1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

誇り高き野球バカ×11(最終回)

2012-05-09 22:43:33 | リトルリーガーの記録
こうやってバカブログを綴りながら悦に入っている人間がロクでもない野郎であることは、読者諸兄の熟知事項であることは十分認識している。であるからして、デキソコナイのクソヤローの感謝の言葉など、知らぬ顔してさっさと便器に捨ててしまって構わない。
しかし、ナメクジにも角という諺があるように、ロクでもない人間だってヤルときにはヤルのである。世間の圧力に負けて、とりあえず「感謝」という言葉を使っとけばOKという逃げ根性やその場しのぎで言うのとはワケが違うのである。
「ホントにボクなんかが生きてて御免なさい、迷惑掛けて御免なさい」なのである。
こんなところで、いきなりエネルギーの話しを持ち出して大変恐縮なのであるが、元々人間は、数十億年という地球(宇宙)の営みの延長線上に極僅かな時間だけ「生きる」ことを許されたはずの動物である。人間が生まれたことが偶然か必然かはわからないが、トニカク、動物あるいは生物は、地球という閉じた(ホントは閉じてないかもしれない)物質循環とエネルギー循環の中で生きている。ボクが死んだら、現行法のもとでは火葬されるのであるが、灰以外の多くのボクは完全燃焼して二酸化炭素や水蒸気となって大気中に放出される。死ねば人畜無害の存在になれるのである。
しかし、生きているボクはどうか。確かに、キレイなオネェちゃんの前では人畜無害のフリをするだろうとの指摘には頷き必至であるが、ソレ以外に「人畜無害」と言える場面は見当たらない。今風に言えば、世間や環境に負荷を与えている悪玉「人間」なのである。
そのように考えることは必要以上のことで、オマエは俺達も悪玉同然だということを遠回しに言っているだけだという声も聞こえてきそう。しかし、最近の「感謝」の出発点が「御免なさい」にあるから仕方ないのである。

GW中は今年も二泊三日で「虹の岬まつり」に行ってきた。このおまつりについては、一風変わっているということで賛否両論あるのだが、基本的には「こどもゴコロ」を祝う「感謝際」である。と言ってもなんのこっちゃであろう。このおまつりの説明は難しいし、ここに集う人々のことを表現するのはさらに難しい。あえて言うなら、動物人間として「食物連鎖」に組み込まれることを望んでいるように見える人達の為のおまつりなのである。つまり太古的なまつりなのだ(太古のまつりをボクは知らないが)。しかしながらクリエイティブな側面も多いにあり、今年は手作り褌(フンドシ)の出店があったのには驚いた。そして、彼らのような人々こそ「何が何でも原発反対」の有資格者、しかもゴールドカードの優秀資格者であると思うのであるが、彼らに政治色は殆どないようなのである。

二泊三日のキャンプではテントや七輪を使ってそれなりに便利ではあるが、基本は不便を楽しんでいる。そして、夜は風の音を聞き、月光を浴び、暗い松林を見る。寄せては返す波の音とともに潮も香る。朝は水平線から登る太陽の光りと鳥のさえずりで目覚める。また、これがボクにとっては一番不思議なのであるが、テントの中で目をつぶると、外にいる人々がまるでボクの耳元で談笑しているかのようなクリアな声を感じるのである。そして、こういう一連を通じて、「ボク」が「世界」に溶け込んでいる一部であることに気が付いたりしてホッとするのと同時に、こういう感覚を大事にしとかなくちゃいけないとつくづく思うのである。一方、しばらくすると、こんなふうにのんべんだらりとしていたら、「オレ、ホントーに馬鹿になるんじゃ?」なんていう不安もよぎったりして、「幸」と「不幸」の波打ち際に立たされているような感覚に陥るのだ。しかし、いずれにしても、こういうアホキャンプの場合は、「馬鹿になってもいいじゃんか、オレ、生きてるし」という幸せ感が勝り、なんとなくではあるが、自然発生的に有り難いなぁという感情が湧いてくるのも事実である。そして、生命の源を育んだ太古からそれほど変化は無いと思われる大海を目の前にしながら、これまでボクと関わりのあった多くの人々のことを思い出して「お陰様で」と控えめに小さく呟いてみるのである。ホントーである。
なんだか最後にhiratakuwaらしくない一面をサラしてしまった感が強いが、この辺でこのシリーズを締めくくりたい。
ありがとう。

なお、息子は、今週末、オファー頂いたチームに体験参加する予定になっている。

終わり
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誇り高き野球バカ×10

2012-05-07 21:49:44 | リトルリーガーの記録
さて、このシリーズもずいぶんと長くなったが、そろそろ「無力感」について記録しておこうと思う。
言葉のアソビになるが、「無力感」を感じているうちはホントーの無力でないのであろう。
しかし、自分に力が無いことを知る、あるいはソレを受け入れるということは、人生において、結構大事なことではないのだろうか。ひょっとして、ボクは「イマサラ」なことを言っているのかもしれない。
自分に力があると信じて頑張るのも結構なことだと思う。「こんなはずじゃぁないッ!、オレはまだまだデキルッ!」。ダルビッシュがメジャー初先発時に、スタンディングオベーションされながらも、それを無視してベンチに下がったあの姿!、正直、メチャカッコイイと思った。でも、それはダルだからの話し。四十過ぎの老眼・白髪交じりのセックスぐらいしか能のない零細極小企業のオッサンサラリーマンが、「オレはまだまだデキルッ!」っと力んだところで、四十肩を悪化させるぐらいのものである。

で「無力感」。力が無いということを知るからこそ、そこからまた新しい努力が始まるのだと思う。「無力の力」って表現はどうだろうか。
今までは、ひたすら自分の利益、自分の力をさらにパワーアップさせるための努力に心血を注いでいたような気がする。で、結局は、オレはこんなに頑張っているのに、・・・なんて心の中で呟いていた。サイテーヤローである。
「オレはデキソコナイである!」
プライドを捨てているワケではない。まして、草食系男子の如く“対傷心バリア”を張り巡らそうなどと思っているワケでもない。
ただ、デキソコナイのデキソコナイによるデキソコナイのための生き方をデキソコナイらしく謙虚に処方したいだけなのである。具体的には、「明日は明日の風が吹く」精神を取り戻しながら、にこやかに健やかに世のため人のために尽くすことが新しい生き方として、短小短足の身の丈にあった自分自身に提示したいだけなのである。しかし、独りよがりの自己満足型になってはいけない。

息子と少年野球を通じてボクは多くのことを学ぶ事ができた。一方、このバカブログにでさえ記録できないようなバカバカしいことも何度も経験できた。刺激的だったこともある。面白かったこともある。腹立たしかったこともある。虚しかったこともある。悲喜こもごもといえば早いかもしれない。
だけど、今となっては全て過去のことであるから、それはボクの記憶の世界の話しでしかなく、人間の記憶などアテにならないという前提に立てば、一連の記憶というものは、実はボク自身によって塗り替えられた可能性も考えておかなくてはいけない。ボクとしてはバカバカしい記憶であっても、別の角度からは真剣で重要な忘れ難き記憶であるかもしれないのだ。つまり、過去の「事実」は、実録が無い限り、異なる記憶を頼りに「言葉」によって語られるため、「事実」についてはいつも争いの種が含まれることに気を付けなければならないのだ。ま、小難しいことはさておき、現在のボクをボクたらしめているのは、記憶がどうであろうと、過去の出来事が原因であることは間違いないわけで、そういう意味において過去の重要なワンピースとなったのは、「おとうさん、明日も野球あるよ」と言った息子の言葉、息子の存在なのである。
なんだかヤヤコシくなったが、つまり、ボクは今の自分が好きになりつつあるのだが、そういうふうに思えるようになれたのも息子のお陰なのだと思うのである。
息子のミニ小説の最後にこんなコメントが添えられていた。
-こんなことが想像できる自分が幸せです-
なお、ボクもお陰様で幸せである。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカ×9

2012-05-02 08:46:22 | リトルリーガーの記録
息子は、現在、リハビリ中である。リハビリの若い先生には回復が早いと言われている。GW明けにはスローができるようだ。
息子の障害は端的言えば「野球肘」。いわゆる「少年野球肘」で、上腕骨内側上顆と呼ばれる骨の出っ張りの部分の成長軟骨が障害されるものである。息子の場合、剥離や変形には至ってないとのこと。身長がグングン伸びるような、骨端(成長軟骨)の活動が活発な成長時期に多発しやすいとか。確かに息子はこの1年で10cm以上身長が伸びたが、リハビリの先生の所見では、その骨端につながる筋肉の張りが強いらしく疲労の蓄積も原因の一つではなかろうかということであった。

チームの解散については、やはりショックだったようだ。
たとえ怪我をして試合に出られなくても、最後までリトルリーガーとしてこのチームを卒団したかったと漏らしていた。それはボクだって同じだった。

中学校が始まり、息子は7時前に家を出るようになった。
「こんなに早く行っても、学校、あいとらんどぉ?」
「だけん、キョートーに鍵ばもらいよるッ!」
中学校は、相当、イイトコらしい。部活に興味を持ち始めても仕方がない。
迷いは当然である。
ナント、担任が、野球部の顧問だったのだ!。
しかし、こないだの家庭訪問で先生はこう言ったらしい。
無理な誘いはできないと、ただし、学校ではリーダー的存在になってもらいたいと。
有り難い話しである。

当面の目標を記録しとこうと思う。
「5月20日 運動会1500m走 学年1位」
現在、一緒にトレーニングをしている。怪我をしているときこそ、親の出番なのである。
老体にムチを打ち、人に指を差されようが笑われようが、トニカク、己が体を張って範を示すことが大事だと思っている。モーチベーションを保つことができるようサポートすることがナニヨリも大事なのだ。
昨日行われたスポーツテストを兼ねた3クラス合同の予選レースでは2位。タイムは6分ジャスト。この時点の目標である6分10秒以内をクリアし、1ヶ月前より30秒もタイムを短くした。とりあえず4組の代表に選出され、「学年1位」が射程圏内に入ってきた。
なお、文科省のデータによれば、1500m走の中1男子平均は6分59.23秒、中2が6分14.75秒、中3が5分56.21秒である。

「うちは子供に任せてありますから」は、親の怠慢ということを前に書いたが、うちの息子はもう中学生だ。難しい時期とは言え、そろそろ「任せる」ことも必要だと思っている。
先日、息子に「与えられている選択肢」について話してみた。本人はピンとこない様子だった。ひょっとしたら、今後、こちらが想像もしないような選択をするのかもしれない。
将来の自分へ宛てた手紙というテーマで卒業生が書いたクラス文集がある。その中に、一人だけ「手紙」とい形式を完璧に無視してミニ小説を書いた輩がいた。
チープな雇われ写真家が撮った1枚の風景写真が脚光を浴びて、その場所が有名観光地と化し、数年後、其所を写真家が家族とともに訪れるというところから話しが始まり、写真家は、少しは役立つ人間になったという淡い満足感に浸っている。写真家は息子と手を繋いでいる。しかし、写真家はあるときその息子が12歳の自分であることに気付いて驚愕するという内容。
この暗示的なミニ小説を書いていたのは、ほかならぬ息子である。面白いと思った。
とりあえず野球は続けると思う。しかし、どのような野球をするのかは本人次第である。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカ×8

2012-05-01 22:20:17 | リトルリーガーの記録
お別れ会は、一本締めで散会となった。
ボクは隅の席で座布団に正座した。
最後を見届けなければならないと思った。
それが設立の誕生を見た者の責任だと思った。
大部屋から大人、子供達が出ていく。入れ替わるようにして若い店員が入ってきてテーブルを片付け始める。そのうちの一人は何かをぼやいている。
実にあっけないものである。本当にあっけないものである。
さっきまで元気に生きていた人間が、ふっとこの世から去ってしまったような感覚に近い。
そして次の瞬間には無力感が全身を襲うのである。

このチームの解散に関して、ボクが必要以上の責任を感じることは無いというのは理性で十分わかっているけど、ボクの根っこにある感情がボクを打ちのめにしてくれる。
オマエハナニモデキナイ、オマエハヨワイ、オマエハムスコモマモレナイ、オマエハミンナニメイワクヲカケテイル、バカ、アホ、マヌケ、オマエガイチバンワルイッ、ズルイッ!
・・・「トーチャン、トーチャン、ほら、トーチャン、もう迷惑になるでしょ!」
カミさんがボクの右腕を担ぎ上げていた。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカ×7

2012-04-29 22:05:08 | リトルリーガーの記録
息子のケガは少なからずチームに影響を与えたように思う。早計な判断は禁物だが、息子の治癒にはかなりの時間を要すだろうことが、周囲の人間には判っていたように思う。
固定具の装着が少なくとも1ヶ月になるというような話しを聞けばなおさらであろう。また、結果的にはワールドシリーズへの道を自ら絶ったと言うことにもなるだろう。
「痛みが出はじめたとき、実際はどうだったん?」
「2、3ヶ月は投げれんと思った」
「そうか、じゃぁ、つまり2、3ヶ月したら投げれる、治るっていう期待というか確信みたいのはあるとたいね?」
「それはある」
病院の帰り道、息子は力強くキッパリ言った。昨年、踵の骨嚢腫という診断で一時絶望を味わった経験のある息子の言葉に、こちらが救われたような気がした。
また、大会から戻ってくる車中で同じことを聞いたとき、息子はこう答えていた。
「ゴローの気持ちで投げとったばい!」
その屈託のない返事に、ボクとカミさんは笑ったのだった。

それから一週間が過ぎた頃、3月いっぱいで退団したいという旨を球団に伝えた家庭が数組あることが知らされた。それはもうチームとして試合ができなくなることを示していた。そして一人、また一人と。無念と言うほかなかった。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカ×6

2012-04-28 21:43:18 | リトルリーガーの記録
基本的に、少年少女スポーツにおける怪我や障害は、親の責任だと思っている。特に有能な選手の場合はそうだ。
実のところ、子供達に選択の自由などないと思っている。彼らには自由な選択ができるほどの情報は与えられていないし、また、その情報を解釈・分析するリテラシーも備わっていない。敢えて言わせてもらえば、「大人」についても同様であるかもしれない。
我々はいつも限られた時間と限られた資源と情報の中でしか選択ができない。だから「無限の可能性」などと甘やかした言葉によって、子供や若者は後々苦しむことになるのである。このため、限られた環境の中では我々は極力自由であるべきなのであるが、子供達はその能力から、自由に選択ができている状態にはないと言いたいのである。最近、「うちは子供に任せてありますから」などとテイのいい言葉をよく耳にするのであるが、それは責任回避にしか聞こえない。あるいは怠慢だ。
有能な選手ほどケガのリスクが高いということは言うまでもない。彼らは無限の可能性などを持っているワケでなく、有限のしかもごく普通の資質を、フルパワーで使っているだけなのだ。
ここに大きな落とし穴がある。有能な選手はパフォーマンスが良いだけに、周囲からの期待も大きい。そして、そういう称賛は一種の麻薬と化し、少年少女の体を蝕んでいくのである。特に、チームプレーともなればその傾向はさらに強い。ここに選択の自由などというものはない。本人の意思のように見えて、実は他人の圧力だったりするのである。そして重篤な障害を抱え、選手生活から早々の幕引きを迫られる。

陸上記録の研究に面白いものがある。少年少女期の有能な選手が、優秀な成人選手に成長する割合についての研究である。ボクの記憶が正しければそれは10%程度である。
成人まで選手生活を全うできるようサポートすることが大人の責任であり、親の役目である。我々に問われるのは、ケガというリスクをどうのように回避し、あるいは最小にし、リスクが発現した場合にどのようなセーフティーを準備しておくのかということである。つまり、リスクをどうコントロールするのかということである。子供の身体は常に成長を続けている。だから、刻々とそのリスクが変化していくことも心得ておかなければならない。
スポーツ選手を育てるということは、かくも大変で一大事業なのである。
だから人々は熱中熱狂するのである。

話しはやや逸れるが、ここは勢いなのでブチマケておきたい。
オリンピックについてである。金メダルについてである。
オリンピックは4年に1度の国別対抗大運動会であることを忘れてはならない。であるからして、出場選手の国籍に関して細かくウルサイのである。ネコかネズミが知らないが、そのへんをわきまえていないから、ヘンなことになってしまうのである。「国籍」とはそんな簡単な話ではないのである。コノ、愚か者めが!。
もし、国籍なんか関係ない世界大運動会であれば、本当に優秀な選手達を集めてやっちゃえばいいのであるが、その場合、ネコは出られない。誰もネコなんかに期待していないのだ。しかし確かに、世界大運動会なんてものがあってもよさそうなものだが、それは盛り上がりになんか欠けそうである。敢えて言っとくがネコが出ないからではない。

わかっている人には「イマサラ」話しになるけど、オチンピックじゃなかったオリンピックはフェアでクリーンなスポーツを建前にした4年に1度の国力順位決定戦なのである。問われるのは「金メダル」の数のみ。参加することに意義なんて無いのだ。
GDPなんかの経済指標や軍事力がその国の「力」を示しているかのように思えるが、これらの数値で我々は熱狂なんかできないのである。熱狂する意味は、そこに数値記号ではないリアルな勝ち負けがあり、順位序列があり、競争があるからである。我々は老いも若きも誰もが実は競争が大好きなのである。そして、自分が所属するコミュニティの勝利をあたかも自分の勝利のように喜ぶのである。負ける者には見向きもしないのである。見る価値すらないと思っているのである。そばに置きたくない臭いモノ第1位なのである。
そういう「仕組み」になっているのである。我々人間が、地球上でこのように繁栄を謳歌できているという理由は数多あろうが、ボクはこの「仕組み」に金メダルを与えたい。

以前、「2位じゃダメなんですか」発言で耳目を集めた女性政治家がいたが、どう見たって彼女が一番の「No.1嗜好」に見えるのである。最初、小膣じゃなかったコイツは何を言っているのかと思ったが、実は、目の前の相手を打ち負かして自分がイチバンであることを示したかったに過ぎないのではないか、ということに思い当たったのである。こんなヤツは年配者に多く、その存在確率の高さから「老害」として認知されている。ひょっとして人間は、先ず一義的に目前のリアルな勝敗にこだわってしまう生き物なのかもしれない。先の彼女は「2位」発言により、は図らずも「1番」が大事ということを我々に証明してくれたのではないだろうか。

それにしても、勝利するのは難しい。本当に難しいものである。
オリンピックにおける金メダルは個人に授与されているようであるが、私のようなデキソコナイにはそのように見えない。表彰式のとき金、銀、銅の順番に国旗が掲げられている。それがミソである。もしボクがメダリストだったら家族の写真を掲げたい、いや、カミさんの肖像なんてのはどうだろう。ただし、若くキレイだった頃の写真じゃなきゃカミさんはダメって言うだろうなぁ、たぶん、うん、そっちのほうがボクもいい。読者諸兄には申し訳ないが、なんか勝手にHAPPYな気分になってきたぞ。まぁいい。

話しを元に戻す。
確かに、メダルを獲った個人の努力は称賛に値する。しかし、個人の努力だけで金メダルが獲れるというものでは決してない。様々なサポートや環境が必要なのである。多くを述べるまでもないが、頂点を極めるためには、選手の持つハングリー精神とは対照的に、彼らを取り巻く環境にある一定の余力や金銭的余裕のようなものが必要である。また、そのスポーツ界のすそ野の広がり具合が重要である。決定的とすら言えるかもしれない。当然、すそ野は広い方が良い。そして、すそ野も強い方がいいに決まっている。すなわち、金メダルが多いということは、一国の余力や余裕を示し、その国の多様性とシステム、場合によってはテクノロジーの高さを示すということだってある。・・・・ような気がする。

・・・と、このくらいにしとこう。この「誇り高き野球バカ」シリーズは、まだ、先があるのだ。ホントは、ここらかジャイアンツを引き合いに出し、そのファン心理に触れた上で、我々野球バカたちが、その広くて強いすそ野の一部となっていることに自負を持ちつつ、強いものに否応なく惹かれてしまうことを話したかったのだ。また、少子化に相まって起こっているように見える急速な野球離れが、今後の野球界の有り様を左右する可能性が大きいことも話しておきたかったっていうか、大体話してしまった。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカ×5

2012-04-27 18:35:32 | リトルリーガーの記録
ボクはとりあえず医師免許を持つ実父に連絡をとった。
父は、冷湿布と安静と圧迫の3点の処置を挙げた。
しかし、これはスポーツ障害時におけるRICE処置のうちのElevation(既に処置済み)を除く処置で、ボクだって知っていることだった。
「他には?」
父は銘柄指定である薬の服用を勧めた。

ボクは、スマホで検索した近くのドラッグストアを目指した。目的の店舗に着いた頃、大会主催者から病院を紹介したいとの連絡があったが、ボクはそれを丁寧に断った。

必要物品を購入し会場に戻ると、息子を駐車場に呼び出して、車内で施した。
冷湿布を貼り、一番楽な角度を保持した状態で、上腕から手首付近にかけて伸縮性の包帯を巻いていった。そしてチームカラーの紫のアンダーシャツを着せ、最後に三角巾で腕を吊した。
処置の途中、否が応でも息子の手に目がいってしまう。そこには努力の証があった。バット豆に、右手指先にはピッチャータコ。身長はまだまだ低いというのに、手だけはボクより大きくなっているようだった。車内で、息子は終始無言だった。グランドからの歓声が車内にくぐもって聞こえていた。
処置が終わり、
「今日の夕方には家に着く、明日、病院に連れて行ってやるけん」
「ありがとう」
息子はそう言うと、チームの試合会場へ歩いていった。時折吹いてくる北風が、グランドコートの右袖を強く揺らしていた。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカ×4

2012-04-26 23:51:46 | リトルリーガーの記録
翌朝、福岡に向かう車の中でボクはカミさんにこんな軽口を叩いて、息子の状態を楽観視していた。
「たぶん、リョウタロウは、マンガのヒーロー気取りで投げてたんじゃ」
しかし、会場の駐車場から試合会場へ向かう道すがら聞かされた息子の様子は、ボクの予想に反して相当悪いものだった。満足に食事が摂れていないとのことだった。それは心身消耗し過ぎてメシも喉を通らないというのではなく、右手が満足に使えないということだった。朝食では牛乳をこぼし、大好きな納豆をかき混ぜることができず、それを見かねた保護者が手伝ってやったとのことだった。

グランドに着いたときには、昨日のトーナメントで敗退したチームとの練習試合が始まっていた。グランドは福岡県宗像市の丘陵地にあり、その北方に面した玄界灘からはまだ冬の風が吹き込んでいた。息子はグランドコートを着て、その風に向かって文句でも言っているようにベンチから懸命に声を出していた。ボールを拾い、バット引きもやっていた。そのサバサバした様子からは、特に問題は無いように見えた。不自然に曲がった右腕を除けば。

攻守交代時に監督に挨拶をした。
監督は、申し訳ないという苦渋の表情で帽子を取った。ボクは監督の許可を得て息子をベンチの外に呼び出した。

先週の練習試合では全く問題はなかったらしかったのだが、週中くらいに右肘に違和感を感じたそうだった。ただ、試合開始時に違和感を感じつつも全力で投げれば自分の納得いくボールが投げれたらしく、そこで「全力」で行くと決心したらしかった。
「じゃぁ、ケガを覚悟で投げたんだな。」
「うん」
前日の試合を観ていた理事からは、こんな報告を受けていた。
ブルペンでのボールの走りは素晴らしく、1回は一人をフォアボールで出すも、残りは全て三振で滑り出しは上々。しかし、3回に入って突然球威が落ち、その後、ホームランを浴びて4回で肘痛のためマウンドを降りたとのこと。
息子に詳しく聞いてみた。
2回1死後の投球時に痛みが走り、その後は投げる度に痛みが増し、4回が限度らしかった。
「それで、痛みの程度はどうなんだ」
「昨日の夜よりはマシ」
「それで、今は、痛みでどっちにも動かんとや」
「どっちにも動かんね」
ということで、カミさんが持ってきた黒の綿バックを三角巾がわりにして腕を吊してやった。
「ちょっとこれでガマンしとけ」
「ワカッタ」
息子はベンチに戻っていった。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカバカバカ

2012-04-26 19:04:01 | リトルリーガーの記録
3月に始まった新シーズンの息子の背番号は「1」。
練習試合では、あわや完全試合という好投もあった。
本人も調整とフォームチェックに余念が無かった。投球日と投球数をきめ細かく決めて、無理のないような調整を実施していたし、鏡を見ながらのシャドウのほか、自分で動画を撮影してはそれを入念にチェックしていた。
この時点でチーム状況は、規定による選手不足で全日本選手権の予選には出場できないことがほぼ確定していた。それは、つまり、僕ら親子が目標としていたワールドシリーズへの道が完全に閉ざされたことを意味していた。
しかし、息子は、己が全力を尽くせば、連盟の春季大会で九州を制することができると信じていたようだった。ただ、練習に励む息子には明らかに「力み」が見られた。力を抜くよう言うべきだったが、それを受けつけないような凄みが息子にはあった。怪我だけが心配だった。

春季大会は3月10、11日に福岡で行われた。
息子は1回戦に投手として先発出場していた。しかし、その日は次女ホースケの卒業式のため、ボクとカミさんは熊本にいた。
雨で試合開始時間がずれ込んだために、昼過ぎに連絡があった。初戦敗退の連絡だったが、結果以外の内容も含まれていた。それは息子の怪我に関するものだった。
4回を投げ終えた時点で、自らもう投げることができないと監督に申し出てマウンドを降りたそうだった。その後は、守備にもつかず打席にも入らなかったとのこと。トニカク、右肘をかなり痛がっている様子とのことだった。
夕刻、息子とケイタイで話すことができた。
「痛いか?」
「痛い」
「投げれんくらい痛いとや?」
「ウン、もう投げれんね」
「トニカク、明日、そっちに行くけん、おとなしくしとけ」
「ワカッタ」
男親子の会話は素っ気ないものである。息子の声に暗さはマッタク感じられず、ボクは心配に値するような怪我ではないと思った。しかし、これはバカバカしくて誰にも言わなかったことだが、電話のあとから自分の右肘が痛み出したのだった。そして、これは後から判ることだけど、そのときの息子は投げるどころか歩くときの振動でさえ肘に激痛を感じていたのだった。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカバカ

2012-04-25 21:31:17 | リトルリーガーの記録
先週末、お別れ会が催された。三月末頃まで在籍していた選手とその保護者達が集まった。総勢40名といったところ。日程が決まったのは、その2、3日前。この僅かな時間に、ママたちは会場の手配や卒団証書作り、そしてDVDを製作していた。ボクはプロジェクターを持参するだけだった。
宴もたけなわになった頃、監督から選手一人一人に短いコメントと共に卒団証書が手渡された。監督のコメントを神妙に聞き入る選手、グジャグジャに泣いてしまう選手、微笑む選手。そして最後に新中1年生の3選手が呼ばれ、監督は額入りの証書を3人同時に手渡し、彼らを保護者側に振り向かせて並ばせると、こう切り出した。
「彼らが、自分が目指していた野球をやってくれた3人です!」
監督はあまり話し上手ではない方だが、その気持ちは十分通じた。
ボクはその時、涙が止まらなかった。あるママが作った詩が読まれたときも、DVD鑑賞のときも、・・・・。
ボクは、これまで監督とは一線を引いて接してきたように思う。それが原因で、お互いに誤解が生じたようなことがあったかもしれない。
トイレで監督と一緒になった。後に入ってきたボクが先に何か言うべきだった。しかし、切り出したのは横に並んだ長身の男だった。
「オレ、hiratakuwaさんのこと、大好きでしたよ」
ボクは便器に視線を落としたまま言った。
「言うな」
「でも、ホント・・」
「もう、言うな」
二回目はやや強く。
監督に対して、年長者としての言葉を吐いたのはこれが最初で最後だった。
涙でそれが言葉になっていたかどうか甚だ疑わしかったが・・・。

その宴の約2時間はあっという間に過ぎ去った。
これは言い伝えによるが、
「自分で立ち上げた球団なので、幕は自分で降ろす」
これが球団代表の意向。
全国大会に何度も出場し、さらにプロ野球選手も輩出し、「名門」と称される時期もあった。
しかし、シニアはこの2月から部員ゼロに。結局、リトルも入団者は無し。
しかし、我々保護者達はチーム存続に向けてやるだけのことはやった。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカ

2012-04-24 22:57:35 | リトルリーガーの記録
先週、一つのリトルリーグが、実質的な活動に終止符を打った。
5年半に及ぶ活動は、長かったかもしれないし、短かったかもしれない。
うちの息子は、設立時の小学校1年生の秋に入団し、今年がラストシーズンとなる中学1年生にまで成長した。第1期の卒団生は現在高校3年生で、その殆どが各高校でエースや主軸として活躍している。中にはプロ注目の選手もいる。
しかし、2年前、シニアの監督交代で始まった評判低下とともに、それが悪評へと変質、さらに追い打ちをかけるように、現代版の呪術師とも言うべき自称ジャーナリストによる球団代表についての詳細な黒い噂に関するネット報道が、昨秋、明るみに出た。
退部者が続出し、財務も悪化の一途を辿った。

少年野球教室と勘違いして気軽に行ったリーグ設立時の5年半前の体験会を今でも思い出す。
ソコには「野球魂」の親子が群をなしており、ボクは直ぐさま息子の手を引いて帰りたかった。しかし、翌日の練習にも連れて行ってくれと息子がせがむ。10人くらいの大きい6年生に囲まれ、小1年生は息子一人。全て同じ練習メニューをこなし続けた。一ヶ月が経過しようとした頃、一人の熱血野球オヤジがボクに言った。
「練習着くらい買ってやんなっせ!、あんなぁ、おたくのお子さんは、野球が大好きとよ!、こりゃスゴカこととよ!」
確かに、それはワカッテいた。
しかし、その一方でその頃には、少年野球(クラブチーム)における負の側面についてもワカッテいた。カネ、ジカン、ニンゲンカンケイ。
しかし、そう言われた日の夕方、ボクは息子のために練習着を購入していた。
二人のお姉ちゃんに手伝ってもらって真っ白の練習着に身を包んだその時の顔が今でも忘れられない。
このとき、本当に、覚悟を決めたように思う。
「ワールドシリーズだ。ラストシーズンの中1年生になったときにアメリカに行く。それが目標だ。」

目標が定まれば迷いは無くなるし、方針も決めやすい。後は実現に向けて計画を立て、粛々と事を運べばいい。「今は何をどうすべきか」、それを問い直しては修正し、達成度を比較・検証する。一つ一つ階段を上るように。

問われたことは一度もないけど、ナゼ、そんな無謀?とも言える目標を掲げるのかと問われたら、こう答えるつもりでいた。
「野球が好きだからです。そして、それが野球やリトルリーグに対する敬意と礼儀であると考えるからです。だって、野球のルールって勝ってナンボでしょ。勝てばいいってものではないですけど、勝つためには個人的なたゆまぬ努力や良質なプロセス、そして、それを支える環境作りだって必要なわけだし、それらをなくして勝利は望めないというもの。言い換えれば、そのチームに関わる全ての人が与えられた場所で最善を尽くさなければ、勝利の女神は微笑まないとそういうふうに考えるからです。これは非常に困難なことであることはワカッテます。少年野球はあくまで少年野球であって利害は全く関係がない。にもかかわらず、大人が関わることで、そこには少なからず利害の衝突が起こることも承知済みなワケですが、そこは「大人」の叡智でナントカしなければならない。
つまり、大好きな野球、特に少年野球という枠組みを通じて子供達と自分(大人)達の成長を目指しているといことです。そして、その延長線上にワールドシリーズがあり、勝利の暁に、僕等が感じたことのないナニかがあり、ひょっとしたら、それが本当の意味での-「感謝」という言語表現に依らない-「感謝」という感情あるいは情動といったものがあるかもしれないと思うのです。ボクはそれを感じてみたい。」
・・・大袈裟な(笑)・・・続く
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目立とう精神!?

2011-12-10 09:49:46 | リトルリーガーの記録
箱根駅伝、ニューイヤー駅伝、都道府県対抗駅伝、大学駅伝、高校駅伝、中学校駅伝。

他には?

熊本にはRKK学童駅伝というのがある。
今年で11回目になるその駅伝は、熊本総合運動公園を会場に1区間1.6kmを5人でたすきリレーするというもの。参加資格は4年生から6年生の男女。23日にテレビ放映もあるとか。

今年は2011年12月4日 AM10:00が男子のスタートだった。

この日から遡ること2ヶ月前。
チームの監督から、子供達をこの大会に出場させたいとの話しがあった。
ただし、これは野球ではないので「カントク」は保護者にお願いしたいとのこと。
そして、ボクはAチームの「カントク」に就任したのだった。

スタート地点のKKウィングスタジアムに号砲が響いた。
70名の選手がいっせいにスタートした。
直後に先頭争いが始まり転倒者も出た。
中盤付近から危険行為に近い無謀な走りを見せている選手がいた。
そして、その選手はついに先頭に立ちスタジアムを後にした。

・・・・ウチのバカ息子だった。



2区にタスキを渡す頃には中盤に順位を戻していた。
写真を撮ってくれたのはTOYオヤジ。
ありがとうございました。
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KURSよ 永遠なれ!

2011-10-23 12:15:51 | リトルリーガーの記録
ここ最近、週末に休みをとるため、平日は寸暇を惜しんで?働いていて?、家に帰ってまでPC触りたくない病を患っています。

そういうワケで、更新が滞っています。

9月から、練習試合や学校の運動会をはさみ野球の大会は3つ、そして、昨日が学童オリンピック陸上競技大会。大会や試合ごとの調整ってホントに大変です。
正直言いまして、くたびれております。ふ~。

陸上競技の学童五輪は、県内の大会としては最も重要な大会に位置づけられています。
陸上競技クラブのKURSに2年生で入ったときから、6年生になったとき、どのような選手に成長してこの大会に出場るのか、そんなことを考えながら、そして、目標を定めて頑張ってきました。頑張りすぎてしまった反省もありますが、チームメイトにも恵まれ、いやいやKURSの素晴らしい環境に恵まれて成長できたことが1番でしょう。

KURSのアクアドーム教室でのたった一人の開校式から始まり、しばらくはマンツーマンで指導して頂きました。その後、ビッグクラブに成長しながら優秀な選手が続々と入校し、各選手たちと切磋琢磨しながらの数年間でした。

昨日の懇親会でのある保護者さんのお話しが印象的でした。
「陸上って、個人競技って思ってましたけど、団体競技なんですねぇ~」
そう、仲間がいるから、頑張れるんですね!。
最終的に戦うときは個人の力に頼るしかないのだけれど、戦うまではみんなの力が大事なんですね。あらためて陸上競技の面白さを発見しました。


息子はリレー選手の予選の第四走者として出場し、どうにか予選第1位通過に貢献できました。決勝では控えにまわり、最強メンバーで編成されたレースの結果、400mを51秒台でブッちぎりの優勝でした。

でもちゃっかり、表彰式では優勝旗を握るあたり、シッカリ?しているのかも!。
KURS!、万歳!

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準備と武器

2011-10-08 22:28:55 | リトルリーガーの記録
結果が出たから記録できることってあると思う。


先々週の大会のあった三連休の最終日は練習だった。
ボクは、その日は高校野球を楽しんで夕方からグランドへ行った。
高校野球にすっかりコーフンしてグランドに行ったのだけれど、そのコーフンを伝える間もなく、残念な情報が耳に届いた。

「遼太郎、肘が痛いって言ってますよ、・・・外側らしいんですけどね」

練習終わりにいつもやっている内野ノックに、息子はボールボーイをやっていた。

去年のシーズン末期に鍵板炎、それが治ったと思ったらシーズン始まりに踵周辺のオーバーユースによるスポーツ障害。リハビリ明けの一ヵ月後に肘痛・・・・。
暗澹たる気分になった。

・・・・しかし、しかし、よく考えてみると・・・・
二日連続で投球数切れまでの実戦経験は始めて。
肘に負担が掛かるのも仕方のないことだった。
しかし、肘痛の経験も初めて。

家に帰ってから、息子に症状を聞いてみた。
やはり、肘の外側が肘の先端を中心に5cmくらいの範囲で痛みがあるとのこと。

「午前中のキャッチボールのときから、タマが全然走らんかったとたいねぇ~、おかしか~おかしか~って思っとったら、昼からヘンなかんじがしてきてから・・・・・」

疲労の可能性が高かった。
肩の筋肉を触ってみた。酷い張りがあった。
「・・・・めちゃくちゃ緊張しとったもん・・・・・」


息子には一週間のノースローを言い渡した。
そして気分をそらすために、新型バットについて二人で議論したりした。

ノースロー週間は、陸上大会のクラブ内選考会があったり、それに落選したり、週末は運動会があったりで、本人はかなり忙しくしていたけど、その一週間、マッサージは欠かさなかった。

ボクが施術するマッサージは下半身が中心なのだけれど、今回は肩・腕にも「指撫法」を試みた。

週中ぐらいからは違和感は無くなったよう。
そして週末には全く普通になり、今週からは簡単な肘強化のトレーニングを始め、木曜に数十球の投げ込みと、ここ数日は毎日シャドウをやって今日の練習試合に備えた。

投球数ギリギリで6回8奪三振完投勝利をおさめた。
打っては2試合7打数6安打。
だけど、これはバットのおかげ。
先週水曜日、待望のバットが奈良県から届いた。
「DeMarini CF5」
コレ、飛ぶわっ!
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良きライバル

2011-09-29 13:55:29 | リトルリーガーの記録
来月行われる学童オリンピック陸上大会の出場枠は、リレーを除く全種目につき各陸上クラブから代表選手1名となっている。
KURSでは今年も9月から種目別で強化トレーニングが始まった。

息子は、この大会の走り幅跳びで一昨年、昨年の覇者。
昨年は1名の出場枠をめぐってShoot君と火花を散らし、クラブの選考会では1cmの僅差で出場権を獲得した。

今年は残念ながらShoot君に完敗。

練習を何度か見学したけど、スピードはShoot君が格上。
息子は8月にようやくリハビリが終わり、各種トレーニングが解禁となったのは9月で、1ヶ月足らずで追いついて追い越すのは難しいだろうとボクは思っていた。
本人も出場の見込みは薄いと思っていたのか、「走り高跳び」に出たいと漏らしていたこともあった。高跳びの練習ではクラブ内ではとりあえず1番だったようだ(本人談)。

「高跳びに出たいって?・・・、じゃぁ、幅跳びどうすんだよ。」
「・・・・・」
「高跳びに出たい気持ちもわからんじゃぁないけど、オマエの専門は幅跳びだろ、ずっと、それで学童オリンピックの出場を目指してきたじゃない?。まぁ、怪我とかあったけどさ、ソレをイマサラ変えるってのはどうかなぁ~。」

「今月末の選考会では、オマエが勝つかもしれなし、Shoot君が勝つかもしれない。どちらが勝つかは分からない。去年はオマエが勝って出場して優勝できたけど、あのとき貰った
メダルの半分はShoot君のおかげだよ。・・・・ワカッテルよな・・・。」

大会は10月22日(土)。
Shoot君の良きライバルとして、最後まで一緒にトレーニングをしてもらいたい。
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