吾輩は犬が嫌いである。
でも北京では犬と仲良く出来そうな気がしている。
日本に暮らす中・小型犬はやたらとジャレついてくるのが多くて実に煩わしい。またキャンキャン、ワンワンとウルサイし、どうも苦手である。
これに対して、北京の犬は吠えない、じゃれない、咬まない(おそらく)と3拍子揃っていて私の理想にかなっているのである。
そんな中で、たった一匹だけ、私に向かって正々堂々と吠えて、健気にも番犬の役割を果たした犬がこちらのポメラニアン。
姿勢を乱すことなく、小型犬ながらも家人を護って、見かけぬ不審なおっさんに、おっさんが遠ざかるまでその場でじっと吠え続けた姿は、敵(じゃない!)ながら、アッパレであった。
そして「あーっ、持って帰りたい。」40数年ぶりにそんな感情が湧いた子犬がコチラ。
以上総括すると、好みの問題があるとは承知しつつあえて書かせていただくと、それほど北京の犬は、日本のそれと違って、可愛いのである。
(以下、お暇なときにお付き合いください、思いつくままの回想。)
今ではすっかり犬嫌いになってしまった私だが、母の実家でオギャーと言ってからまもなく、父の(私の)実家で暮らし始めたとき既に、この家には先輩としてジャーマン・シェパードと何かとのミックス犬(当時は雑種と呼んでいた。)、当時すでに御年10歳前後、オスの老犬が暮らしていた。
この先輩は、手の焼ける小僧と思っていたに違いないが、実に私の面倒をよく見てくれた。
幼稚園へは3年通ったのだが、初年からトボトボと一人歩いて20分近く通い始めた私の後を、今から思えば、心配そうについてきてくれた。帰るときには幼稚園のあるお寺の門前で待っていてくれたこともある。はたまた園内にまでついてきて、その大きさゆえに園児たちをパニックに陥れたこともあったように記憶している。またあるときは、遠縁の伯母さんの家に手を引かれて遊びに行く際も、見慣れぬ大人を不審に思ったのか、その家の玄関までついてきては、帰るときまで外でじっと待ってくれていたそうだ。後日、故「犬」を偲んで、その伯母さんから直接聞いた話である。
そのころ犬に抵抗のなかった私は、もの心ついたころから、可愛さのあまり次々と捨て犬を持ち帰っては病気で亡くすという喪失体験もしたのだが、なぜだが今は犬が嫌い、いや正直に言うと、犬が怖いのである。
北京ではそんな関係を改善できるのではないか、ひそかに期待しているこの頃である。
でも北京では犬と仲良く出来そうな気がしている。
日本に暮らす中・小型犬はやたらとジャレついてくるのが多くて実に煩わしい。またキャンキャン、ワンワンとウルサイし、どうも苦手である。
これに対して、北京の犬は吠えない、じゃれない、咬まない(おそらく)と3拍子揃っていて私の理想にかなっているのである。
そんな中で、たった一匹だけ、私に向かって正々堂々と吠えて、健気にも番犬の役割を果たした犬がこちらのポメラニアン。
姿勢を乱すことなく、小型犬ながらも家人を護って、見かけぬ不審なおっさんに、おっさんが遠ざかるまでその場でじっと吠え続けた姿は、敵(じゃない!)ながら、アッパレであった。
そして「あーっ、持って帰りたい。」40数年ぶりにそんな感情が湧いた子犬がコチラ。
以上総括すると、好みの問題があるとは承知しつつあえて書かせていただくと、それほど北京の犬は、日本のそれと違って、可愛いのである。
(以下、お暇なときにお付き合いください、思いつくままの回想。)
今ではすっかり犬嫌いになってしまった私だが、母の実家でオギャーと言ってからまもなく、父の(私の)実家で暮らし始めたとき既に、この家には先輩としてジャーマン・シェパードと何かとのミックス犬(当時は雑種と呼んでいた。)、当時すでに御年10歳前後、オスの老犬が暮らしていた。
この先輩は、手の焼ける小僧と思っていたに違いないが、実に私の面倒をよく見てくれた。
幼稚園へは3年通ったのだが、初年からトボトボと一人歩いて20分近く通い始めた私の後を、今から思えば、心配そうについてきてくれた。帰るときには幼稚園のあるお寺の門前で待っていてくれたこともある。はたまた園内にまでついてきて、その大きさゆえに園児たちをパニックに陥れたこともあったように記憶している。またあるときは、遠縁の伯母さんの家に手を引かれて遊びに行く際も、見慣れぬ大人を不審に思ったのか、その家の玄関までついてきては、帰るときまで外でじっと待ってくれていたそうだ。後日、故「犬」を偲んで、その伯母さんから直接聞いた話である。
そのころ犬に抵抗のなかった私は、もの心ついたころから、可愛さのあまり次々と捨て犬を持ち帰っては病気で亡くすという喪失体験もしたのだが、なぜだが今は犬が嫌い、いや正直に言うと、犬が怖いのである。
北京ではそんな関係を改善できるのではないか、ひそかに期待しているこの頃である。