昨日、愚息の中学硬式野球が(ボーイズリーグ)終わった。
鹿児島で行われたフレッシュリーグの招待試合、三回戦が最後のゲームとなった。1-0の完封負け。相手は福岡のチームで左投手は注目選手のようだった。甲子園常連校の監督さんがその投手をめあてに来場していた。そんな好投手を相手に愚息は2三振。これが、中学野球最後の成績だ。まぁ、そんなもんだろう。
とにかく、愚息はこの三年間、怪我がホントに多かった!
中学入学前に右肘のケガで3ヶ月間ノースロー。その後、新チームに入ってレギュラー獲得も、デビューすぐの試合で死球による右足腓骨の骨折。
秋に復活するも、年が明ける頃にはダイビングキャッチで腰椎分離を発症。3ヶ月のコルセット生活で完全復帰には4~5ヶ月を要した。いよいよ最後のシーズンとなり秋までは好調子だったが、暮頃から原因不明の手首痛を発症し、そして、最後は、やはり腰椎分離症に関連した強度の腰痛による緊急入院。突然の痛みで歩行困難となり救急車での搬送だった。それが、今年の2月の末だった。
腰のCT画像や本人の状態から、「終わった」と思ったのは事実だ。
退院した夜、それまで平静を装っていた愚息が、ボロボロと泣き出した。もう、自分はどうなるかわからない、不安で不安で仕方がない、そんなことを訴えながら数時間、愚息は泣き続けた。
私だって泣きたかった。カミさんはチームの事務局兼婦人部長、私は保護者副会長という立場で苦労も多かった。なんで、こんなことに!グチの一つや二つもこぼしたかった。
しかし、泣きじゃくる愚息を見ながら思ったことは、「俺たちが、野球で学んだことは、最後まで諦めないってことだろ。」
復活までの過程については、改めて記録するつもりなのでここでは省略するが、6月の全国大会の地区予選には8番ライトでスタメン出場を果たした。愚息の復帰とともにチームも上昇気流乗ったかのようにそこそこの成績を収めることができた。
練習試合では柵越えも放ち、本戦では長打2本を含む3打数3安打も記録するなど、周囲に完全復活を印象付けた。
そして、昨日の3回戦が最後のゲームとなった。
試合終了後、保護者の前に並んだ3年生選手の多くは泣き顔だった。キャプテンが涙声でお礼の挨拶をすると保護者の多くも目頭を押さえた。
しかし、不思議と自分は冷静だった。愚息もそのような様子で破顔している雰囲気すらあった。
夜は家族で近所の居酒屋に行った。
焼き鳥のクシを頬張りながら愚息が言った。
「三年後の今日は、オレはまだ甲子園に残ってるよ」
今回の大会では高校用のバットを使っていた。
そう、我々の目標は甲子園優勝なのだ。
「遼太郎、もし、お前が甲子園に行ったら、そんときは、応援バス一台くらいはチャーターするけんね、そんくらいせんと今まで世話んなった人達へのお礼にならんど!」
私は、ジョッキを煽った。
「アタシは、新幹線でイクけん」
鉄道好きのカミさんの主張だった
鹿児島で行われたフレッシュリーグの招待試合、三回戦が最後のゲームとなった。1-0の完封負け。相手は福岡のチームで左投手は注目選手のようだった。甲子園常連校の監督さんがその投手をめあてに来場していた。そんな好投手を相手に愚息は2三振。これが、中学野球最後の成績だ。まぁ、そんなもんだろう。
とにかく、愚息はこの三年間、怪我がホントに多かった!
中学入学前に右肘のケガで3ヶ月間ノースロー。その後、新チームに入ってレギュラー獲得も、デビューすぐの試合で死球による右足腓骨の骨折。
秋に復活するも、年が明ける頃にはダイビングキャッチで腰椎分離を発症。3ヶ月のコルセット生活で完全復帰には4~5ヶ月を要した。いよいよ最後のシーズンとなり秋までは好調子だったが、暮頃から原因不明の手首痛を発症し、そして、最後は、やはり腰椎分離症に関連した強度の腰痛による緊急入院。突然の痛みで歩行困難となり救急車での搬送だった。それが、今年の2月の末だった。
腰のCT画像や本人の状態から、「終わった」と思ったのは事実だ。
退院した夜、それまで平静を装っていた愚息が、ボロボロと泣き出した。もう、自分はどうなるかわからない、不安で不安で仕方がない、そんなことを訴えながら数時間、愚息は泣き続けた。
私だって泣きたかった。カミさんはチームの事務局兼婦人部長、私は保護者副会長という立場で苦労も多かった。なんで、こんなことに!グチの一つや二つもこぼしたかった。
しかし、泣きじゃくる愚息を見ながら思ったことは、「俺たちが、野球で学んだことは、最後まで諦めないってことだろ。」
復活までの過程については、改めて記録するつもりなのでここでは省略するが、6月の全国大会の地区予選には8番ライトでスタメン出場を果たした。愚息の復帰とともにチームも上昇気流乗ったかのようにそこそこの成績を収めることができた。
練習試合では柵越えも放ち、本戦では長打2本を含む3打数3安打も記録するなど、周囲に完全復活を印象付けた。
そして、昨日の3回戦が最後のゲームとなった。
試合終了後、保護者の前に並んだ3年生選手の多くは泣き顔だった。キャプテンが涙声でお礼の挨拶をすると保護者の多くも目頭を押さえた。
しかし、不思議と自分は冷静だった。愚息もそのような様子で破顔している雰囲気すらあった。
夜は家族で近所の居酒屋に行った。
焼き鳥のクシを頬張りながら愚息が言った。
「三年後の今日は、オレはまだ甲子園に残ってるよ」
今回の大会では高校用のバットを使っていた。
そう、我々の目標は甲子園優勝なのだ。
「遼太郎、もし、お前が甲子園に行ったら、そんときは、応援バス一台くらいはチャーターするけんね、そんくらいせんと今まで世話んなった人達へのお礼にならんど!」
私は、ジョッキを煽った。
「アタシは、新幹線でイクけん」
鉄道好きのカミさんの主張だった