本稿は、私の落石無線局の想い出と海岸局を含む日本の公衆無線通信についての記録です。モールス音響通信には有線と無線が存在したのに、無線通信に関する投稿が少ないと、ブログ管理人(増田氏)から私にお鉢が回ってきたようです。しかし私の無線の経験年数は極めて短いものでしたので、豊富な経験をお持ちの全国の海岸局で無線通信に従事された方々にお読みいただき、内容の誤り等をご指摘いただければ幸いです。併せて、無線通信に関する皆さまの投稿も期待し、楽しみにしております。 . . . 本文を読む
◆敵艦見ゆ!から無線電信実用化へ
日露戦争終結後の明治39年11月、ベルリンにおいて第1回国際無線電信会議が開催された。この会議には、わが国からも全権委員として逓信省電気試験所長浅野応輔博士ほか4名が参加、国際無線電信条約に調印した。かくして41年5月16日、銚子無線電信局と天洋丸無線局が誕生し、無線電信による公衆通信の取扱創始とともに、わが国の無線電信もいよいよ実用化への第一歩をふみだした。
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◆1)九州の無線電信局開局
わが国最初の無線電信局海岸局は銚子無線局で、明治41年5月16日であった。
それより1か月半遅れの明治41年7月、九州の大瀬崎無線電信局が開局した。大瀬崎無線電信局は長崎から96キロメートル、五島列島中の福江島の最南端、海抜272メートルの断崖の上にあった海軍望楼無線電信所が逓信省に移管されて開局されたもので、長崎県南浦郡玉之浦郷字大瀬崎に所在した、局長は通信属石村 . . . 本文を読む
わが心の故郷(ふるさと)“JOS”
◆村上健太郎 日本本土の主要都市のほとんどが空襲や被害のためにその機能が失われ、そして戦局は終えんへの方向を模索していた頃、昭和20年3月末長崎無線電信局勤務の辞令を受けた私は、東京から郷里の熊本を経由して、長崎無線局所在地の諫早市へ向った。 諫早駅に降りると、小高い丘に無線のシンボルの鉄塔や木柱が天高く多数そびえて見えた。新任務に . . . 本文を読む