全く恥ずかしい話しですが、前回のブログで話したMRI像での「異常無し」は間違いでした。
実は、先週の水曜日にMRI撮影ということで、母(愚息にとって祖母)に頼んで病院に連れてってもらったのですが、手違いで予約ができておらず、その病院では初診であったためレントゲン撮影のみ。
そして、翌日、MIR撮影だったのですが、主治医のGTOJr先生は当番医ではなかったため、診断は次の水曜日ということになった。
そのとき、付き添いで行っていたのは祖母だったんだけど、ほとんど説明を受けておらず、「踵にフクロみたいのがあったみたいだけど、別の先生が言うには、これは大丈夫みたいなことだったのよね・・・」
しかし、それは、治療や手術をすれば大丈夫という意味だったみたい。
母の説明だけだったから、ボクはてっきり異常はないものと思い込んでいたのでした。
昨日(水曜日)は、ボクもカミさんも休みをとって病院に行きました。
診察室に入ると、大きい液晶画面にはMRI像のビュアーソフトが既に立ち上がっていました。GTOJr先生がボクたちに遅れて恐縮しながら入ってきました。
GTOJr先生は、うちの実父の親友の息子さんで子供のころ一緒に遊んだことがあるし、数年前はボクの頸椎捻挫を診てもらったことがあります。歳はぼくより3つくらい上なんだけど、独身時代が長く、見た目はボクより相当若い。しかもカッコイイ。難を言えば、ちょっと線が細いかなというくらいだけど、それがかえってナイーブさやシリアスさを醸し出していて、その細めの肩に乗った小顔は、田村正和を若くして、さらにカワイクしたかんじ・・・。・・・・・・コイに落ちそう・・・。
・・ドキドキ、ハァハァ・・イヤイヤ、ま~ま~、白衣のお医者さんの話しはそのくらいにして、本題に入りたいと思います。
触診の結果からはやはり踵骨の骨端症が疑われ、レントゲン像やMRI像では判別できない程度のものと診断されました。
しかし、痛みが強い左踵の骨の中には・・・・・
直径2cm程度の空洞のようなものが、はっきり、くっきり、明瞭に映っていました。
「・・・・コツノウシュですね・・・」
GTOJr先生はビュワーソフトを使って様々な角度で切ったMRIの断面像を見せてくれた。
そしてGTOJr先生は、額に汗をかきながら、説明してくれました。
一生懸命わかりやすく説明しようとするのですが、どうしても難しい方向にいってしまい、それをなんとか軌道修正しようと奮闘するGTOJr先生の姿がとてもいじらしく感じられました。
先生の説明が終わったあと、ボクが理解できたことを簡潔に話してみました。
「そのとおりです。」
先生はメモ紙に「骨嚢腫」と書いてボクに渡してくれました。
骨膿腫に関する手術の成功例や治癒率についてまとめられた2006年の論文(日本語)も準備してくれていました。
そして、最後に、
「あの内川選手も、同じ病気で、高校時代に3回手術しているそうです・・・、ネットで調べました・・・」
愚息の今季の活躍はもうあり得ないと思います。
なんとなく、こういうことが起こるのではないのかとずっと予感していました。
というか、期待していたかもしれません。
この5年間、愚息は大車輪の活躍でした。
野球や陸上の県大会や九州大会でとった優勝メダルは10個以上。人権擁護の標語も熊本市から最優秀賞を頂きました。そして、新チームでの背番号は「1」。
今月12、13日に福岡県宗像市で行われた連盟の春季大会、1回戦。
愚息は5-3リードで迎えた最終回、ノーアウト満塁のピンチでピッチャーマウンドに立ちました。
ここで抑えることができればホンモノと思いました。チームのことを考えれば、愚息を応援するのは当然です。声では応援していました。
しかし、ボクの心は・・・・、
「打たれろ、オマエに必要なのは、負けることだ、本当の挫折を味わうことだ・・・」
この試合に関してはチームや監督に迷惑をかけることになるかもしれない、だけど・・・。
ボクは非情な人間です。
エラー絡みに2四球。結局5-6で逆転負け。翌日から踵痛の再発。
そして現在進行中のチームの危機。
甲子園では、センバツが行われています。
大震災があり、開催そのものについて議論があったようですが、あの華々しい甲子園のグランドに立った選手や保護者の多くは、いろんな困難を乗り越えてきているはずです。
そして、そこには様々な涙が流れているはずだと、そう思っています。
30歳になろうとする頃、ボクは鬱病を患い自殺も図り病院に運ばれたこともありました。
数年がたち、鬱病の原因となったていたのは子供の頃負った心のキズであることがわかりました。そのキズを覆い隠そうと、無我夢中でつっ走っていた10代後半から20代。
鬱病を発症したとき、ボクは絶望の中にいました。
郷里に戻ったもののカミさんや子供とは別居。
しかし、ボクが治ることを信じてくれていたカミさんや父と母。
ボクは幸せ者です。
どんな困難が押し寄せようとも、どんな困難を背負わせられようとも、ボクは感謝しなければならない立場にいます。
だって、「生きている」から。
生きる意味をずいぶん考えたことがあります。ある人は、生きる意味を考え続けることが生きる意味だと言います。ですが、ボクは生きることの意味は「生きること」と思っています。
今、ボクが抱えている困難なんて被災された方々のそれに比べれば、歯牙にもかからないちっぽけなものです。言葉にすると、全てが軽く虚ろなものになってしまうのが凄く悲しいのですが・・・、
みなさんのこと、信じてます。
ありがとう。
実は、先週の水曜日にMRI撮影ということで、母(愚息にとって祖母)に頼んで病院に連れてってもらったのですが、手違いで予約ができておらず、その病院では初診であったためレントゲン撮影のみ。
そして、翌日、MIR撮影だったのですが、主治医のGTOJr先生は当番医ではなかったため、診断は次の水曜日ということになった。
そのとき、付き添いで行っていたのは祖母だったんだけど、ほとんど説明を受けておらず、「踵にフクロみたいのがあったみたいだけど、別の先生が言うには、これは大丈夫みたいなことだったのよね・・・」
しかし、それは、治療や手術をすれば大丈夫という意味だったみたい。
母の説明だけだったから、ボクはてっきり異常はないものと思い込んでいたのでした。
昨日(水曜日)は、ボクもカミさんも休みをとって病院に行きました。
診察室に入ると、大きい液晶画面にはMRI像のビュアーソフトが既に立ち上がっていました。GTOJr先生がボクたちに遅れて恐縮しながら入ってきました。
GTOJr先生は、うちの実父の親友の息子さんで子供のころ一緒に遊んだことがあるし、数年前はボクの頸椎捻挫を診てもらったことがあります。歳はぼくより3つくらい上なんだけど、独身時代が長く、見た目はボクより相当若い。しかもカッコイイ。難を言えば、ちょっと線が細いかなというくらいだけど、それがかえってナイーブさやシリアスさを醸し出していて、その細めの肩に乗った小顔は、田村正和を若くして、さらにカワイクしたかんじ・・・。・・・・・・コイに落ちそう・・・。
・・ドキドキ、ハァハァ・・イヤイヤ、ま~ま~、白衣のお医者さんの話しはそのくらいにして、本題に入りたいと思います。
触診の結果からはやはり踵骨の骨端症が疑われ、レントゲン像やMRI像では判別できない程度のものと診断されました。
しかし、痛みが強い左踵の骨の中には・・・・・
直径2cm程度の空洞のようなものが、はっきり、くっきり、明瞭に映っていました。
「・・・・コツノウシュですね・・・」
GTOJr先生はビュワーソフトを使って様々な角度で切ったMRIの断面像を見せてくれた。
そしてGTOJr先生は、額に汗をかきながら、説明してくれました。
一生懸命わかりやすく説明しようとするのですが、どうしても難しい方向にいってしまい、それをなんとか軌道修正しようと奮闘するGTOJr先生の姿がとてもいじらしく感じられました。
先生の説明が終わったあと、ボクが理解できたことを簡潔に話してみました。
「そのとおりです。」
先生はメモ紙に「骨嚢腫」と書いてボクに渡してくれました。
骨膿腫に関する手術の成功例や治癒率についてまとめられた2006年の論文(日本語)も準備してくれていました。
そして、最後に、
「あの内川選手も、同じ病気で、高校時代に3回手術しているそうです・・・、ネットで調べました・・・」
愚息の今季の活躍はもうあり得ないと思います。
なんとなく、こういうことが起こるのではないのかとずっと予感していました。
というか、期待していたかもしれません。
この5年間、愚息は大車輪の活躍でした。
野球や陸上の県大会や九州大会でとった優勝メダルは10個以上。人権擁護の標語も熊本市から最優秀賞を頂きました。そして、新チームでの背番号は「1」。
今月12、13日に福岡県宗像市で行われた連盟の春季大会、1回戦。
愚息は5-3リードで迎えた最終回、ノーアウト満塁のピンチでピッチャーマウンドに立ちました。
ここで抑えることができればホンモノと思いました。チームのことを考えれば、愚息を応援するのは当然です。声では応援していました。
しかし、ボクの心は・・・・、
「打たれろ、オマエに必要なのは、負けることだ、本当の挫折を味わうことだ・・・」
この試合に関してはチームや監督に迷惑をかけることになるかもしれない、だけど・・・。
ボクは非情な人間です。
エラー絡みに2四球。結局5-6で逆転負け。翌日から踵痛の再発。
そして現在進行中のチームの危機。
甲子園では、センバツが行われています。
大震災があり、開催そのものについて議論があったようですが、あの華々しい甲子園のグランドに立った選手や保護者の多くは、いろんな困難を乗り越えてきているはずです。
そして、そこには様々な涙が流れているはずだと、そう思っています。
30歳になろうとする頃、ボクは鬱病を患い自殺も図り病院に運ばれたこともありました。
数年がたち、鬱病の原因となったていたのは子供の頃負った心のキズであることがわかりました。そのキズを覆い隠そうと、無我夢中でつっ走っていた10代後半から20代。
鬱病を発症したとき、ボクは絶望の中にいました。
郷里に戻ったもののカミさんや子供とは別居。
しかし、ボクが治ることを信じてくれていたカミさんや父と母。
ボクは幸せ者です。
どんな困難が押し寄せようとも、どんな困難を背負わせられようとも、ボクは感謝しなければならない立場にいます。
だって、「生きている」から。
生きる意味をずいぶん考えたことがあります。ある人は、生きる意味を考え続けることが生きる意味だと言います。ですが、ボクは生きることの意味は「生きること」と思っています。
今、ボクが抱えている困難なんて被災された方々のそれに比べれば、歯牙にもかからないちっぽけなものです。言葉にすると、全てが軽く虚ろなものになってしまうのが凄く悲しいのですが・・・、
みなさんのこと、信じてます。
ありがとう。