シューマン、ブラームスの音楽を深く理解するにはシューマンの子供たちのことを知っておいたほうがいいと思いました。
↓ ロベルトとクララの子供たち(1854年撮影。虚弱であった三女ユーリエは不在)
マリー 陽気ではつらつとした性格で父を喜ばせた。音楽教師になった。クララが亡くなるまで一緒に暮らした。
Marie Schumann, 1841-1929
エリーゼ 独立心旺盛な子供だった。フランクフルトでピアノ教師をしていたが1877年に実業家と結婚、アメリカに数年暮らした後フランクフルトに戻った。晩年の母を夫とともに支えた。
Elise Schumann, 1843-1928
ユーリエ 娘たちの中では一番美しかった。イタリアの貴族からのプロポーズを承諾したときブラームスはにわかに不機嫌になった。(クララも気が付かなかったようですが、好きだったんですね。「アルト・ラプソディ」はユーリエへの嘆きの歌。) 2人の男の子を残してブラームスより先に亡くなった。
Julie Schumann, 1845-1872
エーミール(Emil Schumann, 1846-1847)健康状態が悪く生後6ヶ月で亡くなった。そのとき、クララは既にルートヴィヒを身籠っていた。
ルートヴィヒ 父親と似たような精神的な病気で22歳のとき入院しそのまま30年近いあいだ一度も病院の外に出ることなく亡くなった。
Ludwig Schumann, 1848-1899
フェルディナント 銀行員になった。息子の中では一番頼りになったという。普仏戦争(1870年)に徴兵され、重いリウマチにかかってモルヒネを投与されたため中毒になり、それが原因で6人の子供たちを残して亡くなった。
Ferdinand Schumann, 1849-1891
オイゲーニエ 20歳のときフランクフルトに移転しクララ、マリーと一緒に20年間暮らした。1891年イギリスに移りピアノ教師を職とした。彼女の書いた回想本は有名。
Eugenie Schumann, 1851-1938 (左) フェーリクスと
フェーリクス 名前はメンデルスゾーンにちなんで付けられた。詩の才能があり彼のいくつかの詩にブラームスが音楽を付けた(※)。肺を病んで24歳で亡くなった。ブラームスの子であるとの噂もある。
Felix Schumann, 1854-1879
※フェーリクスの詩によるブラームスの3つの歌曲
わが恋はライラックの茂みのように緑(Meine Liebe ist grün wie der Fliederbusch) Op. 63-5
ニワトコの木に夕風が(Wenn um den Holunder der Abendwind kost) Op. 63-6
うち沈んで(Versunken) Op. 86-5