ひつじが一匹ひとりごと

自然的生活楽術
ナチュラルでハッピーな食いしん坊生活 

ルーツ

2012-09-06 10:44:08 | 日々の事

今朝はシジュウカラがテラスで歌っていました。

聞いた事がない泣き声も耳にしたのですが、見つかりませんでした。

かくれんぼが上手で残念です。

祖父も父も鳥に詳しかったのですが、私はよく知りません。

祖父は「昔は鳥屋をやっていましてね」と何度も話してくれました。

幼いころは養鶏農家かと思っていたら、違いました。※

渋谷の家には、古い箱型の木の鳥かごがいくつか積み重ねてあったのを覚えています。

祖先は外国からめずらしい鳥を輸入して、繁殖させて売っていたそうです。

本家は東急本店辺りにありましたが、当時はかなり田舎村だったようです。

この商売をするときに渋谷でと勧めたのが大隈重信候だったと聞いたのは、父の三回忌でした。

大隈重信候と父方祖先の宇作は母同士が姉妹で家も隣村だったので、幼い頃から本当の兄弟のように育ったようだと伯父と叔母から聞きました。

ネット検索したら後藤象二郎の家計図に大隈重信、村井弦斎、岩崎弥太郎ものっているものがありました。

いろいろなところに見覚えのある名前があって、改めてびっくりでした。

宇佐爺のお写真は、里の家にも残っていて、大切に飾られています。

家計図には『宇作(卯作)』とありますが、墓石には『宇作』と刻まれています。

ばったり(過去記事)http://blog.goo.ne.jp/hitujiga-ippiki-hitorigoto/d/20120512 で紹介したコジュケイも、祖先が取り寄せたのかしら・・・なんてちょっと想像してみたりして。

記憶がしっかりしているうちに、こひつじ達と自分に覚書しておきました。

追記 2012年9月7日

※改めて調べたら、やっぱり養鶏でした。

村井弦斎の妻、多嘉子の二人の兄(宇作の息子)密蔵と藹吉が創めた『尾崎兄弟商会』なるものが日本の養鶏の先駆けだったようです。

めずらしい鳥ってブロイラーのことだったのかしら。

それにしても渋谷で養鶏?・・・今では考えられませんね。

コメント
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