1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

鬱5 離人症

2007-09-06 12:07:01 | 鬱だったの記録
記録更新のネタがないから、ビョーキだったころのことを記録しておこうと思う。


朝青龍の話題の中で、「解離性障害」とか「離人症」って言葉を見聞きした人は多いと思う。
朝青龍が「解離性障害」かどうかは別にして、ボクは「離人症」になったことがある。


離人症についは、ここに詳しく書いてあるけど、「離人症」は辛かった。

離人症は現実感に乏しいことこの上ない。

ボクの場合、五感の全てに霧か煙幕かフィルターがかかったみたいな状態だった。
見えていても、それはカメラのファインダー越しの2次元の世界。
聞こえていても、それはボロイスピーカー越しの雑音の世界。
触れていても、それは分厚い手袋越しの大雑把な世界。
味覚、嗅覚は、空想で感じる世界のようだった。

ヒドイときは、体長10cmくらいのコビトになってボクのカラダの操縦席に座ってモニターを見ながらボクを操縦しているっていう感覚だった。

こんな状態が永遠に続くくらいだったら、死んだほうがマシだと強く何度も思った。
死に損なったのは運がヨカッタだけかもしれない。

だけど、「離人症」は治る。
そういうことだ。
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鬱4 聖域

2007-01-13 12:21:46 | 鬱だったの記録
次女の名前に似た,高橋 歩って1972年生まれの青年(もう,オッサン)がいる。

昔,彼と彼等の仲間にスゴク憧れていた時期(病気だった頃)がある。
今も彼等の活動はいいなぁと思っている。

熊本に帰ってくるまで,ボクは横浜の相鉄線沿いの鶴ヶ峰駅近くの社宅に住んでいた。鬱になってしばらく通っていた心療内科は,鶴ヶ峰駅の次の二俣川駅の近くだった。

ある日,症状がヒドクなり早退せざるを得なくなって,会社のビルを出て当時建設中だった丸ビルの脇を通り抜け,東京駅→横浜駅→(鶴ヶ峰駅)→二俣川駅→病院のつもりだったけど,横浜駅→終点駅で下車してしまった。
当時の終点駅の名前を思い出すことができないけど,鶴ヶ峰や二俣川に比べると明らかに田舎で,だけど,これからどんどん開発が進むんだろうと予想されるような所だった。
駅前の道路は新しく付近のビルも輝いていた。

だけど,ボクはこの町に不似合いなボロ雑巾だった。

このまま家に帰ってもカミさんや子供を心配させるだけだった。
時間を潰す必要があった。

症状がヒドクて本なんか読めないのに本屋へ入った。
活字やいろんな情報がボクに襲いかかる。
その攻撃から身を守る手段は俯くだけ。

一冊の本が目に入った。いや,逃げ場を見つけたと言ったほうがいいかもしれない。

横置きされた,流通システムを無視したような手の平サイズのその本の表紙には,青い空と白い雲が印刷されていた。

向こう側の世界に通じる窓に見えた。

題名は「SANCTUARY」

今もこの本は大事にしている。

作者は,高橋 歩っていうヤツだ。
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鬱3 薬はイヤだった

2006-11-06 18:30:07 | 鬱だったの記録
体の、特に脳ミソに起因する変調で、ボクが困ったのは、極端な記憶力の低下だった。無感動、無関心だから記憶力の低下はどうしようもないんだけど、実は、症状がヒドイときほど記憶力が落ちているから、今となっては、スゴクヒドイと感じた記憶があまり残っていないっていうワケのワカラン矛盾がボクの中にある。

っていうか、モロにヒドイときは、殆ど死んだような状態になっているから、そのときの部分だけ、ポッカリ記憶が欠落してるってことなんだ。 つまり、記憶がないことが逆にそのときのヒドイ状態を物語ってるってことなんだと思う。

ま、そんなこんなで、体に変調が出はじめて、これは心の病じゃないかってピーンときたボクは、比較的早い時期に、近所(横浜の二俣川駅近く)の心療内科で診てもらった。

ズバリ「鬱」(軽度)って診断だった。

はぁ、そうかと、ボクは案外その診断を素直に受けいれることができたように記憶している。

カミさんにもカくガクシカジカってちゃんと話したって思う。

けど、どーしてもヤだったのが、薬の服用だった。ボクは病院に行くまで、心の病ってヤツはカウンセリングみたいな手法で治していくって勘違いをしてたから、脳の薬を飲まなくちゃいけないことには、もの凄く、抵抗を感じたんだ。当時はインフォームドナンヤラとかいうのは流行ってなかったし、トニカク、飲めって感じで薬を渡されたのを憶えている。

2種類の薬を処方されたんだけど、ひとつは昼間にも飲まなくちゃいけなかったんだ。

会社には「鬱」って隠してたし、トニカク、会社で薬を飲むのはイヤだった。本当にイヤだった。

なんで、そんなにイヤだったかっていうと、薬を飲む瞬間に、どうしても自分が「鬱」であるこを意識せざるを得なかったからだ。

ボクは自分が「鬱」になる前は、「鬱」になるヤツ→弱いヤツって思ってて、その歪んだ考えが、さらに自分を苦しめることになるんだけど、薬を見るたんびに、ボクは弱いヤツ→無能なヤツ→・・負のスパイラルに落ちていったからだった。
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鬱2 負のスパイラル

2006-11-01 22:18:01 | 鬱だったの記録
今となれば、ソレはパニック障害とかパニック症候群ってことになると思うけど、鬱1で記録した「音」が遠ざかるような変調の他に、ときどき、ヒドイ焦燥感というか不安感というか恐怖感に襲われるようになった。

特にやだったのが、通勤の満員電車に乗っているときに突然襲ってくる恐怖感だった。ボクは高所恐怖症なんだけど、高いところでドキドキするような、そんなナマやさしい恐怖とは比較になんないのだ。うまく説明できないけど、漆黒の暗黒世界から邪悪なナニかがボクを飲みこんで殺そうとするようなSF紛いの、そりゃぁもう、ちびっちゃうような・・じゃなくて、恐怖で脳ミソが破裂しそうなくらいの恐怖なんだ!。

ボクは、ソレが襲ってきたとき、吊革をギューッって握って、目もギューッって瞑って、ソレがが去っていくのをひたすら待つんだ。だけど、ソレはそんなに長くはなかったと思う。数十秒~数分じゃなかったかな。

ソレのほかに、体全体から血の気が引いていくような虚脱感もあったな。なんていうか、受験に失敗して、不合格通知をもらったときのような感覚に近いな。


で、こういう変調が続くと、以前のように仕事をサバくことが出来なくなって・・、そして、仕事ができない自分のことを必要以上に責めてしまうようになるんだな。んでもって、しまいには、自分で勝手に、「自分はダメ人間」の烙印を押しちゃうんだな。で、この負のスパイラルがヒドクなると、その「負の思考」から抜け出したい一心で、自殺をしちゃうってぇのが鬱病の最悪のパターンなんだと思う。

この「負の思考スパイラル」ってヤツの辛さは、なったヤツにしかワカランとボクは思う。

鬱病のみなさん、辛いよね。

鬱病じゃない人にとっては笑っちゃうような内容なんだけど、「負の思考スパイラル」及び「負のスパイラル」の一例を挙げれば、こんな具合と思う。
・・・。

パソコンがフリーズしちゃう(些細な出来事)→書類作成が間に合わないかもしれない→また失敗するかもしれない→パソコン操作も満足にできない人間って思われるかもしれない→リストラされちゃうかもしれない→リストラされたら次の仕事は見つかんないかもしれない→もう一生仕事は見つかんないかもしれない・・・、あっ、パソコンを再起動させなくちゃ・・オレ、ナニ馬鹿なこと考えてんだろ→もともとバカだったけ→(このとき失敗経験だけを思い出す)→オレに価値はあるのか・・・、あっ!保存し忘れてた!・・・、もう間に合わねぇ、なんなんだオレ、もうダメじゃんかよ→もうホントにダメだ(ウッ、吐き気)。

・・・「課長、・・・気分がワルイ・・です。」

・・・トイレに行く途中なんかにパニックが襲ってきたら、最悪。本日の業務、終了!ってことになるんだけど、早退して家に帰り着くまでの間、後悔の念が津波のごとく押し寄せてきて、潰れそうになる。

・・・そして、ようやく我が家にたどり着くんだけど、疲労困憊してるんで、家族の誰とも口をききたくない→家族関係悪化。

・・・フトンの中で悶々→眠れない。

・・・昨日のことを引きずりながらも、どうにかこうにか出社。

・・・「○○センパイ、昨日の書類、もうできましたからぁ」(「この役立たずがッ」って聞こえる)。

・・・「○○君、もう、大丈夫なのかい」(「サボリじゃねぇのか?、もういいよオマエは」って聞こえる)。

・・・そして、本人にだけ辛い一日が始まる。
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鬱1 初めてのヘンチョウ

2006-10-31 13:13:56 | 鬱だったの記録
元来、まじめなんだけど気分屋のボクは、若いころは「やりたくないことはしない、やりたいことをする」をモットーに生きてきた。

だから、部活とかはマッタク長続きしなかったし、学校もよくサボってた。
皆勤賞とか取るヤツはヘンタイだと思っていた。

ちなみに、ボクの部活遍歴は以下のとおりだ。

小1~小4.5:剣道
小5.5~小6:サッカー
中1~中2.2:バスケ
高1.5~3.2:空手
大1.0~4.0:自動車(ラリー、ダートラ)
(ただし、草野球やソフトボールは大好きだった)

こういう状態なもんだから「やりたくないことをする」ことはボクにとってはメチャクチャストレスだったのだ。

それはさておき、鬱病の兆候となったカラダの変調を初めて感じたのは、29歳を迎えようとする1998年の冬じゃなかったかなと思う。


こないだ紹介した新聞記事では、カラダの変調は国際会議場ってことになってるけど、ホントに初めてヘンだと思ったのは、月曜朝の部内会議でのことだった。

各担当者が活動報告をしていくんだけど、その報告が頭に入ってこないんだ。

報告している担当者の声は聞こえるんだけど、ソレがボクには「雑音」みたいにしか聞こえないのだ。

集中しなくちゃ、集中しなくちゃと思うんだけど、そう思えば思うほど、「音」が遠ざかっていく感じなんだ。

ソレが変調の始まりだった。
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新聞記事

2006-10-27 17:54:19 | 鬱だったの記録
ある新聞記事を紹介しちゃう。


1999年、底の見えない不況で、リストラの嵐が吹き荒れていた。東京に本社のある大手鉱業会社の調査部門にいたタカユキさん(35)=熊本市・仮名=。満員電車や駅のホームではルーズソックスにガングロの女子高生が怖くて、何度も逃げ出したくなった。もう限界だった。ハードな毎日で仕事は充実していたが、心は悲鳴を上げていた。



タカユキさんが熊本市内の高校に通っていたころ、父親が家を出た。大学の修士課程に在学中、幼なじみと学生結婚。卒業後、大手鉱業会社に入った。家庭を顧みない父親が嫌いで「熊本に戻るつもりは毛頭なかった」。早く自分の家庭を持ちたい―。

専門を生かした主に金の鉱脈探査を担当。「自分なりの理論を実証できたし充実していた」。国内外の現場を飛び回り、新たな鉱脈を発見した。深夜残業、休日出勤は当たり前、出張は年間150日間にもなった。

だが、先輩たちがリストラで次々と会社を去り、タカユキさんの仕事量は増すばかり。
もともとまじめな性格。「(就職氷河期の中)拾ってくれた上司にこたえたかったし、頼まれた事は全部やった。何より負けたくなかった」

“変調”は突然やってきた。国際会議に出席しているとき、メモを取っていたペンが止まった。「あれ」。自分の意思とは裏腹に体が動くことを拒んだ。議場で飛び交う専門用語が、どこか遠くで聞こえるようだった。



病院にいくと「うつ病」と診断された。ショックだった。しばらくは服用を続けながら仕事を続けたが、しばしば死にたい衝動にも駆られるようになった。
「おれ、熊本に帰ろうかな」。ふと漏らした一言、それまで静かに見守ってくれていた妻が「帰ろうよ」。数年ぶりに父親と連絡を取った。決心がついた。翌日、会社に辞表を出した。

すぐに熊本市の実家に戻り療養。妻は近所の自分の実家に戻り、毎日、様子を見に来てくれた。「すべてに負けたんだ」。酒と薬を大量にあおったこともあった。
二ヶ月間ひどい状態がつづき、外出ができるようになると、行くあてもなく自転車のペダルをこいだ。近くの公園から江津湖、水前寺、熊本城・・・と徐々に足を延ばした。自分の生まれ育った土地に初めてゆっくり触れた。



やがて、実家を離れ妻たちとの生活に戻り、今の会社に勤め始めた。だが、しばらくは何もできなかった。近くの飲み屋で、同じ悩みを抱える同年代の人たちと知り合い、悩みを打ち明け合った。「彼らの存在も大きかった」。がむしゃらに生きてきた肩の力が抜けるようだった。

昨年末、両親からの誘いで二世代住宅を建てた。ずっと不仲だった父親との同居。「まだわだかまりはあるけど・・・」。三人の子どもに囲まれ、穏やかな日々を実感しつつある。「熊本に帰ってきて土の息吹を感じることができた。今までそんな余裕なかったもんな」最近、熊本市周辺の地下水の状況が気になる。「“資源屋”としての血が騒ぎ始めた」。少しずつ前に進み始めている。
(2004年6月 クマニチの特集記事より)





こないだの記録(病気自慢)で鬱病を患ったことを書いたけど、実は、最近、鬱病について質問されることが多い。

病気が治ったスグの頃(クスリが必要なくなった)は、自分が鬱病であったことを周囲にヒタ隠しにしていたから、そんなことを訊いてくる人はいなかったんだ。だけど、最近は、この病気、スッカリ市民権を得てるみたいで、世間話なんかで、「実は、ボクは・・・・」って話しをすると、後になって「実はムスコが・・・」とか「実は自分が・・・」って告白されちゃうのだ。

そんなワケで、鬱病に関心のある人の参考になればと思って、予備校んときの友人がボクのことを取材して記事にしたものを冒頭にコピペしたんだけど、トニカク、鬱病は治るとボクは思っている。

そんなワケで、ときどき、真剣モードで鬱病の記録をしてもヨカですか。
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