トリフォノフの久々の東京でのリサイタル。最近のCDジャケットでは短髪の髭面で、ショパンコンクール当時(2010年)の少年の面影がすっかり消えてしまったかと思いきや、ステージに現れたトリフォノフはサラサラヘアが復活していて、31歳の若者の容貌だった。チャイコフスキーの『子どものためのアルバム op.39』から弾き始める。20曲ほどの小曲が集まった作品で、リサイタルで演奏されるのは珍しいような気がする。一曲目「朝の祈り」から凄まじい集中力。憂いのある音色が次々と響き、ホールを埋め尽くした。ピアノはファツィオリ。
生演奏は本当に久しぶりなので、トリフォノフという芸術家に対する印象も心の中で少しブレていた。ペトルーシュカを立ち上がって弾く映像を見ていたせいで、エキセントリック路線に走ったという刷り込みもあった。チャイコフスキーはひたすら内省的で、「ママ」「兵隊の行進曲」「お人形の病気」「お人形のお葬式」といった曲も全く子供っぽく聴こえなかった。むしろ、チャイコフスキーが死ぬまで苛まれていた音楽の「霊感」の狂おしさが、痛みのような感覚として伝わってきた。ピアニシモは砂粒のようで、時々ピアノの音であることを忘れた。詩人にしか見えない微細なものを、作曲家は日常的に見ていた。「ナポリの踊り歌」はバレエ音楽「白鳥の湖」にも登場する。チャイコフスキーはバレエという世界を必要としていた。彼が悩まされていたシルフィードのような、セイレーンのような存在がバレエの世界では生き生きと生きていて、妖精のための音楽を書くことは自然なことだった。
トリフォノフが何を弾いているのかというと、譜面に書かれたものというより、作曲家が「すべて」に身を委ね、ただの入れ物になったときに彼に襲いかかってきたイマジネーションなのだと思う。椅子に座ると同時に勢いよく弾き出したシューマン『幻想曲』は、青春そのものの音楽で、若い魂が肉体を得て生きていることの高揚感に満ち満ちている。全身を駆け抜けていったシューマンの愛の思い出で、作曲家の46歳の不幸な死ということを改めて思い出した。青年のまま死んでしまった人で、地上に根付けない魂の特異性がこの曲にも既に刻印されている。女性(クララ)への恋情が引金となって、異常なほど獰猛な霊感が電撃的に書き連ねられ、2楽章のフォルテシモは割れる寸前の強靭な打鍵で、最終楽章では一転して死後の世界のような穏やかさが訪れる。
作曲家たちは音楽室に飾られているポートレイトのように人の形をしていたが、音楽そのものは空気に漂う霊気のようなもので、才能という受信機がそれを吸い取って、紙の上に書かれたインクとして物質化する…いわば肉体は道具に過ぎなかったのではないか。「わたしはこの世のものではないような気がする」というのはシューベルトが遺した言葉だが、ある時代の作曲家は皆同じ事を実感していたように思う。トリフォノフが選んだ5人の作曲家は全員、不幸な亡くなり方をしていて、生きているときから生物と無生物の間を揺らいでいたような印象がある。
トリフォノフがショパンコンクールで入賞したときも、既にショパンという作曲家を、様式や伝統のフレームを超えた「巨大な霊感そのもの」として捉えていたふしがある。作曲とはどのように行われるものなのか。風や自然と一体化したとき、死者と語り合ったとき、強烈な愛が電撃的に肉体に走ったときに、悟性だけでは得られない詩がうまれる。モーツァルト「幻想曲」は時のない世界の音楽で、暗がりの中で永遠になり続けるオルゴールを連想させた。モーツァルトの美しい筆跡のように端正で、神秘的な憂愁を帯びている。
ラヴェル『夜のガスパール』は、この夜の演奏会の中でも最も狂気に溢れた世界が爆発した。「オンディーヌ」の左手の動きは奇跡のようで、自作の「トッカータ」もうまく弾けなかったラヴェル自身が肝をつぶしそうな出来栄えだった。それにしてもラヴェルとは何者だったのか。果たして今聴いているのは「ピアノ」なのか。魔術だ。スクリャービン『ピアノ・ソナタ第5番』は、トリフォノフがスクリャービンにすべてを預けて、操り人形になっているようにも見えた。五感が截然と分かれていなかったスクリャービンは色を音楽にし、音楽を色にしたが、そうした危うさは作曲家自身の命までも縮めてしまったように思われる。弾き終わった瞬間に立ち上がったピアニストに、万雷の拍手。
トリフォノフは21世紀のリヒテルなのか。リヒテルのリサイタルは始まる前からミサのよう神妙だったいう。近い将来、トリフォノフを聴けることが奇跡に思えるくらい、貴重で雲の上のアーティストになってしまうような気がした。レーザーメスで取り出された5人の音楽家の心臓を聴いた夜。
生演奏は本当に久しぶりなので、トリフォノフという芸術家に対する印象も心の中で少しブレていた。ペトルーシュカを立ち上がって弾く映像を見ていたせいで、エキセントリック路線に走ったという刷り込みもあった。チャイコフスキーはひたすら内省的で、「ママ」「兵隊の行進曲」「お人形の病気」「お人形のお葬式」といった曲も全く子供っぽく聴こえなかった。むしろ、チャイコフスキーが死ぬまで苛まれていた音楽の「霊感」の狂おしさが、痛みのような感覚として伝わってきた。ピアニシモは砂粒のようで、時々ピアノの音であることを忘れた。詩人にしか見えない微細なものを、作曲家は日常的に見ていた。「ナポリの踊り歌」はバレエ音楽「白鳥の湖」にも登場する。チャイコフスキーはバレエという世界を必要としていた。彼が悩まされていたシルフィードのような、セイレーンのような存在がバレエの世界では生き生きと生きていて、妖精のための音楽を書くことは自然なことだった。
トリフォノフが何を弾いているのかというと、譜面に書かれたものというより、作曲家が「すべて」に身を委ね、ただの入れ物になったときに彼に襲いかかってきたイマジネーションなのだと思う。椅子に座ると同時に勢いよく弾き出したシューマン『幻想曲』は、青春そのものの音楽で、若い魂が肉体を得て生きていることの高揚感に満ち満ちている。全身を駆け抜けていったシューマンの愛の思い出で、作曲家の46歳の不幸な死ということを改めて思い出した。青年のまま死んでしまった人で、地上に根付けない魂の特異性がこの曲にも既に刻印されている。女性(クララ)への恋情が引金となって、異常なほど獰猛な霊感が電撃的に書き連ねられ、2楽章のフォルテシモは割れる寸前の強靭な打鍵で、最終楽章では一転して死後の世界のような穏やかさが訪れる。
作曲家たちは音楽室に飾られているポートレイトのように人の形をしていたが、音楽そのものは空気に漂う霊気のようなもので、才能という受信機がそれを吸い取って、紙の上に書かれたインクとして物質化する…いわば肉体は道具に過ぎなかったのではないか。「わたしはこの世のものではないような気がする」というのはシューベルトが遺した言葉だが、ある時代の作曲家は皆同じ事を実感していたように思う。トリフォノフが選んだ5人の作曲家は全員、不幸な亡くなり方をしていて、生きているときから生物と無生物の間を揺らいでいたような印象がある。
トリフォノフがショパンコンクールで入賞したときも、既にショパンという作曲家を、様式や伝統のフレームを超えた「巨大な霊感そのもの」として捉えていたふしがある。作曲とはどのように行われるものなのか。風や自然と一体化したとき、死者と語り合ったとき、強烈な愛が電撃的に肉体に走ったときに、悟性だけでは得られない詩がうまれる。モーツァルト「幻想曲」は時のない世界の音楽で、暗がりの中で永遠になり続けるオルゴールを連想させた。モーツァルトの美しい筆跡のように端正で、神秘的な憂愁を帯びている。
ラヴェル『夜のガスパール』は、この夜の演奏会の中でも最も狂気に溢れた世界が爆発した。「オンディーヌ」の左手の動きは奇跡のようで、自作の「トッカータ」もうまく弾けなかったラヴェル自身が肝をつぶしそうな出来栄えだった。それにしてもラヴェルとは何者だったのか。果たして今聴いているのは「ピアノ」なのか。魔術だ。スクリャービン『ピアノ・ソナタ第5番』は、トリフォノフがスクリャービンにすべてを預けて、操り人形になっているようにも見えた。五感が截然と分かれていなかったスクリャービンは色を音楽にし、音楽を色にしたが、そうした危うさは作曲家自身の命までも縮めてしまったように思われる。弾き終わった瞬間に立ち上がったピアニストに、万雷の拍手。
トリフォノフは21世紀のリヒテルなのか。リヒテルのリサイタルは始まる前からミサのよう神妙だったいう。近い将来、トリフォノフを聴けることが奇跡に思えるくらい、貴重で雲の上のアーティストになってしまうような気がした。レーザーメスで取り出された5人の音楽家の心臓を聴いた夜。