【じごく耳】基本的人権は~現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として信託されたものである

国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

君が代起立条例は、忌まわしい戦前の教育を賛美すること

2012年02月29日 | 社会

 大阪府教委は、2月24日に卒業式を実施した府立高校32校のうち、君が代斉唱時に起立しなかった教職が6校で8人いた

と発表した。昨年6月、教職員に君が代起立斉唱を義務づける君が代起立条例が施行さて以来、初の卒業式で、事前に府

教委が全府立学校教職員を対象に起立斉唱を求める職務命令を出していた。8人については起立しなかった理由などを確認

したうえで、職務命令違反で懲戒処分(戒告)する見通し。2012年2月24日付・毎日新聞より)

維新の会は、君が代が戦時中に戦争賛美の為に利用され、有無を言わせず国家が国民の生活や考え方を決めた『絶

従』の精神を条例化し、更にそれを盾に教員を処分するつもりだ。憲法違反の『服従』の規則を作り、罰則は人を社会的に葬る

程の歪んだものだ。こんな事、見過ごしてイイの?大阪の皆さま。

 氏名不詳ですが、日の丸や君が代について優れた論文がありました。お借りします。↓

☆「どうして君が代にこだわるの?」と不思議に思うあなたへ

そう考える人にこだわる私の気持ちを伝えたいと思います。私の発する「なぜ」をあなたも考えてみてください。

 ◆学校だから、考えさせずに従わせることはやってはいけない◆

何かをするとき、それが大事であればあるほど、学校ではそれについて丁寧に授業をし、生徒にわかってもらおうとします。とこ

ろが、「日の丸」「君が代」については、それをしません。なぜ、しないのでしょう?

生徒は、なぜ「日の丸」に礼をし、「君が代」に起立・斉唱するのか、それについて考え、選択する機会は与えられず、形だけが

要求されます。指示に従うことだけが要求されます。

ふだん教員は生徒に、「考えてから行動しなさい」と言っているのに、「日の丸」「君が代」のときだけは何も知らせず、考えさせ

ず、指示に従わせる。このようなやり方は、教育と相反する行為であり、学校ではやってはいけない行為だと私は思うのです。

だから、こだわり、反対するのです。

 学校はものごとの「なぜ」を筋道を立てて科学的論理的に学び、それを基に意見を交換しあい、自分の考えを形成したり、集

団や集団の一人としての意思決定のしかたを学ぶ場です。言い換えれば、知識と民主主義を学ぶ場です。こうした営みを教育

と言います。これをせずに、形だけを求め指示に従わせるのは、動物の調教と同じです。「命令・服従」「強制」とことばを変えて

もいいでしょう。これらは「暴力」だと私は思います。

だいたい、人が暴力を使うのは、相手を説得する理由の見つからないとき、理のないことを通そうとするときなのではないでしょ

うか。「無理が通れば、道理引っ込む」と言うでしょう。

人は、本当にわかってほしいときには筋道立てて話し、わかってもらう努力をします。また、話を聞いた人は、よく考えて、正し

いと思えば、命令、強制されなくても進んでやるものです。ここが、人間が人間であることのすばらしさです。そういう心を育てる

のが教育であり学校だと思います。

このような姿勢で、私は仕事をしたいと思っています。だから、「日の丸」「君が代」について生徒に何も知らせず起立や斉唱を

させるという、教育に反することには、教育委員会の命令だからといって従うわけにはいかないのです。おかしいことには反対

するのが、自分の仕事に責任を持つことだと思うのです。

ほんとうになぜ教育委員会(=国)は、教育と言いながら、「日の丸」「君が代」については形だけを求めて、考える機会を保障し

ないのでしょうね? 

あなたは今までに、指示や命令をされて、何かいやだ、へんだ、と感じたことはありませんか? もし、そう感じたら、その気持ち

を大事にし、なぜそう感じるのかを探求してみてください。

 

 ◆ 命令・服従は戦前の教育。それを繰り返さない◆

 戦前・戦中、日本の社会は「天皇の命令」が絶対で、命令に疑問をもつことさえ許さない、命令・服従の社会でした。学校はそ

れを教えるところになっていました。教員たちは国(=天皇)の命令通りに、次ページに紹介する教科書を使い、「なぜ」と疑問

を持たせない教育をしました。その結果、子どもたちは「愛国少年」になり、進んで戦争に行き、命を失いました。

戦争が終わった時人々は、上からの命令に考えずに従っては再び同じ過ちをしてしまう。皆が考え話し合って決めていかなけ

ればいけない、と気がつきました。日本国憲法に「戦争放棄」「基本的人権」「国民主権」(注)を掲げ、再出発したことを知って

いるでしょう。学校は、命令・服従をやめ、民主主義を教えることになりました。

教員の中には、なぜあの時、国の命令に反対できなかったのかと、後悔した人が少なくありません。そのことを知った私はそれ

を繰り返さないよう、いま、おかしいことにはおかしいと発言し、行動していこうと思います。

(注)「日本に住むすべての人」とすべきだったとは思います。ただ、当時としては、「天皇」に対して「国民」と捉えたのでしょう。

 私は「日の丸」「君が代」だから反対するのではなく、どんなにいいことでも考えさせずに強制することに反対なのです。だか

ら、ここまでで私の反対する理由は十分なのですが、さらに「日の丸」「君が代」の歴史に触れて私の意見を述べたいと思いま

す。

◆戦争と「日の丸」「君が代」―― 教科書では◆

 戦前・戦中の教科書には、次のように書かれていました。

「せんりょうしたところにまっ先に高く立てるのは、日の丸の旗です。兵士たちは…声をかぎりに『ばんざい』を叫びます」

「勇ましい日の丸の旗を見上げると、日本人の胸は、国を愛する心でいっぱいになり、思わず涙が出ます」

「おめでたい日の儀式には、国民は『君が代』を歌って、天皇陛下の御代万歳をお祝い申し上げます。 『君が代』の歌は、我

が天皇陛下のお治めになるこの御代は、千年も万年も、いや、いつまでもいつまでも続いてお栄えになるように」という意味

で…。 『君が代』を歌うときには、立って姿勢を正しくして、静かに真心をこめて歌わねばなりません。人が歌うのをきいたり、

奏楽だけをきいたりするときの心得も同様です。」  ――こうして「愛国少年」が育ちました。

◆戦争と「日の丸」「君が代」―― 侵略されたアジアの人はいま◆

「日の丸」「君が代」にいやな思いを抱く人が今もいる、ということをあなたは知っていますか?60年以上前日本がアジアの国々

にしかけた侵略戦争で、2000万人以上のアジアの人が日本軍によって殺されたという事実は聞いたことがあるでしょう。侵略し

てきた日本軍が、赤ちゃんまで虐殺したことや、少年少女を「強行連行」し、「強制労働」に就かせ、あるいは「従軍慰安婦」にし

たことに対し、今もって一言の「ごめんなさい」も日本政府から聞かされない。そのことに、怒りを持っている人がたくさんいます。

謝って、2度と戦争はしないという姿勢を示してほしい、と日本政府に訴えています。侵略戦争に使った「日の丸」、戦争の命令

を下した天皇をたたえる「君が代」が、日本の学校で行われることに、昔を思い出し再び殺されるような気がする、と言います。

 あなたが、「強制労働」「従軍慰安婦」にされた当事の少年少女だったら・・・?自分に置き換えて考えてください。やはり同じ

気持ちを持つのではないでしょうか。また、あなたの学校にもこういう思いを持つ在日外国人のクラスメイトがいるかもしれませ

ん。そういう友だちの気持ちも考えられる人であってほしいと思います。

 私の父も戦争に行きました。優しい人でしたが、戦争に行きました。父の世代が犯した過ちを繰り返してはいけないと思い、私

は生きてきました。「日の丸」「君が代」にこだわるのは、アジアの人と仲良くしたい、再び戦争をする国に日本をしてはいけな

い、と思うからでもあります。

 学校教育で「日の丸」「君が代」の歴史は学ばせずに、礼と起立・斉唱をさせるのは、本当にあったことを子どもたちに知らせ

たくない、知らせたら子どもが「日の丸」「君が代」を好きにならないと恐れるからかもしれません。

子どもだって、「知らされる権利」「知る権利」があると、子どもの権利条約に明記されています。「子どもは知らなくっていい」と、

大人の都合で言う人がいますが、未来を築く子どもはしっかりと知らされるべきです。

◆「愛国心」って?◆

 さて、こう言うと、「愛国心がないのか」と言う人がいます。いいえ。私は、私の住む日本が、誰もが平和で安心して暮らせるよ

い国になってほしいと思うし、そのための努力は惜しみません。「日の丸」「君が代」を強制することに反対するのも、日本をよい

国にしたいからです。私の「愛国心」です。

人を愛する、と言う時、愛するがゆえに叱ることもあるでしょう。でき愛や、悪い行いを見て見ぬふりはしないでしょう。「愛国心」

も同じことです。

◆暴力に屈することはできない◆

昨年から、私たち東京都の教員は「君が代」斉唱時に起立しない(=不服従)と処分をされます。何回か処分を重ねると免職

(=クビ)だと、都教委は言っています。免職という暴力で教員の反対を封じようとしています。戦前・戦中も、戦争に反対する

(と見られた)教員はクビにされましたが、同じことをいま、都教委はやっています。一年前の春、250人の東京の教員が、教員

の責任と自己の誇りにかけて、服従を拒否し、都教委から処分をされました。

私も食べていかなければならないので、クビにはなりたくない。でも、今まで述べてきた理由から、とりわけ、最初にあげた理由

から、私は黙って命令に服従することはできないのです。

「おかしいことを許してはだめ」「ノーと言う勇気を持とう!」と日頃、生徒に向かって言っている身としては、なおさらのことです。

 (転載終了)


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