月曜日の夕方から、子供達が保有してたウィルスに感染してしまって、約24時間に渡って38.5°以上の高体温をキープする夏風邪に罹ってしまったワケだけど、先週末の土曜日は、長女ユーの吹奏楽部のコンクールがあって、日曜日は資格試験で福岡に行ってたりで若干忙し目ではあったんだけど、その日の夜9時過ぎになってSGAオヤジからリーグ会長と飲むからって連絡があって、その晩は3時まで付き合ったんだけど、翌月曜日は、山岳橋梁の補修・補強調査のための現地視察で橋脚観察のために谷底から現場まで鉈鎌を右手にブッシュ(笹ヤブ、蔦、灌木類)と格闘しながら登攀したりして、体力をスッカラカンにしたことが致命的だったのかもしれない。
まぁ、そんなボクの悲劇はどうでもいいんことなんだけど、長女ユーのコンクールについて記録しておきたい。
長女ユーが所属している吹奏楽部が出演したコンクールの正式名称は、「第52回熊本吹奏楽コンクール」。主催は、熊本県吹奏楽連盟。そんな連盟があるなんてことは、こないだの野球大会でお世話になったOZU中の吹奏楽部のAKH先生からもらった名刺の肩書きに「「熊本県吹奏楽部連盟事務局長」ってあったことで初めて知ったことなんだけど、トニカク、この連盟主催のコンクールが、各団体にとっては一番の大舞台みないなのだ。つまり高校野球で言えば、夏の大会ってことなのかもしんない。
そういうワケで、各団体は大一番に向けて必死に練習してたことと思うけど、ボクは吹奏楽部の練習ってのは、OZU中の練習を覗き見した程度で、どんなもんがホントの練習なんだろうって想像しにくい部分が未だにあるんだけど、長女ユーの生活スタイルから想像するに・・・練習時間は強豪運動部並みかそれ以上といったところ。
入部当初、「メトロノーム」すら知らなかった音楽音痴のユーが、そんなハードな練習に付いて行けるか心配だったし、楽器は何すんのって聞いたら「トランペット」ってユーからは想像も出来ないような楽器名が飛び出してきたりして、なんでトランペットって聞いたら「パズーが吹いていたのをやってみたいから・・」ってあまりにも子供っぽい答えが返ってきて絶句したりしたものだった。
ユーは小学校の頃、なんちゃってバスケ部の万年補欠の幽霊部員で、その存在感の無さと言えば熊本1位ではなかったろうか。
ボクは最後の試合くらいは応援に行かなくちゃと思って見に行ったけど、それは、それは、ボクにとっては「ツライ」できごとだった。
なんちゃってバスケ部だから、指導方針も「楽しく」をモットーにしていて、それに関してボクは特になんとも思ってなかったけど、部活のあまりの不甲斐なさに保護者の一部が社会体育としてバスケットボールクラブを立ち上げたとを言えば、そのなんちゃってぶりが容易に想像できることと思う。だけど、そのなんちゃってバスケ部も最後の試合は必死に戦ってたみたいで、相手が弱かったのもあったと思うけど、前半は勝ってたもんだから応援に来てた保護者達も大騒ぎ。ところが、「楽しく」をモットーにしている部活の先生は、第3クォーターにユーを投入。
ユーはボールを受けるどころかボールから逃げる動き。幽霊以下だった。
アッという間に逆転され、万事休す。最後の試合も敗戦に終わった。
ボクはこういことも多少はあるかもしれないと思っていたから、他の保護者と離れていたんだけど、そんな試合だったもんだから、ボクは逃げるようにしてじゃなくて、ホントにその場から逃げ出したのだった。
なんていうか、この出来事は、ボクにとって一種のトラウマになった。
だから、中学になってユーには団体競技はやめてもらいたかったし、吹奏楽部も団体であるからして、入部に関して難色を示したのも事実だった。
しかし、子供の気持ちを尊重することは大事なこと。
ボクは自分の経験をもとに、こんな話しをしたことを覚えている。
「ユー、あのな、たぶんな、オマエ、一番ヘタクソだよ。だけどな、ヘタクソでもいいと。いいとよ。でもな、どうせヘタクソならな、一番練習するヘタクソになれ。おとーさんはね、一番練習したけんって、ユーが上手になるかどうかわからん。だけど、一番ヘタクソなヤツが、一番練習をするとそのチームが強くなるってことがあるとたい。だけん、そういうつもりでガンバレ・・・」
ユーは頑張っていたようだった。
だけど、学業や生活態度から「退部届」を出すように迫ったことも何度かあった。
コンクール会場は熊本県立劇場のコンサートホール。出番は、お昼の休憩の後の午後一番。演奏は課題曲1曲と自由曲1曲の会わせて2曲。演奏時間は10分といったところ。
演奏開始5分前には、会場はほぼ満席。我が家のモットーは「子供のハレ舞台は家族全員で応援」なんだけど、早めに来て正解だった。
カミさんに、声を出して応援したりしてもいいのかなって聞いたら「ダメにきまってるじゃないッ」って一喝されたんだけど、ちょうどそのとき「お静かに」というプラカードを持った大会補助員の学生が通路を通り過ぎってったのには笑えてしまった。
そんなこんなしてるうちに、ステージの左袖からS中部員が楽器を運び込み始めた。準備が整った。
指揮者はもちろんFKS先生。自信に満ちてるってかんじじゃなかったけど、どうかお楽しみ下さいという雰囲気の御辞儀だった。
ユーはファーストの位置に座って背筋を伸ばしていた。
そういうことだったのかと思った。
FKS先生が4番エースと言ったのは冗談ではなかったのだ。
ボクは、マトモに聴くことができなかったけど、その後に続いた学校と比べると音が断然綺麗だったってことぐらいは判った。だけど、圧巻だったのは、やっぱりOZU中だった。部員には男子も多く、一歩間違えればバラバラになりかねないアクロバティックな難しい曲をやり遂げたのだった。
OZU中学校の演奏を最後にホールを出たんだけど、ちょうど、出口でOZU中のAKH先生と遭遇して「スッゲーヨカッタですよ」って声を掛けたら「オワ~、ありがとうございマ~ス」ってボクに近寄ってくると両手でボクの右手をぎゅっと握りしめたりして興奮冷めやらぬかんじがなんともヨカッタ。
参加校が多くコンクールは翌日まであったため、結果発表は日曜日の夕刻だった。
知らせは、カミさんからのメールだった。福岡から熊本に戻るバスの中だった。
「九州大会出場決定!」
バスを降りると、ボクは自宅に電話をした。
「九州大会出場が決まったS中学校吹奏楽部の○○○○○です!」
嬉しそうなユーの声だった。
ちなみにOZU中も九州大会出場を決めた。
ボク的にはW受賞だった。
結果一覧
まぁ、そんなボクの悲劇はどうでもいいんことなんだけど、長女ユーのコンクールについて記録しておきたい。
長女ユーが所属している吹奏楽部が出演したコンクールの正式名称は、「第52回熊本吹奏楽コンクール」。主催は、熊本県吹奏楽連盟。そんな連盟があるなんてことは、こないだの野球大会でお世話になったOZU中の吹奏楽部のAKH先生からもらった名刺の肩書きに「「熊本県吹奏楽部連盟事務局長」ってあったことで初めて知ったことなんだけど、トニカク、この連盟主催のコンクールが、各団体にとっては一番の大舞台みないなのだ。つまり高校野球で言えば、夏の大会ってことなのかもしんない。
そういうワケで、各団体は大一番に向けて必死に練習してたことと思うけど、ボクは吹奏楽部の練習ってのは、OZU中の練習を覗き見した程度で、どんなもんがホントの練習なんだろうって想像しにくい部分が未だにあるんだけど、長女ユーの生活スタイルから想像するに・・・練習時間は強豪運動部並みかそれ以上といったところ。
入部当初、「メトロノーム」すら知らなかった音楽音痴のユーが、そんなハードな練習に付いて行けるか心配だったし、楽器は何すんのって聞いたら「トランペット」ってユーからは想像も出来ないような楽器名が飛び出してきたりして、なんでトランペットって聞いたら「パズーが吹いていたのをやってみたいから・・」ってあまりにも子供っぽい答えが返ってきて絶句したりしたものだった。
ユーは小学校の頃、なんちゃってバスケ部の万年補欠の幽霊部員で、その存在感の無さと言えば熊本1位ではなかったろうか。
ボクは最後の試合くらいは応援に行かなくちゃと思って見に行ったけど、それは、それは、ボクにとっては「ツライ」できごとだった。
なんちゃってバスケ部だから、指導方針も「楽しく」をモットーにしていて、それに関してボクは特になんとも思ってなかったけど、部活のあまりの不甲斐なさに保護者の一部が社会体育としてバスケットボールクラブを立ち上げたとを言えば、そのなんちゃってぶりが容易に想像できることと思う。だけど、そのなんちゃってバスケ部も最後の試合は必死に戦ってたみたいで、相手が弱かったのもあったと思うけど、前半は勝ってたもんだから応援に来てた保護者達も大騒ぎ。ところが、「楽しく」をモットーにしている部活の先生は、第3クォーターにユーを投入。
ユーはボールを受けるどころかボールから逃げる動き。幽霊以下だった。
アッという間に逆転され、万事休す。最後の試合も敗戦に終わった。
ボクはこういことも多少はあるかもしれないと思っていたから、他の保護者と離れていたんだけど、そんな試合だったもんだから、ボクは逃げるようにしてじゃなくて、ホントにその場から逃げ出したのだった。
なんていうか、この出来事は、ボクにとって一種のトラウマになった。
だから、中学になってユーには団体競技はやめてもらいたかったし、吹奏楽部も団体であるからして、入部に関して難色を示したのも事実だった。
しかし、子供の気持ちを尊重することは大事なこと。
ボクは自分の経験をもとに、こんな話しをしたことを覚えている。
「ユー、あのな、たぶんな、オマエ、一番ヘタクソだよ。だけどな、ヘタクソでもいいと。いいとよ。でもな、どうせヘタクソならな、一番練習するヘタクソになれ。おとーさんはね、一番練習したけんって、ユーが上手になるかどうかわからん。だけど、一番ヘタクソなヤツが、一番練習をするとそのチームが強くなるってことがあるとたい。だけん、そういうつもりでガンバレ・・・」
ユーは頑張っていたようだった。
だけど、学業や生活態度から「退部届」を出すように迫ったことも何度かあった。
コンクール会場は熊本県立劇場のコンサートホール。出番は、お昼の休憩の後の午後一番。演奏は課題曲1曲と自由曲1曲の会わせて2曲。演奏時間は10分といったところ。
演奏開始5分前には、会場はほぼ満席。我が家のモットーは「子供のハレ舞台は家族全員で応援」なんだけど、早めに来て正解だった。
カミさんに、声を出して応援したりしてもいいのかなって聞いたら「ダメにきまってるじゃないッ」って一喝されたんだけど、ちょうどそのとき「お静かに」というプラカードを持った大会補助員の学生が通路を通り過ぎってったのには笑えてしまった。
そんなこんなしてるうちに、ステージの左袖からS中部員が楽器を運び込み始めた。準備が整った。
指揮者はもちろんFKS先生。自信に満ちてるってかんじじゃなかったけど、どうかお楽しみ下さいという雰囲気の御辞儀だった。
ユーはファーストの位置に座って背筋を伸ばしていた。
そういうことだったのかと思った。
FKS先生が4番エースと言ったのは冗談ではなかったのだ。
ボクは、マトモに聴くことができなかったけど、その後に続いた学校と比べると音が断然綺麗だったってことぐらいは判った。だけど、圧巻だったのは、やっぱりOZU中だった。部員には男子も多く、一歩間違えればバラバラになりかねないアクロバティックな難しい曲をやり遂げたのだった。
OZU中学校の演奏を最後にホールを出たんだけど、ちょうど、出口でOZU中のAKH先生と遭遇して「スッゲーヨカッタですよ」って声を掛けたら「オワ~、ありがとうございマ~ス」ってボクに近寄ってくると両手でボクの右手をぎゅっと握りしめたりして興奮冷めやらぬかんじがなんともヨカッタ。
参加校が多くコンクールは翌日まであったため、結果発表は日曜日の夕刻だった。
知らせは、カミさんからのメールだった。福岡から熊本に戻るバスの中だった。
「九州大会出場決定!」
バスを降りると、ボクは自宅に電話をした。
「九州大会出場が決まったS中学校吹奏楽部の○○○○○です!」
嬉しそうなユーの声だった。
ちなみにOZU中も九州大会出場を決めた。
ボク的にはW受賞だった。
結果一覧