昨日は、熊本県と熊本県教育委員会が主催の《古代の「辺要」支配と肥後・鞠智城》と題したシンポジムに参加。
会場のパレアホールは、聴衆200名は超えるであろう盛況ぶりで満席。自分が着席した後、空いていた隣りの席にスタッフさんに案内されて座ったのは、ナント、私が勝手に師と仰いでいるN先生だった。N先生は『太湖の湖「茂賀の浦」と「狗奴国」菊池』の著者。
先生は、菊池市在住の剣道六段の元小学校教諭で、昭和五十年代の約半年間、熊本大学教育学部地学教室に研究生として在籍して、教材開発の基礎資料を得るために、菊池盆地をとりまく第四紀地質を中心に野外調査を行った人物。
書籍ではその研究成果が記載されているとともに、その結果を元に菊池盆地にかつて「茂賀の浦」と呼ばれた湖が存在したことを地質学的に明らかにし、そして、その湖の範囲が、縄文時代から弥生時代にかけて縮小するという変遷の姿を、各時代の遺跡の分布と地形を照らし合わせて示したのだった。さらに、菊池盆地には5世紀以降、おびただしい数の神社が創建されているが、祭神の種類や創建年代と造立地点の標高及び地形的な関連から、中世以降の「茂賀の浦」の水位低下を示すとともに地名との関連も指摘。しかし、本書の真骨頂は、上記のことを踏まえた上で、「菊池」の語源は水が引いた自然地形(その状態をククチ)を表すものではないかと指摘するとともに、邪馬台国と対峙した狗奴国は、米作りに適した大地と多量の鉄器類を背景に力を付けた菊池盆地一帯の土豪勢力と考察した点だ。
実は、N先生とは、「三玉山霊仙寺を巡る冒険」の中で出逢い、私は絶大な影響を受けていた。シンポジムで再会できればいいなと淡い期待を寄せていたが、まさかまさかの隣席になるとは!
「奇遇ですな」
先生は洒落た帽子をとりながら私に挨拶してくれた。ジオ・ドラマの感想も頂戴できた。
さて、本題のシンポジム。期待していたのは、兵庫県立考古博物館館長の和田晴吾氏が報告した「ヤマト王権と九州の古墳文化」。
シンポジムが終わったあと、ロビーにいた和田館長に思いきって質問してみた。
“古墳”については、話が長くなるのでまたの機会に。
そんな事よりも、、、
帰りに寄った古本屋で購入した本を何処かに忘れてきてしまったことに、喝っ!
でも、今日、見つかったのは運が良かった!
会場のパレアホールは、聴衆200名は超えるであろう盛況ぶりで満席。自分が着席した後、空いていた隣りの席にスタッフさんに案内されて座ったのは、ナント、私が勝手に師と仰いでいるN先生だった。N先生は『太湖の湖「茂賀の浦」と「狗奴国」菊池』の著者。
先生は、菊池市在住の剣道六段の元小学校教諭で、昭和五十年代の約半年間、熊本大学教育学部地学教室に研究生として在籍して、教材開発の基礎資料を得るために、菊池盆地をとりまく第四紀地質を中心に野外調査を行った人物。
書籍ではその研究成果が記載されているとともに、その結果を元に菊池盆地にかつて「茂賀の浦」と呼ばれた湖が存在したことを地質学的に明らかにし、そして、その湖の範囲が、縄文時代から弥生時代にかけて縮小するという変遷の姿を、各時代の遺跡の分布と地形を照らし合わせて示したのだった。さらに、菊池盆地には5世紀以降、おびただしい数の神社が創建されているが、祭神の種類や創建年代と造立地点の標高及び地形的な関連から、中世以降の「茂賀の浦」の水位低下を示すとともに地名との関連も指摘。しかし、本書の真骨頂は、上記のことを踏まえた上で、「菊池」の語源は水が引いた自然地形(その状態をククチ)を表すものではないかと指摘するとともに、邪馬台国と対峙した狗奴国は、米作りに適した大地と多量の鉄器類を背景に力を付けた菊池盆地一帯の土豪勢力と考察した点だ。
実は、N先生とは、「三玉山霊仙寺を巡る冒険」の中で出逢い、私は絶大な影響を受けていた。シンポジムで再会できればいいなと淡い期待を寄せていたが、まさかまさかの隣席になるとは!
「奇遇ですな」
先生は洒落た帽子をとりながら私に挨拶してくれた。ジオ・ドラマの感想も頂戴できた。
さて、本題のシンポジム。期待していたのは、兵庫県立考古博物館館長の和田晴吾氏が報告した「ヤマト王権と九州の古墳文化」。
シンポジムが終わったあと、ロビーにいた和田館長に思いきって質問してみた。
“古墳”については、話が長くなるのでまたの機会に。
そんな事よりも、、、
帰りに寄った古本屋で購入した本を何処かに忘れてきてしまったことに、喝っ!
でも、今日、見つかったのは運が良かった!