1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

中学硬式野球 終了

2014-08-25 23:18:27 | 中学硬式野球の記録
昨日、愚息の中学硬式野球が(ボーイズリーグ)終わった。
鹿児島で行われたフレッシュリーグの招待試合、三回戦が最後のゲームとなった。1-0の完封負け。相手は福岡のチームで左投手は注目選手のようだった。甲子園常連校の監督さんがその投手をめあてに来場していた。そんな好投手を相手に愚息は2三振。これが、中学野球最後の成績だ。まぁ、そんなもんだろう。

とにかく、愚息はこの三年間、怪我がホントに多かった!
中学入学前に右肘のケガで3ヶ月間ノースロー。その後、新チームに入ってレギュラー獲得も、デビューすぐの試合で死球による右足腓骨の骨折。
秋に復活するも、年が明ける頃にはダイビングキャッチで腰椎分離を発症。3ヶ月のコルセット生活で完全復帰には4~5ヶ月を要した。いよいよ最後のシーズンとなり秋までは好調子だったが、暮頃から原因不明の手首痛を発症し、そして、最後は、やはり腰椎分離症に関連した強度の腰痛による緊急入院。突然の痛みで歩行困難となり救急車での搬送だった。それが、今年の2月の末だった。
腰のCT画像や本人の状態から、「終わった」と思ったのは事実だ。
退院した夜、それまで平静を装っていた愚息が、ボロボロと泣き出した。もう、自分はどうなるかわからない、不安で不安で仕方がない、そんなことを訴えながら数時間、愚息は泣き続けた。
私だって泣きたかった。カミさんはチームの事務局兼婦人部長、私は保護者副会長という立場で苦労も多かった。なんで、こんなことに!グチの一つや二つもこぼしたかった。
しかし、泣きじゃくる愚息を見ながら思ったことは、「俺たちが、野球で学んだことは、最後まで諦めないってことだろ。」
復活までの過程については、改めて記録するつもりなのでここでは省略するが、6月の全国大会の地区予選には8番ライトでスタメン出場を果たした。愚息の復帰とともにチームも上昇気流乗ったかのようにそこそこの成績を収めることができた。
練習試合では柵越えも放ち、本戦では長打2本を含む3打数3安打も記録するなど、周囲に完全復活を印象付けた。

そして、昨日の3回戦が最後のゲームとなった。

試合終了後、保護者の前に並んだ3年生選手の多くは泣き顔だった。キャプテンが涙声でお礼の挨拶をすると保護者の多くも目頭を押さえた。

しかし、不思議と自分は冷静だった。愚息もそのような様子で破顔している雰囲気すらあった。

夜は家族で近所の居酒屋に行った。
焼き鳥のクシを頬張りながら愚息が言った。
「三年後の今日は、オレはまだ甲子園に残ってるよ」
今回の大会では高校用のバットを使っていた。
そう、我々の目標は甲子園優勝なのだ。

「遼太郎、もし、お前が甲子園に行ったら、そんときは、応援バス一台くらいはチャーターするけんね、そんくらいせんと今まで世話んなった人達へのお礼にならんど!」
私は、ジョッキを煽った。

「アタシは、新幹線でイクけん」
鉄道好きのカミさんの主張だった
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ダブル受賞

2012-11-20 23:53:20 | 中学硬式野球の記録
更新が滞りがちになってるバカブログですが、毎日、多くの方にご訪問頂き感謝でございます。ありがとうございます。

さて、18日の日曜日は大阪城ホールに日帰りで行ってきましたが、午後からの開場時間まで時間があったので、隣の野球場でボーイズリーグ(小学生の硬式野球)の試合を観戦しました。

小学生の野球とは言え、こんな大都会のど真ん中で硬式野球ができるなんて、さすが硬式野球の先進都市だと思いました。

なんちゃって政令指定都市の熊本市なんか市営の野球場では「硬式球使用禁止」ですからね!

さて、話は変わりますが、熊工吹奏楽部の全国大会の結果はどうだったかっていうと・・・、

「金賞」でした。おめでとうございます!

ただ、全国約20校のマーチングを観ましたが、やっぱり大阪桐蔭は凄かった!。

今夏の甲子園、済々黌VS大阪桐蔭戦で、ボクは三塁側のアルプスから大阪桐蔭の応援をチェックしていたのだけれど、野球も凄いが吹奏楽部もこりゃ凄いぞと思っていて、だから大阪桐蔭のマーチングには凄く期待していたのでした。
「凄い」を連発しているけど、ホントに凄かったんだから!
12月22日にCSで放送が予定されているらしいので、読者諸兄には是非見てもらいたいものです!

さて、話は変わりますが、この大会の同日、熊本ではボーイズリーグの熊本秋季大会の準決勝、決勝が行われていて、息子のチームの結果はどうだったかっていうと・・・、

「優勝」でした。おめでとうございます!

この大会では、愚息は9番レフトでスタメンを果たしたとか・・・。
しかし、それはレギュラーの3人が故障・怪我だったからで・・・。

途中交代はあったものの2試合で6打数2安打だったとか・・・・。
一試合目は2打点、二試合目は先制ホームを踏む右中間二塁打を放ったとか・・・。
しかし、2試合目のダメ押し機会となる二死満塁の場面では二飛だったとか・・・。

「力んでしまった」
「追い込まれとったとや?」
「うんにゃ、ファーストストライクだった」
「んなら進歩たい」

ここ最近、ファーストストライクを見逃してしまった結果、カウントを悪くして変化球で三振や打ち取られることが多く、次の大会ではそれを修正しようというのが課題だったんです。

また、次の課題が見えてきました。
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耕太郎VS遼太郎

2012-11-12 23:00:30 | 中学硬式野球の記録
一流が二流の相手をしたら格が下がってしまうんで、そういうことは極力避けるべきと思う今日このごろ皆さん如何お過ごしですか。

しかし、場合によってはソレらを「比較」することで一流はさらに輝きを増し、二流はソレナリの妥協や納得を得るのに役に立つと思う今日このごろだったりするのである。





さっそく、本題に入っていこうと思う。

比較のため、横と正面から撮った投球フォームの連続写真を載せたのだけれど、上が一流で下が二流。
一流は、今季、甲子園出場を果たし春の選抜出場が濃厚となった済々黌の投手(大竹耕太郎:身長182cm、高校2年生)。
二流は、今季、ボーイズリーグのチームに入った全く無名の控え選手(愚息:身長159cm、中学1年生)。
ちなみに、これらの連続画像は1秒間で40枚連写された画像をつなぎ合わせたもので、一流と二流は全く同じコマ数となっている。横からの画像は何枚か省いているから時間にすると0.55秒。一方、正面からのものは省きが無いから0.35秒。
左のスリークォーターと右のオーバーハンドの違いはあるけど、頚反射を使って同じタイミングで投げているところを見ると「いいねぇ」と言えるかもしれない。
だけど、踏み込んだ足に注目すると、二流選手のソレはブレているのがよ~くわかる。
つまり、それはどういうことかというと、踏み込んだ足の着地が踵から始まり、次に内側親指の付け根になり順次外側に向かっていくという次第なのだ。だから膝の位置も内側から段々と外側に流れてってしまっている。これじゃぁ良い球は投げられない。

そこで、踏み込むまでの状態について比較してみると(0.25秒)・・・・



一流選手はつま先から、・・・「オネェ」のような内股でソッと
二流選手は踵から、・・・「オッサン」のような蟹股でバッと

大竹投手にインタビューしてみました!(妄想)
「あのぉ~、踏み込んだときの足って、どんな意識でやってるんですか?」
「そぉですねぇ~、やっぱり指全体で地面をしっかりつかまえるというか、ひっかくというかそんなかんじで、体を前へ出すという識が強いかもしれませんね・・・」
「なるほどぉ~、ところで、九州地区高校野球では準優勝おめでとうございました。いよいよ次はセンバツですね!」
「いやぁ、まだ決まったワケじゃぁ・・・」
「決まりですよッ!、今後の抱負を聞かせて下さいッ!。」
「・・・そんないきなり抱負だなんて・・・、自分にはまだ課題が残っていますから・・」
「高校野球ファンは大竹投手の声を望んでいます!」
「・・・自分は一学生にしか過ぎませんし、これからも真摯に取り組んでいくとしか・・・」
「・・・それで十分です、これからも頑張って下さい、部員の皆さんにもヨロシクお伝えください・・・」
「・・あ、ハイ・・・」

大竹投手と話してみたいなぁ~~。
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バロメーター

2012-09-23 10:10:34 | 中学硬式野球の記録
終わってみれば、6回時間切れ11-6のコールド負け。11月、沖縄県で行われる九州大会出場の夢は1回戦で潰えてしまった。

前回大会では、隣県の強豪・名門チームに次々に勝利しベスト4。
しかし、今回は中盤までに4点リードするも、2番手、3番手投手の大乱調で終盤にビッグイニングを相手チームに献上。

息子は、6回表に先頭代打者で四球を選んで出塁。
次打者の9番の俊足選手は送りバント。投手の悪送球を誘って無死一二塁。
1番に戻って、エンドラン?。右前で果敢にホームを突き、タッグをくぐり抜け生還。
しかし、一矢報いたものの反撃はここまでだった。

当落線上にある息子は「活躍」したのだろうか?
否である。

早朝、我がチームはグランドで1時間ほどの打撃練習を行った。
バッティングピッチャーが投げる緩い球を打つ、それだけの練習。

こういうとき、レギュラーの当落線上にある選手は、チーム貢献のために、何をやり、何をアピールすべきなのか・・・。

試合当日、ボクは息子に応援以外の声をかけないと決めている。昔からだ。
しかし、昨日は練習中の散漫プレーについて我慢ならなかった。
グランドから球場へ向かう車中で言ってしまった。
「オマエ、野球辞めてもええぞ!、オレは野球が好きばい、見るのも好き、応援するのもすきたい、ばってん、本気でやっとらんヤツの野球はいっちょんスカン、オマエんごったっヤツの応援すっとは時間のムダだん!」
後の1時間弱はずっと沈黙だった。

試合前だから、敢えて言わなかったが、当落線上にある選手の状態がチームのバロメーターであることはよく知られている。それは、どの組織においてもそうだ。

夕刻、試合会場で現地解散となったが、ボクと息子はパークドームに向かった。
気持ちは気持ちで切り替えることはできない。
これは脳科学の分野でも明らかになっている。
身体を動かして切り替えるしかないのだ。

息子は14キロ走り、ボクは5キロ走った。
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喉炎上!!

2012-09-10 08:27:30 | 中学硬式野球の記録
スポーツの秋とはほど遠いような暑さが続いていますが、みなさん如何お過ごしですか!

声が出ません!
ノドをやってしまいました!。

今、こんなかんじです。
「ぉぁ・・・・・・・」(オハヨウゴザイマス)
リアル口パクです。

新チームになって最初の大会が8、9日にありました。

息子はようやく骨折が治り先週から練習復帰し、今大会は主にサードランコー。
準決勝戦の延長戦に入り、代打の切札?として監督に準備を告げられるも打順は回らず、その裏、逆転サヨナラ負けを喫してしまいました。

しかし、九州北部地区の32チームが集まった大会でベスト4入りは見事!。

応援に熱が入り過ぎました。
土日で合計4試合、燃えました!。
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夏休み取得のヒケツ!?

2012-08-07 19:08:14 | 中学硬式野球の記録
先週末の大会で、死球を受けた息子。

翌日、腫れは引いたものの、ビッコ歩行。
体重をかけると疼痛発生。

週明けの昨日、祖父に連れられて病院へ。

全治一ヶ月の骨損傷。
要するに、骨にヒビが入ってたってことです。

脛のホネは、内側の太い脛骨と外側の細い腓骨のセットでできていますが、損傷したのは、外側の腓骨の上部付け根部分。
「腓骨」→「ヒコツ」と読みます。

X線画像で、ピシッとヒビのラインが見えたそうです。

そういうワケで息子の「夏休み」がスタートしました!。

あまりの猛練習に、「早く夏休みおわらんかなぁ」と、一時弱音を吐いておりました。

死球前の息子
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世の中そんなに甘くない!

2012-08-04 23:29:09 | 中学硬式野球の記録

中学硬式野球、公式戦2戦目。

前日の初戦、8番セカンドで先発出場を果たした息子は、今日も先発出場だった。

2回裏二死走者無しの場面で打順が回ってきた。

相手投手は身長185cmの本格右腕。

セーフティバントをちらつかせて揺さぶる息子。

3球目、130キロ弱の直球が息子を襲った。

右ひざ下付近に直撃。

一塁に向かって歩き始めるも、数歩進んだところでうずくまってしまった。

3年生の先輩選手に背負われてベンチに・・・負傷交代となった。

次打者の3年生が長打を放ち、代走の俊足1年生選手が本塁を落としいれた。

残念ながら、チームは負けてしまった。

しかし、ここからがスタートなのだ。


画像は藤崎台県営野球場ブログから拝借!
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その心意気が・・・・・。

2012-07-28 17:16:26 | 中学硬式野球の記録
最後に息子のことを記録したのはGW明けだった。
あれから3ヶ月が経とうとしている。

現在、息子は有明海と白川河口に面したグランドを拠点としている「ボーイズ」チームに所属している。ユニホームはグレイ縦縞。チームモットーは「本気の感謝」。
メチャメチャ気合いが入りまくっているチームだ。

当初オファーのあったチームには諸事情により入部できず、ズルズルと時間が過ぎて行った。

「お父さん、もう、どこでもええけん、はよ、連れてってくれ!」
諸事情によりドコにも連れて行くことができなかった。
待つしかなかった。

5月の土日は二人でトレーニングを続けていた。

6月になり、関係者の計らいで、現在所属のチームに体験に行くことができた。
その日はヒドイ雨で近所のホールで室内練習だった。
息子は練習の終盤にとうとうゲロを吐いて倒れた。

これはいいチームだなと思った。

「オレ、もう、ココに入るけん!」
息子は帰りの車の中でそう言った。

それから一ヶ月、4ヶ月ぶりの実戦の一打席目に結果を出した。
来期の主力組で9番セカンドだった。

先週の日曜日、法事で集まった親族同士の宴席で、息子は高らかに志望校を宣言した。
その高校が、今週、甲子園出場を決めた。

俄然やる気を出している。
来週から始まる中3年生にとって最後の大会となる試合に、本人は先発出場するつもりでいる。毎日、真っ黒になっている。
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