小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

サー・アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル(12/16)

2024-12-25 12:26:16 | クラシック音楽
「当日までプログラムは秘密」スタイルが定着したアンドラーシュ・シフのオペラシティでのリサイタル。これまでは日本語通訳つきで、奥様の塩川悠子さんやシフの若い友人の音楽家がステージ上でレクチャー部分を訳してくれていたが(このスタイルも結構好きだった)今回はシフ自身が日本語で曲の紹介をしてくれた。シフはまだ70歳なのに、もっと年をとったおじいちゃんのようにゆっくりと喋る。まっすぐな背筋と、消え入るような悲しげな声とのギャップが印象的だった。

バッハの「ゴルトベルク変奏曲」のアリアから始まる。「始原に光ありき」といったすがすがしい明るさのタッチで、シフお気に入りのベーゼンドルファーがホールの隅々まで染み渡るような音を響かせた。続くハイドンの「ピアノ・ソナタ ハ短調」は、典雅で妖艶。エステルハージ宮のお茶会に集う婦人たちの雅やかなドレスやエレガントな調度品、装飾的なティーカップやポットなどが目に浮かんだ。ハイドンのソナタにこうした「艶」を感じるのは、それもシフの演奏でそうした感想を抱くのは意外にも感じられたが…若くて美しい女性のいたずら心や、扇子から香ってくるアーモンドのような芳香がピアノの音から噴き出していた。シフは真面目な顔をして、実はすごいユーモア精神の持ち主ではないのか。東京公演の前に行われた記者会見では、現代ピアニストの多くのペダル使いを「病気のよう」と批判し、基本のキから始めなければピアノ演奏は意味がないというような堅物なことを語っていたが、ハイドンではペダルも豊かだったし、花のように瑞々しいタッチだった。ラストの音だけが男性的で雷鳴的だったのも心に残った。

モーツァルト「ロンド イ短調」は幻想的なヴィジョンが浮かび上がり、宝箱の中からいくつもの宝石が現れてくるような「輝き」が見えた。この曲には不思議なあどけなさがあって、暗闇の中に妖精や翼をもった妖怪を見るような、ときめきのような恐ろしさのようなものを暗示させてくる。シフは鍵盤に覆いかぶさったりのけぞったりという大袈裟なことは一切せず、オルゴールのふたを開けてねじを巻くようにモーツァルトを空中に引き出していく。
ベートーヴェンの「6つのバガテル」は、常人とは桁外れの精神の強さをもっていた作曲家の、宇宙の果てまでも飛んでいけそうな巨大なスケールの音楽だった。祈りのような一曲目はくつろいだ感じで、神に守られている者の安息を伝えてくる。不規則な遊びが波紋のように広がり、楽想を面白いものにしていくが、二曲目のアレグロでは暗号のような言語の対話が起こり、謎めいた表情を深めていく。人生の実りのようなアンダンテと、厳しいユニゾンのプレスト、歪んだダンスは5曲目のアレグレットで幼い者の祈りにつながり、6曲目のプレストは神々しさにあふれた。

「ベートーヴェンの32曲のピアノ・ソナタを弾けるようになるまで、50歳まで待たねばなりませんでした」と語ったシフは、芸術における成熟という価値を重要視している。うわべだけの華やかな技巧がもてはやされる若いピアニストを何人も見てきたのだろう。そうした若者たちへの警告のような言葉も会見では語られた。「決して若者が嫌いなわけではないのです」とはいえ、シフ自身は若者であった頃から、もっと早く年を取りたくて仕方なかったのかも知れない。演奏家にとってつねに「時間」は課題だ。克己心と謙虚さとともにシフが積み重ねてきた「成熟へ向かう」時間の貴重さを思った。

しかし、音楽そのものは老成しているというより、どんどん若返っていく。ピアニストが歩んできた時間は直線的なようでいて、実は円環構造だったのかも知れない。後半はシューベルトの「アレグレットハ短調」「ハンガリー風のメロディ」「ピアノ・ソナタ第18番「幻想」」と続き、シューベルトの大海原が広がった。「ハンガリー風のメロディ」では民族楽器のツィンバロンのようなエキゾティックな響きがシルクのように翻った。シューベルトのウィーンは東西文化の結節点で、ハンガリー人のシフは当時のウィーンが「東」の妖艶さにどのように痺れていたかも把握している。シューベルトの神聖さ、豊饒さ、カラフルさ、彼岸から此岸を眺めているようなタナトス感が感じられた。そして、過去のシフのリサイタルは聴いていてシリアスな心境になることが多かったのに、今ではどんどん軽やかに感じられるのにも驚いた。

アンコールはシューベルトの楽興の時、即興曲、バッハ「イタリア協奏曲」、モーツァルトの可愛い「ピアノ・ソナタ第16番」、そしてここでは聴くことが出来ないと思われたショパンも一曲。無窮動な「マズルカop.24-2」が、ユーモラスに演奏された。3時間近くのリサイタルの最後にはシューマン「子供のためのアルバム」から「楽しき農夫」が奏でられ、どんどん若返っていくシフの心が、最後は子供にまで戻ってきたことを確認したのだった。