昨日は、東日本大震災から2年目。東京電力福島第1原発事故により、故郷の福島から避難を余儀なくされた人々を含め
『脱原発』を訴える多くの人々が「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」を東京・明治公園で開催した。(約1万5000人
参加)
収束どころか悪化するばかりの福島原発事故の影響で、人々がどれ程苦しんでいるか、集会で訴える人の声を文字に起しま
した。(一部、聞きとれなかったので概要だけになりましたが)
☆大江健三郎氏
「多くの地方自治体が、そして政治家が、福島の原発事故は無かったとさえ言いかねない(ような状況)・・・少なくとも、福島の
事故は終わったとの声明がされ続けています。私は、広島・長崎・福島を無かったことにしようとすること(そういう言論)に戦い
もう1台の原子炉も再稼働させない、その為に働く。今日のデモコースを完歩したい。」
☆福島県・双葉町の元町長、井戸川氏
「私達福島県民、私もそうですが、多くの住民が被曝させられて、何の制裁も受けずに今、ノウノウとして加害者がいると云うこと
に、心から怒りを覚えています。是非、この声を全国、あるいは世界にお伝え頂きたいと思います。よろしくお願いします。」
☆落合恵子氏
「私は忘れません。一と月程前、福島南相馬、土曜日の丁度この時間。雪が降っていました。目抜き通りに人影は無くて、雪の
中、信号だけが点滅していたあの光景を私は、一生忘れません。仮設住宅から通い続け、相馬の野馬追いの馬達が食べるワ
ラをただ、黙々と切っているあの人の姿を、そして、深い深い馬の目も私は、忘れません。私は、要求します。被曝しながら原
発の中で黙々と今、働いている、この日本の命運をかけた(作業をする)人々もいるということを。私は、約束します。当たり前で
す、誰が福島を忘れることなど出来るでしょうか。誰が忘れられる。毎日を反原発、原発の構造そのものに反対し続け、出来る
事は、すべて取り組むことをもう一度、ここでお約束しましょう。」
☆福島・飯野町(原発から50km弱)から京都へ避難されている女性
この方は、放射線量の事が分からずに色々と調べる中で、自分の住んでいる所が『放射線管理区域』の線量である事を知り、
周りの人にこの事を説明しても、理解してもらえなかったそうです。みんな、何も知らされていなかったので、除染する前でも子
どもを外に出そうとする大人がたくさんいた、と。自分は、遅ればせながら、昨年1月に京都へ避難できたのだけれど、避難でき
ない状況の人々がいっぱいいると云うのが現状だそうです。
そして、「みんな顔で笑っているけど、心で泣いている。状況が収束したと思われているけど、全然そうじゃない。むしろ、悪化
している。報道の人に取り上げてもらいたい。忘れ去られるんじゃないかと思って不安でいっぱいだけど、福島の人は頑張って
いる。皆さんの協力で世界を変えてもらいたい。」と訴えていました。
☆福島のことは、絶対忘れません。大人には、日本中の人々、世界中の人々に、未来永劫これを伝えていく責務があると思い
ます。
*「福島を忘れないで」