ロベルト・シューマンが、Neue Zeitschrift für Musik という音楽雑誌の1853年10月28日号に『新しい道』(Neue Bahnen 複数形)という記事を書き、世にブラームスを紹介しました。
同じ年の9月3日に20歳のブラームスがヨアヒムの紹介状を持ってデュッセルドルフのシューマン(43歳)を訪れ、自分の作品1のソナタをシューマン夫妻の前で弾き、2人を驚嘆させたそうです。
下記は『新しい道』の全文(武川寛海訳)です。
数年間が流れ去ったーー私がこの雑誌のずっと前の編集にたずさわっていたのとほとんど同じ年月であるから、十年ということになるーー私はもう一度この思い出深い誌上で意見をのべさせてもらいたいと思う。しばしば、緊張した創作活動をしていたのにもかかわらず、私は筆をとろうと感じたことがあった。多くの新しい、大きな才能を持ったものがあらわれ、音楽の新しい力が名乗り出ているように見えた。これは最近の向上に努めている芸術家たちの多くが証拠立てている。たとえかれらの作品が、比較的狭い範囲により多く知られているにせよである。
私はこんなふうに考えた。これらの選ばれた人たちの歩んだ道を最大の関心を持って追究するうちに、こういった経過をたどった後には、時代の最高の表現を理想的になすことが出来、かつまた段階的な発展をしてマイスター(職人の最高位)になったのではなく、完全に武装をしてクロニオンの頭から飛び出したミネルヴァのような人が、突然にあらわれるだろうし、あらわれなければならない、ということである。
そしてその男はあらわれたのである。若い人であり、その揺りかごは三人のグラツィー(優美を象徴する女神)と英雄たちが見張りをしていたのである。その男はヨハネス・ブラームスといい、ハンブルクの生まれである。かれはそこでひそかに創作を続けていたのであるが、しかしこの芸術の最もむずかしい作曲を、あるすぐれたしかも熱心に教える教師(※1)によって教育されたのであって、つい先ごろある尊敬されている高名なるマイスター(※2)から紹介されてきたのである。
かれはその外貌からして、これこそ天成の人である。ということをわれわれに告げる印を、すべてそなえているのである。ピアノに坐ったかれは、素晴らしい国の扉を開きはじめた。われわれはぐんぐんこの不思議な世界の中に引きずりこまれた。それに加えて演奏が全く天才的であり、ピアノからなげき悲しむ声や歓声を出すオーケストラのような音を出したのである。それらはソナタであったが、むしろ迷彩を施された交響曲であり、 ーー歌曲は、深い歌の旋律が全曲を貫いているとはいえ、歌詞を知らなくても詩を理解することが出来るようなものであり、ーー独立したピアノの小曲は、部分的にはデモーニッシュな性格のある極めて優美な形式のものであり - それからヴァイオリンとピアノのためのソナタ - 弦楽四重奏曲ーーそしてそれぞれはみんな違っているので、各曲はすべて別々な源泉から流れ出しているように見えたのである。そしてそれからかれは取りまとめ、大河にしてごうごうたる音を立てて下流に流し、落ちかかる水の上に平和の虹の橋をかけ、岸には蝶が舞い、鶯の声が聞かれる、といった一つの瀑に持っていくように見えたのである。
今後かれが自分の魔法の杖を、合唱やオーケストラにおいて量の力がかれにその力を貸し与える世界に突き立てるならば、われわれの前には精神界の神秘さへの、もっとすばらしい光景があらわれるのである。そこにまでかれを最高の守護神が力づけることを願うものであるが、それへの希望はもうある。というのはかれにはもう一つの守護神、すなわち謙虚さのそれが宿っているからである。かれの同時代の仲間であるわれわれは、かれの世界への第一歩にあたって歓迎の挨拶をのべるものである。この世界はおそらく手傷を負うようなことがかれを待ち構えているだろう。しかしながら勝利の象徴である月桂冠も椰子の枝も待ち構えているのである。われわれはかれをたくましい選手として歓迎するものである。
いかなる時代にも気の合った仲間の間には、密かな盟約がある。同志たちよ、そのサークルをより固く結べ、いたるところに歓喜と祝福を広めつつ、芸術の真理をいよいよ明らかに輝かせるために。
R.S.
※1 ハンブルクのエドワルト・マルクスゼン(Eduard Marxsen, 1806-1887)
※2 ヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim, 1831-1907)