故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

さなさんー2

2014-12-14 17:38:30 | 短編小説
 さなさん

第二話 仕事の依頼

江田島湾に白い筋が一本、江田島に向かってのんびりと伸びていきます。
高田から湾を挟んで向かいの江田島まで、1日3往復する渡船です。
昼の便が出たばかりです。坂道を、子供が身体を前のめりにして登ってくる姿が見えます。
島の子供達は、昼ごはんを食べに家まで帰ってくるのです。

菜の花が彩りを添えるこの時期、これから種を撒く段々畑では、
働いている人の姿が、はっきりと見えます。
山からの風が、畦道の生えたばかりの草をなでるように通ります。
空には、鳶が風に乗り呉の山より高く舞い上がっています。
魚の値段は、一番上にあるさなのうちが一番安いという暗黙の了解が崩れる日が、
前触れもなく突然やってきました。

 島の魚売り  

さなの父光男は、誰もが認める島一番の石工です。
家のある場所どおりの登口という姓でした。
その仕事は、秘密裏に始まりました。
昭和15年の田植え前のことでした。
苗床作りが始まった頃のある晩、海軍の偉い人がさなのうちを訪ねてきました。
村長も一緒でした。
「急な話なんじゃが、あんたの力がどうしてもいるんじゃ。」
村長はそう切り出しました。
島で一番高い能登呂山の頂上まで、道を付けるのが依頼の内容でした。
「村長さんの頼みじゃけえの、断れんじゃろ。やりますけえ。」
と光男は、集まりに行くことを承諾しました。

一週間後、光男たちの待つ役場の大部屋に若い将校がやって来ました。
将校の名前は、伊藤金得。村長から伊藤が紹介され、説明が始まりました。

大部屋から見える桜の古木には、三分ほど花が咲いていました。
時折吹く風は、海風に変わり枝を上下に優しく揺らしています。
畳の上に座った人達の前に、能登呂山全体の測量図が広げられました。
村の者達は、その地図の精巧さに度肝を抜かれました。
部落が切れる辺りから沢伝いに道らしき赤い線が引かれ、
頂上付近に丸印が打たれていました。
標高差400m、俯瞰距離にして5kmと説明がありました。
赤い線の道は光男の家の横から伸びていました。

若い技術将校は学校出たての、見るからにひ弱そうな男でした。
背だけはひょろひょろと高かったのです。
伊藤の細い目は、射抜くような力を持っていました。
そのことが、体つきとは対照的な印象を与えました。
最後まで、道をつける目的は、なぜか省略されていました。
工事の内容、工程、道具の種類と数量、石の他に必要な資材の量、
搬入方法と時期について、細かく的確に説明されました。

(つづく)
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さなさんー1

2014-12-13 05:27:26 | 短編小説
 さなさん

-さなさんー

第一話 魚売り

(昭和15年春)
江田島湾の遥か遠く、呉の山に紫色の雲がかかり、
赤く染まり始めています。

夜半から続いた、追い込み漁は終わっています。
港では、石油ランプの灯りを頼りに、朝方男達があげた魚を、
女達が魚箱に投げ入れています。鱗がしわの手に張り付いています。
去年の秋、漁協に入った冷凍庫が作る氷のおかげで、
女達は酒を飲み始めた男達に、
朝ごはんを食べさせられるようになったことを喜んでいます。

「今日も、ええ天気じゃね。何が獲れたかいの。」
鞄を抱えた男が、覗き込みます。
「花見鯛、スズキやサワラのええ型がようけあがっとるんよ。」
と女が自慢します。

造船所の前を、焼玉エンジンのけたたましい音とともに
広島行きの船が、朝日に照らされて高田港に近づいてきました。
気持ちだけ岸から突き出た桟橋から船に板が渡されました。

「気いつけんさいよ。」
船員が、板の上を揺れながら乗り込む乗船客に手を貸します。
人々は恐る恐る渡って船に乗り込みます。それは満潮の時で、
干潮となると、切符売りが伝馬船を漕ぎ乗船客を船まで運びます。
客は、木製の狭い階段を定期船の上まで登らなければなりません。

女達は、魚箱を三段ずつ重ね、振り分けます。
天秤棒で担ぎ始めました。女達は、穴ぼこだらけの乾いた道に、
肴箱から落ちる水の跡を残し、島沿いの道を北と南に分かれて
行きました。
女達は、山の上まで急勾配の道を、ジグザグに歩きながら
天秤棒をしならせて担ぎ上げます。女達は取れたての魚を、
家々の裏口から声をかけながら、売りさばいて行きます。

断熱代わりにかけたこもを開けて、山の女が真剣に値踏みします。
朝とれた魚は、保存がきかないので昼飯のおかずで食べられて
しまいます。たまには、魚は芋や野菜と交換になります。
海の女は、真剣に山の幸を値踏みします。

「魚いらんかい。今朝あがったばかりの魚いらんかーい。」
くったくのない魚売りの女の声と、うわさ話に一時笑う山の女の声が
交錯します。姉さんかぶりのやじろべえが、見え隠れする一本道を
山の上へ、ゆらゆらと上がって行きます。山道のそばのせせらぎには、
せりが青々とのびています。山風から海風に変わり、女達を後押しします。
一番上のさなのうちに来る頃には、魚は少しになっています。

「姉さん、あんまり残っとらんのよ。いつも、よう買うてもらうけえ、
安うしとくけえね。」
「いつも、すまんね。ええあいなめじゃね。あじもくれんね。」
売れ残った魚は、さなのうちに来る頃には半値になるのです。
新鮮さを売り物にする女達の売り残したくない心意気と少しでも
安く新鮮な蛋白源を家族に食べさせたい山の女達の心意気が、
混ざり合って自然とそうなるのです。
山の途中の女達は、段々安くなることを知りません。魚売りの女達は、
昼までに売り切り、空になった魚箱を担いで坂道をまっすぐ降りていきます。

(つづく)

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