1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

コンクール

2008-07-30 12:05:05 | ライブの記録
月曜日の夕方から、子供達が保有してたウィルスに感染してしまって、約24時間に渡って38.5°以上の高体温をキープする夏風邪に罹ってしまったワケだけど、先週末の土曜日は、長女ユーの吹奏楽部のコンクールがあって、日曜日は資格試験で福岡に行ってたりで若干忙し目ではあったんだけど、その日の夜9時過ぎになってSGAオヤジからリーグ会長と飲むからって連絡があって、その晩は3時まで付き合ったんだけど、翌月曜日は、山岳橋梁の補修・補強調査のための現地視察で橋脚観察のために谷底から現場まで鉈鎌を右手にブッシュ(笹ヤブ、蔦、灌木類)と格闘しながら登攀したりして、体力をスッカラカンにしたことが致命的だったのかもしれない。

まぁ、そんなボクの悲劇はどうでもいいんことなんだけど、長女ユーのコンクールについて記録しておきたい。

長女ユーが所属している吹奏楽部が出演したコンクールの正式名称は、「第52回熊本吹奏楽コンクール」。主催は、熊本県吹奏楽連盟。そんな連盟があるなんてことは、こないだの野球大会でお世話になったOZU中の吹奏楽部のAKH先生からもらった名刺の肩書きに「「熊本県吹奏楽部連盟事務局長」ってあったことで初めて知ったことなんだけど、トニカク、この連盟主催のコンクールが、各団体にとっては一番の大舞台みないなのだ。つまり高校野球で言えば、夏の大会ってことなのかもしんない。

そういうワケで、各団体は大一番に向けて必死に練習してたことと思うけど、ボクは吹奏楽部の練習ってのは、OZU中の練習を覗き見した程度で、どんなもんがホントの練習なんだろうって想像しにくい部分が未だにあるんだけど、長女ユーの生活スタイルから想像するに・・・練習時間は強豪運動部並みかそれ以上といったところ。
入部当初、「メトロノーム」すら知らなかった音楽音痴のユーが、そんなハードな練習に付いて行けるか心配だったし、楽器は何すんのって聞いたら「トランペット」ってユーからは想像も出来ないような楽器名が飛び出してきたりして、なんでトランペットって聞いたら「パズーが吹いていたのをやってみたいから・・」ってあまりにも子供っぽい答えが返ってきて絶句したりしたものだった。

ユーは小学校の頃、なんちゃってバスケ部の万年補欠の幽霊部員で、その存在感の無さと言えば熊本1位ではなかったろうか。
ボクは最後の試合くらいは応援に行かなくちゃと思って見に行ったけど、それは、それは、ボクにとっては「ツライ」できごとだった。
なんちゃってバスケ部だから、指導方針も「楽しく」をモットーにしていて、それに関してボクは特になんとも思ってなかったけど、部活のあまりの不甲斐なさに保護者の一部が社会体育としてバスケットボールクラブを立ち上げたとを言えば、そのなんちゃってぶりが容易に想像できることと思う。だけど、そのなんちゃってバスケ部も最後の試合は必死に戦ってたみたいで、相手が弱かったのもあったと思うけど、前半は勝ってたもんだから応援に来てた保護者達も大騒ぎ。ところが、「楽しく」をモットーにしている部活の先生は、第3クォーターにユーを投入。
ユーはボールを受けるどころかボールから逃げる動き。幽霊以下だった。
アッという間に逆転され、万事休す。最後の試合も敗戦に終わった。
ボクはこういことも多少はあるかもしれないと思っていたから、他の保護者と離れていたんだけど、そんな試合だったもんだから、ボクは逃げるようにしてじゃなくて、ホントにその場から逃げ出したのだった。

なんていうか、この出来事は、ボクにとって一種のトラウマになった。
だから、中学になってユーには団体競技はやめてもらいたかったし、吹奏楽部も団体であるからして、入部に関して難色を示したのも事実だった。

しかし、子供の気持ちを尊重することは大事なこと。
ボクは自分の経験をもとに、こんな話しをしたことを覚えている。

「ユー、あのな、たぶんな、オマエ、一番ヘタクソだよ。だけどな、ヘタクソでもいいと。いいとよ。でもな、どうせヘタクソならな、一番練習するヘタクソになれ。おとーさんはね、一番練習したけんって、ユーが上手になるかどうかわからん。だけど、一番ヘタクソなヤツが、一番練習をするとそのチームが強くなるってことがあるとたい。だけん、そういうつもりでガンバレ・・・」

ユーは頑張っていたようだった。
だけど、学業や生活態度から「退部届」を出すように迫ったことも何度かあった。

コンクール会場は熊本県立劇場のコンサートホール。出番は、お昼の休憩の後の午後一番。演奏は課題曲1曲と自由曲1曲の会わせて2曲。演奏時間は10分といったところ。
演奏開始5分前には、会場はほぼ満席。我が家のモットーは「子供のハレ舞台は家族全員で応援」なんだけど、早めに来て正解だった。
カミさんに、声を出して応援したりしてもいいのかなって聞いたら「ダメにきまってるじゃないッ」って一喝されたんだけど、ちょうどそのとき「お静かに」というプラカードを持った大会補助員の学生が通路を通り過ぎってったのには笑えてしまった。

そんなこんなしてるうちに、ステージの左袖からS中部員が楽器を運び込み始めた。準備が整った。
指揮者はもちろんFKS先生。自信に満ちてるってかんじじゃなかったけど、どうかお楽しみ下さいという雰囲気の御辞儀だった。
ユーはファーストの位置に座って背筋を伸ばしていた。

そういうことだったのかと思った。
FKS先生が4番エースと言ったのは冗談ではなかったのだ。

ボクは、マトモに聴くことができなかったけど、その後に続いた学校と比べると音が断然綺麗だったってことぐらいは判った。だけど、圧巻だったのは、やっぱりOZU中だった。部員には男子も多く、一歩間違えればバラバラになりかねないアクロバティックな難しい曲をやり遂げたのだった。

OZU中学校の演奏を最後にホールを出たんだけど、ちょうど、出口でOZU中のAKH先生と遭遇して「スッゲーヨカッタですよ」って声を掛けたら「オワ~、ありがとうございマ~ス」ってボクに近寄ってくると両手でボクの右手をぎゅっと握りしめたりして興奮冷めやらぬかんじがなんともヨカッタ。

参加校が多くコンクールは翌日まであったため、結果発表は日曜日の夕刻だった。


知らせは、カミさんからのメールだった。福岡から熊本に戻るバスの中だった。
「九州大会出場決定!」
バスを降りると、ボクは自宅に電話をした。
「九州大会出場が決まったS中学校吹奏楽部の○○○○○です!」
嬉しそうなユーの声だった。

ちなみにOZU中も九州大会出場を決めた。
ボク的にはW受賞だった。

結果一覧
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思い出せない

2008-07-25 13:04:01 | 雑談の記録
中学校時代、自分が何組だったとかハッキリ覚えてる人ってどのくらいいるんだろう。

こないだ、リトルリーグの九州大会が終わった夕方、中学校時代の同級生の幾人からたて続けに電話があった。中には顔も思い出せない女性からも・・・、

・・・伏線はあった。
数ヶ月前、近所で床屋をやってる中学校の同級生のHTN君が、同窓会をやりたいと言っていたのだ。HTN君は、これまでクラス会を何回かやってたみたいなんだけど、それを全学年に拡大しちゃいたいって思い出したんだと思う。
ボクは「ふ~ん」って返事をしただけだった。


「ねぇ、ニップ~、中学んとき何組だった~?」
小学校んときの友達のMOK君からだった。MOK君とは、一昨年ほど前に、子供の運動会でバッタリ会ったんだけど、ボクは見知らぬオッサンから話しかけられてその変わり果てた姿にMOK君と判るまでズイブン時間がかかった。だから、そんなMOK君に小学校の頃のあだ名で呼ばれると死ぬほど違和感を感じるワケだけど、電話で中学のときのことを聞かれて、彼も同じ中学校だったんだぁなぁんて思ってるうちに「8組だったと思う」なんてテキトーに答えたら、「そんな組はないッ、7組までだった!」と切り替えされたのだった。

ボクは中学校がトニカク嫌いだった。
卒業アルバムも卒業後1週間後にはゴミに出したし、センセーに仕返しもした。

しばらくして、NKWと名乗る女性から電話があった。
ボクは5組だったと言う。ついては、中学時代の名簿をFAXするから同じクラスで知っている人(連絡がとれる人)がいれば声を掛けるようにと頼まれた。

ほったらかした。
何度か電話があった。
無視した(着信拒否)。

2週間ほどして、MOK君をはじめとする数人の男子同級生から、NKWさんの電話に出るようにってプレッシャーの連絡があった。

程なくして低姿勢な声でNKWさんから電話があった。
準備委員会?開催の案内文書を作ったのでメールしたいとのこと。
ついては、ソレを知っている人に配ってもらいたいとのこと。

案内文書の呼びかけ人の「頭」が「hiratakuwa」になっていた。

・・・・ナニカ、勘違いしてないか?。
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4番不在!?

2008-07-22 17:34:27 | 雑談の記録
昨日は準決勝で、結局、応援してた秀岳館と済々黌は負けちゃったワケだけど、ボクとSGAオヤジは、炎天下のネット裏真正面で2試合をじっくり観戦した。

両校の主要な敗因としては「失投」が挙げられると思う。この他、敗因については諸説イロイロあると思うけど、済々黌のソレについてボクが言いたいのは「山崎」不在だったってことなのだ。

準決勝に駒を進めた済々黌以外の3校の4番打者の名前は全て「山崎君」だったのである。

だからナンナンダ!?。
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ウチの4番エース

2008-07-22 13:45:18 | 雑談の記録
週末土曜日、鎮西VS済々黌の観戦から子供達を連れてグランドに戻って帰宅してしばらく経った夕刻、「気持ち悪い、キツイ」と言って友人宅から帰ってきた次女ホースケが布団に倒れ込んだ。

体温は39°以上。
熱中症か?。
一応の対策を施して一晩様子見。
翌朝39.9°
「ヤバイ」
総合病院に急行。
次女はウィルス性の夏風邪だった。
診療を終えて、ホースケの乗った車椅子を駐車場に向けて押していたらケイタイが鳴った。
長女が通う中学校の吹奏楽部のFKS先生からだった。
「具合が悪そうなので・・・」
「スグ迎えに行きマス」
病院からS中へ急行した。

音楽準備室に顔色を悪くした長女ユーが座っていた。
傍らには先生もいた。
次女がウィルス性の風邪で、たった今、病院に行ってきたことを話すと、先生はめちゃくちゃ驚いた様子で「○○○さんも、スグに病院に連れてってやって下さい!。」


長女ユーに熱発はなかった。


・・・夕刻、グランドから家路に向かう車中、FKS先生から連絡が入った。

「・・・病院には連れて行かなかったデス。熱が上がらなかったようなので様子をみました(看てない(汗))・・・」
「実は、○○○さん、ウチの4番エースなんです、来週はコンクールなんで・・・」

野球にかまけてムスメをほったらかしにしていることが見透かされてた。
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死球恐れるべからず

2008-07-19 22:02:24 | 雑談の記録
真夏の太陽が天頂を過ぎようとしていた頃、ボクとTNUオヤジとSGAオヤジの三人はKMリーグのマイナー選手11人を引き連れて、藤崎台球場ネット裏3塁側の最前列に陣取った。

プレイボールは12時30分。

結果は11-3で濟々黌の8回コールド勝ち。
こんな結果を誰が想像できただろうか。

7回が終了した時点で2-3、鎮西がリード。
試合は6回からマウンドに上がった鎮西エースの平山君による逃げ切りかと思われた。

しかし、8回に悲劇が起こった。
濟々黌の先頭打者が頭部死球。
打者は一瞬よろめきうずくまった。そして担架で運び出された。

ボクはそれを見て思い出した。
今夏季大会の前哨戦となるNHK旗?大会の熊工VS鎮西戦で、平山君の放った死球で全治2ヶ月の重症を負った選手がいたことを。

死球を浴びた濟々黌打者は大事に至らなかったようだった。
だけど、平山君は、その後投球フォームを完全に崩してしまった。
加えて、野手達の集中力が・・・、


逆に、これを好機と捉えた濟々黌打撃手達は、「死球の構え」で打席に立っていた。
そして彼らは、後逸、死球、失策を誘い、平山-猪本バッテリーをダイヤモンドから追い出すことに成功した。さらに、再度マウンドに上がった東家君及び3番手の一年生投手からも加点し、気が付けば打者一巡以上の猛攻で9点を奪って試合を決定づけた。


濟々黌のここまでの勝因はナニか。
もちろん、濟々黌戦法の徹底が挙げられるだろう。
しかし、SGAオヤジも言っていたけど、強豪校の村方投手(城北高校)対策ではないだろうか。
城北は今春選抜出場校だ。
強豪高は打倒城北→村方投手(本格派投手)攻略としていたはずだ。
そこへ濟々黌の超軟投ピッチャー陣による継投作戦。


ボクは、これらの姑息?な作戦に対して鎮西の王道野球が勝ってほしいと思っていた。
濟々黌を倒しことによる精神的成長を糧にして甲子園に臨んで欲しかったのだ。
そして、熊本の宝とも言うべき立岡選手を全国デビューさせたかったのだ。


死球は怖い!?。

試合結果
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行く末について

2008-07-19 00:35:51 | 雑談の記録
今日は、野球オヤジ達と酒を酌み交わす機会があった。

野球オヤジその1
 今夏、選抜出場の城北高校に準々決勝で負けた千原台高校野球部の元保護者会長、UEDオヤジ(OZUリトルリーグ事務局長)。

野球オヤジその2
 今夏の熊本大会で準決勝に駒を進めた秀岳館高校の4番打者保護者のYMZオヤジ(YTSリトルリーグ事務局長)。

野球オヤジその3
 唱害者のSGAオヤジ(KMリトルリーグ事務局長?)。

・・・・・・野球はオモシロイ!。
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仕切り直し

2008-07-18 17:53:25 | 雑談の記録
時刻は午後2時を過ぎていた。

準々決勝の九州学院VS専大玉名戦の速報が、延長14回の末、専大玉名のサヨナラ伝えていた。

次試合は鎮西VS済々黌。

ボクは、ちょっと用事があると言って事務所を出た。
バイクで藤崎台球場に向かった。

しかし、途中で絨毯爆撃のような大雨に遭遇。
「こりゃ、ダメだ」と思い、会社へ引き返した。

鎮西VS済々黌の試合は中止。

仕切り直しなのである。
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全力疾走の効用

2008-07-17 18:08:25 | 雑談の記録
全国津々浦々で、甲子園出場に向けた熱い戦いが繰り広げられていることと思う。

その熱い戦いを、今年はまだ一度も生観戦していないと言ってしまえばそれはウソになるかもしれないけど、見てないに等しいことに違いはない。

そーゆーワケで、明日の準々決勝の鎮西VS済々黌の試合は是非見に行きたいと思っている今日この頃なのである。

話しはかわるげど、昨日の試合で済々黌(ノーシード)は春季大会で準優勝だった熊商(シード)を見事破ったワケだけど、いわゆる伝統の済々黌戦法がハマちゃった戦いだったと評しておきたい。
要するにバント戦法なんだけどね・・・・、まぁ、機動力野球なんて言えば響きがいいかもしれないけど、足が速い選手が揃ってるわけじゃぁないし・・・
しかし、済々黌野球の目玉が全力疾走であることを忘れてはならない。
おそらく、攻守交代の早さは熊本県No.1。
それともうひとつNo.1がある。
試合とは関係のないボールボーイの全力疾走。
これは間違いない。

明日の見所は、済々黌の陽動作戦が、ドラフト呼び声高いスター選手(平山、立岡、猪本)を擁する鎮西相手にどこまで通用するかだろう。
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試験結果は?

2008-07-10 17:41:03 | 雑談の記録
それで、みなさん「イケイケお色気試験」の結果はいかがだったでしょうか。

ボクの結果はいつもサイテーです。

ボクの場合、視界の中心付近になるまで色の判定ができないです。明暗は判るけど、視界の外側では色の判別ができないです。ホントーです。
だけどフシギなことに、視界の中心から外側に向かっていく車の色は視界から消えるまで判っているのです。

要するに、視界の中心付近で何色か判った後は、脳が勝手に着色してくれてるって、そういことなのかもしれないと思うのです。

だから、そのぉ、なんですか、実際のところ、我々(ボクたけ?)は、自分たちが「見えてる」と思っているようには見えてないって、そういうことなんじゃないのかなって思うのです。


信号待ちで止まっていた車が動き出しました。
すると当然、ホイールが回転を始めます。最初はユックリなのでホイールの模様はよく判るけど、回転が速くなるとある時点からその模様が判らなくなるってことは、誰でも経験していることだと思う。

模様がわかんなくなる回転の速さがどのくらいかボクにはわかんないけど、おそらく、わかんなくなる回転の速さってのが、視神経伝達スピードの限界点なのかもしれないって思ってしまうから仕方がないのだ。

ボクらが今見てると思っている現実は、厳密に言えば、過去なんだと思う。
どのくらい過去かっていうと1/100秒くらいじゃないのかなって勝手に思っている。
なんでかっていうと、1/1000秒にこだわる人っていないじゃん。
スポーツのスピード競技における記録表示ってほとんどが1/100秒なんだけど、論理的じゃないけど、たぶん、そういうことなんだと思う。

ボクらは結構いいかげんな生き物なんだと思う。
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イケイケお色気試験

2008-07-09 11:25:59 | 雑談の記録
最近、「見る」ということについて考えているんだけど・・・、そのぉ・・、ボクらが見てる世界っていうか、見てると感じてる世界ってのは、はたして、現実の世界なのかってことなのである。

子供の頃、疑問に思ったことがある。
赤いリンゴが目の前にあったとする。ボクはそのリンゴの色は赤いと思っているけど、それは他人が思っている赤色と同じなのかなって・・・・、そんなことを思った人は多いはずだ。

こないだある読んだ本の中に、人間の目はかなりいい加減で、そのいい加減な部分を脳が勝手に処理しちゃって現実っぽくしてるんだよってくだりがあったようななかったような・・・・。

それで、こんな実験を自分で試してみた。
カンタンな実験だからみんなも試してもらいたい。

名付けて「イケイケお色気試験」

早い話が交通両の多い道路で車の色を当てる実験なんだけどね。
先ず、道路よりやや離れたところに立って、道路と直交するように視線を向ける。
すると、視界の左右から車が進入してくるカタチになる。
視線を真っ直ぐにした状態で、視界の中心に向かってくる車の色を判定してもらいたい。
あくまで視線は真っ直ぐの状態で・・・。
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7月5日

2008-07-08 11:08:30 | リトルリーガーの記録
7月5、6日は、08年ザバス杯九州予選を兼ねたTKU旗リトルリーグ九州大会が熊本県大津町であったわけだけど、どうにか、無事に終わった。

ウチはこの大会の主管リーグだったから、この2ヶ月はいろんな準備で大変だった。
一番大変だったのは保護者会長兼事務局代理のSGAオヤジ&ママだったと思う。
お疲れさまでした。

ボクは副という立場で、大会冊子作成と開会・閉会式の担当だった。
大会の前日は多くの保護者が休暇をとり、会場設営にあたった。
あんまり知られていないと思うけど、リトルリーグの公式試合のときは、防球ネットを使ってグランド(外野フェンスとボールデッドライン)全てにフェンスを張らなくちゃなんないのだ。4コートのフェンス類は、4tトラック一杯分に相当するんだ。
大会の前日は蒸し暑いのなんのって、オヤジ達はセットハンマー片手に汗だくになりが設営するんだけど、手を抜いて弛みなんかがあると、SGAオヤジの容赦無いやり直しコールがグランドに響いちゃったりして、吹きだしてた汗が一変に引いちゃうあんばいで、そりゃぁ大変だったのだ。
そういうワケで、前日の準備は暗くなる前の午後7時に終了、翌日は6時半に集合ということになった。


翌日、大会当日の朝だけど、グランド到着と同時に激しい雨。
グランドが瞬く間に水浸しになった。にわか雨だったけど、開催が危ぶまれるグランド状況になった。
雨は7時半頃まで断続的に続いていて、SGAオヤジは、雨天時の開会式に備えてMRO小学校の体育館の準備の指示をボクに出した。
レーダーを見るとそれ以上の雨の心配はなさそうだったから、このまま決行しちゃえって思ってたけど、決定権は連盟の理事長にあるらしくって、そのどちらにもスグに対応できるように準備してくれってのがSGAオヤジの本意だった。

当然、雨も想定していて1ヶ月前からMRO小学校の体育館を押さえていた。前日も学校に出向いて体育館の使用方法を習っていたけど、前日の天気予報は晴れ。
「ま、使いことはないだろ」と高をくくっていたことを後悔した。
MRO小までは車で7分くらいの距離だけど、ちょっとした田舎の山道みたいな部分もあったりして、案内役の配置が必要だった。加えて体育館の中の設営もやんなくちゃいけなかった。

雨に備えての準備が完了し、8時ちょっと前に駐車場に着いて、それからグランドに向かって小走りしていたら、OZU中学校の吹奏楽部が到着してるから急いでくれって連絡が入った。そして、開会式はグランドでやることになったとの連絡もあった。
「わかった!」

OZU中学校の吹奏楽部には開会式のBGM(入場行進、優勝旗返還、国旗掲揚)をお願いしていた。
総勢30数名の大所帯。率いるのは県吹奏楽連盟事務局長のAKH先生。
AKH先生とは、今回のことで何度か会っていたりして、打ち解けた関係になっていた。
ちょっとした冗談の中にも「まぁ、聴いてみなさいよ」っていう自信の程が、なんとも頼もしかった。
実はOZU中の力がどのくらいのものかと思い、こっそり練習を見学していたから、その実力は十分知っていたからなんの心配もなかったのだけれど、やっぱり彼等が専門としているマーチングが良かったかなぁなぁんて思ったりした。音を聞いたまわり人の意見もそうだったけど、マーチングとなれば打ち合わせ回数の増大や現場リハもってことになるし・・・、だから通常演奏をお願いしたとそういうことなのだ。
また、開会式の司会は福岡ヤフードームのソフトバンク戦で場内アナウンスをやってるプロにお願いしてたりして、だから、当然、開会式は成功だったのである。
開会式のあと、連盟の理事長が関係者の各人にお辞儀をして回っていたのが印象深かった。

さて、さて、我がKMリーグの成績はどうだったかと言えば・・・・、
2回戦敗退だった。

ボクは、別会場のグランド係りだったから1回戦を見ることができなかった。
2回戦は最終回しか見れなかった。
だから、どんな戦いぶりだったかワカンナイのである。
でも負けは負けで、その負けちゃった日は、ソフトバンクホークスが9年ぶり7連敗した日で、熊工が8年ぶりで夏の地方予選で初戦敗退した日で、オマケにOZUリーグが全国大会で負けた日だったのだ。

だからナンナンダってことなんだけど、7月5日は応援しているチームが全て負けちゃった日で、しかも、その日の夜からボクは発熱しちゃって、アレヨアレマアラララだったのである。

なお、本大会の優勝リーグは、2回戦で我がKMリーグを倒して波に乗りまくった長崎のNGHリーグだった。
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