1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

長女の全国大会出場と就職内定

2012-10-31 23:03:57 | 子供の記録
めずらしくレンチャンでブログ更新。

今日は、長女ユーちゃんについて記録しておことう思います。

長女ユーちゃんは、熊工の吹奏楽部3年生です。
熊工と言えば野球部(昨日は九州大会8強戦で沖縄尚学に敗退→センバツ絶望)で有名ですが、吹奏楽部もマーチングで有名です。
今年も全国大会出場を決めました。11月18日(日)大阪城ホールです。
3年連続です。

ですが、今年、ユーちゃんは、全国大会のコンテストのフィールドで演奏・演技をすることができません。メンバーから外れているのです。
そういうメンバーから外された部員を熊工では「オリバン」というふうに呼んでいます。
「オリバン」は裏方の仕事に徹し、大会当日は華やかな衣装とはウラハラに黒のジャージ姿です。
大阪城ホールのスタンドに座って観戦してもユーちゃんの姿を見ることはできません。

ユーちゃんは、熊工でのマーチングを夢見て熊工に進学しました。
1年、2年はメンバーに選ばれ全国のフィールドに立つことができました。
しかし、最終学年の今年はそれが叶いません。

実は、ユーちゃんは脊柱側湾症を患っています。
あの世界最速のボルト選手と同じ病気です。
ボルト選手は、その病気と戦いリスクを背負いながら肉体改造と走姿改造で世界一になっています。
しかし、一般に脊柱側湾症は厄介で腰に大きな負担を強いる病気と言われています。
特に腰の筋力が弱い人にとっては尚更のようです。

昨秋、ついにユーちゃんの腰は悲鳴を上げました。
整形外科にも随分お世話になりました。
先生からは、
「熊工の吹奏楽部じゃぁね~」
吹奏楽部の練習は、野球部員もビビるほどハード。
腰痛は一進一退でした。
自転車通学もままならず、酷いときは校内で杖をついて歩いていたそうです。
腰痛の原因は、脊柱バランスの狂いとハードワークに伴った腰筋の偏った疲労(筋肉固化)です。なので、昨秋からコルセットを装着し、夜はカミさんがマッサージをしています。
しかし・・・。

一方、ユーちゃんは就職組で、それも一大事でした。
実業高校の生徒に求められるものは健全な肉体です。それと強い心です。

強い心については「オリバン長(裏方マネージャー)」を粛々とやっていることから、それほど心配ありませんでしたが、担任の先生からは就職試験のことを考えるとムスメには絶対無理は禁物と言われていました。負け惜しみかもしれませんがソレが「オリバン」になった理由のひとつでもあります。

そして、もう先々週のことになるのですが、無事2次試験を合格して内定を頂くことができました。納豆で有名な地元の食品会社です。

1次試験の面接での出来事を紹介しておきます。
高校生活における一番の思い出はなんですかと尋ねられた際にムスメはこう答えたらしいのです。
「今夏、行われたマーチングフェスティバルの演奏でソロを任せてもっらったことです」
面接の役員さんがこう言ったそうです。
「ひょっとして、テレビに映ってた?、・・・見たよ、見たよ・・・」と。
実は、マーチングの演技ができないムスメに、指導者の先生がオープニングの数章節部分をトランペットのソロ(演奏だけ)を設けてくれていて、それはテレビ放映で大写しになっていたそうなのです(私は見てませんが)。

内定を頂いた晩、家族で近所の居酒屋に出向きささやかなお祝いをしました。
そのとき、出張中の担任の先生からケイタイにお祝いの連絡がありました。
先生は、私より少し年上の女性で、息子は高校球児で名前は「球太郎」です。そして中学生の娘は独り親元を離れ「神村学園」で硬式野球をやっています。つまり熱血の野球ママなワケですが、そういう野球縁もあって先生のことを私は「マサミネェサン」と呼んでいます。
マサミネェサンが言いました。
「・・・ホントに良かったですね、まぁ、体のことは心配してましたけど、ユヅキのことは信じてましたよ・・・、回りの先生からはユヅキが落ちるようだったら熊工の生徒は誰も就職できんって言われていたんですよ・・・、お父さんの教育の賜物ですよ・・・」
「・・・・そんなことは、ありません、確かに本人の努力もあると思いますが、これまで支えていただいた先生や学校のおかげです・・・、本当にありがとうございました・・・」
私は溢れる涙を堪えることができず、家族たちの目の前でしたが先生と話しながら泣いてしまいました。

なんだか長くなりますが、思い起こせば、学生時代から始まった子育てでした。
ホントにいろんなことがあって、経験させてもらって、私自身(カミさん共々)成長できたような気がしています。さらに、担任の先生に「お父さんの教育の賜物ですよ」と言われ、報われたという気持ちと同時に、これまで関わって頂いた全ての人に心から「ありがとうございます」とお伝えしたいという気持ちでいっぱいになりました。

このバカブログとしては、今回の記録はあまりに「イイコちゃん」的で面白味がありませんが、どうかご容赦お願いいたします。

11月18日は大阪城ホールに行きます。
今度の日曜は息子の練習試合、そして、来週は熊本秋季大会です。
そのへんもボチボチ記録していこうと思っていますのでこれからもヨロシクお願いいたします。
では。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野球の神様、ありがとう!

2012-08-13 22:56:44 | 子供の記録
済々黌OBとして記録すべきか、少年野球オヤジとして記録すべきか迷うところだ。

うんにゃ、うんにゃ、済々黌OBの少年野球オヤジとして記録しようと思う。

少年野球オヤジにとって野球をやってる息子と甲子園に高校野球を観戦しに行くというのは、ある意味「夢」なのだと思う。しかも母黌の試合というなら尚更のことと思う。

息子が小学生のころ、一度は甲子園に連れて行ってやりたいと思っていた。
しかし、自身の野球で忙しくそれを叶えることはできなかった。

今日の済々黌の野球は、昔からやっている済々黌野球だった。
いつもどおりの馴染みの野球だった。

以前から息子には済々黌の野球を見て欲しかった。
当たり前のことかもしれないけど、「全力疾走」と「耐えて勝つ」野球。
当たり前のことをいつもどおりに実践することが、どれだけ大事なことなのか、それを知ってもらいたかった。

それからKT君、息子と一緒に来てくれてありがとう!。
君たちは小学校2年生からずっとバッテリーを組んでたね。
二人で以前のチームの帽子をかぶって甲子園まで来て・・・・。
君たち二人をみて、おじさんはもうずっと泣きだしそうだったぞッ!。

野球の神様に感謝!


甲子園母黌弾丸応援
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルパンでも盗れないモノがある

2011-12-20 18:08:25 | 子供の記録
残念ながら熊工は『銀』でした。

・・・ア~、ザンネン。

そこで、長女ユーちゃんのかわりに、ちょっと言い訳しとこうと思う。

昨年まで出場していたのは「全日本吹奏楽連盟:以下、全日吹(ゼンニッスイ)」主催のマーチングコンテスト。今年出場したのは「日本マーチングバンド・バトントワーリング協会:以下、日チン協(ニッチンキョー)」主催のコンテスト。

この2つのマーチングコンテストの違いについて万人が納得できるような説明を試みるつもりは毛頭無いのだけれど、フィギアスケートに例えると解りやすいかもしれない。

すなわち、ゼンニッスイのコンテストは、フィギアスケートの競技で言うところの「ショートプログラム」。ニッチンキョーのコンテストは「フリーの演技」になる。

今年、所ジョージのTV番組でさかんに取り上げられていたのは、ゼンニッスイのコンテストで、つまり「技術要素」を競うもの。一方、ニッチンキョーのそれは、技術要素もさることながら、芸術性や独創性あるいはストーリー性といった総合的なエンターテイメント力が問われているようなかんじなのだ。

だから、ニッチンキョーのコンテストは、素人に解りやすい。
「ワッ、スゲッ!」「ッパネェ!」と言った率直な感想がそのまま「結果」に繋がっているようなのだった。

金賞を取った神奈川県立湘南台高校、地元埼玉栄高校、茨城県立大洗高校なんか、迫力、演出、衣装、ずばり「ビッグ・ショー」になってるんだよなぁ~。カネかかってるんだよなぁ~。

熊工のテーマは「LUPIN THE THIRD」。
テーマのように首尾良く「GOLD」は獲れなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2階級制覇に期待!?

2011-12-15 17:31:34 | 子供の記録
日曜日(18日)から一泊二日で東京方面に行きます。

なんでかっていうと、ユーちゃんのマーチングの全国大会を見に行くためです。

詳しくはこんなかんじで、ユーちゃん(熊工)は高等学校の部門に出場の予定。

第39回マーチングバンド・バトントワーリング全国大会
平成23年12月17日(土)マーチングバンド部門 小学生の部・中学生の部/カラーガード部門
平成23年12月18日(日)マーチングバンド部門 高等学校の部・一般の部
会場:さいたまスーパーアリーナ

去年は、「全日本吹奏楽連盟」主催の大阪城ホールで行われた第23回全日本マーチングコンテストに出場して3年連続金賞を受賞していて、規定で今年はこの大会に出れないとかで、今年は「日本マーチングバンド・バトントワーリング協会」主催の全国大会に出場する、とそいうことみたい。

この大会で金賞を取れば、2階級制覇!
ということになるのかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国大会出場おめでとう。

2011-10-25 09:10:02 | 子供の記録
こないだ学童五輪のあった土曜日、長女ユーちゃんは鹿児島でマーチングバンドのコンクールだった。結果は全国大会出場決定!。おめでとう!。

腰痛でトランペットのパートから外され、今はパーカッションです。
ですが、ですが、どういう審査基準かわからないのですが、パーカッション部門で堂々1位を獲得したそうです。
団体の力は大きいなぁ~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頑張れ!熊工女子!

2011-10-07 22:19:03 | 子供の記録
こないだの日曜日は、息子の小学校最後の運動会だった。

午前中の徒競走は当然1位だったけど、ビデオ撮影は失敗。
録画onのつもりが、録画offの状態で「録画」していたのだった!。
だから、録画されていたのは、スタート前とゴール後の超お乱れ画像だったわけで・・・。

そういうワケで、午後からの学年全体リレーを撮影することになり、同日に行われていた熊工の運動会(体育大会)はカミさんだけが行くことになった。

熊工の運動会では、午後の最初に部活動紹介があって、吹奏楽部はマーチング演奏があった。カミさんはそれを観るために、お昼から熊工に向かったのだった。

2時すぎ、カミさんが小学校のグランドに戻ってきた。

ものすごく暗い表情のカミさん、泣きださんばかりの顔だった。
ボクの隣に崩れるように腰をおろした。
「なんかあったと?」

弱弱しい声でカミさんが話し始めた。

マーチングが始まろうとしたころ、一人の学生が、その集団から離れていく様子が見えたそうだけど、あるとき、それがユーちゃんであることに気がついたそうだ。
そして、戻ってきたユーちゃんに話しを聞いたところ、腰痛が酷くてマーチングから外されたとのこと。

実は、長女ユーちゃんは、高校に入ってから脊椎側湾症を罹っていて、それが原因かどうか不明なのだけれど今年の夏から「腰痛」を訴えていたのだった。一度、病院に連れて行ったのだけれど、熊工吹奏楽部じゃそれも仕方がないというふうで、腰痛の原因は疲労だろうという診断だった。それからはコルセットをして練習をしていたのらしいけれど・・・。

さらに、ユーちゃんの話を聞いたところ、こないだの県大会では、自分は出演していなかったとのこと。

県大会は、ボクもカミさんも一緒に観に行っていた。
そのとき、ボクは最後までユーちゃんを見つけることができなかった。
だけど、カミさんにはマーチングをやっているユーちゃんが見えていた。
ユーちゃんを見つけることができなかったのは、ボクの視力の低下とユーちゃんの実力の向上と勝手に思いこんでいた。

会場を後にした車の中でも、ユーちゃんは屈託なくとても明るかった。
だけど本当は・・・・。
ユーちゃんの姿をちゃんと見たよというカミさんや上達を喜んでいるボクに、本当のことは言い出せなかったみたいで・・・。

運動会の華やかな喧騒が、どこか遠くから聞こえてくるみたいだった。
カミさんの話しを聞き終わった。

「ちょっと、タバコ吸ってくる」

ボクはタバコを吸うために学校の敷地を出た。

紫煙とともに涙が出てきた。
苦い味の一服になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ついでに公開 熊工吹奏楽部

2010-09-10 18:10:26 | 子供の記録
どうだ!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女子中学生の生態?正体?

2010-05-12 22:51:17 | 子供の記録
ボクは女子中学生の平均的な朝食というものをよく知りませんが、以下に記述するものが果たしてソレに近似しているものかどうか・・・、記録しておきたいと思います。

その女子中学生の朝食は基本的にご飯と味噌汁。
自分で自分のご飯茶碗にご飯をよそい、おわんに味噌汁をつぐ。
テーブルにランチョンマットをひき、それらを丁寧に置く。
楽しいのか楽しくないのかよくわからない表情で。
そして、冷蔵庫から玉子を1個取り出し、それをご飯の上でわり、それらをよくかき混ぜる。
そのあと、玉子と一緒に冷蔵庫から出していた納豆ワンパックの上蓋をあけ、それをよくかき混ぜる。
そして、そのグチャグチャになった納豆ワンパックを、ひと思いに、玉子ご飯にのせ、さらにかき混ぜる。かき混ぜる、かき混ぜる。
楽しいのか楽しくないのかよくわからない表情で。
彼女は制服を着ている。髪はまだとかしていない。
ちりめんじゃこがある場合には、ソレもトッピングよろしく玉子納豆ご飯の上にふりかける。
そして、彼女は、楽しいのか楽しくないのかよくわからない表情でそれらをよく咀嚼し飲み込む。まったくマイペースで。
ご飯茶碗とおわんが空になると、ソレらを流しに持っていき、そのついでに冷蔵庫からヨーグルトをワンパック取り出し、またテーブルにつく、もう一方の手にはスプーンがある。
そして、椅子に腰を下ろし、ひとつため息をつく。「ハァ~。」
まるでそれは儀式みたい。
もちろん、ヨーグルトもよくかき混ぜる。しかし、その前に、上蓋の裏についたヨーグルトを、それはそれは器用にこそぎとる。
いつしか、そのカップは空になっている。そして、そのカップは流しに持って行かれ、彼女はまたテーブルにつく、ランチョンマットの上には黄色いバナナが1本。
彼女の表情はすっかり穏やかになっている。うっすら微笑んでいるようにも見える。
こらが私の至福の瞬間と言わんばかりに!。
皮はユックリとむかれる。
ソレをほおばる。
ボクはバカナことを想像してしまう。


たぶん、あと1年くらいで、ボクは彼女に追い越される。
すでに彼女の脚はボクより長い。

そんな彼女に言いたい!。

お父さんの焼酎の水割りを味みして言うな!
「コレ、ウスッ!」

オマエはヨメにいけるのだろうか・・・・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受験生を持つ親の記録

2010-03-19 18:06:34 | 子供の記録
長女ユーちゃんは、昨日の朝からジョギングを始めました。
中学の部活が終わってからかなり太ったらしく、ダイエットも兼ねてのことらしいけど、高校生活をスタートするにあたっての体力作りが大きな目的。

話しは変わりますが、知人、友人のたくさんの方々からお祝いの連絡をもらいました。
そのことは全てユーちゃんに伝えてあります。本人もそのたびに「ありがとうございます」と言って頭を下げております。この場をかりてボクもお礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。


さて、こうしてユーちゃんはめでたく志望校に合格したわけですが、実は、険しい道のりでした。

多くの人から「hiratakuwaさんのムスメさんなら、ダイジョウブ」と言われていましたが、中学3年間の総合成績は平均以下。偏差値50を超えたのは数回。とても志望校が安全圏であるとは言えませんでした。

本人は塾に通っているし勉強もしているふうでしたが、ボクからみると「本当に志望校に受かりたいのか、本当に志望校の吹奏楽部で頑張りたいと思っているのか」と悩まざるを得ない生活態度だったのでした。

昨秋、こんな出来事がありました。

2学期の期末考査の結果を、ボクには見せずに学校へ返したのでした。
これはカミさんも共犯でした。
「お父さんは、もう見たと・・・・・」
要するに悪い成績を見られたら、また、ボクに怒られる・・・、そんな単純な発想。
要するに、「イヤなことから逃げちまえ」精神。「逃げ根性」とも言う。あるいは「逃げポリシー」
ボクが怒り狂ったのは言うまでもありません。
この期に及んで・・・、なにが吹奏楽部だ!、なにが受験だ!、なにがガガガガ・・・!。
ユーちゃんの部屋を破壊しました。
そしてユーちゃんを外に投げたのでした。

実はこれまで、ユーちゃんは、こと『勉強』に関しては、掲げた「目標」や「やると決めたこと」を全て反故にしてきたムスメなのでした。その度に叱っていたのですが、それをいつも、許していて大目に見ていたのは他でもないボク。ユーちゃんは、スッカリ「逃げポリムスメ」になっていたのでした。それは、テストの答案を見ても明らかでした。「逃げポリ」は字にも現れます。

怒りの夜、ユーちゃんがどこに身を潜めていたのかは知りません。
しかし、翌日は何食わぬ顔で朝食を食べておりました。
ひっくり返った勉強机もメチャクメチャになった部屋も元に戻っていました。

その後、本腰を入れて勉強していたのかどうか、定かではありません。
自室にこもり「お勉強」はしていたようです。
しかし、模試の結果に反映されている様子はありませんでした。

トニカク、ボクはボクでいろんなことで忙しくしておりました。

三者面談で志望学科が決まったようでした。
「繊維工業科」でした。

「エッ?、ナンデ、ユーちゃんは繊維なの?・・・」
「だって、アタシ、Tシャツとか染めるの好きだし・・」
「ソ、ソウ」

トニカク、ボクはボクでいろんなことで忙しかったし、深く考えるのはヤメにしました。
志望校に受かってくれさえすれば、どこの学科だろうが、それはそれででいいのではないのだろうか。
そう思いました。

前期試験の倍率は3倍を超えていました。
これは当然の数字で市内の高校はどこも似たり寄ったりでした。
前期試験の合格者の多くはスポーツ特待でゲタを履いている学生たち。
一般で受かるためには、相当の学力(数学)が無ければ難しい状況でした。
なので、前期試験の不合格は当たり前と言えば当たり前の結果なのでした。

さて後日、後期試験の倍率が発表されました。
第一志望学科の倍率は2.7倍を超えていました。その倍率は10学科中群を抜いており、市内高校でも2番目という高さでした。ボクはテレビの報道に目を白黒させてしまいました。
「エッ!?なんでそんなことに?」
慌てて志望校のHPを検索。
昨年度の出願倍率がありました。
昨年の志望学科の後期試験倍率は「1.0」でした。

・・・・ナ・・ル・・ホ・・ド。

その晩・・・・、
「・・・ユーちゃん、・・・・お父さんは、どういう理由でユーちゃんが第一志望を決めたかよくわかんなかったけど・・・・、シャバはヨク出来ていると思わんね・・・・・、結局、ユーちゃん、こういうことなんだよね・・・、逃げて・・・・逃げ続けた先に、逃げ込んでいった人間がそこに群がり、壁となり、山となり・・つぶし合う・・・逃げた人間の縮図がここにはあるんだよ・・・。・・・さて、ユーちゃん、・・・・どうする?・・・・・」

「・・・・・・」


後期試験まで残り約1ヶ月。
ボクはユーちゃんに提案をしました。
「今日からリビングで勉強しようか」

ボクはユーちゃんがどんな勉強方法をしているのか知らなかったから・・・・。

その日のユーちゃんの「お勉強」はこんなかんじでした。
歴史に取り組んだのですが、ノートと教科書・参考書を広げ、歴史の細かい事を蛍光ペンとシャープペンを使い分け、ノートに綺麗に箇条書きで書き写していくのでした。
ボクはしばらくそれを眺めていました。


ユーちゃんには悪かったけど、ボクは言いました。
「ユーちゃん、そういうの、馬鹿ノートっていうんだよ、それは「お勉強」で勉強じゃぁないんだよ・・・、ユーちゃん、近道しよう、・・・・近道・・・・」
ボクはユーちゃんに今までの模擬試験の問題と答案を持ってくるように言いました。

「・・・ユーちゃん、・・・正解だったところはもう気にする必要はないよね、それは出来るっていうことだから・・・・、じゃぁ間違えたところ、出来なかったところをどうするかだけど・・・・」

ボクはユーちゃんに、歴史の間違ったところの「正解」をノートの真ん中に書かせた(ナニを書かせたか思い出せない)。
そしてその「正解」の言葉を中心に引き出し線を書いて、「正解」に関連することを書き出すように言いました。もちろん、教科書や参考書を見ずに。

「・・・それで、全部?、思い出せることを全部書くんだよ、頑張って思い出す・・」

「・・・はい、・・・・教科書、参考書を見てみようっかぁ・・・、ほらぁ~、まだまだイロイロあるねぇ~・・・、ユーちゃん・・・・、とりあえず、この繰り返しでいいよ・・・、今更、ノートにキレイに書く必要なんてないんだから・・・、汚くって構わない・・・、先ずは自分で考える・・・それをノートにダダダと書く・・・脳には揺らぎがあるから・・・思い出したり思い出せなかったたり・・・いろんなことが起こるんだけど・・・、・・・ナニかを憶えようとするときは、ナニかとナニかを関連させて憶えるほうがラクチンなんだよ・・・・・、だってさ、ナニかを思い出すときや喋るときって、思い出すことで次の思い出が出てきて、それが次々つながってってかんじじゃん・・・、だから、憶えるときはその逆をすればいいって、タダそれだけのこと・・・・、エッ?、なんで早くに教えてくれなかったのかって?・・・・、何度も言っていることだよ・・・・、それは今まで、話しを聞く準備がユーちゃんに出来ていなかったから・・・・・、今日初めて「憶える」ということにユーちゃんが気が付いただけなんだよ・・・」


深夜酔っぱらって帰った日もあったし途中で家を空けた日もありました。だけど、毎日少しずつだったけど、苦手だった数学や理科についても一緒に学んでいきました。その頃は、早朝にリョー坊とトレーニングもやっていましたし、広告取り活動やSGA理事から依頼される突然の書類作り、リーグ内の問題もありました。仕事だってここ数年なかった忙しさでした(今だって超忙しいです)。ボク自身、限界に近かったと思いますが、親が頑張らずして子が頑張るかとの思いで必死でした。ユーちゃんがどこまでボクのことを見ていたかは知りません。でも、もう言葉の世界ではありませんでした。ユーちゃんの心に火を点けるためには、ボクはボクの出来ることを頑張るしかない、そう思っていました。

ユーちゃんは頑張り始めました。
おそらく、この一ヶ月間が中学生になって初めての勉強期間ではなかったのでしょうか。

ユーちゃんは受験日の3、4日前にとうとう発熱して丸1日寝込んでしまいました。
原因は体力消耗による風邪でした。ユーちゃんは弱い子ちゃんなんです。
心配しましたが、それは本当に一生懸命頑張っている証拠でもありました。また、今までユーちゃんにとってのビッグイベント、例えば小学校時代の演劇、中学時代の音楽コンクール、いつも数日前に発熱して寝込んでいましたが、当日には体調をそれなりに整え実力以上の力を発揮していた姿を見ていたので、これはウマク行くのかもしれないと思いました。さらに、寝ることによる「記憶の整理」も期待されました。

受験は一人で行かせました。もちろん合格発表も一人で。

合格発表の朝、ボクはユーちゃんに言いました。
「どんな結果がでようが、結果は結果でちゃんと受けとめよう、電話くれよな」
この言葉の後に、「ユーちゃんが頑張っていたことはお父さんがよく知っているから」、と言えなかったことがチョッピリ後悔だったのですが・・・・・。
ただ、それ以外に後悔はありませんでした。仕事のこと、野球大会のこと、リーグのこと、リョー坊のこと、ホースケのこと、カミさんのこと、このバカブログの読者のみなさんのこと、どれも大事ですが、・・・・・ユーちゃんにしてあげること、ボクはボクなりの全力投球でした。

2.7倍という倍率に負けず、モーチベーションを持たせ、諦めさせず、最後までやり抜く。
ハッキシ言って難しい課題でした。ダメだったときの対処も考えていました。

結果はご存じのとおり合格でした。
さて、ここで訂正なのですが、実は、最終的な倍率は「1.8」だったそうです。
倍率発表のあと一部の受験生が志望学科を変更したようで、別の学科で2倍超えがあったそうです。


いよいよ、ユーちゃんの本当の戦いが始まります。
吹奏楽部は100人に迫る大所帯。精鋭Aパートは55人、続くBパートは15人。
厳しい世界です。ステージにさえ上がれないことだって十分ありえます。
戦況は刻々と変化していくと思います。これからは、親としては見守ることしかできません。
人間関係に悩み、恋に悩み、力及ばず結果が出ないこともあるかと思います。
ですが、たぶん、彼女はそれを乗り越え立派な人間に成長していくことでしょう。
ボクはそれを期待しています。

ユーちゃん、ガンバレ!。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滑り込み・・アウト?セーフ?

2010-03-16 10:35:34 | 子供の記録
謹んでご報告いたします。

長女ユーちゃんは、前田智徳選手(広島外野手)、緒方耕一コーチ(巨人コーチ)と同じ卒業学科に、2.7倍という倍率をかいくぐり、ギリギリ、セーフ、セーフ、セーフ!・・・でした。

ユーちゃん、貴女は、なんて親孝行なムスメ!。
ありがとう!。

ケイタイ、買ってやるけんね!。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受験生の恋

2009-07-28 11:45:26 | 子供の記録
成績はパッとしない長女ユー。昨晩は近所のスーパーが主催する夏祭りに遊びに行ってて帰りは9時過ぎ。襟足部分の髪をマメマメの三つ編みなんかにしちゃったりして・・・マッタク。
父親のボクが言うのもなんだけどユーは気立ての良い子。クラスに馴染めない子とも仲良くしていて、そういう子にとってはかけがえのない存在。

そんなユーが教室で一人泣いていたらしい。

心配した先生が話しを聞いてくれた。

同じクラスにユーに思いを寄せている人気者?の男子がいるらしいのだけれど、それを周辺の男子たちがからかってて、その余波がユーにも押し寄せてきたとそういうことらしいのだ。

机の中からI LOVE YU・・・と丁寧に書かれた定規を発見したユーは、悲しみ?と怒り?で泣いてしまったらしいのだ。

担任は、そういうイタズラをした男子たちを呼び出し、事の次第を質したらしい。
そこで、人気者?の男子は本当にユーに思いを寄せていることが確認されたのだけれど、余罪が発覚。ナナナナント、その男子、成績優秀らしいのだけれど、塾帰りの深夜に我が家周辺を徘徊していたらしいのだ。

「○○君!、まるでストーカーじゃないッ!そんなことが知れたら、○○さんのお父さんに殴り倒されるわよッ!」
担任は語気を強めて男子に言ったらしく、徘徊等の事実はその男子の家庭に報告された。

その一部始終について担任から連絡があり、さらに男子の親御さんが謝罪したい旨の話があった。
思春期ではよくあること、わざわざお出でになって謝罪されることでもないとカミさんは断ったらしいのだけれど、その晩、男子の親御さんから謝罪の電話があり、当の本人も電話口で「スミマセン」と謝ったとのこと。

・・・・そんな話しを子供達が寝静まった深夜にカミさんから聞いた。
「お父さんには言わんどって・・」
ユーがカミさんに頼んでいたのだ。

「まぁ、オレもね、そういうことって身に憶えがない話しじゃないしぃ、別に、いいんじゃないのぉ。・・・ま、世の中広いけどさ、一生、男性に声を掛けてもらえない女性だっていっぱいいるわけだし・・・、ま、ある意味、有り難い話しだよ・・・、ほんと・・・・アリガタイ、アリガタイ、・・・・・で、ところで、その男子って、どんなヤツなの?・・」

カミさんが一言で答えた。


「デブ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行ってヨカッタ。

2009-07-24 19:56:26 | 子供の記録
コンクールに行った。
わずか10分の応援?のために、入場料1000円、駐車場代400円を払い、昼休みを1時間ずらして行ってきた。

出来は良かった。

帰宅後、カミさんから結果を聞いた。

「金賞」

しかし、代表選考会には出られない「金賞」。

今回のコンクールが中学最後のステージとなった。

「おとうさん、来てくれてたんだぁ」

「ああ」

カミさんから聞いた。

コンクール後、子供達の多くが涙を流したらしい。
長女ユーは目を腫らせて言ったらしい。
「熊工に行ってリベンジしてやる」

頼むぞ!ユー。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

条件は不利でも

2009-07-22 23:41:27 | 子供の記録
前回の2005年に行われた衆議院選挙では、言うまでもなく、友人木原稔を強く熱く応援したワケだけど、投票日の夜、選挙事務所で開票途中の報道番組を皆が一喜一憂して見ていたのを憶えている。たしか、事務所には各テレビ局の報道番組が見れるように何台かテレビが据えてあったように思うんだけど、木原と相手候補は、最後の最後まで競った状態で、途中経過はテレビ局でマチマチだった。それでボク的に不思議に思ったのが、事務所に集まった殆どの人たちが、木原が勝っているという情報をホンモノと思い、負けているという情報をニセモノとして取り扱っていることだった。
そんな光景を見ながら、「人間って都合のいい勝手なイキモノ」と思ったものだった。

話しは変わるけど、アウェー戦では不利な戦いになるなんてよく言われているけど、これは自然なこと。「中東の笛」なんてごく当たり前の話しで、これをフェアじゃないって言うほうがアンフェア。人間なんて自分にとって都合のいい情報を選択するようにできてるんだから・・。
なので、敵地や不利な条件下で勝利するためには、圧倒的な力が必要になってくる。


さて、明日は長女ユーが所属している吹奏楽部のコンクール。部活の集大成となるコンクール。

二週間ほど前、ようやく指揮者が決定した。指揮を引き受けてくれたのは30歳の青年。中学校のある先生の学生時代の知人なのだそうだけど、話しを聞けば、校長の息子と同級生だったとか・・・。
当初、長年に渡って技術指導に来てくれていた2名の音楽家に指揮を依頼したらしいのだけれど、吹奏楽連盟の中での力関係か人間関係かよくわからないけど、トニカク、その二人が互いに牽制しているようなかんじでどちらも首を縦に振らず、いたずらに時間が経過していたことに業を煮やした校長が全責任を負うカタチで、30歳の青年に白羽の矢を立てたとそういうことらしいのだ。

瓢箪から駒、怪我の功名・・・?。
ムスメも言っていたけど、その青年、デキルのである。見た目もヨロシイのである。
こないだ、合奏の練習を見学したけど、みるみる纏まってゆき、いい音楽を作っていくのである。恥ずかしい話しだけど、今まで、あんなふうにして指揮者が音楽を作っていくって知らなかった。奏者に楽譜通りに演奏させるのはもちろんだけど、細かい指示を出して何度も何度も演奏させて納得いくまでアレンジを続けるのだ。そのアレンジに耐えるには奏者の技術がある程度必要なのだろうけど、子供がそれに応えると、さらに難しいアレンジを要求していくってアンバイなのだ。また、その元バスケ選手で坂本勇人似の黒のジーンズに黒のアディダスを着た青年指揮者は、子供たちをマッタク子供扱いしないというところがニクイのだ。
そういうわけで、長女ユーは「去年よりもゼッタイイイ」と評している。
「明日のコンクールは無理して来なくていいよ、27日の代表選考会に出るから・・・」
なのだそうだ。


だけど・・・と、思う。
コンクールの審査員は県外から来る人もいるそうだけど、所詮、関係者。
昨年コンクールに行き、歴代の優秀学校や指揮者名簿を見、音楽もちゃんと聞いたけど、結果になんとなく違和感を覚えてしまった。

ユーの吹奏楽部では、顧問の突然の退職に加え一時はイジメ事案も発生。
不祥事と言えなくもない。

不利な条件を乗り越える本当の力が必要だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早朝通学

2009-06-05 10:39:20 | 子供の記録
次女のホースケは、週明けから、早朝通学。

そういうワケで、朝は殆ど会話をしていない。

「バドミントン部も朝練があっとたいねぇ~」
一緒に朝ご飯を食べていた長女ユーに話しかけた。

「ないよ」

「えっ?」

「クサトリ」

「んっ?、草取りが朝練ってこと?」

「違うぅ~!、そんなわけないた~い、草取りは、草取りッ」

「なんでぇ?」

「制汗スプレーを使ったらしいよ、こないだのキャンプで・・・」


先週、中1年生は二泊三日の教育キャンプだった。
そのキャンプで一体どういう教育を受けているのか知らないけど、制汗スプレーみたいなシロモノの持込・使用は御法度だったらしい。

ホースケはそれらを使用していたとのこと。しかも友人のものを拝借して・・・・・。

ま、フロ無し二泊三日は思春期娘にはツライことなのかもしんないけど、それがキョーイクってもんなのだろう。

おバカなヤツ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落とし前

2008-12-26 11:16:21 | 子供の記録
前回のブログでは、長女ユーのタイトルホルダーについてプチ自慢したワケだけど、終業式の日に学校から持って帰ってきたユーの成績表を見てボクは・・・・・。

ユーの学力については、小学校の頃、ボクが全く面倒を見なかったことがその大きな要因であることは十分認識してるし反省してる。だから中1の夏休みなんか、殆ど毎日問題を作ったりして、小学校の復習をそれなりに頑張ったのだ。だけど、2学期になり、成績は急降下。こりゃイカンと思い、本人も塾に行ったほうがいいかもとのことから、同級生が経営している塾に行かせることにしたんだけど、成績向上の兆しはマッタク無く、偏差値50付近を行ったり来たり。しかし詳しく分析すれば長期的には降下傾向。そして、ついてに今学期の期末試験では100番(学年人数は180人)を大きく下回ったのだった。

これまで、ユーとは頑張ろうとの意味をこめていろんな約束をしてきた。そして約束を破ったときは「吹奏楽部を辞める」が条件だった。だけど、ユーはそれらをことごとく反故にしてきたにもかかわらず、ボクも甘いと言えば甘いのかもしれないけど、しょうがないなユーちゃんだし、という気持ちもあって吹奏楽部は辞めさせなかった。

中2の冬ともなれば高校を意識する時期。シニアのオヤジ達も高校のことが気になっている様子。
翻ってユーの成績では既に進学高校及び近隣の普通高校は難しい状態。そんな折り、ユーは熊工に行きたいと言い出した。熊工の吹奏楽部に入って頑張りたいと。
ウレシイ限りではないか。熊工の吹奏楽部といったら全国有数のマーチングバンド。練習も相当に厳しいらしい。そんな困難な環境に身を投じたいという姿勢だけでも誇らしい!。

しかし、しかしてしかして、ボクは、人並みの学力は身につけて中学を卒業してもらいたいと切に願っている。

ユーとはこれまでいろんな約束をかわしてきたけど、その最終ラインは100番以下になったら即退部だった。

昨日、家族会議を開いた。
妹弟も、これまでユーが約束を反故にしてきたことをちゃんと知っている。
以前のイキサツはリョー坊が実によく憶えていた。
ユーちゃんが吹奏楽部を辞めるべきかどうか、家族全員に問うた。
ここまで頑張ってきたのだから辞める必要はないという意見の中に、次女のホースケは、吹奏楽部を辞めたら成績はもっと下がるだろうから辞めるべきではないと言った。

しかし、最終ラインの約束を守れなかったことについては、どうすべきか、そう尋ねた。
つまり、落とし前はつけてもらう、とそう言ったのだ。
そして、三人を別室にやり落とし前について話し合うよう指示した。

その間、ボクはリビングでボリュームを大きくしてニュースを見ていたんだけど、和室から議論している声が聞こえてきた。白熱している様子で次女のホースケは半泣きの声だった。
30分が経過し、中を覗きこみ、だいたい決まったかと尋ねた。
一同の首が縦に振れた。

3人をリビングに戻し、テーブルに全員を座らせ、ユーの落とし前について尋ねた。
ユーが答えた。
「私は一人でもいいって言ったけど、三人で走ることにしました。冬休み期間中は朝から毎日3人で走ります。最初は短い距離かもしれないけど、だんだん長くしていきます・・・・」

ボクは言った。
「・・・いいんじゃない。だけど、朝と夕方2回走れ。そして、それを記録につけろ。どこまで走りどのくらいの時間がかかったか。いいな。」

本日午前6時、子供達は夜明け前に家を出て行った。



話しはかわるけど、どういうイキサツでユーの落とし前が「3人で走る」ことになったのかボクなりに推察しておきたい。

おそらく「走る」ことを提案したのは次女のホースケだと思う。
ユーの苦手が走ることであることをよ~く知っているからだ。
みんなで走ろうと提案したのも次女のホースケだと思う。
ホースケも走ることが苦手な上に、体力をつけとかなくちゃいけない事情があったからだと思う。
年明けの学校行事で高学年は3333段の石段登りがある。昨年、ホースケは途中棄権しているのだ。
リョー坊については言うまでもないだろう。走るのが好きだし、二人の監視役にはうってつけだからだ。

そういうワケで3人には頑張ってもらいたいと、そう思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする