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絵のタイトルは、「大崩海岸」です。
波間に見え隠れする岩です。
波に洗われ、貝や海草が付くままです。
岩は何も考えていない。
自然を美しいと思う所以ではないでしょうか。
今日のタイトルは、「何々をしなくてもよい」です。
例えば、寝なきゃと布団に入ります。
眠れません。
テレビを観なきゃ、本を読まなければと始めます。
10分もしないうちに、大あくびです。
「何々をしなくてもよい」を考察することにしました。
考察することが、まずいことの始まりです。
息をしなくてもよい。
無理です。
ご飯を食べなくても、水を飲まなくてもよい。
これも、無理です。
人と話さなくてもよい。
これは、気分次第でできそうです。
周りは、気を使い、やがて放っておかれるでしょう。
嫌なことはしない。
好きなことをやり続ける。
いずれ、寝なきゃ、食べなきゃとなります。
「頑張って」を外しました。
頑張らないんなら、できるかも。
なにか変なんです。
そもそも、やらなきゃと誰が決めたの。
突き詰めれば、自分です、他人ではありません。
決めたのが、自分だからギャップに苦しむ。
決めたのに、どうしてできないのかな。
考えが違う人と話すと、窮屈です。
認知症の二人は盛り上がります。
二人は、違う話題で盛り上がっています。
笑うタイミングも同期しています。
傍で見ている正常な人は、異常な光景に眩暈がしそうです。
母は、「なんでも頑張りなさい」と、三段腹を揺すりながら食べ続けている。
どうして、母はダイエットができないのでしょう。
きっと、何か考えがあるのです。
試しに、母の立場になりいろいろ考えてみました。
夫はあきらめており、医者は危険信号を出さない。
ダイエットへの動機が皆無でした。
考えの違う人の立場になって考えると、自分の至らなさに気づかされました。
母が言う「なんでも頑張りなさい」は、あきらめる前に母にも葛藤があったようです。
この希望的観測を戒めとして、自らに言い続けていたのです。
想いだけが澱のように残り、時々噴水となって飛び出るのです。
他人の「何々しなきゃ」を紐解くと、自分の縛りから開放されます。
皆が「何々しなきゃ」と苦しんでいる。
宗教だったり、モラルだったり、生きる術や夢などです。
他人ができないことが自分ではできそうに思えます。
その逆もありです。
母は、私になって考え、できるのよと教えてくれたのかもしれません。
2024年11月11日
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