チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

シューマンの8人の子供たち

2014-03-09 00:21:47 | メモ

シューマン、ブラームスの音楽を深く理解するにはシューマンの子供たちのことを知っておいたほうがいいと思いました。

↓ ロベルトとクララの子供たち(1854年撮影。虚弱であった三女ユーリエは不在)

 

 

マリー 陽気ではつらつとした性格で父を喜ばせた。音楽教師になった。クララが亡くなるまで一緒に暮らした。

Marie Schumann, 1841-1929

 


エリーゼ  独立心旺盛な子供だった。フランクフルトでピアノ教師をしていたが1877年に実業家と結婚、アメリカに数年暮らした後フランクフルトに戻った。晩年の母を夫とともに支えた。

Elise Schumann, 1843-1928

 


ユーリエ  娘たちの中では一番美しかった。イタリアの貴族からのプロポーズを承諾したときブラームスはにわかに不機嫌になった。(クララも気が付かなかったようですが、好きだったんですね。「アルト・ラプソディ」はユーリエへの嘆きの歌。) 2人の男の子を残してブラームスより先に亡くなった。

Julie Schumann, 1845-1872

 

 

エーミール(Emil Schumann, 1846-1847)健康状態が悪く生後6ヶ月で亡くなった。そのとき、クララは既にルートヴィヒを身籠っていた。

 



ルートヴィヒ  父親と似たような精神的な病気で22歳のとき入院しそのまま30年近いあいだ一度も病院の外に出ることなく亡くなった。

Ludwig Schumann, 1848-1899



フェルディナント  銀行員になった。息子の中では一番頼りになったという。普仏戦争(1870年)に徴兵され、重いリウマチにかかってモルヒネを投与されたため中毒になり、それが原因で6人の子供たちを残して亡くなった。

Ferdinand Schumann, 1849-1891

 


オイゲーニエ  20歳のときフランクフルトに移転しクララ、マリーと一緒に20年間暮らした。1891年イギリスに移りピアノ教師を職とした。彼女の書いた回想本は有名。

Eugenie Schumann, 1851-1938 (左)  フェーリクスと



フェーリクス 名前はメンデルスゾーンにちなんで付けられた。詩の才能があり彼のいくつかの詩にブラームスが音楽を付けた(※)。肺を病んで24歳で亡くなった。ブラームスの子であるとの噂もある。

Felix Schumann, 1854-1879

※フェーリクスの詩によるブラームスの3つの歌曲
わが恋はライラックの茂みのように緑(Meine Liebe ist grün wie der Fliederbusch) Op. 63-5
ニワトコの木に夕風が(Wenn um den Holunder der Abendwind kost) Op. 63-6
うち沈んで(Versunken) Op. 86-5