◆ 電報配達は自転車に乗って
下記は明治3~4年ころの電報配達員の模様を伝える記述である。創業当時は電報配達員を駆使と呼んでいたが、明治20年5月6日、「集配人使役心得」が制定されてから、駆使は集配人と呼ばれるようになった。
局と局との間の電報使送に、馬を使ったという記録はあるが、電報配達はすべて駆け足で行なわれていた。配達人の風体は縞の羽織に脚絆、尻はしょりの体にて電報配達なりとて、何町何分 . . . 本文を読む
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