当教室の東大講師は現在卒論の期日が迫っています
連日卒論に向けて何時間も費やしつつ、大学受験に向けた指導の準備もしっかりこなしています
何事もそつなくこなす姿はやはり東大生と言う貫禄がありますね
昨日は高校生の小論文からセンター国語の授業がありました
親御さんにとっては耳の痛い話になってしまいますが
褒めてばかりもいられませんので、申し訳ありません
毎週授業後に課題が出され、小論文を書いて次の授業の前に提出します
小論文は講師の添削が入りますが、大概私も読ませてもらっています
始めたばかりの頃に比べれば、上達したね・・と言えるのですが
どうしても、支離滅裂な内容、主張がはっきりしない文章など
あまり褒めてあげる事が出来ません
何の為に指示語があるのか? また
接続詞を持たせずにいきなり方向転換しても読み手には伝わりづらいですし
そもそも言葉使いが高校生らしくありません
「すごく」とか「いっぱい」などの言葉を平気で使ってしまうあたり・・・
主語を何個も入れた文章なんて、そもそも日本語として通用しませんしね・・
文脈を構成するなんて力は、そう簡単に付く物ではありません
しかし、私が一番危惧しているのは、そうした表現方法以前の問題、つまり
思考の問題です
自分がなぜ賛成しているのか?なぜ否定しているのか?
という部分で、「自分の考えがない」という現実です
自分の意見や考えがないので、相対的に物事を捉えられませんし問題点も見えてこず
実例を挙げるのはもはやこじつけ!?
いったい何を見て、何を考えて生きて来たの?と言いたくなりますが、それは生徒さん側の問題
というより、環境や社会の問題が大きいと思いますので、これからしっかり身につけて欲しいと思います
・・と辛口で書いてしまいましたが、向き合う姿勢はとても良く
少しずつですが、掘り下げて考える習慣も身に付いて来ています
生徒さん達はこれまで自分が意識してこなかった分野に思い巡らせる必要性を感じて
真剣に小論文の授業に参加していますから、今後に期待しています
最初にも書いた通り、東大講師は卒業論文の提出期日が近づいています
そんな忙しい講師を捕まえていてはいけないと思いつつ
「どんな論文を書いているの?」
なんて、授業後に引き止めてしまいました
内容についてはここで書いて良い訳ありませんから、いずれ機会がありましたらご紹介します
しかし、さすが東大生の論文です!(当たり前ですけど・・)
日本が抱えている諸問題を深く掘り下げて、論理と数値をもとに打開策を提案していくという
素晴らしい内容でした
その話を聞きながら、高校生達の今日の小論文を思い出していました
彼らが数年後に卒論を書く事になる・・・!
そう思うと、なんだか恐ろしいくらいに感じてしまいました
「東大生と比較されてはたまりませんよ」と思われるかと思います
確かにそうです、しかし”レベルの差”こそあれ、今後大学で論文を書く事になるのですから
「その日」は必ず来るのです
物事の本質を見る力、考察力
現代っ子に不足している「なぜ?っと考える力」
そうした力を伸ばすには、ご家庭でニュースを見ながら意見交換をしたり
興味のある分野を深く調べたりする事が効果的です
今日のお題とは関係ありませんが、そんな話の後
違う話題から講師が話してくれた事が印象に残ったのでご紹介します
東大講師はこの教室に来てから1年が過ぎました
「最近思っているのは、成績を伸ばす為に本当に必要なのは『熱意』だという事を実感しています」
というのです
「お金をかければ成績が伸びるんじゃないんですよね、教える方にも教わる方にも『熱意』があれば
現状がどうかという事をあまり意識する必要もない。僕が東大に行きたいと思った中学時代の熱意は誰にも
負けていなかったと思う。」
そんな話をしてくれました
私は東大とか、東工大とか、一橋とか、どこの大学に行こうか?と具体的な夢を持たなくても
ある程度の時期までは良いと思っています
ただ、東大は日本1 という意味で、そこを狙っていればその後どんな夢を持ったとしても通用しますものね
しかし、親から東大、東大と言われていたら素直に目指す気持ちもなくなるものです
『熱意』という原点に戻って、今日も頑張りたいと思いました
3月12日はそんな講師陣とのお茶会を企画していますので、みなさんのご参加をお待ちしております!