1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

『景行天皇伝説を巡る冒険』32. 最終回 景行天皇の御陵の前で

2023-01-10 21:30:00 | 景行天皇の記録
【景行天皇の御陵の前で】
ヤマト政権が樹立して間もないころに造立されたとされる箸墓古墳を背にして、付近の水路でオレンジ色に輝く鉄バイオマットを見つけたとき、脳内に火花が散りました。

景行天皇のこと、古代史のこと、これまでほぼ1年を費やして学んできた知識が一気につながった瞬間でした。

古い記憶も蘇ってきました。私に見えた古代の歴史像は間違っているかもしれません。ですが、十分に満足できる結果を得たような気分でした。

水路でオレンジ色の鉄バイオマットを見つけてあと景行天皇の御陵にたどり着くまでの間のことはよく覚えていません。泣いたり笑ったり納得したりやっぱり悩んでみたり。

そして最後に湧いてきた感情がありました。

景行天皇の御陵の前に立ち、静かに手を合わせました。



景行天皇の御陵


「本当にありがとうございました」


正直な気持ちをお伝えしました。



終わり。


【謝辞及び予告】

これで『景行天皇伝説を巡る冒険』は終わりますが、前編の『三玉山霊仙寺を巡る冒険』の連載中からリアクションで応援して頂いた皆様には厚くお礼申し上げます。連載の励みになりました。


kanumasさん

ff10yunaさん

daitou8さん

mamazonesさん

takeidentalさん

micawberさん

shiawase-beatさん

mi-yu66_1966さん

masahiroshige777さん

manbo_tourさん

janko312さん

ocean8さん

marusan_slateさん

momo2303さん

azisaiki2015さん

sakuranoyamiさん


本当にありがとうございました。また、多くの方にも閲覧頂き本当にありがとうございました。


さて、次作は『阿蘇神話伝説を巡る冒険』と題して現在、鋭意、製作中です。自作では民俗学に加えて、最新の考古学や地質学の知見を踏まえて、熊本県の阿蘇地域に残る神話伝説を解き明かすという意欲的な内容を目指しています。驚きの結末もあるかもしれません。ご期待下さい!


連載は一ヶ月後くらいから始まると思います。


『景行天皇伝説を巡る冒険』《参考文献・引用文献》


『日本書紀()()』井上光貞 監訳 中公文庫 2020

『新版 古事記 現代語訳付き』中村啓信=訳注 平成21年

『図解 古事記・日本書紀』多田元監修 西東社 2014

真弓常忠『古代の鉄と神々』筑摩書房 2018

谷川健一『魔の系譜』講談社 1984

谷川健一『日本の神々』岩波書店 1999

舘充 「わが国における製鉄技術の歴史―主としてたたらによる砂鉄製錬について」『鉄と鋼』Vol. 91 No. 1、日本鉄鋼協会 p.2-10 2005

吉田敏明「鉄から見た我が国の古代史」『火力原子力発電』Vol.66 No.9 p.515-528 2015

永田和宏『人はどのように鉄を作ってきたか』講談社 2017

田中和明 『よくわかる最新「鉄」の基本と仕組み』秀和システム 2009

浅井壮一郎 『古代製鉄物語「葦原中津国」の謎』彩流社 2008

山内裕子「古代製鉄原料としての可能性〜パイプ状ベンガラに関する一考察〜」『古文化談叢』第70集 p.243-252 2013

佐々木稔・赤沼英男・伊藤薫・清水欣吾・星秀夫「阿蘇谷狩尾遺跡群出土の小鉄片と鉄滓様遺物の金属学的解析」『古文化談叢』第44集 p.39-51 2000

藤尾慎一郎「弥生鉄史観の見直し」『国立歴史民俗博物館研究報告』第185 p.155-182 2014

西岡芳晴・尾崎正紀・寒川旭・山本孝広・宮地良典『桜井地域の地質』地域地質研究報告 5万分の1地質図幅 京都(11)64号 地質調査所 平成13

大塚初重監修『古代史散策ガイド巨大古墳の歩き方』宝島社 2019

『小野原遺跡群 黒川広域基幹河川改修事業に伴う埋蔵文化財調査報告』熊本県文化財調査報告 第257集 熊本県教育文化課編 2010

安本美典「邪馬台国学」『遺跡からのメッセージ古代上編 熊本歴史叢書1』熊日出版 平成15

中橋孝博「戦う弥生人 倭国大乱の時代」『遺跡からのメッセージ古代上編 熊本歴史叢書1』熊日出版 平成15

河野浩一『熊本のトリセツ』昭文社 2021

川越哲史編『弥生時代鉄器総覧』広島大学文学部考古学研究室 2000

大神神社ホームページ http://oomiwa.or.jp/

磯山功・斎藤英二・渡邊和明・橋本知昌・山田直利「100万分の1日本地質図(2)から求めた各種岩石・地層の分布面積」地質調査月報、第35巻第1号、p.25-47, 1984

井澤英二『よみがえる黄金のジパング』岩波書店 1993

高橋哲一「花崗岩系列の成立と展開 石原舜三博士の偉業を振り返って」『GSJ地質ニュース』Vol.9 No.10 p.289-297 2020

Shunso Ishihara (1977): The Magnetite-series and Ilmenite-series Granitic Rocks: Mining Geology, 27, 293-305

井上智勝『吉田神道の四百年 神と葵の近世史』講談社 2013

熊本文化研究叢書6『肥後和学者 上妻博之 郷土史論集1』熊本県立大学日本語文学研究室編 平成21

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『景行天皇伝説を巡る冒険』31. ヤマト前身勢力と葦原中国勢力の談合!?と『三国志』制作の舞台裏!?

2023-01-08 17:40:00 | 景行天皇の記録
【ヤマト前身勢力と葦原中国勢力の談合!?】
葦原中国勢力の代表者
「あのさぁ〜、そのプランは魅力的に思うわけよ〜、ホント。だけどさぁ、その新しいヤマトまでの交通手段はどうすんのよ、一人でのんびり行くわけじゃあるまいし、連れてくのは兵団ですよ、兵団。一気に攻め落とさなくちゃいけないわけだしぃ〜、一気にぃ、問題はそこでしょ。それができなきゃ絵に描いたモチじゃぁんっ!?」

ヤマト前身勢力の代表者
「まぁ、まぁ、まぁ、まぁ、落ち着いて、落ち着いて。考えてもみてくださいな、葦原の旦那ぁ、私たちが手を組めばぁ狗奴国の連中はグウの音もでませんって。」

葦原中国勢力の代表者
「それが何だってんだいっ?」

ヤマト前身勢力の代表者
「えっ!?、連中は元海神族ってのをお忘れなんですか?、連中に舟を作らせるんですよぉ、舟だってバンバンとばせますょ。」

葦原中国勢力の代表者
「ほうっ、なるほど。しかし材料はどうすんのよ。お互い鉄器作りで海っぺたの木は殆ど使いきってんじゃっ!?、狗奴国だって同じっしょっ!」

ヤマト前身勢力の代表者
「へっ、葦原の旦那、まぁ聞いて下さい。狗奴国の向こうっかわの日向の国には、まぁだ、たんまりと木が残ってるってぇ話しですよ。」

葦原中国勢力の代表者
「ぬぬぬっ、イケルかもっ、そのプラン!。ところでさぁ、最近、オタクら大陸の政権に対してはどうなってんのよ。」

ヤマト前身勢力の代表者
「へっ、心配にゃおよびませんって。ちゃぁんと、たんまり、貢ぎもしてるんでそこは。こないだ遣いのもんが行って説明してきたらしいんですけど、新しい攻略プランを披露したら、景気付けに銅鏡やらなんやらどえらい土産を貰ってきたってぇ話しです。」

葦原中国勢力の代表者
「マァジかっ!、それで、今回の作戦名はっ?。まさか、シン・ヤマト作戦っ!?」

ヤマト前身勢力の代表者
「へっ、旦那、ソレ、つまんね〜っす。」

という会話がなされたのは全くの空想ですが、ヤマト前身勢力が考えた西日本統一の作戦は、葦原中国を懐柔しながらその威力で狗奴国を服従させ、新しい技術で作った武具と航海術で近畿地方(ヤマト)を一気に征服するという短期決戦を目論んだ作戦ではなかったのでしょうか。

【『三国志』制作の舞台裏!?】
一方、そのころ大陸の政権では、魏志倭人伝が記述された歴史書『三国志』の編纂が行われていました。
想像力、マックスです。

極東アジア編纂課、担当課員
「ちっ、参ったぜ、ッたくよぉ、倭国どうなってんだよぉ、聞かされた話しだけじゃぁ、そのぉなんだぁヤマトってかぁ、このクニはどこにあるって書きゃいいんだ、新しいヤマトになったって連絡はまだ来ねぇし、かといって聞かされたプラン通りにいくとも限らんしぃ、ん〜〜、課長!、この件、どうしますぅ?」

極東アジア編纂課長
「え〜っ、オレに聞く〜っ?、ホント困るよなこの件は。ところで、この原稿の締め切りはいつだっけ?。え〜、明日なの〜、ちょっとちょっと、もっと早く相談してよ〜キミ〜。あ〜しょうがねぇ、部長に相談しよっ!」

編纂部長(陳寿)
「まぁた君か、今度は何だね。、、、そりゃ確かに困りましたね〜、、両論併記というわけにもいきませんしぃ、、それじゃあこうしましょうか。どちらにも受けとれる表記ってのはどうでしょう。例えばぁ、位置関係で説明すれば従来のヤマト、距離で説明すれば今後期待される新しいヤマト、たぶん新しいヤマトが近いうちに成立すると思いますよ。あとの細かいところは宜しく頼みます。責任は私がとります。今のところ倭国が脅威となる可能性は低そうですしね、じゃ、この件はそいうことで、いいかな。」

極東アジア編纂課長
「はい、わかりました、ありがとうございました(さすが部長、カッケー)。」

歴史書の編纂部長(陳寿)様には是非責任を取ってもらたいものです。おかげで歴史書が編纂されて1720年が経過した現在も、「邪馬台国」の件に関しては決着がつかないというあり様です。

というのは全くの空想ですが、以上のように、とぼけた地質技術者の目線で古代史を紐解くと、上述してきたような歴史像が見えてくるのです。

古代史については確かな文献資料が少ないことや、かといって考古資料に頼っただけでは歴史の全体像の把握は難しいとされています。しかし、分析技術は日進月歩です。新たな文献や考古資料が発見される可能性は十分あると思います。古代史には百人百様の見方があると言われています。人間の想像力は無限大です。
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『景行天皇伝説を巡る冒険』30.ヤマト前身勢力の戦略

2023-01-06 22:04:00 | 景行天皇の記録
【ヤマト前身勢力の戦略】
ヤマト前身勢力は、農具、武具の鉄資源を自前で準備する技術を持ち合わせていませんでした。大陸からの鉄鋌の供給が途絶えれば窮地に追い込まれます。国力をつけ始めた葦原中国と南の狗奴国、海を隔ているとはいえ背後の大陸勢力がいつ攻勢に出てくるかわかりません。三方ふさがった状態を打開するためにとった行動が、先ず、葦原中国の国譲りの交渉です。葦原中国には良質な鉄資源と技術がありました。全面戦争になれば双方が大打撃を受け、北は大陸、南は狗奴国に隙を与える結果となります。

そこで、ヤマト前身勢力が葦原中国に対して持ち出したのが交換条件と新しいクニ作りのビッグプランです。当初は多少の示威行為もあったと思われます。しかし、葦原中国の神にとって、出雲大社の高層神殿の建設とヤマトという新しい土地に神として祀られるのは、何とも魅力的な話しでした。

出雲大社の高層神殿
https://www.streetmuseum.jp/historic-site/kodai/2023/01/06/273/

新しいクニは大陸からも離れていて征服されるリスクは格段に下り、盆地を取り巻く山々は天然の砦となるだけでなく、その山々は花崗岩やはんれい岩で鉄資源もあります。しかも豊富な水も期待でき、新しいクニ作りの場としては全く申し分ありませんでした。ただし、ヤマト前身勢力には譲れない一点がありました。それは、新しいクニ作りに際して、ふるさとの地名を採用するというものでした(図参照)。ひょっとすると、説明用のマスタープランには、既に「地名」があったのかもしれません。それは大陸の勢力に対して説明の簡略化を意図したものだったのかもしれません。
しかし、このプランを遂行するにあたって、ヤマト前身勢力と葦原中国の2つの勢力は決定的に不足していた技術がありました。

北部九州の地名と大和の地名の不思議な一致(北部九州)

北部九州の地名と大和の地名の不思議な一致(大和)
安本美典「邪馬台国学」『熊本歴史叢書1 遺跡からのメッセージ』熊日日新聞社 平成15年


さて、ここから、想像力をフル回転させます。読者のみなさん、ついてきて下さい。
つづく。

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『景行天皇伝説を巡る冒険』29.争いの火種はやっぱり「金」だった!?

2023-01-04 21:47:00 | 景行天皇の記録
【争いの火種はやっぱり「金」だった!?】
熊本県と福岡県の県境にまたがる筑肥山地の山中にはかつて星野鉱山と呼ばれる金鉱山がありました。一説によれば、鎌倉時代の弘安2年(1279年)に星野胤実が信託によって金鉱を発見したことが鉱山開発の始まりとされ、その歴史の古さから日本の金山発祥の地ともいわれています。
はたして、金鉱石の最初の発見は鎌倉時代だったのでしょうか。
地質技術者の目線で想像力を膨らませてみます。
 
太古の星野川の河原で、弥生人が交わす会話の録音に見事成功しました!。
 
弥生人A
「っち、最近、マジやべぇ、もう全然採れなくなってしまったゼ!」
弥生人B
「しょうがないよ、だってこの砂金採りはもう何十年、いやひょっとすると何百年も前からここでやってるんだよ、じいちゃんの時代より古いって話しだよ。」
弥生人A
「っくっそーっ!、なんでオレたちの代で採れなくなんだよっ!先代だけが甘い汁吸ってたってわけか!少しは残しとけってのっ」
弥生人B
「そう言ったところでしょうがないよ、祖先だってこの地を得るために、相当の犠牲を払ったらしいよ、血で血を洗うような、そりゃぁもう悲惨な、、、」
弥生人A
「ふるい話しはもういいって!、っあ~、ってか、ヒミコのアネゴにまぁた怒られっぞ、砂金がなきゃ鉄器は大陸からもらえねぇっしっ、祈祷しったって、もうムリ~~っ」
弥生人B
「でもさぁ、この砂金のもとって、本当はこの山の奥lにある、あの白っぽい脈みたいな石の中に入ってんじゃないのかなぁって思うんだよね、だって、あの白い石より上流じゃ砂金はとれないって昔からいわれてるしさ」
弥生人A
「バカかオマエはっ、入ってるワケねぇだろうが、あの石の中にピカリンって光る金の粒を見たことあんのかいっ!?、あったってちっちゃすぎてどうにもならんだろうがよ、しかもあの白い石はなぁ、いろんな石の中でも硬さについちゃベストファイブには入るしろんもんだぜ、ちょー硬ぇんだよ、だから掘るにも割るにもそれより硬い道具ってもんがいるんだよ、道具が。オマエ生意気言ってねぇで手ぇ動かせ。それとな、取り出すにはまた別の呪術がいるってぇ話しだぜ、その呪術があればなぁ~、あ~呪術が欲しいのぉ~、砂金が欲しいのぉ~、もっと丈夫な鉄が欲しいのぉ~」
弥生人B
「そのオヤジギャグもう聞き飽きたよ、今日は帰ろう、お父さん」
 
そして、この録音に成功した数ヵ月後、九州北部を未曾有の豪雨が襲いました。平地は洪水に巻き込まれました。そして筑肥山地では大規模な地すべりや崖崩れが発生し、B君が期待していた金鉱脈は土に埋もれてしまいました。そして、星野の金鉱床はその次の発見まで1000年の時を待たなければなりませんでした。事実、平成24年の九州北部豪雨では星野川流域では地すべりや崖崩れ、土石流災害が発生しています。古代からこのような災害が起こっていても不思議ではありません。
 
とういうのは、とぼけた地質技術者の空想に過ぎませんが、鉄器材料の交換品である九州特産の金の枯渇も背景にあったと考えるのはどうでしょうか。邪馬台国と狗奴国間の対立関係は、ひょっとすると星野鉱床の砂金を巡る壮絶な戦いの禍根が原因ではなかったのかと思えてきます。


金鉱脈と砂金の関係

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『景行天皇伝説を巡る冒険』28.たたら製鉄の背景と原子力資源探査

2023-01-02 11:59:00 | 景行天皇の記録
【たたら製鉄の背景と原子力資源探査】
火山国である日本の土や岩石、特に火山活動に関連してできた岩石には鉄分が含まれることは、これまで指摘してきた通りです。そして、その代表格であるマグマが地中でゆっくり冷えて固まった花崗岩は日本の各地に分布しています。しかし、一見同じに見える花崗岩であっても、たたら製鉄の原料の砂鉄のもとなる磁鉄鉱の含有量につていは地域性があるのです。

これを見い出したのは、広島大学で鉱床学を専攻して工業技術院地質調査所(現 産業総合研究所地質情報センター)に勤務していた当時40歳代の故石原舜三博士でした。
博士については個人的な思い出があります。大学院の学生だったころ、中国で鉱床学の国際学会が開かれました。学会が主催する中国国内の地質巡検で石原博士とご一緒する機会がありました。既に博士は花崗岩研究の国際的権威になられていて、お会いした当時は北海道大学の教授でいらっしゃいました。博士の研究は若い頃の素朴な疑問からスタートし、その疑問を追い求めていく過程でアメリカ学派を論破するなどの業績を残していて、鉱床学を専門とする学生にとっては、既に伝説的な人物となっていました。ところがお会いすると自分が思っていたイメージとは全く異なり、落語家の鶴瓶師匠を彷彿とするような風貌。気さくな人柄で、どこに行っても現地の子供に囲まれて人気者になるのでした。私もその子供たちの一人と思われていたかもしれません。「疑問はね〜、大事だよ〜」そんな言葉をかけて頂いた記憶があります。

さて、時は1960年代、我が国は高度経済成長期にありました。発展を続ける経済を支えるため原子力は新しいエネルギーと期待されていた時期です。国は政策として原子力発電用の燃料となるウランの調査を国内で実施していました。博士はそのウラン探査プロジェクトで、全国の花崗岩地帯の鉱床の放射能調査とウラン鉱物の発見を担当していました。そしてウラン鉱物を含むモリブデン/タングステン鉱床の探査とその成因研究の中で、花崗岩は2つの系列に分けられることを発見しました。一つは磁鉄鉱が多く含まれる磁鉄鉱系列、もう一方は磁鉄鉱が少なくかわりにチタン鉄鉱が含まれるチタン鉄鉱系列です。その系列は日本だけでなく、環太平洋地域やアナトリア地域の造山帯に分布する花崗岩にも当てはまりました。その後、この博士の発見は国内外の花崗岩の研究や鉱床探査の分野に大きなインパクトを与えることとなり、海外でも非常に高い評価を受けました。そして、その発見のルーツとなったのが島根県の花崗岩に伴うウラン鉱物を含んだモリブデン鉱床だったのです。そうなのです、磁鉄鉱が多く含まれる磁鉄鉱系列の花崗岩が出雲にはあるのです。図に示すように磁鉄鉱系列の花崗岩は山陰の出雲地方に集中して分布しています。
なんと、古代の最先端技術の源泉となる磁鉄鉱資源と現代のエネルギーや軍事技術に転用可能となる原子力のウラン資源が同一地域に存在していたのでした。

たたら製鉄は日本独自のユニークな方法とされています。多くを語る必要はないと思います。出雲地方においてたたら製鉄が発展した背景は、原料の砂鉄のもととなる磁鉄鉱を多く含んだ花崗岩が、出雲地方、つまり葦原中国に広がっていたからです。


日本列島における磁鉄鉱系列花崗岩類とチタン鉄鉱系花崗岩類の分布(高木哲一2020)


さて、もう一つ地質技術者の目線で指摘しておきたいことがあります。ヤマト前身政権の鉄に関する技術は、先に述べたように、鉄挺(てってい)と呼ばれる鉄素材を朝鮮半島から持ち込んでそれを鍛治・加工する技術でした。しかし、鉄挺を得るに当たって、その対価として大陸の王朝等には何を献上していたのでしょうか。
 
その一つとして「金」が考えられます。
 
ベネチアの商人マルコ・ポーロが獄中で口述した『東方見聞録』に「黄金の国ジパング」が記録されました。そして、この数行の文章が、のちの大航海時代のコロンブスをはじめとする冒険者に大きな影響をあたえたといわれています。学生時代に鉱床学を専攻して、なかでも「金鉱床」を研究対象にしたのは、コロンブスとさして変わらない動機からでした。なぜなら、当時、日本では金鉱床が相次いで発見されている時期でした。しかも世はバブル。このような浮かれた時勢に身をおく一人の若者が、その研究成果で「一攫千金」の夢を見ても不思議ではありません。
そして研究を進めるなかで、その若者は日本、特に九州に多くの金鉱床があるのを知ったのでした。
図には日本の主な金鉱床を示します。見てのとおり九州には金鉱床が多く存在します。恩師井澤英二著『よみがえる黄金のジパング』には九州の金鉱床の産金量として馬上(13t)、鯛生(36t)、串木野(56t)、大口(22t)、菱刈(50t当時、現在も住友金属鉱山(株)が操業中)、山ヶ野(28t)、南薩型金鉱床と呼ばれる春日、岩戸、赤石(あけし)は合せて(約20t)と書かれています。また図には金鉱脈と砂金鉱床の関係を示します。



日本の主な金鉱床(『よみがえる黄金のジパング』1993年 井澤)


金鉱床と砂金鉱床の関係(『よみがえる黄金のジパング』1993年 井澤)


 しかし、古代には産金があったという記録や考古資料は存在しません。唯一『日本書紀』に第14第仲哀天皇が政権に背いた九州の熊襲を征伐しようと皆で協議したとき、神の信託で、新羅こそ黄金、白銀を多く産する国であると告げられたことが書かれてあります。そして、このお告げが神功皇后の新羅遠征の伏線となっています。この記述は、4世紀末から5世紀初頭の度々政権に対抗する九州(熊襲)と朝鮮半島の緊張関係が投影されていて、そこには国と国の関係の一部として金銀などの鉱物資源の産地をめぐる争いが暗示されているようだと井澤氏は述べています。
では、ヤマト前身勢力が東征を始める前の弥生時代後期に、はたして国内には鉱物資源を巡る争いはあったのでしょうか。
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