
毎年、元旦に夫の教え子Y君から新年の電話がかかってきます。
もう16,7年前中国安徽省の学校で夫が日本語を教えた頃の生徒です。
夫が亡くなったと知らせた後も「奥さん元気ですか」と今年も電話をくれました。
今は蘇州で就職、結婚して日本に出張で来ることもあり我が家で
泊まっていったことも。
電話の後、久しぶりに当時を思い出していました。
安徽省蕪湖市の町はずれにある学校周りはまだあまり開発されず
幹線道路のほかは長江が運んできた細かい土埃の立つ道でした。
水田やアヒルの泳ぐ小さな池、レンガ工場と小さな集落と学校があるばかり。
そんな道の脇でスケッチしたのが今日の2枚です。
はじめて行った中国、絵を描いていると子供たちに取り囲まれ
話しかけられても何もわからない。とても残念!
1ヶ月して私だけ日本に帰りるとカルチャーセンターの中国語教室に
入りました。3ヶ月で話せるわけはないのですが、半年後に蕪湖市へ
行った時には単語だけ並べて子供たちと少しは通じて楽しかった!
言葉は大切だと実感したのに、私の中国語はそれ以上にはならず仕舞い。
そんな懐かしい事を思い出させてくれたお正月の電話でした。
絵の風景は今ではすっかり変わってしまったようです。
