かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(40)

2025年01月10日 | 脱原発

2016925

 ギュンター・アンダースは、ヒロシマ・ナガサキからスリーマイル島、チェルノブイリにいたる核の時代に発言を続けた反核の哲学者である。今年になってアンダースの論集の翻訳本『核の脅威』 [1] が新刊として出版された。
 アンダースは、原水爆が使用され所有される時代をアポカリプス、世界の終末へ向かう時代だと断言する。

――抽象的な言い方をすれば、一九四五年まではわれわれは、不朽と思われる種属、少なくとも「絶滅するか永続するか」と問うたことのない種属に属する死すべき一員にすぎなかった。それがいまやわれわれが所属しているのは、それ自体が絶滅を危惧される種属である。(この違いは勘違いされることはないだろうが)死を免れぬという意味でなくて、絶滅する可能性があるという意味で、死に定められているのだ。われわれは「死を免れぬ種族=人類(genus mortalium)」という状態から、「絶滅危惧種(genusmortale)」の状態へと移ってしまったのである。 (p. 224)

 「どんな人間でもいずれ死ぬのだ」という人類の時代から、「どんな人間でもいずれ殺されるのだ」という人類の時代を私たちは生きているということだ。次の文章の「核実験」を「原発」に置き換えて読むと、私たちが置かれている核時代の状況をよく説明している。

 わたしたちが立ち向かう相手、わたしたちが行為によって「取り組む」相手は個人ではなくてあらゆるものの総体になっています。今日極めて重大な意味で行為しなければならない人が出遭う状況は、個人に影響を与え得るような状況ではありません。そういう人が行為する場合、数十万、数百万の人々に関わることになります。しかもその数百万の人々は至るところにいて、それも現代の人々だけではありません。わたしたちの相手は人類にほかならないのです。実際の核攻撃は言うまでもありませんが、たとえば核実験によっても、地球上のあらゆる生物を襲いかねない以上、どういう核実験をやっても、それはわたしたちに襲いかかります。地球は村になったのです。こことあそこという区別は消えています。次世代の人々も同時代人なのです。――空間について言えることは、時間についても言えます。核実験や核戦争は同時代の人々だけでなく、未来の世代にも襲いかかるからです。 (p. 101)

 例えば、チェルノブイリ事故による死者数は98万5千人になるだろうとニューヨーク科学会は見積もっている [2]。たしかに福島の事故での死者数はチェルノブイリ事故と比べれば多くはないが、未来の死者はまだ数えられていない。チェルノブイリとは違って、福島はまだ5年しかたっていないのだ。
 『核の脅威』の最終章のアンダースの言葉は、私たちのデモの足取りをもっと強くと要求しているようである。

 しかし唯一確実なのは、終末の時代と時の終わりとの闘いに勝利することが、今日のわれわれに、そしてわれわれの後に登場する人々に課されている課題であり、われわれにはこの課題を先送りにする時間はなく、後世の人々にとっても時間はないということである。 (p. 286)

[1] ギュンター・アンダース(青木隆嘉訳)『核の脅威――原子力時代についての徹底的考察』(法政大学出版会、2016年)。
[2]
佐藤嘉幸、田口卓臣『脱原発の哲学』(人文書院、2016年)p. 34



2016年1028

 ここ一週間ほど、『通販生活』の記事がネットで話題になっている。2016年夏号で「自民党支持の皆さん、今回ばかりは野党に一票、考えていただけませんか」という大胆な記事で、山口二郎法政大教授、ジャーナリストの三上智恵さん、元自衛隊員の泥憲和さん、弁護士の太田啓子さん、SEALDs(当時)の奥田愛基さんの呼びかけを掲載した。
 その記事に対して寄せられた批判に答える2016年冬号の記事が多くの耳目を集めているのである。わが家での24日のことだが、ネット記事でそれを知って本を探したが見つからない。まだ届いていないと言った妻が、すぐに発行元のカタログハウスに電話を掛けた。
「うちは今日からの発送分だそうだから、明日には届くわよ」という妻に、「今日からの発送は、今日の発送を意味しない」などと茶々を入れたが、ほんとうに翌日には届いたのだった。ざっぱな日本語理解でもそれほど間違わず人生は送れるのである。

 冗談はさておき、問題の記事(『通販生活』2016冬号、p. 194)はこうである。読者からの批判の中から16通をそのまま掲載したうえで、批判に答える文章は次のように始まる。

 172人の読者のご批判は、おおむね次の3つに集中していました。
(1)
買い物雑誌は商品の情報だけで、政治的な主張はのせるべきではない。
(2)
政治的記事をのせるのなら両論併記型でのせるべきだ。
(3)
通販生活は左翼雑誌になったのか。

 (1)には「音楽に政治を持ち込むな」という類の論だとし、(2)には憲法学者の9割が違憲とするような「集団的自衛権の行使容認」などは両論併記以前の問題だと答えたうえで、(3)には次のように述べている。

 (3)についてお答えします。
戦争、まっぴら御免。
原発、まっぴら御免。
言論圧力、まっぴら御免。
沖縄差別、まっぴら御免。

 通販生活の政治的主張は、ざっとこんなところですが、こんな「まっぴら」を左翼だとおっしゃるのなら、左翼でけっこうです。

 「良質の商品を買いたいだけなのに、政治信条の違いで買えなくなるのが残念」と今後の購読を中止された方には、心からおわびいたします。永年のお買い物、本当にありがとうございました。

 見事である。こんな小気味のいい日本語をしばらくぶりで読んだような気がする。

 

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【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(12)

2025年01月08日 | 脱原発

2016年10月8日

 仙台の脱原発運動についての河北新報の記事を見たという知人・友人から連絡がいくつかあった。ブログを読んだ遠方の知人から内容の問い合わせもあった。短い文章なので転載しておくことにする。
 9月23日の夕刊一面、『河北抄』というコラム記事である。

 東京電力福島第1原発事故の教訓はいずこへ、とばかりに再稼働される原発。一方、事故を踏まえて仙台で市民グループが地道に活動を続けている。
 原発や放射能を学び、話し合う「ぶんぶんカフェ」。2011年2月に始めて以来2~3カ月に1度の割合で開き、今月で32回を数えた。スタッフは30~50代の女性5人。その一人の斎藤春美さんは「関心を持つ人の輪を広げ、緩やかにつながりたい」と願い、切り盛りする。
 12年7月開始の「脱原発みやぎ金曜デモ」。来月下旬に200回を迎える。追っ掛けカメラマンがいる。小野寺秀也さん(70)。デモの模様を撮影し、自身のブログで発信する。元東北大大学院教授。同大学院で原子力工学を学んだ。「原子炉の危険性を学んだ者として責任を感じ、個人としてできることで手伝っている」とシャッターを切る。
 南米の先住民に伝わる昔話「ハチドリのひとしずく」の主人公の一言を思い出す。「私にできることをしているだけ」。原発避難者からは苦悩が伝わってくるが、無力感が漂わないのが救いだ。 (2016・9・23)



2016年10月14日


 次回(10月23日)の「脱原発みやぎ金曜デモ」は、200回の節目の記念デモになる。その時のパフォーマンスの一つとして、司会者と私で原発・放射線についてのクイズショーのコーナーをやることになった。いま、司会を担当する人とクイズ問題を作っているが、これが意外と難しいのである。
 金デモが立ち上がってから、多くの人のスピーチを聞く機会があって、原発をめぐる多種多様なことをみんながよく知っていることに驚いていた。危機感や強い関心が様々な知識を身に付ける契機になっているのだろうと感心するばかりだったのだ。大学で原子力工学を学んだ私が口を出して何かを話す必要はまったくないとずっと思いこんでいたのだが、つい最近、放射線や原子核の物理の基礎的なことを話してほしいと頼まれることがあった。
 原発は、原子核物理学や原子力工学ばかりではなく、生物学や医学の知識も必要とするし、何よりも政治や経済の話でもある。マスコミや書籍を通じてその広範な知識に接触しても、放射線や原子・原子核の基礎的なことに触れるチャンスはそんなに多くはないだろう。私のキャリアの方が特殊で少数なのだ。
 つまり、私が考えるクイズがデモ参加者のみんなにとって難しいのか簡単なのか自分でよくわからないことに気づいたのである。「私に問題を出してみたら?」と妻が助け舟を出してくれたが、妻の顔を眺めていてそれも諦めるしかなかった。全問不正解だったらどんなふうに慰めていいかわからないし、なによりもそれでは私の参考にはならない。その可能性がとても高いような気がするのだ。モゴモゴとごまかして立ち上がり、今日の集会場、元鍛冶丁公園に向かうのである。

  原発・放射線のクイズ問題を考えているとき、8月末にあった学習会で出された「放射能は小さな子どもに大きな影響を与えるが、老人には影響ないように思われているが、老人も危ないのでは?」という質問のことを思い出した。
 細胞分裂が活発な若年層ほど放射能感受性が高いのはたしかだが、老人と言えども生きている限り細胞分裂を繰り返しているので、ことさら安全というのは明らかにまちがいである。晩発性障害である多くの癌のリスクは成人以上の年齢では急激に減少するが、呼吸器の癌は中年の年齢域では増加するというデータもあるので注意を要する。
 一般的に言えば、晩発性障害のリスクは年齢とともに減少するのはたしかで、50歳の放射線感受性は10歳の1%以下だとする説もある。しかし、それを50歳に比べれば10歳の放射線感受性は100倍以上だと表現することもできる。同じことを言うのでも、前者は老人は安全と強調するのに、後者は子供は危険と強調することになる。どちらの表現をするかで、その人物の人間観や人間性が分かろうというものである。
 さて、年齢とともに放射線被ばくのリスクは減少するのだが、わが家の112歳の放射能感受性はどのくらいなのだろう。さすがにそんなデータは見つけることができない(そんな人間は統計にのるほど生きてはいない)が、少なくともこれから浴びる放射線で死ぬ確率は宮城県で一番低いのは確からしい(現在、宮城県で最高齢である)。


 


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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(39)

2025年01月06日 | 脱原発

2016年9月2日

 今日のデモ集会での主催者挨拶もそれに続くスピーチも、原子力規制委員会の放射性廃棄物に関する決定のニュースについてであった。委員会決定は、「原子炉の制御棒など放射能レベルが比較的高い廃棄物(L1)の処分の基本方針は、地震や火山の影響を受けにくい場所で70メートルより深い地中に埋め、電力会社に300~400年間管理させる。その後は国が引きつぎ、10万年間、掘削を制限する」というものである。
 突っ込みどころ満載のニュースである。そもそも「地震や火山の影響を受けにくい場所」が日本にあるのかどうかすら疑わしい。そのうえ、電力会社が400年も存続することができるのか。400年もたてば、エネルギー事情が大きく変わって電力会社は存在理由を失っているのではないか。もうすでに今年から電力自由化が始まって、原発を持つ電力会社以外が供給する電力へのシフトが始まっているのである。
 それにもまして、「10万年間、掘削を制限する」という権限を持つ日本という国家が10万年後まで存続しているのだろうか。未来の10万年後は想像しにくいが、10万年前のことはわかる。私たち現生人類、ホモサピエンスは10万年ほど前にアフリカで生まれた。その時代には、35万年前くらいに生まれたネアンデルタール人も生存していたが、その後ネアンデルタール人は絶滅し、ホモサピエンスだけが残った。
 つまり、10万年というのは、ある人類が生まれたり絶滅したりする事象が起きる時間スケールなのである。生まれて10万年のホモサピエンスがもう10万年生き残る可能性はそれほど高くはないのである。ましてや、このホモサピエンスは原水爆や原発という人類殲滅の科学技術を手放せない人類なのである。
 10万年も管理し続けなければならない放射性廃棄物を大量に生み出す原発にしがみつくことしか考えていない愚かな国家のもとで、誰の子孫が10万年後まで生き残れると考えているのか。
 少なくとも私たちは、私たちと私たちの子孫の未来(10万年などではなく近未来のことだ)を確かなものにするために、原発(と原水爆)に反対し、これ以上放射性廃棄物を増やすことがないようにデモで意思表示をしているのである。

 これはデモが終わって帰宅してから見つけたのだが、とても気になるニュースがあった。日本の原発13基の圧力容器に強度不足の疑いがあって調査に入ったというニュースである。

 フランスの原発で強度不足の疑いがある原子炉圧力容器などを製造したメーカーが、稼働中の川内原発1、2号機など国内8原発13基の圧力容器を製造していたことを原子力規制委員会に報告したことが発端となった。
 ニュースには詳しく描かれていないが、ほかの情報を合わせると。圧力容器に使用している鍛造鋼に含まれる炭素量にムラがあって強度不足のおそれがあるということらしい。鉄鋼はその強度を増すために炭素を混ぜるのだが、その炭素が結晶粒界などに偏析すると脆くなって、脆性破壊の原因になる。
 これは、8月27日の「風の会」主催の公開学習会「原子力のい・ろ・は」でも話題になったことだが、原子炉の圧力容器は繰り返しの熱履歴や圧力変化によるクリープ、さらには放射線損傷によって炭素の偏析が進んで脆性が増すことはよく知られていて、圧力容器の脆性破壊は冷却水の一挙の喪失によって核燃料溶融に至る重大な原子炉事故をもたらす。東京大学名誉教授(金属学)の井野博満先生は、つとにその危険性を指摘されていて、とくに日本でもっとも古い原発の一つである玄海原発1号機は最も危険だと主張されている。
 その圧力容器のもともとの材料の炭素分布にムラがあるということは原子炉の安全性にとってきわめて重大な問題である。ところが別のニュースによれば、原子力規制委員会は「製造当時の記録や試験結果で健全性を証明することが可能だ」として、あらかじめ「健全性が証明される」ことを予見している。残念ながら、ここでもまた、規制委員会が原発推進の口実のために設けられた形式的な機関にすぎないことが明らかになっている。

 

2016年9月17日

 今日のデモ集会スピーチの最大のトピックは、「政府が高速増殖炉もんじゅの廃炉に向けて最終調整に入った」というニュースで、数人の人がその話題に触れた。危険な原発が廃炉に向かうというのは、もちろん喜ぶべきニュースだし、これが核燃料サイクル政策の破綻の始まりなら言うことなしである。
 ところが、実際には、もんじゅを廃炉にしても原発を推進する通産省(ひいては自公政権)にとってはなにも困らないのではないかと思えるのだ。「燃やせば燃やすほど核燃料が増える夢のような原発」という歌い文句で始められた高速増殖炉計画は、新しい科学技術を推進することが使命である文科省が、大洗の実験炉「常陽」、敦賀の実証炉「もんじゅ」と進めてきたものだ。
 しかし、世界の趨勢は高速増殖炉を捨てる方向で進んでいる。何よりも、日本では、原発が生み出す大量のプルトニウムを処理するはずの六ヶ所村の核燃料処理施設の稼働のめどがまったくたっていない。通産省的な立場からすれば、このような状況下で高速増殖炉によって大量のプルトニウムを生産することは合理的ではないということだろう。現有するプルトニウムはMOX燃料として使用し、原発再稼働でできるプルトニウムを核燃料サイクルにまわせば将来的にも十分と考えているのではないか。もんじゅ廃炉の支障となるのは、文科省の面子ぐらいだろう。
 濃縮ウランを使用するように設計された既存の原発でMOX燃料を使用するのは、原発の危険度を格段に上げることになる。一基の高速増殖炉もとても危険には違いないが、MOX燃料によって全国のウラン炉へその危険が分散、分配されるというのが、通産省が目論んでいる核燃料サイクル政策の本質であろう。

 

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【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (23)

2025年01月04日 | 脱原発

20161111

 ネットもテレビも新聞もドナルド・トランプの話題で賑わっている。ジャーナリズムの予想に反したのか、期待を裏切ったのか、それともその両方なのかもしれないが、言い訳じみた解説にうんざりする。
 選挙は「よりましな選択」とはいえ、選択肢がヒラリーとトランプなのだから、どちらが勝っても負けても世界にもたらされる不幸の質と量に差があるとは思えない。それに、不満のある大衆に(仮想)敵を作ってみせてヘイトで煽るという選挙の質と結果は、大阪府知事選挙で橋下徹が勝った時に見ている。
 騒々しい解説の嵐のなかを、一つのツイートが駆け巡った。そのツイートが私にとってのアメリカ大統領選挙についてのアルファでありオメガとなった。119日の「稲葉歩@inabawataru」という人の短いツイートである。

アメリカ大統領がトランプだからって何ビビってんだよ。
日本なんて安倍だぞ。

 彼我の国民の不幸にほとんど差がないのである。私は、私のやることをやるだけである。
 選挙後に西海岸の若者たちが反トランプのデモを始めたというニュースに、選挙結果を認めないのは民主主義ではないという陳腐な批判を加えるマスコミもあったが、海のこちら側では国会前に時には10万人を越える反安部の抗議集会が続いている。デモや抗議集会は、不十分な民主主義制度の欠かせない必須の補完物なのだ。

 鹿児島県の三反園知事が川内原発の検査状況を視察したという話から脱原発デモの主催者挨拶は始まった。その視察に同行した二人の専門家が原発を推進する立場の原子力工学者だったことから、再稼働容認への地ならしではないかと疑問を呈している人々もいる。検討委員会設置後の議論を待ってからの判断と知事は言っているが、再稼働を認めないよう遠い仙台からも声を届けたいと話された。
 また、ベトナム政府は日本が建設する予定の原発建設計画を白紙に戻す方向で検討を始めたというニュースにも触れた。福島事故を受けて安全性を見直したことや建設費の膨張などによる原発による発電コストの高騰などがその要因ということだ。福島事故を起こしたうえに、その原因を解明もできず、事故を終息させることもできない国が外国に原発を売ることの非倫理性を問う必要がある。日本国民ばかりではなく、どんな国の人も放射能を浴びることのない環境で生きていく権利があるのだ。
 金デモに参加されている書道家が反原発と護憲の考えを書として出品している「東北書道秀抜展」が1118日~23日に仙台メディアテークギャラリーで開催されるという告知をされた後、東北文化学園大学の震災復興と原発問題をテーマとする特別講座の案内があった。1110日から開講し、原発や環境に関する話題ごとの講師を招いての講義で、毎週木曜日午後3時〜4時半に同大学1号館1257教室で行われる。因みに、来週と再来週の講師は福島原発告訴団の武藤類子さんということだ。
 また、インドのモディ首相が来日して今日にも締結される日印原子力協定を批判する『世界』12月号掲載の福永正明さんの記事の紹介もあった。インドは核不拡散条約に加盟していない核兵器所有国であり核実験も行っている。そんな国に原発を輸出することは許されるのか、核実験を行った場合には協力を停止することができるのか、インドは使用済み核燃料の再処理を認めてほしいと主張していることなどきわめて重要な問題が指摘されている。
 宮城県の市町村長会議で村井知事が8,000Bq/kg以下の放射能汚染廃棄物を焼却する方針を打ち出したことを受けて、奥山仙台市長がそれを受け入れる意思を表明したことから、脱原発仙台市民会議が仙台市に反対の申し入れを行った。 (1)焼却する理由がないこと、(2)焼却工程での安全性が担保されていない、(3)輸送工程での安全性が担保されていない、(4)富谷市との協定や松森工場建設の際の住民協定に違反するのではないか、(5)特措法に抵触するのではないか、(6)発生者責任を問うべきである、などの9項目にわたって申入れをしたところ、今月末に話し合いがもたれることになったという(脱原発仙台市民会議の人と申入れに同席されたふなやま由美市議の報告)。
 女川原発の建設計画段階の時代からの反原発運動に取り組んでこられ、宮城県の反原発運動のリーダー役だった篠原弘典さんが第28回多田謡子反権力人権賞を受賞されたという紹介があった。
 篠原弘典さんは1966年東北大学に入学して原子核工学科に進学したが、原子力の危険性を知って反原発の歩みを始め、女川原発差止訴訟原告団をはじめとする運動の牽引役となり、「みやぎ脱原発・風の会」を主導され、脱原発東北電力株主の会代表、女川原発の再稼働を許さない!みやぎアクション世話人、放射能問題支援対策室「いずみ」顧問などとして活動されたことが授賞理由となった。
 最後に、一昨日野党4党の幹事長会議が開かれ、原発反対も協定の俎上に上って、民進党も否定的ではないよという話題があった。原発立地県の新潟では70%以上が原発反対で、そのことが知事選挙の結果に現れている。野党共闘では原発も極めて重要なイッシュウだという意見が述べられた。

 今日は朝から雨が降っていて、集会が始まるころには止んだように思えたが、また小雨が降り始めた。 冷たい雨である。合羽を着ている人、傘をさす人、防水加工の服なのか雨を避けるふうでもなく頑張っている人などさまざまな参加者は一番町に入るころには40人になっていた。
 一番町に入っても広瀬通りまでは濡れて歩くしかない。

街の灯によごれたる虹立たしめてストロンチウム九〇の
                    篠 弘 [1]

[1] 篠弘「歌集 昨日の絵」『現代短歌全集 第十七巻』(筑摩書房、2002年)p. 229

 


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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(38)

2024年12月29日 | 脱原発

2016年8月12日

 伊方原発が再稼働された。「狂気の沙汰だ」とか「正気の沙汰ではない」と言う友人や知人の声が聞こえてくる。私も「狂気の沙汰だ」と思う。この自公政権や電力会社の再稼働の決断、それを歓迎する地方政治家の「狂気」は何に支えられているのか。
 60年以上も前に、この地球には「核アポカリプス不感症」が蔓延している、とギュンター・アンダースが喝破している。ヒロシマ、ナガサキにそれぞれウラニウム型原爆、プルトニウム型原爆が落とされ、ビキニ環礁で水爆実験が行われた後の人類の話である。まだ読み終えていないが、そういうことが『脱原発の哲学』[1]に書かれていた。
 私たちが生き死にする世界、つまり生化学的な生存環境の次元とはまったく異なる物理的レベルで生じる原子核分裂を利用した軍事技術の対象はまちがえようもなく人間であるが、その技術水準は人類殲滅の段階に達してしまっている。しかし、それを現実世界で目の当たりにしても、私たちは黙示録的な世界の終焉を想像することができない。それが「アポカリプス不感症」である。
 ヨハネの黙示録に示された神の目的としての世界観は私たちにはなかなか馴染めないが、『脱原発の哲学』の著者ら(佐藤嘉幸、田口卓臣)は「核カタストロフィ不感症」という言葉も用いている。
 世界の政治権力が「原子力の平和利用」と言い換えても、原子力発電は技術水準としては原爆とほとんど変わらない。スリーマイル島、チェルノブイリ、フクシマで起きたことは、原発の事故が原爆の人類殲滅への道とまったく変わらないことを示している。あと2、3か所で原発事故が起きたら、おそらく日本列島に人間は住めなくなってしまう。理としては、誰でもそんなことはわかる。しかし、リアルな未来の現実として想像することができないのだ。
 それでも原発を止められない人たちがいる。想像力がないのではない。想像することを拒否する「病」に侵されている。その病名を「核アポカリプス不感症」あるいは「核カタストロフィ不感症」と呼び、それが亢進すると「川内原発再稼働」、「伊方原発再稼働」という狂気として発症するのである。

 どのような悲惨な歴史があったにせよ、確かに、人類は人類が生き延びられる条件が満たされた世界でのみ生きてきた。そのような人間たちが世界の終末を想像することは非常に困難だろう。黙示録に示された神の意思を理解することも難しい。
 しかし、人間は人間が生み出した科学技術がもたらす世界なら想像できるのだろうか。ギュンター・アンダースが言おうとしたことは、人間には人間自身の技術でありながらその結果を想像できない技術があり、原爆はそのような技術そのものである、ということだろう。『脱原発の哲学』には、原爆と原発が全く同等のものだということが詳説されている。
 人間を盲目にさせるもう一つの重要な要素は、その人間が帰属する階層(階級、クラス)の利害であろう。『脱原発の哲学』に次のような一文がある。

〔……〕チェルノブイリ原発事故の影響については様々な評価があるが、IAEAなどからなるチェルノブイリ・フォ—ラムは、チェルノブイリ原発事故の被害を受けた三ヵ国(ベラルーシ、ロシア、ウクライナ)のうち、比較的被曝量の多い六〇万人を対象として、ガン死者数を約四〇〇〇人と評価している。また、グリーンピースは全世界を対象に、ガン死者数を九万三〇八〇人と評価している。さらに、ニューヨーク科学学会は、全世界の五〇〇〇以上の論文と現地調査を基に、ガン以外も含めた多様な死因による死者数を九八万五〇〇〇人と評価している。(p. 34)

 IAEA(国際原子力機関)はもともと原発を推進する国々の政府からなる機関であるが、それにしても原発事故による死者数の違いに驚くほかはない。原発を推進しようとする権力イデオロギーにとっては実際に起きた(起きつつある)原発事故の死者の姿も見えないのである。
 そういえば、福島事故に際して「死者は一人もいない」とその盲目ぶりを恥ずかしげもなく顕示した自公政権の閣僚もいる。無知(イデオロギー的盲目)が再稼働の狂気を煽っている図だ。

[1] 佐藤嘉幸、田口卓臣『脱原発の哲学』(人文書院、2016年)。



2016年8月28日

 8月27日に仙台市民活動サポートセンターで開催された「風の会」の公開学習会「原子力のい・ろ・は」の私の話は、ジャン=リュック・ナンシーの次のような言葉 [1] で話を締めくくったのだが、予定時間をだいぶオーバーしてしまったので話しそびれてしまったことがある。

アウシュヴィッツとヒロシマのいずれも、それまでめざされてきた一切の目的とはもはや通約不可能な目的のために技術的合理性を作動させるにいたったのだ。というのも、こうした目的は、単に非人間的な破壊ばかりではなく 、完全に絶滅という尺度にあわせて考案され計算された破壊をも必然的なものとして統合したからである。(原文を部分的に省略している)

 人類は、ソフトウエアとしての人種殲滅のナチズムという思想と人類殲滅のハードウエアとしての原水爆(そして原発)を手にしてしまった(思想的・技術的合理性を作動させてしまった)、という意味のことを話したが、その後に付け加えたかったのは次のようなことだ。
 ナチズムの国、ドイツではいまや徹底的にナチズム批判をしている。ホロコーストはなかったなどという妄言は犯罪として訴追される。加えて、フクシマ以後、ドイツは原発の廃棄へ舵を切った。つまり、人類殲滅に繋がるソフトもハードも敢然と放棄する道を選んだのである。
 ところが、わが日本はどうだろう。南京虐殺はなかった、慰安婦の強制連行はなかった、侵略などしていないなどと歴史を歪曲して、戦争を遂行した戦犯を靖国神社に奉じて閣僚が参拝までしている。その上、フクシマの悲惨にもかかわらず原発を再稼働させたうえ、「プルトニウムは抑止力になる」だとか「憲法は核兵器所有を禁じていない」などと口走る始末である。
 ドイツと日本は真逆の道を進み始めた。その日本で、原発に反対する意思表示をすること、反対しつづけることには、単にどんな技術的手段で発電するか、どういうふうにエネルギー問題を解決するかなどというレベルをはるかに超えた意味がある。ジャン=リュック・ナンシーが言おうとしているのはそういうことではないか。
 原発に反対することは、人類殲滅へ向かう歴史に抗うことに繋がる。日本の政治ばかりではなく、世界の政治へ向かう重要な道筋のはじめに「脱原発デモ」は位置している。
 大げさでもなんでもなく、私はそう付け加えたかったのである。 

[1] ジャン=リュック・ナンシー(渡名喜庸哲訳)『フクシマの後で』(以文社、2012年) pp. 32-33。

 

 

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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(17)

2024年12月27日 | 脱原発

2016年11月27日

 国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは今年初めにジュネーブで開催された第31会期人権理事会に「福島・原発事故後、日本政府による被災者の基本的人権の継続的侵害に関する声明」を提出した。声明文は英語だが、次のような提案をしている。
 (1)2015年の避難地域の解除の見直し、(2)非指定地域からの避難者への住宅援助停止決定の見直し、(3)すべての避難者を国内難民として保護し、住居、健康、環境、家族に関する権利を保障するための経済的、物質的援助を行うこと、(4)最も被害を受けやすい人々を守るための避難地域や線量限度に関する国家プランを策定し、被ばくを1mSv/y以下にすること、(5) 1mSv/y以上の地域からの避難、滞在、帰還する人々への移住、住居、雇用、教育、その他の必要な援助のための資金を提供すること、(6)健康調査政策を見直し、1mSv/y以上の地域に住む人々にたいする包括的かつ長期的な健康診断を行うこと、(7)福島事故被害者に対する効果的な相談業務を行うこと。
 つまり、こうした至極当然な提案がなされる背景には、被害者の人権にかかわるきわめて基本的な政策を政府は行っていないということだ。国策としての原子力政策であるがゆえに東京電力への援助は手厚い。であれば、国策の被害者にたいしても手厚くするのが筋だと思うが、現実はまったく非対称である。もう誰でも気づいているにちがいないが、この国にとって大事なのは国民ではないのである。
 その国家のありようを示すもう一つの話題として、原子力ロビーである電気事業連合会(電事連)が自民党に7億6千万円の政治献金を行ったということが紹介された。電力9社は電事連を通じて(隠れ蓑として)自民党へ献金をしているわけで、東電と事故被害者に対する政府の手当ての非対称もそこから由来している。「金め」に象徴される政治というのが自民党や公明党のめざす政治なのである。
 仕事で飯館に行くように言われている人が「除染等放射線電離検査」なる健康診断を受けさせられたが、これはどういうものかと質問された。私も初めて聞く言葉だった。
 帰宅後にネットで調べたら、福島事故の後で急いで発せられた厚生労働省令によって「東日本大震災により生じた放射性物質により汚染された土壌等を除染するための業務に係る電離放射線障害防止規則」に定められた健康診断で、正確には「除染等電離放射線健康診断」という。
 除染等の業務に常時従事する労働者に対して、雇入れ時、当該業務に配置替え時、その後6か月以内ごとに1回、定期に、(1)被ばく歴の有無の調査及びその評価、(2)白血球数及び白血球百分率の検査、(3)赤血球数の検査及び血色素量又はヘマトクリット値の検査、(4)白内障に関する眼の検査、(5)皮膚の検査について医師による健康診断を行わなければならない、と定められている。
 従来は、放射線管理区域に放射線作業従事者として立ち入る者に対する健康診断であるが、福島の汚染地区を管理区域と定めないままに除染作業をさせるために策定されたものだ。管理区域と定めると作業従事者しか立ち入ることができなくなり、それ以外の人間はすべて区域外に居住しなければならなくなる。政府が進めている帰還計画など問題外ということになってしまう。
 いわば、現状をしのぐための泥縄の法令ではあるが、そこで働く人間にとっては将来の放射線障害に対する予防と保障のためには絶対に欠かすことのできない健康診断である。これと、労働期間中の被ばく線量や身体汚染の正確な記録は不可欠である。


 

 
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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(37)

2024年12月25日 | 脱原発

2016715

「すべての日本人が選挙前にそのことを理解することができれば、少なくとも福島事故をめぐる政治的問題は一挙に解決するのだが、ずっと目を閉じ、声を聴かないままでいたいと思っている人間も多いのだろう。状況の閉塞感(というよりも激しい後退感)に気づいていない人々が……。」

 福島の放射能汚染と被曝のことを考えていて、先週(78日)のブログを上のような言葉で締めくくった。その参議院選挙が終わった。野党統一候補の擁立が成功して、大敗した先の参議院選挙に比べれば野党側が大きく盛り返したが、それでも与党は3分の2近い議席を占めることになった。先週の私の書いた言葉は、そのとおりに私の心に残ったままである。
 事前予測もあって全体の選挙結果にはそんなに驚きも落胆もしなかったが、
沖縄と福島で野党統一候勝利し、自公政権の現役大臣を倒したということはきわめて象徴的な〈事件〉だと受け止めた。
 福島は、東電第一原発事故の放射能によって汚染された郷土や県民の被爆に対する政府の施策は「棄民政策」と呼ぶに等しいものであり、沖縄は日本の安全保障政策として強制された基地の犠牲者となるべくこちらは歴史的に「棄民政策」の対象であり続けた。
 政府も自らの棄民政策の意味を自覚しているがゆえに、その無能さにもかかわらず沖縄、福島の改選議員を閣僚に任命し、優位に選挙戦を戦えるようにしたはずなのである。しかし、沖縄と福島の人びとには、そんな政権の意図を凌駕するように政府権力を拒否する以外の選択肢がなかったのだ。
 新潟を含めて東北、北海道にかぎって選挙結果を見れば、10議席中8議席を野党が占めた。この結果もまた、歴史的にはアウタルキー(自給自足)経済のための植民地代わりの食糧生産地だけの〈辺境〉としてのみ中央政府から扱われてきた[1]にもかかわらず、政府の進めるTPPがその食糧生産地の意味をも奪い取ろうとしていることへの反抗として顕現したものだろう。
 このように地域を限って選挙結果を見れば、全体の結果と大きく異なってしまうのは、文字通り、政治的・経済的地域格差そのものを直接的に象徴しているに違いない。こうした事態への選挙民の自覚がどのように変化して行くのか、私には予想しかねるが、まったく反対の結果となった西日本では地域格差、政治格差は東北・沖縄とは異なるだろうが、経済格差そのものはまったく同じように拡大しているはずだ。子どもの貧困、保育所問題(労働環境の性差)、高齢者の困窮化などから逃れられている地域はない。彼らは何を見、そしてどこへ行くのだろう。

 参院選の結果は、SNS上の多くの知人、友人を落胆させたようだが、多くの人はめげずに先を見ているようで「諦めない。未来は変えられる」というような意味のことを発信する人が多かった。
 投票日の夜、テレビを消して開票速報は見ないで過ごした。台所の小さなワンセグテレビの情報を妻がときどき伝えてくれるが、私は本を読んで時間をやり過ごしていた。スラヴォイ・ジジェクの『事件!』[2]を読み終えたばかりだったが、ラカン派のジジェクが歴史における〈事件〉をラカン流の精神分析を引き合いに出して論じている部分は少し面倒くさくて斜めに読み飛ばしていたのだが、正確に言えば、その部分の読み直しをしたのだ。
 本は丁寧に読むべきである。その部分に「未来は変えられる」ではなく「過去の事件は変えられる」と主張されていた。そうだ。歴史とはそういうものだ。過去に起きた事実は変えられないけれど、それがどんな〈事件〉であったかは未来が決めるのだ。

アルゼンチンの作家ホルへ・ルイス・ボルへスは、カフカとその先行者たち(古代中国の作家からロバート・ブラウニングまで)との関係について的確にこう述べている。「カフカの特異性は、程度の差はあれ、これらの著作すべてに見られる。だがもしカフカが書かなかったら、われわれはそれに気づかないだろう。つまり、それは存在しなかっただろう。〔……〕すべての作家は先行者を創造する。彼の作品はわれわれの過去の概念を変え、同様に未来を変える」(ボルヘス『続審問』、中村健二訳、岩波文庫、二〇〇九、一九一~二頁)。 (pp. 151) 

 つまり、こうだ。今日この日から先の未来に向けて、誰かが(あるいは大勢が)行動を起こし、ある政治的な事実を生み出すだろう。その未来の事実が、この参院選の結果の歴史的〈事件〉性を決定する。
 沖縄と福島で自公政権を拒否しえたことが歴史の〈事件〉だったのか、東北、北海道の「辺境」で野党が82敗だったことが〈事件〉だったのか、それとも安倍政権が両院において3分の2の勢力を手に入れたことが歴史的〈事件〉だったのか。それは未来が決定するのだ。
 もう少し七面倒くさい哲学風にこのようにも述べている。

 しかし、この過去そのものを()構成する身ぶりの遡及性はどうだろうか。本物の行為とは何かについての最も簡潔な定義はこうだ――われわれは日常的な活動においては、自分のアイデンティティの(ヴァーチャルで幻想的な)座標に従っているだけだが、本来の行為は、現実の運動がヴァーチャルなものそれ自体、つまりその担い手の存在の「超越的な」座標を(遡及的に)変えるという逆説である。フロイトに従えば、それは世界の現実性を変えるだけでなく、「その地下をも動かす」。われわれはいわば反射的に、「条件を、それが条件であった所与の物に戻す」。純粋な過去はわれわれの行為の超越的条件であるが、われわれの行為は新たな現実を生み出すだけでなく、遡及的にこの条件それ自体を変える。弁証法的発展の中で事物は「それ自体になる」というヘーゲルの言葉はそのように解釈すべきだ。たんに時間的展開が、あらかじめ存在した前存在的・無時間的な概念構造を現実化するにすぎないというのではない。この無時間的な概念構造それ自体が、偶然的な時間的決定の結果なのである。 (pp. 153-4)

 だからこそ、次のようなイラン革命の不思議を理解できようというものだ。

独裁政権がその最後の危機・崩壊を迎えようとしているとき、たいていは次のような二つの段階を辿る。実際の放下に先立って、不思議な分裂が起きる。突然、人びとはゲームが終わったことに気づく。彼らはもう恐れない。政権がその合法性を失っただけでなく、その権力行使そのものが狼狽した無能な反応に見えてくる。一九七九年のイラン革命の古典的な解説である『シャーの中のシャー』で、リュザルド・カプチンスキーはこの革命が起きた正確な瞬間を突き止めている。テヘランのある交差点で、ひとりでデモンストレーションをしていた男が、警官に立ち退けと怒鳴られたにもかかわらず、動こうとしなかったので、警官は黙って引き下がった。この話はほんの 一、二時間のうちにテヘラン全市に伝わり、その後数週間にわたって市街戦が続いたものの、すでに決着がついたことを誰もが知っていた (pp. 158-9)

 福島と沖縄における自公政権の拒絶がテヘランの「一人でデモンストレーションをしていた男」の拒絶と同等の〈事件〉となるかどうかは、私たちの行動の未来が決定するのだ。
 ジジェクを見直した。面白いけれども哲学的饒舌を持て余していたのだが、これからは歴史・政治・哲学をめぐる彼の論説をいくらかはわが身の行動と思考に重ね合わせて読むことできるかもしれない。そんなことを、投票日の日付が変わった頃に思っていた。 

[1] 赤坂憲雄、小熊英二(編著)『辺境から始まる 東京/東北論』(明石書店、2012年)。
[2]
スラヴォイ・ジジェク(鈴木晶訳)『事件! ――哲学とは何か』(河出書房新社、2015年)。


 

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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(16)

2024年12月23日 | 脱原発

2016年7月8日


「私らのような年寄りは良い。子どもだけでも、この値(年20mSv)から外して欲しい。子どもには選択権が無いんです。大人に従うしかない。自分で決めることが出来ないんですよ。人権侵害ですよ」
 会場から拍手が起こる。原田さんの怒りは、国に反論できない町教委にも向けられた。
 「なぜ教育者から反対意見が出なかったのか。情けない」
 壇上には町役場の職員がずらりと並んだが、誰も反論することは出来なかった。馬場有町長は腕を組み、じっと聞き入っていた。
       「民の声新聞(7月3日)」から抜粋

 明後日に投票日を控えた参議院選挙のための激しい選挙運動のニュースが流れる中、7月1日に開かれた福島県浪江町の住民懇談会の様子が「民の声新聞」に掲載された。政府が2017年3月に避難指示を解除する方針であることを受けて、開かれたものだ。
 政府側は、ICRP(国際放射線防護委員会)の指針を盾に全く住民の意見に耳を貸さない頑なな姿勢を崩さない。そんな「懇談」の様子が詳細に報じられている。ICRPは、もともと原子力を利用したい国々によって設立された国際機関であって、その指針には原子力を推進したいという国家意思のバイアスがかかっている。
 このように明らかに政治的バイアスがかかった機関の見解を全面的に施策の根拠とするのは、政府が再稼働をするとき原子力規制委員会の判断を根拠にすることとその構図はまったく同じである。規制委員会の委員は、政府の都合に合わせてくれる専門家を選んでいることは誰の目にも明らかで、政府の都合のいい結論を出すに決まっているのだ。
 政治家も役人も自らの知見、見識によって政治的判断をする、行政的判断をするという形はけっして取らないのである。それは、それらの結果が大きな不始末となって終わっても全く責任を取らないことに繋がっていて、いつでもどこでも見られる日本社会の無責任な政治的構図にほかならない。

 浪江町で住民の血を吐くような訴えが冷たい拒絶にあっているとき、世間で激しく争われている参議院選挙では、原発問題はほとんど争点になっていない。
 河北新報(7月7日付) によれば、参院選宮城選挙区では「公示後の街頭演説や個人演説会では、両候補とも原発政策や女川原発再稼働についてほとんど触れず、選挙公報にも記述はない」のだ。記事には、上智大の中野晃一教授の「原発問題は国民の関心事なのに、接戦の1人区では立地地域や電力会社関係者などの反発を恐れて候補者は言及しなくなる。一種のカルテルのような状態だ。有権者の問題意識を候補者に直接伝えることが大切だ」という意見も紹介されている。

 福島事故から5年、10万人もの人が避難先で苦しみ、避難できなかった人も汚染の地で苦しんでいるとき、国の政策を争う選挙で事故原因の原発が争点にならない国とはどんな「美しい」国なのだろう。数十万人の人びとの暮らしや命を政治から除外する国とは……。
 たしかに人々の苦しみを見ないことにすれば、「日本の風景」は美しいにちがいない。人の住めない土地の風景の美しさを日本人は誇っているのか?
 日本の現実が見えないのか、見ようとしないのか、いずれにせよ見ることを欲しない日本人に「美しい日本」など見えるはずがないのである。

いくら除染をしても
放射能が高くては帰れない。
ふるさとへ
戻る。
ふるさとへ
戻らない。
ふるさとへ帰る
ふるさとへ帰れない

心は揺れる。
ふるさとを捨てる。
ふるさとに未練はある。
ここで生まれ
ここで育ったのだから。
だが現実は甘くはない。

〔中略〕

望郷の唄が
遠くから聴こえてくる
あの唄は幻聴か?
それとも涙唄か?
幼い昔に聴いた唄だ。

誰もいない野原に
名もない花が咲いて。

誰もいない野原に
羽虫が飛んでいる。

かつて町だった。
かつて村だった。
そこに
その場所に。
    根本昌幸「帰還断念」 [1]

 放射能をばらまいておいて「美しい日本」などとほざくのは、冗談どころかあまりにもたちの悪い言説である。誰がどの口で言っているのか?
  すべての日本人が選挙前にそのことを理解することができれば、少なくとも福島事故をめぐる政治的問題は一挙に解決するのだが、ずっと目を閉じ、声を聴かないままでいたいと思っている人間も多いのだろう。状況の閉塞感(というよりも激しい後退感)に気づいていない人々が……。

 [1] 根本昌幸『詩集 荒野に立ちて ――わが浪江町』(コールサック社、2014年)pp. 78-81。


 

 
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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(36)

2024年12月21日 | 脱原発

2026年6月26日

 86、7歳になったはずのハーバーマスは、イギリス国民がEU離脱を選んだことを聞いてどう思ったのだろう。イギリスの国民選挙のニュースを聞いて最初に思ったことは、そんなことだった。ニュースは離脱がもたらす経済的影響ばかりを伝える内容が延々と続いたが、私の関心はそんなところにはなかったのだった。
 国民国家の完成をもって歴史の終焉を語ろうとするヘーゲル-コジェーヴ的な思惑を大きく越えて世界大戦が2度も起きたヨーロッパで、国民国家の枠組みを超えたヨーロッパ連合の構想は、大哲ユルゲン・ハーバーマスの悲願のように見えた。そのハーバーマスは、ネオリベラルの支配する未来のヨーロッパ連合を心配していた[1]が、今日の結果はその心配が実際に起きてしまったことによるのではないか。
 恒久的な平和と経済的繁栄を求めようとするヨーロッパ連合は、過去から未来にかけての政治的構造を議論し、認識しうる政治的エリートたちによって牽引されてきた。理念というものは、いつでも認知能力の高い人々によってと打ち立てられてきたことは否定しがたい。
 しかし、EUをリードする国々や政治エリ-トたちもアメリカを中心とする新自由主義的経済と国家運営という枠組みから自由であることは出来なかった。東欧共産圏が崩壊し、次々と東欧諸国が資本主義国家に変わろうとするとき、新自由主義的経済(つまりは政治そのもの)がおそいかかる様子はナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』[2]に詳しい。
 経済破綻したギリシャに突きつけるEUの経済政策要求は、アメリカがIMFや世界銀行を通じて世界中に押し付けた新自由主義的な施策そのものだったことは記憶に新しい。
 新自由主義経済は、日本でも猛威を振るっているように一国内の経済格差を拡大するが、新しくEUに加わる小さな国々を周辺国家化する機制も併せ持つ。経済後進性の強い国の国民は、二重の格差に追い込まれ、移民という名の経済難民としてヨーロッパを流動化し、経済先進国家の人種差別的ナショナリズムを刺激する。
 イギリスのEU離脱のニュースから読み取れるのは、右翼ポピュリズムとネオリベ保守との闘いという構図ばかりである。そこには国民国家を超えるヨーロッパ統合という理念も新自由主義を乗り越える経済構想も聞こえてくる余地がないかのようだ。EU離脱の動きが加盟各国に広がると心配されるのは当然と言えば当然である。
 ヨーロッパ統合が失敗に終われば、歴史は一挙に100年以上も引き戻されるだろう。いや、歴史は決して戻りはしない。新しい悲惨、階梯の高い悲惨が待ち受けるのみだ。
 しかし、ヨーロッパの歴史を心配している場合ではない。この参議院選挙で、自公を中心とする軍国主義的右翼政党を勝たせてしまうと、私たちもまた歴史を100年も引き戻されるよりも過酷な戦争の時代に突き落とされてしまう。まずは私たちの抵抗と戦いだ。

[1] ユルゲン・ハーバーマス(三島憲一、鈴木直、大貫敦子訳)『ああ、ヨーロッパ』(岩波書店、2010年)p. 100。
[2] ナオミ・クライン(幾島幸子、村上裕見子訳)『ショック・ドクトリン』(岩波書店、2011年)。



2016年7月1日

 言葉が、日本語がとても貧しくなったと思うのは、単に私の言語の感受力が衰えたせいなのだとは思えない(思いたくないということなのだが)。
 かつて、ある政治家が「警察は国家の暴力装置」と発言したら自民党が鬼の首を取ったかのように大騒ぎしたが、政治を志す者がごくごく一般的な政治学的用語を誤解している(知らない)ことはとくに気にならなかった。もともと、政治家にはそれほどの知性があるとは思っていなかったからだ。
 それでも、ある時、日本の宰相が自分を批判する人間を「サヨク」と呼んでドヤ顔を見せたときには少しばかりあきれてしまった。その一言で批判し返したつもりなのだ。彼の中では、「サヨク」という言葉が「お前の母ちゃん、でべそ!」などという言葉と同レベルで整理されているらしいのだ。知性がどうのという以前の話だ。
 いまは、参議院選挙の真っ最中だが、正しく政治の言葉を彼らと闘い合わせることは可能なのか。いや、論戦が不可能であっても、選挙には勝たねばならぬ、そうは思うのだ。そして、これが、こんなことがずっと若い時から私が政治家には絶対なりたくなかったと思っていた理由だと、いつもの選挙の時と同じように繰り返し思い出し、自己確認するばかりだ。

 今、エンツォ・トラヴェルソの『全体主義』という本を読んでいる。新書版の本を図書館の書架で見つけ、フランスで全体主義に関するアンソロジーが刊行されたときの序文で、全体主義に関する議論のまとめのような本らしいことで借り出した。
 「全体主義」という言葉は、多くの場合、共産主義国家を批判する際に多用されて来て、アベ首相の「サヨク」という言葉と同様に、「全体主義」と批判することで共産主義国家の歴史的、政治学的問題には一切踏み込むことなく思考停止してしまう役割を担わされた言葉でもある。
 全体主義と括られる政治システムには、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、ロシアのスターリニズムがあって、その特質は必ずしも同じではない。アベ自公政権の現在の日本が直面しているのはファシズムだという人もいれば、ナチズムのやり方にそっくりだという人もいる。私には、民主主義を経験したことのない極東アジアの後進国特有の独裁制のようにも見えて、全体主義の括りから外れている部分もあるように思う。宮台真司のいう「田吾作」、大塚英志の言う「土人」 [1] の国ということだ。
 今度の参議院、続く解散総選挙で現在の政権に勝たせたら、いつかの将来、アビズム(あるいはエイビズム)の(abe-ism:abism)の全体主義における位置づけ」だとか「アビズムとナチズムの差異」などという論考が政治学や歴史学の主題としてもてはやされるかもしれない(日本国民の大いなる犠牲の上にだが)。
 いや、冗談を言っているわけではない。

 青葉通りまで来るとすっかり夜である。明から暗へ遷移していく時間帯をたっぷり使うデモは、とても贅沢である。日暮れ時、人を思い、街を思い、国を思ってゆったりと過ごせればどんなにかいいだろう。そんな時間を許したくないらしいこの国の政治家たちにこんな詩句を。

何も約束してくれないモラリストの方がよい
信じやすく 騙されやすい善よりは 抜けめのない善の方が好き
軍服だの制服だのはない国の方がよい
侵略する国よりは 侵略された祖国の方が好き
常に疑問を抱いていたい
整然とした地獄よりは 混沌とした地獄の方がましと思っている
新聞の第一面よりは グリム童話の方が好き
葉のない花よりは 花のない葉の方を好む
尻尾をちょん切られた犬よりも 尻尾のある犬を好む
           ヴィスヴァ・シンボルスカ「可能性」 部分 [1]

 信じやすく、騙されやすい犬、尻尾を切られた犬にはなりたくない。あいつらに尻尾を振るのは嫌だが、尻尾を振ってあの人には親愛の情だけは伝えたい。尻尾を切られてたまるか。

[1] 大塚英志、宮台真司 『愚民社会』 (太田出版、2012年)。
[2] ヴィスヴァ・シンボルスカ(つかだみちこ編訳)「世界現代詩文庫29 シンボルスカ詩集」(土曜美術社出版販売1999年)p.93。


 

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【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(11)

2024年12月19日 | 脱原発

2016年9月10日

 とても細くしなやかな一本の白髪を摘まみあげたとき、ふっと時間が止まってしまったような感覚に陥った。7センチほどの長さで、鋏で切られた跡がない。女性のものだろう。
 さて、この白髪をどうしよう。すこし戸惑っている自分に気づいたが、どうもこうもなく、ゆっくりと屑籠に捨てた。
 水曜日の午後、市立図書館から借りだした本の中に『現代短歌全集 第17巻』があった。〈かわたれどきの頁繰り〉として、木曜日の早朝4時ころ、その本の頁を繰っていた。180頁を開いたら、島田修二の歌に付けられたかぼそい付箋のようにその白髪はあった。

歌ひつづけ歩みつづけて来しからに帰りなんいざ無韻の里へ[1]

 何の根拠もないのだが、この白髪の女性も長い人生を「歌ひつづけ歩みつづけて来」た歌詠み人だったにちがいないと思ってしまったのだった。私は歌詠みではないので、「無韻の里」へ帰りたいと願う心をそのまますんなりと理解できるわけではないが、必死で生きてきた人生からまた別の人生へと願ったことはある。
 ただの偶然にすぎないことを、こんなふうに記してしまうと、なにかそれなりの感傷が生まれたような気分になってしまうが、じっさいはそのあいだ空白の感情のまま過ぎていたようにしか思えない。空白の感情というのは、つまりはうまく表現できる言葉が見つからないということでもある。
 白髪によって誘われた短い時間の感傷を離れ、再び頁を繰っていると、冬道麻子の章で次のような歌を見つけた。

此の世にてめぐりあうべき人がまだいる心地して粥すすりおり[2]

 もしかしたら、私のなかにもこんな若々しいロマンチシズムがかろうじて生き残っていて、あの一本の白髪を眺めていたのだろうかなどと一度は思い、いや、そんなことはあるはずもないと否定してみたり……。その答えなど打ち捨てるように本を閉じ、犬と散歩に出かけた。窓の外はとっくに明るくなっていて、予定時間を過ぎて犬は1時間以上も待たされていた。

[1] 島田修二「渚の日々」『現代短歌全集 第十七巻』(筑摩書房、2002年) p. 181。
[2] 冬道麻子「杜の向こう」同上、p. 428。

 


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