あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

春寒く針の目へ糸がとほらない    種田山頭火

2009-04-09 18:24:23 | 日記
多摩森林科学園の菫

普遍的な自然への憧れ
そして、ほっとする気分
科学的にいえば、あれこれあるのでしょうが、
木々の間を歩いているときには
あまり愚痴っぽいことは浮かんできませんね。
これって、人間のDNAにすくまれているのではないでしょうか。

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今日の現代俳句

春寒く針の目へ糸がとほらない    種田山頭火

きっと、誰もいない神社の老化で、種田山頭火ですから褌か脚絆を繕っているのですね。そんな風景を思い出させます。そのような映像を想像できる句は、いい句なのです。私にとってはそうなのです。この句は種田山頭火の中では印象に残ります。針の目に糸が通らない。いかにもということで新鮮な発見ではないのですが、種田山頭火が試みているから俳句なのですね。多分。

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今日の映画

「点と線」

以前、松本清張の小説は夢中になって読んだのですが
時代が変わり、交通事情が大きく変わってしまうとと
なかなか理解するすることは難しいですね。
さらに、映画になると省略が多く、物語の展開が理解できない。
トリックが多様で複雑だと
よけい、単純な頭では理解できません。
理解しようと努めているうちに
物語が先に進んでしまいます。
清張の「張り込み」は展開がはっきりしており
緊張感もあったのですが、この映画はそうもいきませんでしたね。
そういえば、
「砂の器」も映画として丁寧にできており
内容もよく理解できました。
脚本の力なのでしょうね。
この映画はトリックを理解するのは難しいですね。
犯人の妻が仕組み
夫が妻と共謀して実行する。
そのアリバイつくりのために
北海道に行ったり
東京駅でのアリバイ作りのための
目撃者を準備したり
まあ、推理小説の愉しみのために作られた小説ですね。
映画としては、さほど興味を引くこともなく
時代への興味はありましたね。
それにしても
ところかまわずタバコを吸ったり
捨てたり、被疑者を脅したり
胸倉をつかんだり
料亭を使っての接待とか
ずいぶん無茶な時代があったのですね。

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「あしたの私のつくりかた」(市川準監督)

女子中学生の日々を描いた映画でした。
映画として面白いし
中学生の微妙な心理を描いている。
市川準監督は独特の色彩感と
画面イメージがありますね。
高校生の日常感覚を
取りとめのない言葉と色合いで見せている。
でも、おじさんにはメールのやり取り
微妙な言葉のやりとり
仲間に受け入れられるためにはどうしたらいいのか
中学生も高校生も懸命になっている。
そんな時代のガラス細工のような危うさを見ると
ハラハラします。
美しい映像と映像の工夫で見せますが、その微妙さは小刀みたいdですね。
確かに、才能豊かな監督さんだと思いますが
私のようなじいさんには映画なのに、緊張を強いられ
疲れるし携帯文化に馴染んでいないと
意味不明になります。
金を出して、そんな苦痛を強いられたくない。
そんな感じ。
それと、この映画を見て知ったのですが
中学生目線で見ると
大人とは宇宙人ですね。
市川準監督作品
一通り見てみたいです。
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「アポカリプト」(メル・ギブソン監督)

古代マヤの時代、勢力争いに巻き込まれた男が
家族を守るために部族から逃げ出し
妻子が隠れる洞窟を目指して走り出す。
そして、救い出す。
武器も古典的なものばかり
肉弾戦の映画ですが
厳密に言えば走り回る映画です。
腹で呼吸するシーンが繰り返し出てきますから
役者はきつかったでしょうね。
その男を執拗に追いかける部族の男達の
死を賭けた追いかけっこ。
そんな追いかけっこの映画というのは「逃亡者」しか
思い浮かびません。
何語だか言葉が分らずに見ていましたが
マヤ語だそうです。
のろいの意味がはっきししないので困りましたが
古代文明ではありえる話なのでしょうね。
ただ、ジャングルの中を走り回っている。
そだけの趣向の映画です。
こんな映画を作ろうと思った時点で
メル・ギブソンはすごい。
ヒットすると思ったとすれば
相当のものだ。
舞台は山であり、ジャングルであり
滝であり、泥沼だ。
役者は奇妙な髪形をし
体中に刺青をし
耳輪、鼻輪をつけている。
当時のおしゃれも今風に見ればグロテスク
ジャングルを逃げ、槍や刀を武器にして追いかける。
その追いかけっこに何を見るのか分らないし
現代に問いかける意味も分らない。
でも、オリンピックの射撃競技があることを思えば
この映画の肉弾戦での逃走は
人間的かもしれません。
自然の勝負、力だけの勝負
それがいいのかもしれません。
でも、底なし沼にはまったり
投槍に刺さったり
野生動物に襲われたり
とのかく、残酷シーンがいっぱい出てくるし
気持ちがいい映画ではない。
でも、「パッション」「ブレイブ・ハート」を監督した監督の傾向は
こんなことだということは分る。
面白いという人には面白いけれど
多くの人が不気味で
鑑賞後の爽快感はなかった。
この手法パッションでは独特の空間を生み出していました。

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あきオジのメール

メール届きましたか
最近、自分でも何をしているのか分りません。
退職したら、映画を3000本見ることにしよう
退職したら、写真を日記代わりにしよう
退職したら、ブログを続けよう。
これだったら、そこそこ歩けるようだったら
続けられる。
しかも、人様の迷惑にならないし
他人の都合に合わせる必要がない。
まあ、そんなことを考えていたのですが
はじめてみると何もかも中途半端なのですね。
何か物足りない。というより
中途半端にしかできない。
性分なのでしょうね。
何をしても、自分なりの何かを作り出している実感がわかない。
そんなことであれこれやり始めるのですが、
やっては止めて、そして新しいことに興味を示す。
いつまでたっても変わりませんね。
そんなことの繰り返しです。
でも、ホームページから始まりブログは10年続いている。
映画も、年間200本以上見ている。というより、それしか楽しみがない。
写真は週に一回は取材に出かけている。
そうでもしなければ家に閉じこもったまま。
ということで、そこそこ予定通りにやっている。
もう、これだけは、無理をしなくても続けられる。
後は、自分を表現するいい方法を見つけることですね。
今は、あれこれを切り捨て「自分のための箴言集・人生のエチカ」と「写真俳句」をほそぼそと続けています。
一時は面倒だから止めようt思っていたのですが
死んだとき、「これが自分です」と言いたい気持ちもあるので
続けています。
自分を表現するというのはことのほか難しいですね。
あれこれ講釈つけているほうが安全だしとても楽
一番邪魔なのはテレと、よく見せようとする焦り。
もう少ししたら、自分の形ができると思います。
そんなことです。
いつも貴兄のブログを見ています。
お互いに段々と自分だけのワールドに入りこんでいますね。

           あきオジ