ。

決めたのに、どうしてできないのかな。
考えが違う人と話すと、窮屈です。
認知症の二人は盛り上がります。
二人は、違う話題で盛り上がっています。
笑うタイミングも同期しています。
傍で見ている正常な人は、異常な光景に眩暈がしそうです。

母は、「なんでも頑張りなさい」と、三段腹を揺すりながら食べ続けている。
どうして、母はダイエットができないのでしょう。
きっと、何か考えがあるのです。
試しに、母の立場になりいろいろ考えてみました。
夫はあきらめており、医者は危険信号を出さない。
ダイエットへの動機が皆無でした。

考えの違う人の立場になって考えると、自分の至らなさに気づかされました。
母が言う「なんでも頑張りなさい」は、あきらめる前に母にも葛藤があったようです。
この希望的観測を戒めとして、自らに言い続けていたのです。
想いだけが澱のように残り、時々噴水となって飛び出るのです。

他人の「何々しなきゃ」を紐解くと、自分の縛りから開放されます。
皆が「何々しなきゃ」と苦しんでいる。
宗教だったり、モラルだったり、生きる術や夢などです。
他人ができないことが自分ではできそうに思えます。
その逆もありです。
母は、私になって考え、できるのよと教えてくれたのかもしれません。

2024年11月11日
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