《2016年2月26日》
東京電力福島第1原発事故の責任をめぐって検察審査会の起訴議決がなされていた東電旧経営陣の3人、勝俣恒久元会長、武藤栄、武黒一郎両元副社長が29日に業務上過失致死傷罪で東京地裁に強制起訴されるという。過酷事故を引き起こした責任がようやく裁判の場で問われることになる。あれだけの被災者、犠牲者を出し、膨大な国土を放射線で汚染させ、被爆者の将来に深刻な不安を刻み込んだ経済行為の失敗の責任は必ず問われねばならない。
しかし、原子力災害の責任は一電力会社だけが負うべきものではない。原子力を推し進めてきた政府、行政機関もまたよりいっそうの責任があるだろう。とくに、福島原発事故以前の第一次安倍内閣は、原発の電源喪失の危険を問われて、国会の答弁書で次のように答えている。
地震、津波等の自然災害への対策を含めた原子炉の安全性については、原子炉の設置又は変更の許可の申請ごとに、「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設 計審査指針」(平成二年八月三十日原子力安全委員会決定)等に基づき経済産業省が審査し、その審査の妥当性について原子力安全委員会が確認しているもので あり、御指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである。
結果として「安全の確保」は果たされなかったのであるから、安全を審査した経済産業省、それを追認した原子力安全委員会、そして政府としてそれを良しとした安倍内閣の責任は明確である。東電旧経営陣の裁判の先には国そのものの責任を問うことが私たちの責務ではないか。
230万人の日本人兵士の死をもたらした政治家、軍人の戦争責任が戦犯として問われたように、10数万人の避難者、犠牲者を出した事故責任を厳しく問うことが新たな災害を防ぐ最も有効な手段に他ならないし、国民の生命財産を守る真正の政治の確立にも必須である。
たとえば、「薬害エイズ」裁判では、薬品企業と並んで、許認可権を持つ厚生省、それに権威を与えた専門家(医師)が裁判に問われている。原発事故では、電力会社、経産省、原子力安全委員会が責任を問われるのは当然のことだ。
次のようなニュース(河北新報、2月25日付)もあった。
東京電力は24日、福島第1原発事故の状況をめぐり、核燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」が起きていることを事故直後に公表できたにもかかわらず、過小に誤った判断をしていたと発表した。東電は「判定する根拠がなかった」と説明してきたが、炉心溶融を規定するマニュアルが社内に存在していた。
原発事故では1~3号機で炉心溶融が起きた。東電は事故から2カ月後の2011年5月になって3基の炉心溶融を正式に公表。それまでは、より軽微な「炉心損傷」と説明していた。
原発として考えうる限りでの最悪の事故である炉心溶融に対するマニュアルがあることを忘れていたということは、それより軽微な事故に対するマニュアルなど問題外だったに違いない。つまり、すべての事故に対する能力を欠いているということだ。これだけでも東電が原発を運転する資格がないことを告白しているのだが、これまでの東電の隠蔽体質から考えて、マニュアルは存在しないことにして意図的にメルトダウンを隠していた可能性もある。
原子力村の一員と思われる「専門家」がメルトダウンを公表しなかった東電を次のように擁護していることも、東電の隠蔽だったことを暗示しているのではないか(日本経済新聞、2月25日付)。
北海道大の奈良林直教授(原子炉工学) 事故から間もない3月14日の段階で「炉心溶融(メルトダウン)」を正式に発表していたら、国民の間で大パニックが起きていたと思う。判定基準に基づいて炉心溶融と認めたところで、何かしらの利点があったとは思えない。
相変わらずのパニック論である。自分たち以外の一般国民は馬鹿だという認識でものを喋っているのである。少し長いが、「パニック」についての本当の専門家の考えを紹介しておく。静岡大学防災総合センター(火山学、災害情報学)の小山真人教授が次のように述べている。とくに、「他分野の研究者」、「行政担当者」、「マスコミ関係者」には必読文献であろう。
〔……〕災害に関する情報がパニックを引き起こした事例は、世界的に見てもきわめて稀である。それどころか、深刻な内容の情報が公的機関から警報として伝えられても、思ったほどには危機感をもたれず、避難に結びつかない実態が長年の研究によって明らかになっている。つまり、災害情報=パニックという固定観念は、誤った思い込み(パニック神話)である。突然の警報によって群衆が狂ったように逃げ惑う等の場面は、映画などによって刷り込まれた悪しき幻想なのだ。
〔……)
いずれにしてもパニックは、(1)緊急かつ重大な危険の認識、(2)閉じられそうになっている限られた脱出路の認識、(3)状況についての情報不足、の3条件すべてが揃わないと発生しないとされている。このうち、危険そのものや脱出路の状況は改善困難なことが多いが、情報不足は比較的容易に解消できる。 つまり、必要とされる情報を迅速に伝えることによって第3条件の「情報不足」をつぶせば、パニックを防止できる。
こうした知見は、災害情報の発信に携わる研究者間では常識であったが、他分野の研究者・行政担当者・マスコミ関係者には共有されていなかったようだ。危機管理の視点から見れば、先に挙げた政府関係者、研究者、マスメディアの対応は、あまりに不勉強かつ稚拙なものであった。
こうした情報制限がなぜ駄目なのかは明白である。まず、情報制限が招く情報不足こそが住民に不安や混乱を与え、さまざまな噂や流言の発生を招き、上述のパニック発生条件(3)を助長して、最悪の場合は真のパニックを招く要因となる。きわめて起きにくいパニックがもし起きたなら、それは情報不足をもたらした側の責任と言えよう。さらに、パニック神話にとらわれて情報制限をおこなった人々は、当然とられるべきだった住民の正当な危険回避行動も妨げた。
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