かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(31)

2024年11月27日 | 脱原発

2016年2月26日

 東京電力福島第1原発事故の責任をめぐって検察審査会の起訴議決がなされていた東電旧経営陣の3人、勝俣恒久元会長、武藤栄、武黒一郎両元副社長が29日に業務上過失致死傷罪で東京地裁に強制起訴されるという。過酷事故を引き起こした責任がようやく裁判の場で問われることになる。あれだけの被災者、犠牲者を出し、膨大な国土を放射線で汚染させ、被爆者の将来に深刻な不安を刻み込んだ経済行為の失敗の責任は必ず問われねばならない。
 しかし、原子力災害の責任は一電力会社だけが負うべきものではない。原子力を推し進めてきた政府、行政機関もまたよりいっそうの責任があるだろう。とくに、福島原発事故以前の第一次安倍内閣は、原発の電源喪失の危険を問われて、国会の答弁書で次のように答えている。

 地震、津波等の自然災害への対策を含めた原子炉の安全性については、原子炉の設置又は変更の許可の申請ごとに、「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設 計審査指針」(平成二年八月三十日原子力安全委員会決定)等に基づき経済産業省が審査し、その審査の妥当性について原子力安全委員会が確認しているもので あり、御指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである。

 結果として「安全の確保」は果たされなかったのであるから、安全を審査した経済産業省、それを追認した原子力安全委員会、そして政府としてそれを良しとした安倍内閣の責任は明確である。東電旧経営陣の裁判の先には国そのものの責任を問うことが私たちの責務ではないか。
 230万人の日本人兵士の死をもたらした政治家、軍人の戦争責任が戦犯として問われたように、10数万人の避難者、犠牲者を出した事故責任を厳しく問うことが新たな災害を防ぐ最も有効な手段に他ならないし、国民の生命財産を守る真正の政治の確立にも必須である。
 たとえば、「薬害エイズ」裁判では、薬品企業と並んで、許認可権を持つ厚生省、それに権威を与えた専門家(医師)が裁判に問われている。原発事故では、電力会社、経産省、原子力安全委員会が責任を問われるのは当然のことだ。
 次のようなニュース(河北新報、2月25日付)もあった。

 東京電力は24日、福島第1原発事故の状況をめぐり、核燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」が起きていることを事故直後に公表できたにもかかわらず、過小に誤った判断をしていたと発表した。東電は「判定する根拠がなかった」と説明してきたが、炉心溶融を規定するマニュアルが社内に存在していた。
 原発事故では1~3号機で炉心溶融が起きた。東電は事故から2カ月後の2011年5月になって3基の炉心溶融を正式に公表。それまでは、より軽微な「炉心損傷」と説明していた。

 原発として考えうる限りでの最悪の事故である炉心溶融に対するマニュアルがあることを忘れていたということは、それより軽微な事故に対するマニュアルなど問題外だったに違いない。つまり、すべての事故に対する能力を欠いているということだ。これだけでも東電が原発を運転する資格がないことを告白しているのだが、これまでの東電の隠蔽体質から考えて、マニュアルは存在しないことにして意図的にメルトダウンを隠していた可能性もある。
 原子力村の一員と思われる「専門家」がメルトダウンを公表しなかった東電を次のように擁護していることも、東電の隠蔽だったことを暗示しているのではないか(日本経済新聞、2月25日付)。

北海道大の奈良林直教授(原子炉工学) 事故から間もない3月14日の段階で「炉心溶融(メルトダウン)」を正式に発表していたら、国民の間で大パニックが起きていたと思う。判定基準に基づいて炉心溶融と認めたところで、何かしらの利点があったとは思えない。

 相変わらずのパニック論である。自分たち以外の一般国民は馬鹿だという認識でものを喋っているのである。少し長いが、「パニック」についての本当の専門家の考えを紹介しておく。静岡大学防災総合センター(火山学、災害情報学)の小山真人教授が次のように述べている。とくに、「他分野の研究者」、「行政担当者」、「マスコミ関係者」には必読文献であろう。

〔……〕災害に関する情報がパニックを引き起こした事例は、世界的に見てもきわめて稀である。それどころか、深刻な内容の情報が公的機関から警報として伝えられても、思ったほどには危機感をもたれず、避難に結びつかない実態が長年の研究によって明らかになっている。つまり、災害情報=パニックという固定観念は、誤った思い込み(パニック神話)である。突然の警報によって群衆が狂ったように逃げ惑う等の場面は、映画などによって刷り込まれた悪しき幻想なのだ。
 〔……)
 いずれにしてもパニックは、(1)緊急かつ重大な危険の認識、(2)閉じられそうになっている限られた脱出路の認識、(3)状況についての情報不足、の3条件すべてが揃わないと発生しないとされている。このうち、危険そのものや脱出路の状況は改善困難なことが多いが、情報不足は比較的容易に解消できる。 つまり、必要とされる情報を迅速に伝えることによって第3条件の「情報不足」をつぶせば、パニックを防止できる。
 こうした知見は、災害情報の発信に携わる研究者間では常識であったが、他分野の研究者・行政担当者・マスコミ関係者には共有されていなかったようだ。危機管理の視点から見れば、先に挙げた政府関係者、研究者、マスメディアの対応は、あまりに不勉強かつ稚拙なものであった。
 こうした情報制限がなぜ駄目なのかは明白である。まず、情報制限が招く情報不足こそが住民に不安や混乱を与え、さまざまな噂や流言の発生を招き、上述のパニック発生条件(3)を助長して、最悪の場合は真のパニックを招く要因となる。きわめて起きにくいパニックがもし起きたなら、それは情報不足をもたらした側の責任と言えよう。さらに、パニック神話にとらわれて情報制限をおこなった人々は、当然とられるべきだった住民の正当な危険回避行動も妨げた。


 

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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(13)

2024年11月25日 | 脱原発

2016年1月22日

 あるフェイスブック友だちの投稿で、赤坂憲雄さんが1月17日付の福島民報に「山や川や海を返してほしい」という文章を寄稿していることを知った。学習院大学教授で福島県立博物館館長でもある赤坂憲雄さんは、慶応義塾大学教授の社会学者、小熊英二さんとの共編著の『辺境から始まる』 [1] があるが、『東北学へ』シリーズなどを著されている民族学者である。
 政府も福島県も、そして、それぞれの市町村さえも、放射能汚染地となった故郷から避難した人々を躍起になって帰還させようとしている。日本の国民は1mSv/年以下の被爆に抑えられるように法で守られているというのに、福島の人たちは20mSv/年まで被爆してもいいのだ、というあまりにも不当な差別のもとに帰還が進められている。
 赤坂さんはそのことに異を唱えているのである。

 福島の外では、もはや誰も関心を示さないが、どうやら森林除染は行われないらしい。環境省が、生活圏から離れ、日常的に人が立ち入らない大部分の森林は除染を行わない方針を示した、という。それでいて、いつ、誰が「安全」だと公的に宣言がなされたのかは知らず、なし崩しに「帰還」が推し進められている。
 わたしは民俗学者である。だから、見過ごすことができない。生活圏とはいったい何か。人の暮らしは、居住する家屋から20メートルの範囲内で完結しているのか。もし、そうであるならば、民俗学などという学問は誕生することはなかった。都会ではない、山野河海[さんやかかい]を背にしたムラの暮らしにとって、生活圏とは何か、という問いかけこそが必要だ。
  〔中略〕
 除染のためにイグネが伐採された。森林の除染は行われない、という。くりかえすが、生活圏とは家屋から20メートルの範囲内を指すわけではない。人々は山野河海のすべてを生活圏として、この土地に暮らしを営んできたのだ。汚れた里山のかたわらに「帰還」して、どのような生活を再建せよと言うのか。山や川や海を返してほしい、と呟[つぶや]く声が聞こえる。

 家に閉じこもった生活でしか20mSv/年以下が保証されないのだ。20mSvという数字そのものが福島に住む人々の将来的な健康を無視した数字なのに、普通に暮らせばそれ以上の被爆が実質的に想定されるのだ。
 何よりも、赤坂さんが指摘するように、現在の帰還政策は、人間が「ある場所」で生きることの意味をまったく考えていない非人道的な措置なのだ。

 一編の詩がある。東京電力福島第一原発の過酷事故のために富岡町から避難せざるをえなかった女性の詩 [2] である。

富岡のそらへ
     佐藤紫華子

そーと吹いてくる
風に誘われて
すゝきの穂がたなびいている

北へ 北へ
なつかしい
富岡の空へ向かって!

あの空には
思い出がいっぱい

私達の心をのせて
雲は両手を広げ

茜色に染まる
空へと走って
行く……

 森も、山も、川も、私たちが暮らす故郷である。空も、雲も、私たちの故郷には欠かせない。放射能にまみれた森や川、放射能を降らせる空と雲の下で生きることを強制する社会とは何か。私(たち)もその社会の一員であることの意味を考える。考えながら、原発に反対してデモを歩く。

[1] 赤坂憲雄、小熊英二(編著)『辺境から始まる 東京/東北論』(明石書店、2012年)。
[2] 佐藤紫華子『原発避難民の詩』(朝日新聞出版、2012年) p. 110。

 

 
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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(30)

2024年11月23日 | 脱原発

2016年2月12日

 こんなニュースをネットで見つけた。

 間もなく新政権が誕生するベルギーが、2025年までの脱原発へ一歩を踏み出した。10月30日の組閣交渉の中で結ばれた主要6政党間の合意に基づき、現存する2カ所の原子力発電所は全て閉鎖される方向だ。ただ代替エネルギー源の確保が条件となっており、調整には時間がかかりそうだ。複数の国内メ ディアが伝えた。
 ベルギーは北部ドエル(Doel)と東部ティハンジュ(Tihange)の2カ所に原発を抱え、共に仏公益事業大手GDFスエズ傘下の電力大手エレクトラベルが運営している。合わせて7基ある原子炉のうち最も古い3基を2015年まで、残りを2025年までに廃炉とする計画。2003年に脱原発に向けた関連法が既に成立しているが、今回の合意でこれを堅持することが確認された形だ。

 福島事故を受けてドイツが脱原発に踏み切ったことはよく知られているが、チェルノブイリ事故後にはオーストリアは建設した原発を一度も使うことなく閉鎖し、イタリアも1990年にすべての原発を閉鎖した。また、オランダでも2基中1基を閉鎖し、残る1基については耐用年数を全うさせるか早期閉鎖にするか政治的に議論されているものの遅かれ早かれ原発は閉鎖されることになる。スウェーデンでも2010年に全原発廃棄するという政治的決断がなされたこともあり、原発大国フランスが残っているとはいえ、ヨーロッパが脱原発へ向かって進んでいることは確かだ。
 こうして先進国では脱原発が進むが、経済成長を夢見る後進国においては原子力エネルギーへの幻想は続いているだろうし、そのような国に原発を売り込もうという悪辣な国もある(日本だが)。このような流れから、いずれ、原子力エネルギーをめぐる周辺国化が始まるのではないかと想像される。福井や福島や青森など経済的に恵まれない農漁村に原発を集中させたように、これからはグローバリズムの名のもとに貧しい国々に原発を集中させて原子力の周辺国化が進められていくのではないか。
 日米安保条約や原子力協定ばかりではなく、安倍政権が進めている集団的自衛権行使を可能にする安保法制やTPPによって、日本そのものの周辺国化、属国化が徹底されようとしているとき、その日本が原発輸出を目論んで後進国の原子力に関する周辺国化の先兵的役割を果たそうとするのは、私たちにとっては悲劇であり、世界から見れば喜劇そのものだろう。周辺国の人々からの憎しみは日本に向かい、周辺国から吸い上げた経済利益は日本を素通りしていくことは目に見えている。
 原発を止められない日本は、もうすでに周辺国化された東アジアの後進国の一つに過ぎない(いや、経済的にはともかく、政治的・文化的には先進国になったことなど歴史上一度もない)。なのに、愛国主義者たちの嘆きの声が聞こえてこないのはとても奇妙だ。
 かつて世界の二大核開発拠点だった米国のハンフォードと旧ソ連のマヤ-クの歴史を批判的に描いた『プルトピア』の著者、ケイト・ブラウン米メリーランド大教授(歴史学)が朝日新聞のインタビューに答えて、次のように話している。

 当時〔1950年代〕、原子力発電の技術開発でソ連に後れをとっていた米国は、日本に原子炉を輸出することにしました。広報戦略の一環です。ソ連は、米国の原子炉を「マーシャルアトム」(軍事用の核)だと言ってばかにしていました。米政府はこれを恥じ、アイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」を唱え、原爆被爆地の広島にあえて原子炉を置こうとしたのです。ビキニ事件を受けた日本の反核運動の盛り上がりもあって「広島原発」は実現しませんでしたが、ともあれ、米国製の原子炉が日本に設置されました。それは、原子力潜水艦用に開発された軍事用の原子炉を転用し、民生用の原子炉としては安全性が十分確認されたものではありませんでした。しかし、改良に余分なコストや時間をかけたくなかった。米国は非常に危険でやっかいなものだと知りつつ、ソ連をにらむ西側陣営の日本に輸出した。日本にはエネルギー資源がなく、米国に支配された国だったからこそ実現したのでしょう。

 原発を巡るアメリカと日本の関係や、過酷事故を運命づけられたかのような日本の原発の歴史の始まりが、疑いようもなく、簡潔に、明晰に述べられている。「米国に支配された国」に「非常に危険でやっかいな」原発が押し付けられたのである。
 しかも、そのように周辺国化というよりも植民地化された日本で、安倍自公政権は福島の人々の犠牲に目を向けようともせず、そのアメリカだけに忠誠を尽くすように日本の原発を守り続けようとしているのだ。
 私たちは、日本の無残な政治的状況という点においても、原発に反対してデモを続けるしかないではないか。そのように行動している私たちは、言葉の正しい意味で「愛国者」ではないかと思う(「愛国者」という言葉は歴史的・思想的に薄汚れていて嫌いだが)。愛国主義を標榜する人々のほとんどは安倍自公政権を支持している。そのことは彼らの愛国精神に反しないのであろうか。まあ、彼らの「愛国」とは単に政治権力に従順というだけなのかもしれないが……。

2016年2月19日

 ベルギーは国として2025年までに7基の原子炉全ての廃棄を目指して着実に進んでいるとばかり思っていた。ところが、ティアンジュ(Tihange)原子力発電所の完全廃炉に向けての作業の中で、2号機を2015年3月に再稼働させたという。そのことに対して、国境で隣接するドイツ西部のアーヘン市が、老朽化したベルギー国内の原発の安全管理が適切に行われていないことを理由に、近々訴訟を起こすと発表した。そんなニュースがあった。 
 2025年に完全廃炉を目指すといっても、それまでは機を見て運転するということらしいのだが、問題のティアンジュ原発2号機はコンクリートブロックに亀裂が発見されて停止措置が取られていたにもかかわらず、何の手当もなしに再稼働させたということだ。どこの国でも、原発を再稼働させるためには、どこかで安全性を犠牲にするか無視するかしかないようだ。どこまで何をやっても安全を担保することなどができないことを原発推進側も先刻承知なのである。
 いまや、原発の危険性は国境を越えた訴訟も辞さない深刻な問題となっている。何の手当もできず、大量の放射能を太平洋に流し続けている日本が環太平洋諸国から訴えられる日がいずれ来るのではないか。そうなれば、取り返しようのない膨大な汚染量に対して補償などの経済的な対応はほとんど不可能だろう。ベルギー原発の訴訟は、EUが定めた原子炉の安全管理基準を法的根拠としているが、そのような協定、条約が環太平洋諸国にないことで安穏とできるような問題とは思えない。

 

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【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (19)

2024年11月21日 | 脱原発

2016129

 この29日にも高浜原発3号機を再稼働するというニュースが流れ、それに抗議するために関西電力東京支社前で抗議行動をするということをネットで知った。月1回の日曜昼デモを31日にするために今日の脱原発みやぎ金曜デモは休みになっていたので、東京に出かけ関電前抗議、首相官邸前抗議に参加する。
 せっかくの東京というので、世田谷美術館分館宮本三郎記念美術館の『画家と写真家のみた戦争』という美術展を見にいくのも目的の中に入れていた。美術評論家の椹木野衣さんが『戦争画とニッポン』 [1] という本の中で戦争画について言われていたことが気になっていたのだ。
 アメリカ軍によって接収されていた大量の戦争画が1970年に国立近代美術館に無期限貸与の形で返還されたあと、椹木さんたちがその公開を要請し続けたものの、「社会の国粋主義的な傾向に加担するからよくない」などということで実現しなかったという。敗戦後、芸術家たちの戦争協力への批判はかまびすしかったが、だからといって、その事実としての戦争画を隠してしまうことは「なかったこと」にしたい歴史修正主義にほかならない。しかし、「当時としてはどこに国粋主義などあるのかという思いだったのだが、今日ではにわかにその心配が高まってきた」という意味のことを椹木さんは語られていた。
 安倍自公政権が成立してから、国会における絶対的多数を背景に秘密保護法、集団的自衛権を容認する安保法制など解釈改憲に踏み切ったばかりか、あからさまに憲法改悪を広言している。政権そのものが極右化していることをいいことにネット上での「国粋主義的」言説や、街中でのヘイトスピーチなどの「国粋主義的」行動があからさまになってきた。
 このような「国粋主義的」強権発動をその権力の本質とする安倍自公政権によって、原発も再稼働されるのである。免震棟は作らなくてもよい、ケーブルの不正な敷設があっても再稼働する原発(川内、高浜)には目をつむるという規制委員会によって安全性の追求は次々に放棄されている。これもまた、それをよしとする強権的な政府の意図を背景としているのだ。
 日本の政治は、まともに歴史を見ることがない、現実に起きたことから何一つ学ぼうとしない歴史修正(歪曲または無視)主義的思考にまみれているけれども、私は、戦争画が芸術家による戦争協力、戦争賛美であろうとも、かつてなされたこと、起きたことをまっすぐに見ておきたいと思ったのである。

 関西電力東京支社は、日比谷公園の西隣、国会通りに面している。 日比谷公園を抜けると、国会通りの向こうの歩道に560人くらいでもあろうか、集まって抗議の声を挙げている人たちが見えてくる。官邸前や国会前に行ったことはあっても、関電東京支社は初めてである。このビルの9階に関電支社が入っているという。
 車道寄りに並んだ抗議の人たちは次々と抗議のスピーチやコールを挙げている。富国生命ビルの玄関は5mほどの階段を上ったところにあって、最上段には制服姿の二人が抗議する人たちを見下ろしている。
 「福一事故」のあとでは原発を再稼働することそのものが理不尽であること、再稼働の容認が免震棟建設やケーブル不正敷設を容認することで強行される不正そのものであること、高浜原発ではMOX燃料を使用するなど危険に危険を重ねる愚行であることなどを、抗議の声は訴え続ける。
 高浜原発は、今は再稼働以前の再起動状態に入って明日の朝には臨界に達するとみられる。それでも、私たちは福井から遠いこの地で反対・抗議を続けるしかない。一人が「私たちはけっしてやめない。反対の声を上げ続ける」と絶叫する。そうだ。それしかない。
 1820分ごろまで関電支社前にいた。仙台のデモの時より薄着だが、東京の日中では汗ばむほどだったので、寒さ対策は十分と思っていたが、かなり体が冷え込んできた。降り続く小雨を防ぐためにカメラをジャケットの中に入れていた。防寒ジャケットが半分ほど前開きなので冷え込むのだと、カメラをすっぽりとジャケット内に収めたが、じっと立ち尽くしたままでは一度冷えた体に体温が戻りそうにもない。
 まだ抗議行動は続いていたが、1820分ごろに首相官邸前に向かった。 富国生命ビルから首相官邸前まで1kmほどある。出来るだけ体を動かそうで大股かつ急ぎ足で歩いた。そのせいで冷え込んだ体に幾分か体温が戻ってきた。官邸前の抗議の列の先頭にたどり着いた時にはほとんど寒さを感じなくなっていた。
 雨と寒さで以前に来た時ほどの人出ではないが、抗議の列の前の方ではいつものような大きな声が上がっていた。そういえばフェイスブックで「雨が降ったから人が減ったなんて言われるのが悔しいからぜったい官邸前に行く」という投稿を見かけた。しかし、主催者の悪天候への配慮もあって、今日の抗議行動は官邸前だけで、国会正門前は中止になっていた。
 私のように以前から計画を立てていて、朝のうちに新幹線に飛び乗った人間はその慣性力に逆らえず、悪天候とはいえ参加するしかないのだが……。 
 官邸前で上がっていたコールも、今日は高浜原発再稼働への抗議の声がほとんどである。一通り写真を撮り終えた私もコールの列に加わる。
 車の出入り口で分断された抗議の列の先頭に見知った顔が見える。以前にFB友の目良誠二郎さんから紹介していただいた「NONUKES MORE LOVE」のグループの人たちだ。その中の何人かにはFB友になってもらっている。その中に入れてもらってコールに声を合わせていると、グループの人がつぎつぎ入ってくる。目良さんもカメラを抱えてやってきた。
 「高浜原発、ただちにやめろ」、「やめられないなら首相が辞めろ」などと声を上げているうちに1930分になった。抗議は20時まで続くけれども、仙台の雪掻き人は早めに引き上げたのである。

[1] 椹木野衣、会田誠『戦争画とニッポン』(講談社、2015年)。



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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(29)

2024年11月19日 | 脱原発

2025年10月16日

 それにしても、おお神よ、これはいったいどういうわけなのだろうか。これをはたしてなんと呼ぶべきか。なんたる不幸、なんたる悪徳、いやむしろ、なんたる不幸な悪徳か。無限の数の人々が、服従ではなく隸従するのを、統治されているのではなく圧政のもとに置かれているのを、目にするとは! しかも彼らは、善も両親も、妻も子どもも、自分の意のままになる生命すらもたず、略奪、陵辱、虐待にあえいでいる。それも、軍隊の手になるのでもなく、蛮族の一群の手になるのでもない(そんなものが相手なら、血や生命を犠牲にするのもやむをえまい)、たったひとりの者の所業なのである。しかもそいつは、ヘラクレスでもサムソンでもなく、たったひとりの小男、それもたいていの場合、国じゅうでもっとも臆病で、もっとも女々しいやつだ。そいつは戦場の火薬どころか、槍試合の砂にさえ親しんだことがあるかどうかも怪しいし、男たちに力ずくで命令を下すことはおろか、まったく弱々しい小娘に卑屈に仕えることすらもかなわないのだ!このようなありさまを、臆病によるものと言えるだろうか。隸従する者たちが腰抜けで、憔悴しきっているからだと言えるだろうか。
           エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ [1]

 人びとが「国じゅうでもっとも臆病で、もっとも女々しい」小男に隷従するわけを論じた『自発的隷従論』の中の一節である。1546~8年、今から470年ほど前に書かれた古典だが、まるで祖父母の世代に「腰抜けめ!」と叱られている気分になるほど、2015年の日本にしっくりと嵌りそうな文章だ。
 この〈小男〉が誰だなどということはことさらに言いたくもないが、人びとが自発的に隷従することで独裁を助けているという時代を越えて共通する認識は、かなり厳しい問題を私たちに突きつけている。
 TPPが包括的合意に達した後のJA全国大会に安倍首相が来賓として招かれて挨拶をしたのだという。TPPに絶対反対という自民党の公約(とくに農民層に向けての)を反故にしたというのに、主体がJAという組織なのか農民たちなのかは判然としないが、こうしたニュースに積極的な隷従の典型を見る思いがする。
 しかも、明示的ではないがボエシの論旨は、人びとの隷従は国家(あるいはプレ国家)の始まりと同時に人びとの中に不可避的に芽生えた心性であることを示唆していて、「共同幻想としての国家」における幻想性のなかに深く隷従性が隠されているのではないか考えさせられた(つまり、私の宿題として残された)のだ。
 もともと『自発的隷従論』を読もうと思っていたわけではない。FBに『独裁体制から民主主義へ』という本の紹介があって、アラブの春を闘った人びとに読まれていた権力に対抗するための教科書だという宣伝文句に惹かれたのだった。
 最近は、デモのためだけにしか街に出かけないので、本屋に寄る機会もほとんどない。やむをえずAmazonで注文したら、これもどうだと『自発的隷従論』が宣伝されていたので、ついクリックしてしまった(安い文庫本だからできたのだが)。
 右手には人びとの自発的な隷従論、左手にはこうすれば独裁体制から民主主義へ転換できるという非暴力的抵抗の方法論。どうしろと言うのだといいたくなるが、どちらも真実なのだと思う。
 辺野古の基地建設に反対する行動では県知事を先頭とする沖縄のマジョリティが結集している。3・11後の官邸前での再稼働反対、原発反対の抗議行動は時には10万を超える人びとを集めて4年も粘り強く続けられている。『首相官邸の前で』を監督した小熊英二さんは、この一連の抗議活動、デモから民主主義への運動の質が変わったと考えている。
 また、若い学生たちが組織したSEALDsが主導する戦争法制に反対する行動、デモによって、デモそのものに対する日本人の意識を大きく変えつつあるように見える。隷従する精神にとっては、デモに参加することは恐怖であったかもしれないが、SEALDsのデモは誰にでもできるごく普通の意思表示にすぎないことを日本人に明らかにしてくれたと思う。
 もちろん、自公政権であることは自発的隷従がまだまだ強いことを意味しているが、最近の日本で生起し、そして継続している抵抗、抗議、反対の動きには隷従する精神を突破する契機を内包していると思えてならない。

 [1] エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(西谷修監修、山上浩嗣訳)『自発的隷従論』(筑摩書房、2013年) p. 13。



2025年11月6日

 11月4日の朝日新聞の3面に「もんじゅ 異例の勧告案」という記事が出ていた。と、パソコンで打ちこんだら「慰霊の勧告案」と誤変換された。日本語としては変だが、イメージはしっくりする。ちょっとばかりATOKのセンスに感心した。

 原子力規制委員会は4日、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)を安全に運転する能力が日本原子力研究開発機構にはないとして、新たな運営主体を明示するよう馳浩文部科学相に勧告すると決めた。

 勧告なので法的拘束力はないものの、実質的には「もんじゅ」に引導を渡したように思える(勧告する側も受ける側も自覚がないにせよ)。日本原子力研究開発機構の前身は、日本原子力研究所と核燃料サイクル開発機構で、少なくとも日本の原子力工学を先導してきた国の研究開発機関で、その分野ではトップクラスの人材が集まっていたはずである。勧告を出した規制委員会の田中俊一委員長も日本原子力研究所に在籍していた。
 1995年のナトリウム事故以来、実質的に実証炉としてなんら「実証」実験ができなくなっていた事実そのものが、工学(技術)的に事故を乗り越えることが困難であったことを「実証」したのだったが、今回の勧告は、運営(人文・社会)的な能力も欠如していることを明確にしたのである。
 しかし、新しい運営主体は見つかるとは思えない。機器の点検漏れや虚偽報告など8回もの保安規定違反を繰り返したのは、あたかも高速増殖炉の技術的困難はないかのように見せるためには、そうするしかなかったと考えるのが自然である。「安全に運転する能力」とは、安全を担保する技術的能力を前提とするが、国内で日本原子力研究開発機構に所属する人材以上の能力を有する技術者集団は考えられない。つまり、運営主体を替えても技術的能力が高まる可能性はほとんどない。ヘタをすれば格段に低下する。
 行政事務的な運営主体なら変更は可能だろうが、素人が口出しをすれば「もんじゅ」の安全性の担保はいっそう絶望的になるだろう。最近はとくに「政府が先頭に立って処理をする」だとか「私が責任を持つ」などという言辞で事態を悪化させる例が続いているだけに、科学技術に無知な人間の口出しは恐ろしい。
 どう考えても「もんじゅ」を廃炉にするしか道はないのである。世界中で高速増殖炉にしがみついているのは日本だけだ。1991年に試験炉も実証炉も諦めたドイツに続いて、1994年にはアメリカとイギリスが、1996年には原子力大国フランスですら高速増殖炉の開発を断念した。茨城県大洗町の試験炉「常陽」も福井県敦賀市の実証炉「もんじゅ」も廃炉の決断時である。それが、誰かが好きな「世界最高水準」の政治判断というものだろう。
 世界の原子力先発国家がすべて諦めたのに、どうして日本は高速増殖炉を諦めなかったのだろう。後発国の焦りか、日本の科学技術への盲信(盲信というのは科学に対する無知に基づく)や奢りのためだろうか。
 日本原子力開発研究機構の前身、日本原子力研究所や核燃料サイクル開発機構には、大学で机を並べていた友人たちが研究者として就職した。なべて優秀な学生たちだった。そのうちの何人かは、人生のかなりの部分を「もんじゅ」に関わっていた。とうに退職した彼らは、その「もんじゅ」の現状をどう思って見ているのだろうか。
 原子力工学を学んだ私は、いま、脱原発に一生懸命になっているが、それでも友人たちのことを思うと、少しばかりではなく感傷的になってしまう。福島事故の後の年賀状に、恩師が「彼らのことを思うととても切ない」と書いて来たことも思い出して、いっそう辛い気持ちになる。
 フランスと同じ1991年くらいに高速増殖炉開発計画を断念したとしても、研究者として盛りを迎えていた彼らがその後どんな研究生活を送ることができたか、もちろん私には想像できない。優秀な彼らであれば、新しいテーマで充実した研究生活を送ったかもしれない。たしかな想像はできないが、どこか悔しい感じだけは残るのだ。

 

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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(12)

2024年11月17日 | 脱原発

2016年1月15日

 1月14日の河北新報ネット版に「〈女川原発〉5km圏 ヨウ素剤配布進まず」という記事が掲載されていた。宮城県が女川町と石巻市の原発5km圏内の住民にヨウ素剤の配布を促しているが、問題が多すぎるとして市も町も配布に踏み切っていないという記事である。
 ヨウ素剤は、原発事故時に飛散する放射能のなかで短半減期のI-131の甲状腺への蓄積を抑制して甲状腺癌の発生を少なくするために事故直後に服用しなければならない。しかし、ヨウ素剤が役に立つのは甲状腺癌に対してだけであって、その他のもろもろの急性障害、晩発性障害、低放射線の長期被爆障害には何の効果もない。事故が起きれば、ヨウ素剤によって助かる人も確実にいるだろうが、全体の被害を見れば福島やチェルノブイリ事故の被害規模とそれほど変わらないだろうことは自明である。5km圏内どころの話ではない。
 記事の中で、とくに目を引く記述があった。配布を渋る市、町の動きに対して、県原子力安全対策課の発言に次のような一言があったという。

「議論は重要だが、原発は今そこにある。住民の安心のためには早く配った方がいい。」

 「原発は今そこにある」と言うのである。この危機認識はきわめて正しい。今そこにあって、すぐにも事故が起きる可能性があるから早く配ってほしい、そういう意味の発言である。
 しかし、事故の危険のある原発が「今そこ」にあるのなら、ヨウ素剤を配るかどうかなどとのんびり議論している場合ではないだろう。出来るだけ急いで住民を非難させなければならない。それが無理なら、事故が起きないように原発の再起動を諦めさせたうえで、廃炉にするよう東北電力に求めるのが県民の生命、財産を守るべき県のやることだろう。
 ヨウ素剤を配ることや、避難計画を立てることで守れるものなどたかだか知れている(ないよりまし、そんな程度だ)。廃炉にすることで守れる土地や人間とは比ぶべきもない。

 デモに出かける前に、頼んでいた本が届いた。堀内和恵さんの『原発を止める島』である。上関原発建設計画が持ち上がってから30年以上にわたって反対を続けてきた祝島の人々の苦闘のルポルタージュである。中には、映画監督の纐纈(はなぶさ)あやさんや鎌仲ひとみさん、写真家の那須圭子さんたちの祝島に寄り添う活動の報告も含まれている。
 表紙裏には次のような惹句が書かれている。

日本では、一七ヵ所の地で原発が建設されてきた。
だが、それをはるかに超える二九ヵ所の地で原発を止めてきた。
この事実を知る人は少ない。

瀬戸内海に浮かぶ人口約五〇〇人の小さな島、祝島。
ここには、三〇数年もの間、原発を止めてきた人びとがいる。

祝島から、優しい風が吹いている。


 
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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(28)

2024年11月15日 | 脱原発

2015年9月4日

 民主党政権時代は2030年には原発ゼロにするとしていたので、脱原発運動は条件闘争的な要素もないではなかった。しかし、自公政権になってから、原発を基盤エネルギーに据えるという政策によって、脱原発は反自公政権そのものでなければならなくなった。
 その間、白井聡さんの『永続敗戦論』 [1] や矢部宏治さんの『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』 [2] などの著書に典型的に現われたように、自公政権打倒を超えて、アメリカ合州国政府と向き合うことが避けられないことを多くの国民は知ることになった。
 原発による日本国土の荒廃のみならず、戦争法案という日本国民の命を賭ける政策に対峙せざるを得ない私たちは、当面は自公政権に抗っていくしかないが、いずれは、日本の政治システムの背後にべったりと張り付いているアメリカ支配に向き合わざるを得ない。
 先に詩を引用した鮎川信夫は、先の戦争に行き、生き残った詩人である。新しい戦争危機の時代にあって、その詩集最後には奇しくも「アメリカ」と題する詩が収められている。

それは一九四二年の秋であった
「御機嫌よう!
僕らはもう会うこともないだろう
生きているにしても 倒れているにしても
僕らの行手は暗いのだ」
そして銑を担ったおたがいの姿を嘲けりながら
ひとりずつ夜の街から消えていった
胸に造花の老人たちが
死地に赴く僕たちに
惜しみない賞讃の言葉をおくった
予感はあらしをおびていた
あらしは冷気をふくんでいた
冷気は死の滴り……
死の滴りは生命の小さな灯をひとつずつ消してゆく
Mよ 君は暗い約束に従い
重たい軍靴と薬品の匂いを残し
この世から姿を消してしまったのだ
………
今でも僕は橋の上にたつと
行方の知れぬ風の寒さに身ぶるいするのだ
「星のきまっている者はふりむかぬ」
Mよ いまは一心に風に堪え 抵抗をみつめて
歩いて行こう 荒涼とした世界の果へ……
       鮎川信夫「アメリカ」より [3]

[1] 白井聡「永続敗戦論――戦後日本の核心」(太田出版、2013年)。
[2] 矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、2014年)。
[3] 『鮎川信夫全詩集 1945~1965』(荒地出版社、1965年)pp. 240-243。



2015年9月14日

 安保法案(戦争法案)の是非の議論の時期はもうとうに終わっていて、いまはひたすら反対の声を上げるときだ。この点に関しては、木村草太首都大学東京准教授の発言がきわめて明快だ。木村さんは、9月13日のNHK日曜討論で次のように述べている。

 時期じたいは、私は熟しているというふうに思います。
 まず法案の違憲性ですけれども、元最高裁判事、元法制局長官、著名な憲法 学者、のほとんどが、つまり憲法解釈の専門的なトレーニングを受けた方のほとんどが、この法案に違憲な部分があると言っています。また世論調査でも、違憲であるという認識が多数を占める状況になっていて、違憲な点があるという点は決着がついています。
 また法案の必要性についても、少なくとも、今国会で成立させるべきではないという意見が、どの世論調査でも大勢を占めています。
 さらに政府の説明ですけれども、政府がまともに説明する気があるのかという点についても、それはなさそうだ、ということがわかってきました。
  したがってこれは否決・廃案以外にはない。そういう判断ができる時期に来ていると思います。

 (1) 法律関係者も国民も法案は違憲だと判断して議論は決着している、(2) 国民の大勢が法案成立に反対している、(3) 政府は説明する気がない。よって、否決・廃案する以外にない。
 明快にして簡明、民主主義国家であればこれ以外の選択肢はない。問題は、安倍自公政権も自民党、公明党も民主主義そのものを理解していないところにある。結局、私たちは集会・デモで意思表示するしかないのである。


 

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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(27)

2024年11月11日 | 脱原発

2015年8月21日

現代の文化にあって、あらゆる他の闘争を左右するような決定的な政治闘争こそ、人間の動物性と人間性のあいだの闘争である。
       ジョルジョ・アガンベン [1]

 安倍自公政権が推し進める戦争法案や原発再稼働に反対する私たちは、たしかに、戦争によって人を殺さないこと、人々の命が放射能によって脅かされないことを心に据えて闘っている。そのような意味では、私たちは「人間性」の側に立ち、自民党や公明党は「動物性」の側に立っていると考えてもあながち間違いではない。
 しかし、ハンナ・アーレントの「全体主義」論、カール・シュミットの国家の「例外状態」論、ミシェル・フーコーの「生政治」論を参照しつつ、人間はどこまで人間であり得るかを考え続けているアガンベンが語ろうとしていることはそれとは少し違うようだ。
 近・現代の政治は、統治される大衆(国民)を「生かさず、殺さず」、たんに「生き残らせる」ことに専心している。いわば、私たちの自然な生は「剥き出しの生」として扱われ、その人間性が貶められている、とアガンベンは考える。その極端な例はアウシュヴィッツである。そこにはもはや人間と名指すことすら困難な「ムーゼルマン」と呼ばれるまでに貶められた人々がいた。
 それは、ナチス・ドイツに固有で特異な例外と考えることは難しい。今、私たちは、自公政権がナチスのひそみに倣うように憲法を無視する立法を行なおうとしていることや、自公政治家の言説の多くにナチスとの共通性を見ることができるし、イラクのアブグレイブ刑務所における虐待の例を待つまでもなくアメリカ合州国の政治権力もまた同じような性格を帯びていることを知っている。
 私たちを「剥き出しの生」として単なる統計の要素として扱う「生政治」は、近・現代政治権力の避けがたい本質である。そうであるならば、私たちの政治的な闘いは、「動物性」の側に押し込めれられようとしている私たちの「人間性」回復の存在論的闘いである。党派性や政治イデオロギーの闘いではないのである。

[1] ジョルジョ・アガンベン(岡田温司、多賀健太郎訳)『開かれ――人間と動物』(平凡社、2011年) p. 138。



2015年8月21日

 電力会社の保安部門の子会社に近親者がいるという人が、東電が福島第一原発で事故を起こしてから各電力会社が事故対応のため応援を出したとき、それは掻き集められた日雇い労働者であって、けっして電力会社の人間ではなかったのだという話をされた。
 そのことは、原発事故が起きても事故に対処することができる人材も技術も電力会社にはないということを意味している。じつに、東電が事故を起こした原発を前にして右往左往することしか能がないという事実とよく対応している。そんな原子力技術に未来がないということはあまりにも当然なことであって、少なくとも国民の将来に責任のある政治家は次のような内容の報道に注目すべきである。

「熟練した技術者の引退が相次ぎ、若年の技術者が原子力発電という将来性の無い分野に進みたがらないことを考慮すれば、原子力発電からの撤退に時間をかけ過ぎること、あるいは撤退そのものをためらうことは、国家の将来にとってきわめて危険なものになり得る。」
 フランス国立の原子安全研究所がこのように発表しました。

 じつは、学生が原子力工学を見放し始めたのは最近のことではない。少なくとも、15年ほど前に東北大学の量子エネルギー工学(旧原子核工学)専攻の大学院担当教授が年々学生の質が落ちていると私に嘆いていた。その教授は私の後輩なので「たいへんだね」と応えたものの、原発のお守りぐらいしかない学問の将来ということで私自身は「それはそうだろう」と思って聞いていた記憶がある。

 

2015年8月23日

 川内原発が再稼働してしまい、反原発、再稼働反対も絶対に手を抜けないのだが、参議院で審議が進められている戦争法案(安全保障法案)も喫緊の問題である。
 戦争法案に限らないけれども、安陪首相は「息を吐くように嘘を言う」ということでとても有名になった。確信的に嘘をきっぱりと断言するというのが彼の特徴である。原発関連で言えば、福島の原発事故は「完全にコントロールされている」という嘘、「政府が先頭に立って収束に当たる」という嘘。
 それと比べれば、戦争法案をめぐる中谷防衛相などの発言は、その場しのぎの答弁なので支離滅裂になったり、自己矛盾を生じてしまっているというに過ぎないように見える。役人の耳打ちですべて了解できるほどの人材ではないということを示しているだけだ。
 安陪首相の虚言は際立っているというものの、政治家が嘘を語るということそのものはとくに珍しい現象ではないようだ。「政治の世界は虚々実々」などということは昔から言われている。
 以前に読んだジャック・デリダの『言葉にのって』 [1] には「政治における虚言について」という1章が設けられている。そこでは、政治における虚言についてはプラトンをはじめとして古くから哲学の対象として論じられているとして、なかでもデリダはハンナ・アーレントの著述 [2] から多く引用している。その本は、私が読んだアーレントの著作には漏れていた。
 プラトンまで遡るのは私の能力では不可能だが、せめてアーレントの著作くらいは読んでおきたいと思った。現代の日本の政治の舞台で溢れるように発せられる「嘘」を、その原因を個々の政治家の資質に求めるのではなく、政治の本質に由来する虚言としてとらえることが可能なのかどうか、考えてみたいのである。そうすることで、安倍晋三という個人の虚言の本質も見えてくるのではないか、と思う。たとえば、それは子どものでまかせの嘘そのもの……、あるいは、政治的効果が緻密に計算された虚言……などということが見えてくるかもしれないのである。

[1] ジャック・デリダ(林好雄、森本和夫、本間邦雄訳)『言葉に乗って――哲学的スナップショット』(ちくま学芸文庫、2001年) p. 134。
[2] ハンナ・アーレント(引田隆也、齋藤純一訳)『過去と未来の間――政治思想への8試論』(みすず書房、1994年)。

 

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【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (18)

2024年11月09日 | 脱原発

201618

 先史学者で社会文化人類学者でもあるアンドレ・ルロワ=グーランの『身ぶりと言葉』は、人類の発生から現在までの進化の過程を生物学的、社会学的、文化論的に説き起こした大作であるが、そこで解明されている人類の進化は興味深く、かつ悲劇的である。ルロワ=グーランは、1964年の著書の中ですでに次のように述べている。

 現在でも、適応は終っていない。進化は新しい段階、脳を外化する段階に及びはじめ、厳密に生活技術の観点からすれば、転換はすでに行われている。〔……〕時間・空間の縮小、行動リズムの増大、一酸化炭素や産業公害への不適応、放射能の浸透性などは、長いこと人間のものと思われてきた環境に、人間が生理的に適応できるかどうかという奇妙な問題を提示している。十全に進歩を利用しているのは社会だけだ、ということにならないかどうか、自問してみることもできよう。個人としての人間は、すでに時代遅れの有機体であって、小脳や喚脳、手足のように役には立つが、人類の下部構造として背景に退き、〈進化〉は人間よりも人類に興味をもっているのではなかろうか。その上このことは、人類という種と動物種の同一性を確認するに他ならない。動物種については、種の到達点だけが考察の対象になるからである。 [1]

 ヒューマニズム(人間中心主義)は、完全に沈黙せざるを得ない。人間が作り出した一酸化炭素や産業公害や放射能によって、個別の人間ではなく、人類が適応可能かどうか問われている。いまや、個人の私(たち)は時代遅れの有機体に過ぎないという。つまり、一酸化炭素や産業公害、放射能へ私たちの身体的適応は絶対に追いつかないということだ。
 一酸化炭素(地球温暖化)の問題も放射能(原発、原水爆)の問題も、その反人類的な本質は明らかにされているにもかかわらず、資本主義を是とする国家群は解決を拒否している。産業公害もまたインドや中国の大気汚染を見る限り、地球規模の解決の見通しは立っていない(国家権力群は解決しようともしない)。この国家権力群は、ネグリ&ハートに倣って《帝国》と呼ぶと概念的にはすっきりと納まるようだ。
 人類の進化と適応が重大な危機に直面していることを、ルロワ=グーランの記述で辿っているとき、息抜きで読んだはずの詩集の中に、人類どころか地球そのものの墓碑銘が記されていた。

〈墓碑銘〉
太陽が滅び進化のはてに赤色巨星となり白色矮星と化した その億年の大昔
太陽系の惑星((地球))に人類という生物が住み
他に比類なき智能を具有し 火星を探査し月に資源を漁り
宇宙を往来するほどの科学の粋を極めたが
文明から精神を欠落して五蘊皆空を悟らず
権力者のムレが互いに国家を樹てて領土と富を諍い
そして遂に夢魔の生きものと化し
漂える宇宙の塵となった 

  「百鬼夜行の世界の闇に冥府の雨が降っている」(部分)[2]

 「そして」なのか「だから」なのかは措くとして、私たちは五蘊を駆使して、原発に反対し、その国家の政策に反対し、今年初めてのデモを歩き、そのデモを終え、明日のさらなる行動へと繋げるのである。

[1] アンドレ・ルロワ=グーラン(荒木亨訳)『身ぶりと言葉』(筑摩書房、2012年) pp. 400-1
[2]
尾花仙朔『晩鐘』(思潮社、2015年) pp. 126-7



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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(26)

2024年11月04日 | 脱原発

2015年7月17日

 今日は、二つのデモをはしごする。一つは「安保法案ゼッタイ廃案! 7.17緊急県民集会」、もう一つはいつもの「脱原発みやぎ金曜デモ」である。ザックに括り付けるプラカードも裏表でそれぞれのデモに使えるように作った。
 当然のことだが、ここずっと安全保障関連法案と呼称する戦争推進法案をめぐるニュースばかりが体の周囲に立ちこめているような具合である。法案が衆議院で強行採決されたこともあるが、それに至るまでの国会での政治家の言説、あるいはマスコミに登場する言説にたいがいの人々は、苛立っていたのではなかろうか。
 少なくとも、私が政治家の言語と私(たち)の言語との隔絶にあらためて驚かされ、苛立っていたのは確かである。それは、法案が衆議院を通ったということよりも、現実の政治問題に関するコミュニケーションの可能性の欠如によるところが大なのだ。
 このコミュニケーションの不可能性は、私たちの側に問題があるのか。けっしてそうではない。首相、外務相、防衛相の国会答弁が応答の態をなしていないことを考えても、政治家の知的劣化によるとしか言いようがない。
 もっと正直に言ってしまえば、あのような知的劣化物を対象に自分の人生の時間を浪費するのが口惜しいのである。しかし、その知的劣化物が権力を握ってしまったがゆえに、どれもこれもきちんと対応しなければならない不幸が恨めしいのである。その辺のネトウヨの雑言(ほとんど同じレベルだが)のようには無視できないのだ。
 たとえば、首相補佐官の磯崎陽輔参議院議員がツィッター上で若い女性に論破されてその女性をブロックして逃亡しただとか、安倍首相が私的なネット放送で対談相手の丸川珠代参議院議員のネトウヨ情報にあおられて民主党の辻本清美衆議院議員を中傷して陳謝したとか、程度の低いニュースが流れてくる。こんなことがあっても、とくに誰も恥ずべきことだと思っていないらしいのだ。
 「恥ずかしさが哲学の出発点である」とスティグレールは語っていたが、自公政権の政治家にはきっと恥の概念は存在していないのだろう。ましてや、哲学だとか思想を求めるのは、「馬の耳に念仏」どころか「馬に念仏を唱えさせる」ほどに困難だろう。いくら私でもそんなことはとっくに諦めている。
 あるいは、政権の支持率が逆転してから政権批判へと態度を翻したマスコミが増えたなどというニュースが流れる。しかし、実態は何も改善しない。普段から権力批判の視座をもって自らの論理を鍛えていないマスコミが態度を翻してみたところでどのような力が発揮できるというのか。「人は、日々自分で掘りあげた塹壕の中でしか戦えない」と断じたのは吉本隆明だっただろうか。
 結局は、ニュースに惑わされることなく、自らの行いとして一人ひとりが意思表示をするしかないという単純な結論しか出てこない。私は、政治家にも政治にも向いていないのである。
 そういえば、国会議事堂前の抗議の最中に二人の逮捕者が出たというニュースが流れた。一人は警察官の肩を押した(こづいた?)ことで、もう一人は警察官の胸ぐらを掴んだということだったらしい(警察発表によるマスコミ報道なので真偽は定かではないが)。
 もちろん、けっして褒めることはできないが、苛立つ我が身からすればむしろ同情の気持ちが湧く。あまり批難する気分も批判する気分もないのだ。むしろ、救援体制がどうなっているのかを心配している。
 どうやら私は、いつのまにかサルトルの徒ではなくフーコーの徒に近いらしい。逸脱、あるいはディオニソス的心性のなかにも人間の真実があると思っているのである。 
  
 じつは今日の朝くらいまでずっと考えていたブログのネタがあった。「反戦歌」と「レーニン」と「深夜食堂」で、三題噺ができないかとあれこれ考えていた。
 何のことはない。数日前まで読んでいた塚本邦雄の『定本 夕暮の諧調』に取り上げられていた坪野哲久の反戦短歌と白井聡さんの『未完のレーニン』、それにテレビの再放送で見ていた「深夜食堂」という連続ドラマをくっつけようと思ったのだが、これはどう考えても脱原発に結びつけようがない。反戦と革命という点において、前の「戦争法案ゼッタイ廃案」のデモの流れの中の話である。「深夜食堂」は、どちらかと言えば社会の底辺に近いところで生きる都会人の現代版の人情ドラマである。深夜12時から営業する食堂で繰り広げられるドラマでは、もちろん政治も社会問題も戦争もあからさまには出てこない。新宿ゴールデン街の夜中の〈日常〉が満ちている人情話だ。
 そんなドラマの1シーンにかの有名な渡辺白泉の「戦争が廊下の奧に立っていた」という俳句を重ねると、〈日常〉を襲う戦争のリアリティがいっそう深く味わえるのではないかと思ったのが、そもそもの初めである。そんなときに、塚本邦雄の本に坪野哲久が取り上げられていたのを読んだのだ。残念ながら、かつての私の抜き書きメモの中にはたった一首だけ坪野哲久の歌が記されているだけだった。

胸元に銃剣突きつけられても怯まぬかああ今のおれは怯むと思ふ
              坪野哲久 [1]

 こういう歌を抜き書きで残しておくのは、こういう歌を自分に突きつけておかないと臆病で愚かな私はどこまでも頽落していくのではないかという怖れがあるからである。
 さて、塚本の本から坪野哲久の短歌二首を引用しておこう [2]。

きやつらは婪(むさぼ)るなきか若者の大いなる死を誰かつぐなふ

議事堂を遠目にみつつ通へれどこころ富みたる一つだになき

 戦争は若者の死をむさぼるのであり、かつても今も戦争を推し進める法案を議事堂では採決している。今、その議事堂の前では、法案に抗議してSEALDsの若者たちが豊かな感性に満ちた反対運動を重ねている。そして、若者たちが動き出したことに感動している多くの大人がいる。私もその一人だ。
 いま若者たちが取り組んでいるのは戦争法案反対という政治イッシュウだけだが、社会の変革への1歩を踏み出していることには違いない。そこに大きな可能性を見いだすのは、白井さんがレーニンの思想の中に指摘した「革命の現実性」そのものが見えるからではないか。この場合、もちろん〈革命〉を社会の〈変革〉に置き換えた方が誤解がないだろう。
 かつてマルクス主義は、革命は歴史的必然であるとして「革命の必然性」を説いた。しかし、白井さんが指摘するレーニンは、革命は現に今ここに存在しているのだと考える。「「客観的必然性=革命」を世界そのものとみなすということである。こうして「革命の必然性」は「革命の現実性」に転化する」と白井さんは述べている [3]。それは、「必然的な未来」を私たちの現在がすでに包含しているということだ。
 間違ってしまうかもしれないが、もう少し具体的にいえば、私たち老人は「子どもや孫のために戦争のない国を遺したい」と考えるが、若者は「自分たちは戦争のない現在(=未来)を生きたい」と考えている。若者たちの運動は、必然的に彼らの未来を現在の中に包含した運動、「変革の現実性」を具えているのだ。私が豊かな可能性を彼らの運動に見るのはそのためだ。
 そして、彼らの未来は彼らのものなのだから、基本的には、応援しながら見守るしかできないような気もしている。少なくとも、大人ぶったりお節介をしたりして邪魔にだけはならないようにしなければならない。

[1] 現代日本文學大系95巻『現代歌集』(筑摩書房 昭和48年)p. 261。
[2] 塚本邦雄『定本 夕暮の諧調』(本阿弥書店、1988年)p. 149。
[3] 白井聡『未完のレーニン――〈力〉の思想を読む』(講談社、2007年)p. 50。

 

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