ウイルス性胃腸炎を発症し4日目。ようやく、愛犬と散歩できるほどに回復。
本来であれば、今日は中学時代の友人達とゴルフを楽しんでいたはずなのだが仕方がない。
さて、選挙期間中は高校の同級生と会う機会が増え、思い出話しに花が咲くことも多くなるが、そんなとき、自分はその共有しているはずの記憶をうまく思い出すことができない。逆に、みんなの記憶力に驚き、そのことに感心している時間のほうが長いのではないだろうか。
同級生にクセが強い友人Hがいる。
Hは大学で数学の教鞭を執る傍ら、パワースポットとして名高い幣立神宮の宮司でらっしゃる。当然Hは古代史を含めた日本史にはめっぽう詳しく、その視座から発する現代への批評は聞いていて首肯する点が多く、これらに対して、浅はかな知識に頼った物言いを挟めば、彼から、手厳しい返り打ちをくらって大量出血もしばしば。
「オレ、今度の休み(年末年始)に古墳ば見て回ることにしたけん」
「コフン!?、なんでまた、」
「ここ最近、歴史の勉強に凝っとるとばってん、関西にある巨大古墳とか、本当は皆んなが喜んで作ったんじゃなかとかな〜とか思い始めたとよね〜、正直、古墳時代に強制労働で作ったとは思えんごとなったとよね〜」
なぜ、そう思うに至ったかを、Hに話した。
話しを終えると、目の前にいたHは大きく息を吸った。
いつものような反撃が始まると身構えたが、驚いたことに、Hは僕の考えに強く賛同してくれたのだった。大袈裟なゼスチャーとともに。
知っている方も多いと思うが、今夏、熊日の特集企画の中で、僕が原案を作成して寄稿したものが4回掲載された。そのうちの一つは、熊本県北で有名な伝説と地質の関係について簡単に紹介したものであるが、原稿作成に当たって、余暇を丸二ヶ月使って取材と調査を行なっていたのだ。そして、テーマとは異なるため紙面には載らなかったが、この特集企画の取材の中で、僕はある「発見」をしてしまったのだ。
「発見」の内容については、ここでは触れない。ただ、この発見は地元の人々を驚かせただけでなく、取材の中で相談に伺った歴史の専門家からも、その発見と調査方法について評価を頂いたのだった。そして、何より、その調査取材を余暇として興味本位に続けてソレを発見してしまった歴史門外漢の自分自身が最も驚いたのだった。
と同時に、この発見の「意味」と「位置付け」について、真剣に考えなければならないという思いにいたったのだ。しかし、残念なことに、僕は中学生レベルの、しかも戦後教育での歴史知識か持ち合わせてしかいない。
これでは、「意味」も「位置付け」もへったくれもクソもなく、少なくとも高校生レベルの歴史知識を得るべく、夏頃からは夕食後は机に向かい、休みの日は、史蹟巡りや図書館通いをし、自分なりに歴史についての立体的な知識構築を試み始めたのだった(最低限の週3回程度のランニングは続けている、ゴルフの練習も少ししている)。
そんな中、古代の人々が「災害」や「極端な自然事象」をどのように捉えていたのだろうかとの思いに至った。
「オレ、地震の理屈とかピシャっと理解しとるし、あんときの地震だって、布田川断層が動きよるって理性では解っとたばってん、、、、ばってん、、本当のところば言うと、オレの本心というか本能は、、、ナニカ得体の知れない生き物が地面の中をのた打ち這い回っている様子しか想像できんかったとたいね〜、そのときの恐怖の記憶がそうさせとるのかもしれんばってん、恥かしか話し、今だに余震が来ると、怖くてドキドキすっとたい、、、」
「古事記に出てくるヤマタノオロチは、洪水のことなんだよな、昔はあの文脈でも案外、誰でも洪水だって理解できたんよ、、、」
「オレ、子供のころ、カミナリが鳴ってる雲の中には龍がおるって本気で思っとったもん!、今でもそう思ってしまうことがあるし、、、それでオレ、深く考えたったい、古代人はナンデそんな“イキモノ”が現れるのか、その理由についても同時に考えたんじゃないのかなって。異常な自然事象が、たまたまソコに起こったとは考えきらんかったはずとよ。何か原因がソコにはあるって。」
「、、、って、どういう、、、」
「身の回りに不都合な事が起こったとき、それを誰かのせいや、環境や社会のせいにしたいという気持ちになるのって普通だろ、そして、その原因を取り除きたいという気持ちになるたい。ちょっと違うかもしれんけど、己の死やクニが滅びることに直結するような災害は厄介事の一番で、古代の人はそれをなんとかしたいとの思いは今以上だったはずと思うとたい。だから、古代の人は、それが起こらないように祈るしかない。でも、何を対象に祈る?、”イキモノ”を神と崇めて祈るのかな?。どうかな?。でも結局、人は、またその”イキモノ”がどうして現れるのか、その理由を考えなくちゃいけないという泥沼にハマるんだけど、最終的に”イキモノ”は「化身」というふうに考えたんじゃないかな、あるいは「怨霊」だとかさ。人間は、そんなふうに考えるクセがあるたい。」
「、、そういうクセ、あるな、、崇徳天皇とか菅原道真の御霊信仰、、、」
「さすがH、、そいうのって身近にもあるし、、嫌いな誰かを呪ってやりたいという気持ちが、、、。逆に災いが起こったときには、自分は呪われているんじゃないのかという不安な気持ち、、、。つまり、災いというのは、実は「人」が起源となっていて、死後に”イキモノ”に姿を変えて襲ってくるというシロモノではないのかなと。そう考えると、死人にはどうしてもジッとしていてもらいたい。とにもかくにも、安らかにお休み頂きたいという気持ちになる。特に、生前に影響力が強ければ強いほど、権力が大きければ大きいほど、死後の”イキモノ”の力もそれに比例して大きくなる。だから、そのためには古墳がどうしても必要だったんだよ、権力者の冥福を祈りながら、同時に現世に対しては安寧を求める祈りの場が。そしてさ、古墳作りって一大土木工事なわけだけど、作業に従事することは、どちらかというと崇高な事で、従事者は敬虔な気持ちで工事に携わっていたのではないのかなとさえ思うようになってさ。つまり、古墳作りってのは、古代の人が社会に安寧をもたらすための公共作業であると同時に、同族意識を醸成しつつ、外国人に対しては、巨大古墳を通じて一致団結した姿を示してクニを守る抑止力にしていたという側面もあったりという、当時としては極めて多機能かつ合理的な判断があっての取り組みだったんじゃないかなぁって思うようになってさぁ〜、じゃなきゃ、あんな前方後円墳とかいう似たりよったりのコフンをクニ中にウン千も作らんだろう、、ってなわけで、”古墳信仰”ってのが当時の大和政権の第一の礎であって、その背景が日本固有の災害が起きやすい風土、つまり自然災害じゃなかったのかなと、、どうでしょうか。」
「ハァ〜っ、オマエがそれを話すとめちゃくちゃ説得力がある。だけどその考えは、フツーの戦後歴史家には受け入れられんよね、未だに古墳は、権力者の搾取と示威行為の結果として作られたと説明されることが多いけんね。しかし、そのニシの考えは大事な視点と思う、だけん、その研究、進めろっ!」
「ま、オレは研究がしたいワケじゃなく、自分で確かめて納得したいだけたい。でも、今日はHにそんなふうに言われてちょっと嬉しかばい、自信がついた。」
そう言うわけで、冬休みは大和川を遡上しながら巨大古墳を見て回ろうと思っている。
話は変わるが、病に臥せっていたこの3日間、時間が取れる良い機会と捉えて書棚から引っ張り出して読んだ以下の3冊。
伊藤計劃の『虐殺器官』
谷川健一の『魔の系譜』
櫻井武の『「こころ」はいかにして生まれるのか』
科学、民俗学、SF小説を立体読みして、古代から現代そして未来に繋がる人間社会の変容が少し見えたような気がした。
教科書ではない別方向から歴史を見る視点を持つことの重要さを再確認することができた読書週間だった。
本来であれば、今日は中学時代の友人達とゴルフを楽しんでいたはずなのだが仕方がない。
さて、選挙期間中は高校の同級生と会う機会が増え、思い出話しに花が咲くことも多くなるが、そんなとき、自分はその共有しているはずの記憶をうまく思い出すことができない。逆に、みんなの記憶力に驚き、そのことに感心している時間のほうが長いのではないだろうか。
同級生にクセが強い友人Hがいる。
Hは大学で数学の教鞭を執る傍ら、パワースポットとして名高い幣立神宮の宮司でらっしゃる。当然Hは古代史を含めた日本史にはめっぽう詳しく、その視座から発する現代への批評は聞いていて首肯する点が多く、これらに対して、浅はかな知識に頼った物言いを挟めば、彼から、手厳しい返り打ちをくらって大量出血もしばしば。
「オレ、今度の休み(年末年始)に古墳ば見て回ることにしたけん」
「コフン!?、なんでまた、」
「ここ最近、歴史の勉強に凝っとるとばってん、関西にある巨大古墳とか、本当は皆んなが喜んで作ったんじゃなかとかな〜とか思い始めたとよね〜、正直、古墳時代に強制労働で作ったとは思えんごとなったとよね〜」
なぜ、そう思うに至ったかを、Hに話した。
話しを終えると、目の前にいたHは大きく息を吸った。
いつものような反撃が始まると身構えたが、驚いたことに、Hは僕の考えに強く賛同してくれたのだった。大袈裟なゼスチャーとともに。
知っている方も多いと思うが、今夏、熊日の特集企画の中で、僕が原案を作成して寄稿したものが4回掲載された。そのうちの一つは、熊本県北で有名な伝説と地質の関係について簡単に紹介したものであるが、原稿作成に当たって、余暇を丸二ヶ月使って取材と調査を行なっていたのだ。そして、テーマとは異なるため紙面には載らなかったが、この特集企画の取材の中で、僕はある「発見」をしてしまったのだ。
「発見」の内容については、ここでは触れない。ただ、この発見は地元の人々を驚かせただけでなく、取材の中で相談に伺った歴史の専門家からも、その発見と調査方法について評価を頂いたのだった。そして、何より、その調査取材を余暇として興味本位に続けてソレを発見してしまった歴史門外漢の自分自身が最も驚いたのだった。
と同時に、この発見の「意味」と「位置付け」について、真剣に考えなければならないという思いにいたったのだ。しかし、残念なことに、僕は中学生レベルの、しかも戦後教育での歴史知識か持ち合わせてしかいない。
これでは、「意味」も「位置付け」もへったくれもクソもなく、少なくとも高校生レベルの歴史知識を得るべく、夏頃からは夕食後は机に向かい、休みの日は、史蹟巡りや図書館通いをし、自分なりに歴史についての立体的な知識構築を試み始めたのだった(最低限の週3回程度のランニングは続けている、ゴルフの練習も少ししている)。
そんな中、古代の人々が「災害」や「極端な自然事象」をどのように捉えていたのだろうかとの思いに至った。
「オレ、地震の理屈とかピシャっと理解しとるし、あんときの地震だって、布田川断層が動きよるって理性では解っとたばってん、、、、ばってん、、本当のところば言うと、オレの本心というか本能は、、、ナニカ得体の知れない生き物が地面の中をのた打ち這い回っている様子しか想像できんかったとたいね〜、そのときの恐怖の記憶がそうさせとるのかもしれんばってん、恥かしか話し、今だに余震が来ると、怖くてドキドキすっとたい、、、」
「古事記に出てくるヤマタノオロチは、洪水のことなんだよな、昔はあの文脈でも案外、誰でも洪水だって理解できたんよ、、、」
「オレ、子供のころ、カミナリが鳴ってる雲の中には龍がおるって本気で思っとったもん!、今でもそう思ってしまうことがあるし、、、それでオレ、深く考えたったい、古代人はナンデそんな“イキモノ”が現れるのか、その理由についても同時に考えたんじゃないのかなって。異常な自然事象が、たまたまソコに起こったとは考えきらんかったはずとよ。何か原因がソコにはあるって。」
「、、、って、どういう、、、」
「身の回りに不都合な事が起こったとき、それを誰かのせいや、環境や社会のせいにしたいという気持ちになるのって普通だろ、そして、その原因を取り除きたいという気持ちになるたい。ちょっと違うかもしれんけど、己の死やクニが滅びることに直結するような災害は厄介事の一番で、古代の人はそれをなんとかしたいとの思いは今以上だったはずと思うとたい。だから、古代の人は、それが起こらないように祈るしかない。でも、何を対象に祈る?、”イキモノ”を神と崇めて祈るのかな?。どうかな?。でも結局、人は、またその”イキモノ”がどうして現れるのか、その理由を考えなくちゃいけないという泥沼にハマるんだけど、最終的に”イキモノ”は「化身」というふうに考えたんじゃないかな、あるいは「怨霊」だとかさ。人間は、そんなふうに考えるクセがあるたい。」
「、、そういうクセ、あるな、、崇徳天皇とか菅原道真の御霊信仰、、、」
「さすがH、、そいうのって身近にもあるし、、嫌いな誰かを呪ってやりたいという気持ちが、、、。逆に災いが起こったときには、自分は呪われているんじゃないのかという不安な気持ち、、、。つまり、災いというのは、実は「人」が起源となっていて、死後に”イキモノ”に姿を変えて襲ってくるというシロモノではないのかなと。そう考えると、死人にはどうしてもジッとしていてもらいたい。とにもかくにも、安らかにお休み頂きたいという気持ちになる。特に、生前に影響力が強ければ強いほど、権力が大きければ大きいほど、死後の”イキモノ”の力もそれに比例して大きくなる。だから、そのためには古墳がどうしても必要だったんだよ、権力者の冥福を祈りながら、同時に現世に対しては安寧を求める祈りの場が。そしてさ、古墳作りって一大土木工事なわけだけど、作業に従事することは、どちらかというと崇高な事で、従事者は敬虔な気持ちで工事に携わっていたのではないのかなとさえ思うようになってさ。つまり、古墳作りってのは、古代の人が社会に安寧をもたらすための公共作業であると同時に、同族意識を醸成しつつ、外国人に対しては、巨大古墳を通じて一致団結した姿を示してクニを守る抑止力にしていたという側面もあったりという、当時としては極めて多機能かつ合理的な判断があっての取り組みだったんじゃないかなぁって思うようになってさぁ〜、じゃなきゃ、あんな前方後円墳とかいう似たりよったりのコフンをクニ中にウン千も作らんだろう、、ってなわけで、”古墳信仰”ってのが当時の大和政権の第一の礎であって、その背景が日本固有の災害が起きやすい風土、つまり自然災害じゃなかったのかなと、、どうでしょうか。」
「ハァ〜っ、オマエがそれを話すとめちゃくちゃ説得力がある。だけどその考えは、フツーの戦後歴史家には受け入れられんよね、未だに古墳は、権力者の搾取と示威行為の結果として作られたと説明されることが多いけんね。しかし、そのニシの考えは大事な視点と思う、だけん、その研究、進めろっ!」
「ま、オレは研究がしたいワケじゃなく、自分で確かめて納得したいだけたい。でも、今日はHにそんなふうに言われてちょっと嬉しかばい、自信がついた。」
そう言うわけで、冬休みは大和川を遡上しながら巨大古墳を見て回ろうと思っている。
話は変わるが、病に臥せっていたこの3日間、時間が取れる良い機会と捉えて書棚から引っ張り出して読んだ以下の3冊。
伊藤計劃の『虐殺器官』
谷川健一の『魔の系譜』
櫻井武の『「こころ」はいかにして生まれるのか』
科学、民俗学、SF小説を立体読みして、古代から現代そして未来に繋がる人間社会の変容が少し見えたような気がした。
教科書ではない別方向から歴史を見る視点を持つことの重要さを再確認することができた読書週間だった。