何だかひどく昔の事件に思えた。
当時、自分は何をしていたか…。
そうだ。アダルトビデオの紹介マガジンで編集をやっていた友人にカットを頼まれて描いたっけ。
それが幼い女の子の絵だったんで、めちゃくちゃ怒られたなー。
「なに考えてんの!?」って。
駅の改札でカットを渡したんだけど、そのカットを地面に叩きつけられたっけ。
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あれから、いくつもの凶悪な殺人事件が起こった。
メディアでは討論番組などで「命の尊さ」をうったえるのが普通になった。
だが僕は、そのことに大きな違和感を感じている。
「人を殺してはいけない」というルールの根拠は、そこまで深くはない気がする。
例えば、「未成年者の喫煙禁止」というルールがある。
これは体に悪影響があるなどの理由で日本だけで作られた法律によるものだ。
根拠で言えば、比較的浅い。
「人を殺してはいけない」というルールの根拠は、確かに深いし、人類が言葉を発見する前から持っていた概念だと思う。
人が群れて暮らす上で、勝手に他者を傷つけたり殺したりすることを認めたら、そのグループが成り立たなくなってしまう。
しかしそれは、「命が尊い」という理由ではない。
単純に「群れ」を存続させるための知恵…とでも言おうか。
人間は、自分たちの利益を最優先させ、数え切れない程の他の生物の命を犠牲にしてきた。
それなのに、人間社会の秩序を守るために「命の尊さ」を持ち出すのは偽善じゃないか?僕が「命の尊さ」という言葉にずっと抱いていた「違和感」の謎はこれだった。
なぜ、人を殺してはいけないか?
それは、「群れ」を守るために他ならない。
現に、日本は法律で殺人を認めているし、そのニュースを聞いて「ホッとしました」と言う人だっている。
「命が尊い」なんて嘘ぱっちだ、と僕は思う。
■流星光Twitter
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