思えば4月に北京に来て以来、「何かと生まれて初めて」の連続だが、先日、生まれて初めて
蓮の実を食べた。
そういえば、北京の道端で売っているところを見たことはあったものの、食べるものかどうか
は半信半疑だったところ、思いがけず、お昼ご飯の前菜として出てきた以上、「イヤ」とも言え
ずに食べることになった。
じょうろの先のような蓮の実の下の方からてっぺんを残して剥いていき、まずは中から実を取
り出す。取り出した実を更に剥くと、なかから真っ白な実が顔を出すのである。
これを何もつけずにそのまま、いただくのであるが、なんとこれが、非常に淡白で上品を通り
越して、仏様か仙人の食べ物のように、もはや味を超越した不思議な味わいであった。
調子に乗って食べるとせっかくの御馳走が食べられなくなるので、いい加減で止めておいたが、
季節の珍味としては、確かに珍味であった。
しかしながら、どうも仏壇へのお供え物を食べるようで、いまだ位牌に自分の名前を掘り込み
たくない私としては、「有難い」という以前に落ち着かない心持ちのする食べ物であった。
次に蓮の実を食うのは、向こうの世界に行ってからになるだろうか。
少なくとも目の黒いうちに自分から積極的に食べたいとは、どうしても思えないのであった。
蓮の実を食べた。
そういえば、北京の道端で売っているところを見たことはあったものの、食べるものかどうか
は半信半疑だったところ、思いがけず、お昼ご飯の前菜として出てきた以上、「イヤ」とも言え
ずに食べることになった。
じょうろの先のような蓮の実の下の方からてっぺんを残して剥いていき、まずは中から実を取
り出す。取り出した実を更に剥くと、なかから真っ白な実が顔を出すのである。
これを何もつけずにそのまま、いただくのであるが、なんとこれが、非常に淡白で上品を通り
越して、仏様か仙人の食べ物のように、もはや味を超越した不思議な味わいであった。
調子に乗って食べるとせっかくの御馳走が食べられなくなるので、いい加減で止めておいたが、
季節の珍味としては、確かに珍味であった。
しかしながら、どうも仏壇へのお供え物を食べるようで、いまだ位牌に自分の名前を掘り込み
たくない私としては、「有難い」という以前に落ち着かない心持ちのする食べ物であった。
次に蓮の実を食うのは、向こうの世界に行ってからになるだろうか。
少なくとも目の黒いうちに自分から積極的に食べたいとは、どうしても思えないのであった。