平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1367 天災に伴う人災 

2018-12-26 11:21:00 | 日記
 
    平和への希い1367  戦後74年
     天災に伴う人災  2018.12.26.

22日、インドネシア西部のスンダ海峡で発生した、火山噴火による津波。死者不明者は、600人を超えた。
自然災害列島の日本に住む私達は、他人事ではない。
「天災は、忘れずにやって来る」、のだ。
2004年の今日26日には、スマトラ沖で地震が起き、インド洋大津波が発生、28万人の犠牲を出した。
天災では、予知の進化と発生後の二次三次被害を最小限に抑えられるように、日ごろの防災訓練と心構え・
備えしかない

勉強会で、先々月消防署の方から、「我が家の防災」について、出前講座をして頂いたが、どうも、
「日ごろの防災訓練と心構え・備えしかない」なんて、偉そうなことは言えない日々なのですが。
インドネシア政府は、
「2度目の津波が来る」「夜に津波が押し寄せる」「年末に大災害が起きる」など、デマが横行し、
デマ対策に躍起になっているようです

デマで起きる、パニックによる事故・事件は、人災である。
関東大震災の混乱の中で、官憲や 民間の自警団などによって多数の朝鮮系日本人及び朝鮮人と誤認された
人々が殺害された事件がありました。正確な数字では無いが、犠牲者は6000人超に及んだらしい。
「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているらしい」というデマの拡散で。
情報化社会でも、大災害時には、スマホも使えなくなる。
「情報の出所の確認」が難しくなるけれど、「デマ」に踊らされないよう、心しなければならない。
問題は、「○○になるらしい」などの流言飛語。確認しにくいので、「マユにツバ」をして、すぐに
飛びつかないようにしましょう

ウォーキング中に出会った花々です。

12月26日、「今日は何の日カレンダー」より
プロ野球誕生の日、ふろの日(毎月)
▲鑑真、太宰府に入る(753)▲藤原忠平、「延喜式」を撰進。朝廷の儀式・作法・事務手続きなどの法令集で、
平安初期の制度を知る重要資料(927)▲平治の乱(1159)▲薩摩平和への希い1367 戦後74年 
の島津家久が将軍に泡盛を初めて献上(1613)
▲安条例を公布、片岡健吉・中島信行・尾崎行雄ら570名を東京から即日追放(1887)▲キューリー夫人が
ラジウム発見を公表(1898)▲アメリカのプロ野球との対戦のため、日本初のプロ野球チーム、 大日本東京
野球倶楽部が創立される(1934)▲中谷宇吉郎ら雪の人工結晶に成功(1938)▲ソ連から最後の復員引き揚げ船
入港(1951)▲インドネシアで元日本兵救出(1974) ▲スマトラ沖地震でインド洋大津波28万人犠牲(2004)
   http://blog.goo.ne.jp/hiro39394649    に投稿
Twitter 久保博司@hirook3939   に投稿

平和への希い1366 平和なクリスマス  

2018-12-25 10:09:09 | 日記
     平和への希い1366 戦後74年  
   平和なクリスマス  2018.12.25.

今日は、クリスマス。
独身の頃、イブには、行きつけの「飲み屋」でお決まりの「サンタ帽子」を被り、乱痴気騒ぎしていた。
先月、ハロウィーンで若者が渋谷で狂騒、軽トラックをひっくり返していた。
バレンタインデイで、チョコレート会社が盛り上がっている。
クリスマスイブは、静かになり、本来の「キリスト降誕の日」を祝うことにふさわしくなったと言うべきか
クリスマスは、太陽再生の冬至祭をキリスト降誕の日と結びつける習慣が生まれ、366年に、ヨハネが説教
で、12月24日を、キリスト誕生を祝う「クリスマス」と決めたとのこと

日本では、禁教の江戸時代が終わり、1874年、東京第一長老教会で初のクリスマスパーティが行われた。
第1次世界大戦中に、英国軍とドイツ軍の兵士たちの間で自然発生した 「クリスマス休戦」もありました。
ベトナム戦争中にも、「クリスマス休戦」がありました。

不信心の私が言うのもおかしいことですが、昨夜クリスマスイブ、一人で、一杯飲りながら、
クリスマスは、何か、暖かく、平和な気分にしてくれるので、良いなあと、
思いました。
ウォーキング中に出会った花々です。

12月25日、「今日は何の日カレンダー」より
クリスマス、スケートの日、終い天神
▲クリスマスの日決まる。太陽再生の冬至祭をキリスト降誕の日と結びつける習慣が誕生。この日、ヨハネが
説教で決定(366)▲フランク王カール1世がローマ皇帝として戴冠(800)▲後白河法皇が平清盛を用い平治の乱を
起こす(1159)▲与謝蕪村、没。68歳(1783)▲江戸の薩摩屋敷が焼き打ちされる(1867)▲東京第一長老教会で日本
初のクリスマスパーティ(1874)▲志賀潔、赤痢の病原体発見 (1897)▲大正天皇崩御。摂政裕仁親王践祚し、
昭和と改元(1926)▲ラジオ東京(現・TBS)開局(1951)▲奄美大島の日本復帰(1953)
▲大ヒット曲「およげ!たいやきくん」のレコード発売(1975)▲作家・大岡昇平、没。79歳(1988)
▲羽越線、突風による脱線事故で死者5人、重軽傷者32人(2005)

平和への希い1365 喜びも悲しみも国民と共に

2018-12-24 09:59:35 | 日記
     平和への希い1365 戦後74年  
   喜びも悲しみも国民と共に  2018.12.24.

昨日23日は、天皇誕生日。例年同様、報道特集が組まれ、「象徴天皇の旅」に触れていました。
戦後に、戦勝国が、「日本を二度と戦争できない国」にするために、戦争放棄の憲法9条を決め、同時に、
神格化されて、国権の最終発動権者であった明治憲法における天皇を、新憲法のしょっぱな、1条から8条まで
に政治的関与をさせないことを決め、天皇を日本国民の象徴とした。

戦争責任については緒論あるが、占領軍としては、天皇を廃して『日本国民の心情』をぶち壊したら、
占領政策がままならないと言う、政治的配慮があったと思います。
また、マッカーサーは、昭和天皇との会見で、天皇のお人柄に触れ、政治が天皇を利用した、最悪の戦争だった、
ことに至考、政治に利用されない天皇を憲法で規定したのだ、と思います。

憲法第1条で、
天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
私にとって、「象徴」とは、漠然として、「わかったようで解らない」と言うのが「本音」です。
しかし、特集で知る、昭和天皇、平成天皇、皇太子様などのお話や、外国や災害被災地との関わり方等のお姿を
拝見するにつけ、天皇家の皆様が、「象徴天皇」とはどうあるべきか、私達には計り知れない、ご深慮をされて
いらっしゃることを知りました。
戦争に関わる記念日や外国訪問などで、
二度と、国民を悲惨に追い込む戦争を起こしてはいけない、との強いお気持ちに、
被災地への慰問で、
被災者に、膝をついて目線を合わせながらお慰めになるお姿、ねぎらうお言葉に、
「喜びも悲しみも、国民と共にある」ことこそ、象徴天皇のあるべき姿の大事な柱の一つとお考えになられて
いられるのではないか、と勝手に思い込んで、嬉しく、平和な気持ちでいます。
混迷、ドタバタの政治に頭に来ることが多く、また、これでもかこれでもかと襲う自然災害に悲しむことが多い
けれど、天皇はじめ皇室の方々のお言葉やお姿に、どれほど癒され、前に向かって進む力になったことか。

私達国民も、天皇家や皇室の皆さまの「象徴天皇としてのご深慮」をお支えしなければならないと思います。
ベランダにほったらかしておいた鉢の「草木(名前不明)」に、花が咲いていました。何とも言えない感動が。

12月24日、「今日は何の日カレンダー」より
クリスマスイブ(キリスト降誕の前夜祭)
▲「聖しこの夜」作曲される。オーストリアの山村の神父ヨゼフ・モールが作詞。翌日村の学校の音楽教師フラ
ンツ・クサヴァーが作曲(1818)▲ベルディ作曲「アイーダ」がカイロで初演(1871)▲チョコレートが初広告掲載
され、 「かなよみ新聞」に「貯古齢糖」と文明開花の明治当て字表記(1878)▲日本初の無線電信成功(1897)
▲有楽町に日本劇場(日劇)開場(1933)▲戦後、アメリカ軍の支配下にあった奄美群島返還日米協定調印(1953)
▲NHK、FM放送開始(1957)▲南ベトナムでクリスマス停戦(1965)▲アポロ8号世界初の月周回飛行(1968)
▲チャップリン死去。88歳(1977)

平和への希い1364 象徴天皇、平和へ「強いお心」

2018-12-23 11:11:01 | 日記
     平和への希い1364 戦後74年  
   象徴天皇、平和へ「強いお心」  2018.12.23.

今日23日は、天皇陛下85歳のお誕生日。おめでとうございます。
そして、天皇陛下として、お誕生日に記者会見する最期です。
一昨年8月、「象徴天皇の公務」が高齢故に滞う可能性を率直にお話しされ、生前退位のお気持ちをお話し
されました

この間も、「象徴天皇」として、公務をこなされ、太平洋戦争で、日本が掛けた迷惑について真摯に向き合い、
ご高齢を押して、沖縄・フィリピンなど激戦地を慰霊のためにご訪問され、度重なる災害に、被災地を足しげく
慰問されました。

「我が国の戦後の平和と繁栄が、多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれた」
「平成が戦争の無い時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」
とのお話に、改めて平和への「強いお心」を伺い、

平和の象徴としても、天皇陛下が尽くされた諸々に、深く感動しています。
天皇は日本の象徴であるとともに、平和日本の象徴、世界平和の象徴でもあることに心強く思います。
平和への「強いお心」が、未来永劫引き継がれますように祈っています。

ウォーキング中に出会った花々です。この時期にツツジが咲いています。

12月23日、「今日は何の日カレンダー」より
天皇誕生日、テレホンカードの日(1983)、ふみの日(毎月)
▲足利直義、天竜寺船を元に派遣(1341)▲江戸幕府、日蘭(オランダ)和親条約を締結。長崎、箱館を開港し、
オランダ人の信教の自由を認める等、従来の制限を大幅緩和(1855)▲石川倉次らが日本訓盲点字を完成(1890)
▲南アフリカのダートが猿人の化石を発見する(1942)▲東条英機らA級戦犯7名、絞首刑執行(1948)
▲初のスーパーマーケット「紀ノ国屋」が東京・青山に開店(1953)▲東京タワー完工式。高さはパリのエッフ
ェル塔を凌ぐ333m。総工費28億円。120mの展望台まで1分のエレベーター、南は大島まで一望に見え
東京の新名所に(1958)▲フィギュアスケートの渡部絵美、国内大会8連覇(1979)▲電電公社(現在のNTT)、
カード式公衆電話を新設(1982) ▲オグリキャップ、有馬記念で優勝し、引退(1990)

平和への希い1363 鯨肉、店頭から消えて不自由?

2018-12-22 09:52:39 | 日記
      平和への希い1363 戦後74年  
   鯨肉、店頭から消えて不自由?  2018.12.22.

政府は、国際捕鯨委員会から来年6月に脱退することを決めたらしい。
商業捕鯨の再開に理解が得られる見通しがつかない、ということが脱退理由。
国際捕鯨委員会(International Whaling Commission; IWC)は、1946年、国際捕鯨取締条約が採択
されて以来、国際捕鯨取締条約に基づき鯨資源の保存及び捕鯨産業の秩序ある発展を図ることを
目的として設立された国際機関。日本は、1951年に加入。
戦後、食糧難のころ、鯨の干し肉が、ゴムみたいでなかなか噛み切れず、口の中を長い間占領
され、お陰で、口の中にある間は空腹を感じずに済んだことを思い出します。

その後も牛肉など、口にできるのは、盆か正月など、1年に数回だったが、比較的安かった
鯨肉は、そこそこ口に出来た。鯨ベーコンは、大好物だった。
鯨肉が店先に出回らなくなって、すっかり鯨肉のことは忘れているこの頃は、鯨肉が無くても、
牛・豚・鶏など、豊富で、食生活には不自由を感じていない。

政府は、商業捕鯨の再開に理解が得られる見通しがつかない、から脱退するって、商業捕鯨する
ことが、国民にとって、どれほどの利益(国益)があるのか、どの様に考えているのか。

捕鯨会社のために、や、「昔、懐かしい安くて旨い鯨肉」に対する私のように「ノスタルジー」の
ため、なのか、なんて思ってしまいます。肉以外にも用途がいろいろあるとは思いますが。
「気に食わないから脱退する」というトランプ流では、世界を相手の「貿易国日本」が、成り立つ
のか心配です。

オリンピックだって、穏やかでは無くなるように思う。
政府は、国民が理解できるように、商業捕鯨の必要性について、説明する必要がある。
ウォーキング中に出会った花。冬のバラが寒空の下、リンと咲いています。

12月22日、「今日は何の日カレンダー」より
◆冬至(二十四節気の一つ。陽光が最も弱く昼間の最も短い日)労働組合法制定記念日、夫婦の日(毎月)
▲中国大陸で最古の皆既日蝕記録(紀元前2137)▲武田信玄、家康を破る。が、信玄はまもなく病没(1572)
▲ベートーベンの「運命」、ウィーン劇場でベートーベン自身の指揮で初演(1808)▲革命思想家のサークルで
逮捕され入獄中のドストエフスキー、この日銃殺となるところ寸前に皇帝の特赦でシベリア送りに(1849)
▲第1回遣欧使節団(1861)▲太政官制が廃止され、わが国初の内閣成立。首相は伊藤博文(1885)
▲マダガスカル島沖合で”生きている化石”シーラカンス発見される(1938)▲労働組合法公布(1945)
▲改正民法公布(家制度廃止)(1947)▲羽田国際空港ターミナル完成(1951)▲プロレス初の日本選手権で
力道山が木村政彦を破る(1954)▲ルーマニアでチャウシェスクの独裁政権崩壊(1989) ▲糸魚川大火(2016)