1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

「大和魂Ⅱ」

2011-03-20 23:30:40 | 雑談の記録
コアな読者のみなさんなら、ボクにもう一人の「妹」がいること、知っていると思います。
これまで何度かこのバカブログでも紹介してますが、今日は、コピペで「妹」の文章を紹介します(妹よ、勝手にゴメン!)。
25歳の妹も名(迷?)ブロガーなんです。どうかヨロシク!。


「ブログ」
久々の更新です。

地震の件で、やっぱり不謹慎かとおもい、ブログアップしてなかったけど、そろそろ更新しようと思います

被災地のひと達
中途半端なことは言えないけど、
本当にいのってます・・・
1日も早くみなさんの心が、体が元気になることをお祈りしてます

言葉にすると本当に軽く感じてしまう。自分のことのように受け止めていますが・・・

西日本は大きな影響もなく、毎日いつもとかわらない日々・・・

毎日毎日人の生死と隣り合わせ私達看護師。
今私にできることは今ちかくにいる病院の患者さんと今までのようにむきあうこと。

私は熊本に生まれ熊本にすんで看護師であるからこそ、出来ることがある。やりがいがある仕事だからこそ、それを精一杯に感じ、精一杯に働きたいとおもう

私にできることは「人を元気にさせること・・・私の元気を伝染させること」

この前亡くなった受け持ちの患者さんに遺言書に私宛でこんなことが書いてありました。
「○○り○こさま。あなたの笑顔に何度助けられたことでしょう」

こんな私でも人を少しでも助けることができるんだ。

私にできることはこれなんだと実感した。

とおい空の下、必死に頑張ってるひとがいるからこそ、私にできる精一杯のことを前をむいてやっていこうとおもう

私は明るく元気にがんばります
コメント (2)
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「大和魂Ⅰ」

2011-03-20 23:14:15 | 雑談の記録
コアな読者のみなさんなら、ボクが敬愛する「隊長」のことを知っていると思います。
これまで何度かこのバカブログでも紹介してますが、今日は、コピペで「隊長」の文章を紹介します(「隊長」ゴメン!)。

「大和魂」
2011年3月11日(金)14:46・・・
そのとき、私は、会社の敷地内にいた。
ちょうど現場から戻ってきたところで、仲間と二人で積んできたゴミを倉庫に降ろしているところだった。

その揺れは、今までに経験したことのない大きなもの。
二本足だけでは立っていられないほどで、それが地震であるのかどうかさえわからなくなるほど頭の中は真っ白に。
ただただ車につかまって、ザワザワと不気味に揺れる景色にうろたえるばかりだった。

大変なことが起こったことを直感した私は、揺れがひと段落ついたところで、車のTVをつけた。
すると、どのチャンネルも緊急ニュース。
地震の報道に加え、太平洋岸に大津波警報がでていることを慌ただしく伝えていた。

その後の惨状は、誰もが知るところ・・・
未曾有の災害に、多くの犠牲がでている・・・
人を亡くし、家をなくし、仕事をなくし・・・
足りないものだらけの避難生活が、どれほど辛くて不安なものか・・・
人の痛みに対する感受性が乏しい私にはそれらを想像することしかできないけど、それでも、気の毒に思えてならない。


あれから8日が経った。
身体は無事なのだが、精神がいまいち。
社会全体の雰囲気だから仕方がないのかもしれないけど、明るい気分になれない。
また、冷静なつもりでいても、真に冷静さを取り戻しきれていない自分がいるように思う。
それに関係してか、不眠症も悪化。
「緊張感が足りない」「平和ボケ」と言ってしまえばそれまでだが、一日中、軽い睡魔に襲われているような始末である。

余震は、今もなお続いている。
首都圏にも、震度3~4程度の揺れがくることがある。
スーパーやコンビニの品揃えは回復基調にあるが、ガソリンは依然として不足感がある。
休業しているところが目立ち、営業していても長蛇の列で給油量も制限されている。
私も、給油の列に並ぶのが日課にようになっている。

停電による影響も小さくない。
とりわけ、公共交通機関の影響は大きく、通勤通学の足を乱している。
電力会社の停電計画も試行錯誤の中でひねり出されているようで安定しない。
それでも、多くの人々は、良識をもって社会のルールを守り、負担を分かち合っている。

また、こうしている間にも、福島原発には命がけで作業している人達がいる。
被災地には、命がけの生活に耐えている人達がいる。
それを救援するため困難な作業に挑んでいる人達がいる。
そんな方々に対する、感謝と敬意と励ましの念を絶やしてはならないと思う。


自分は、これまで、いかに贅沢で独り善がりな生活を送ってきたか・・・
甘やかされた価値観を、このまま持って生きていっていいものか・・・
目に見えるかたちで現れている人の善意と勇気を、ただ眺めているだけでいいのだろうか・・・
他人の不幸を反射的に捉えるのは好きではないけど、この震災を通じて気づかされることはあまりに多い。

社会における一人一人には、自分の持ち場と役割がある。
こんなちっぽけな私でさえも、社会の一員であることに違いはない。
だから、直接的な何かができなくても、間接的にできることはたくさんある。
大金を寄付できなくても、ボランティアに参加できなくても、自分にできることはある。

省エネすること。
デマに乗らないこと。
批難するばかりの評論家にならないこと。
先の支援のために備えること。
人を想い、国を想い、祈ること。


今、日本人の真価が問われているような気がする。
今だからこそ、考え直すべきことがあるように思う。

失いかけていた大和魂を取り戻すべきときがきているのではないだろうか・・・
一人一人が、それを燃やすべきときがきているのではないだろうか・・・

そんなことを考えながら、私は、地震後の数日と与えられている今を噛みしめているのである。
特殊清掃「戦う男たち」
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