かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(16)

2024年09月13日 | 脱原発

2014年7月27日

 原子力規制委員会が川内原発1、2号機を新規制基準に適合するという審査書案を提示したことを巡って、このごろ、科学者の〈学〉とか〈知〉、つまりは全人格的な科学者の〈思想〉というものを考えていた。専門的知見を有するとされて選任された委員は、いちおう世間的には科学者として認知されている。
 その科学者たちが、自分たちで作った規制基準に適合したとしながら、「安全だともゼロリスクだとも言えない」という、混乱ぶりである。論理的に完全に破綻している。規制委員会は科学者で構成されているということが信じられないのである。
 だいぶ前に読んだ本で、科学哲学者ジェームズ・R・ブラウンが次のような一文を記していた。

 物理学者は、量子力学は基本的には間違っているかもしれないということを認める。物理学者なら誰でも、まったく予想もしなかったような実験結果が出たり、新しくて深い理論的洞察が得られたりすれば、量子力学が明日にもひっくりかえる可能性があると思っているのだ。もちろん、その新しい証拠をきちんと調べるためには時間がかかるだろうし、これほどみごとな理論をあっさり捨てるのは軽率というものだろう。しかし原理的には、量子力学もまた、天文学における天動説(地球中心説)のような道のりをたどる可能性はあるということだ。
 それとは対照的に、キリスト教徒のなかに、キリストの神性にたいする信念を捨てられる者が一人でもいるだろうか? あるいは、キリストは私たちの罪を背負って死んだという信念を捨てることができるだろうか? 神がいっさいをつくったという信念は? 物理学者と司祭との大きな違いは、あつかうテーマの違いではない。その違いは、つきつめれば次のようなことなのだ。物理学者は、現行の物理学の中核的信念をすべて捨てたうえでなお、物理学者でいることができる。司祭は、中核的信念を捨てるなら、司祭をやめるしかない。忠誠は、宗教においては徳である。しかし科学においては罪なのだ。 [1]

 この考えは、科学(物理学を科学一般と考えてよい)と宗教に関するきわめて常識的な考え方である。〈3・11〉後、福島の悲惨を目にして多くの人は原発の存在そのものに否定的な考えを示した。しかし、テレビで原発について語る原子力工学の専門家や政府関連の委員会の原子力専門委員のなかで、原発の存在を絶対的前提にしない考えを語る人物をついに見かけることはなかった。
 彼ら、原子力工学の専門家にとっては、原発はキリスト教徒におけるキリストに等しい絶対的存在らしい。たしかに、原子力工学を学んだ学生が進むべき道は原発を作るか、原発を保守するかしか進路はない。核融合炉という道もあり得るが、いずれ原発と同じ運命をたどることは明白だ。 
 ブラウンの言葉に照らせば、原発が信仰の対象のようになっていてその対象を相対的に思考できない原子力の専門家は、科学者ではないということだ。
 フクシマ以降、科学者は信用できないとか、政府御用の専門家は信用できないという言葉をいろんなところで聞いた。当然なのである。彼らは科学者ではないのだから、科学者として信用すること自体間違っていたのだ。
 科学者としての〈知〉とか〈学〉とかを期待してはならないのである。ましてや、よく言われる科学者の〈良心〉などはないのだ。なにしろブラウンの定義上、彼らは科学者ではないのだから。
 科学者に期待できないなどと言いたいわけではない。科学者ならざる原発信仰者としての原子力工学者に期待できないだけである。全人格的にすぐれた科学者はたくさんいる。
 残念なことに(当然でもあるが)、そのような科学者は政府委員会には不都合なので、権力機構の中に地位を占めることができないのだ。

[1] ジェームズ・ロバート・ブラウン(青木薫訳)『なぜ科学を語ってすれ違うのか ――ソーカル事件を超えて』(みすず書房、2010年)p. 80-81。


2014年9月5日

 新任の小渕経産相が川内原発再稼働についてその地元に「丁寧に説明していきたい」と発言したことについて、説明の前に地元や国民の声を聴くべきだというスピーチがあった。
 経産相の言葉に対して私が始めに思ったのは「説明できるもんならぜひ説明してくれ」というものだ。フクシマ以降に原発を再稼働することを人倫に悖ることなく他人に説明できるのか。安全を第1とすると言うからには、原発の安全を保証することを論理実証的に(つまり科学的に)説明できるはずだ。どう考えても一人(に限らないが)の天才を必要とする「説明」なるものをぜひ聞いてみたいものだ。
 政治家の「丁寧に説明する」という言葉は、「時間をかけて力で押し通す」という意味であることを百も承知なのだが、言葉を正しい意味で受け取りたいという希望はいつもあるのだ。
 新閣僚が新聞で報道された当日(9月4日)の朝日新聞に、国語学者の金田一秀穂さんがインタビューに答えて、安倍晋三の言葉について話している。「言葉で人を説得しよう、動かそういう気がない」、「言葉が軽い」、「言葉に鈍感すぎる」、「結局、あの人は言葉の力を信じていないんですね。」
 そういうことなのだ。その安倍晋三が自分より優れている人物を閣僚に選ぶはずもないから、小渕経産相の言葉に真面目に反応するのはじつに無駄なことだ。しかし、その実体のない、虚妄に満ちた言葉を放っておけば、そのまま事態が進められてしまう。じつに困ったことに、私たち国民は、自民党の政治言語の前で引き裂かれた存在になってしまっている。
 朝日新聞の同じ欄で小林よしのりさんが、安倍政権は「思考停止の空気を利用」していると述べている。たとえ、自民党政府の政治言語がどのような論理性もなく、どのような倫理性もないとしても、その言語的混乱(無意味性)を前にして、私たちはけっして思考停止に陥ることがあってはならない、そう強く思うのだ。


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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(8)

2024年09月10日 | 脱原発

2014年12月12日

 100mSvという数値は、それ以下で晩発性の放射線障害が発生するかどうかという議論でしばしば引用される数値である。100mSv以上では被曝線量に比例して晩発性障害が増加することは確定的に知られている。当然ながら、データの少ない100mSv以下でも、100mSv以上の線形性があると推定して、放射線障害予防策が採られてきた。
 しかし、原発を推進する人びとは、「閾値」論を採用して、100mSv以下では障害が発生しないと主張しているが、もちろん科学的根拠はない。100mSv以下でのデータが少ないため意見が分かれているように見えるが、閾値論仮説は政治的恣意性の産物にしか思えない。影響があるかもしれない、ないかもしれないという科学的な段階で、危険があると考えて対処する保健物理学的意見の方が科学的良心(というよりも最低限の人間的良心)というものだろう。
 毒が入っているかもしれない食べ物があるとき、どっちか分からないのだから食べましょうという愚か者はいないのである。それを人に食べさせようとすれば、それは犯罪である。

 井戸謙一弁護士(志賀原発運転差し止め判決を下した元裁判官)は、河北新報に投稿した記事で、その100mSvの数値が「年間100mSv」として誤って流布されていると警告している。晩発性障害が発生するかどうかで議論される「100mSv」という数値は積算量であって、けっして1年間の被曝線量のことではない。少なくとも原発推進側の科学者であっても、生涯で100mSvを越えれば晩発性障害が増加する事実は否定できないのである。
 一般人の年間の最大許容被曝線量を1mSvとするのは、積算線量100mSv以下と考えれば当然の数値である。したがって、福島の汚染地区への住民の帰還に際しては、生涯の積算線量を考慮して進められなければならないことは当然であって、年間20mSvなどという数字はもってのほかなのである。

 

2015年4月10日

 脱原発デモの集会で、私にもスピーチの指名があって慌ててしまった。何も考えていなかったのだが、2、3日前に読んだフェイスブックの記事を思い出してその話をした。2013年5月24日の河北新報に次のような記事が載っていたという。

日本赤十字社は23日、原子力災害で被災地に派遣される医師や看護師らに関し、活動範囲を警戒区域外にするほか、累積被ばく線量の上限を1ミリシーベルト(千マイクロシーベルト)とする「救護活動基準」を発表した。東京電力福島第一原発事故では放射線の安全基準がなく、事故直後、救護活動を十分にできなかった教訓から策定した。

 1mSv/年という値は、一般人の累積の被ばく線量限度である。日本赤十字社の医師や看護師らが職業人として被災地で救護活動を行うのであれば、「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」が定める放射線作業従事者と考えられ、その被ばく線量限度は50mSvが適用されてもいいはずだ。
 にもかかわらず、自分たちの線量限度を1mSvと定めたことは、高く評価されていい。法で定める50mSvというのは、けっしてその線量までの被曝が安全だと主張しているのではない。職業的な利益を伴うことと引き換えた場合の受忍限度であるに過ぎないのだから、1mSvと定めて自らの健康、生命を守ることはきわめて正しい判断なのだ。
 法で定めた放射線取扱主任者(医師にはこの資格が与えられる)の資格を有する医師としての専門家集団が、累積の被ばく線量限度を1mSv/年と定めたことは広く知られるべきだ。福島ばかりではなく、かなりの医師が放射線被曝を問題視せずに多くの住民の被爆を看過している現状からも、このことはとても重要だ。
 急な指名でしどろもどろながら、おおむねそんな話をした。放射線作業従事者としての仕事もし、第一種の放射線取扱主任者として放射線の安全管理にも携わった身としては、私(たち)が職業人として被爆したよりも高い線量に曝されている福島の人々のことがとても心配になる。
 職業的な被爆だから50mSvまで浴びていい、などという安全管理などないのだ。どんな場合でも可能な限り被爆しないこと、ゼロ被爆こそ放射線安全管理がめざしていることだ。そういった意味では、福島は無法状態だとしか思えないのである。

 
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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(15)

2024年09月07日 | 脱原発

2014年7月18日

 2014年7月16日、原子力規制委員会は九州電力川内原子力発電所1、2号機が新規制基準に適合する審査書案を提示した。しかし、田中俊一委員長は、記者会見で「安全だということは、私は申し上げません」だとか、「ゼロリスクだとは申し上げられない」と発言した。
 このニュースを聞いて、思わず「それはないよ!」と叫んでしまった。政府のアリバイ機関でしかない規制委員会に期待してはいなかったのが、こんな身も蓋もない自己矛盾の(というより自己否定的な)発言があろうか。
 原子力規制委員会設置法第3条(任務)はこう定めている。「原子力規制委員会は、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資するため、原子力利用における安全の確保を図ること(…中略…)を任務とする。」 
 新規制基準に適合する審査結果が原発の安全を担保しない、という田中委員長の発言は、規制委員会の「任務」を果たしていないことを意味する。「原子力利用における安全の確保を図る」ことのできない審査書案は、原子力規制委員会設置法に則っていない。法的に無効である。
 田中委員長は「新規制基準に適合しているかどうかを審査するだけ」だというが、安全を確保できない「新規制基準」なるものを作ったのはいったい誰だというのか。規制委員会そのものではないか。
 地震時の最大の揺れを540ガルから620ガルに引き上げたので良しとするなどという些末なことをどうのこうの言うつもりは毛頭ない。関電大飯原発についての福井地裁判決がどの程度の規模の揺れを判断基準にしていたかを考えれば、笑うべきごまかしだ。
 規制委員会は正しい目的に適した規制基準を作ることに失敗していたということではないか。だとすれば、早急にやるべきことは、原発の安全を担保する新「新規制基準」を早急に作ることしかないはずだ。
 さらに田中委員長は、「再稼働は事業者、地元住民、政府の合意でなされる」と述べたという。これは一見もっともらしく聞こえるが、安倍首相が日頃から、安全が確認された原発から再稼働すると言明していることを知らないはずがない。
 ましてや、安倍政権はエネルギー基本計画の閣議決定に「規制委が基準に適合すると認めた原発は再稼働を進める」と明文化している。案の定、管官房長官は「原発の安全性は規制委に委ねている」と発言している。
 設置法第1条(目的)に、「その委員長及び委員が専門的知見に基づき中立公正な立場で独立して行使する原子力規制委員会を設置し、もって国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的とする」とある。
 法的にも常識的にも、規制委は国内唯一の「専門的知見」によって原発の安全を確保すべく期待された組織である。にもかかわらず、再稼働の判断の基となる安全についての判断を放棄しながら、新基準をクリアしたとする審査書案を提出するのは、いかなる《知》の崩壊なのか。
 ソーカル-ブリクモン流に言えば、「《知》の欺瞞」、「《知》のペテン」がここにはある。ソーカルとブリクモンは、ポストモダンの思想家たちの自然科学的知識の濫用、誤用を厳しく批判したものだが、規制委に見られるのは自然科学者の自己崩壊的な「《知》のペテン」だけである。
 専門的知見を有するとされる規制委の決定には、人類が歴史的に求め続けてきた「知」の力というものがない。日本の国民が一定の敬意を払ってきた「学者」の矜恃というものがない。権力機構に組み込まれた知識人、学識経験者と呼ばれる者の卑怯、未練しかない。
 田中委員長や1年後輩の私が学んだ東北大学工学部原子核工学科は、「知」と「学」の府ではなかったのか。そこで学んだ者のあらゆる思考が、原発の存在を前提とすることから逃れられないなら、それは大学で学んだ者の「知」とは呼べない。たかだか原子力技術についての職業訓練校で獲得した知識程度のことに過ぎない。
 東北大学は、そんなにも「知」から遠かった大学だったのだろうか。私は大学院修士課程修了をもって原子力工学から離れ、固体物理学に転じ、同じ東北大学の理学部物理学科教授として職を終えた。いま、大学をこのような形で振り返るというのは、じつに不快なことだ。
 大学の「知」が脆弱化していることはつとに指摘されていて、私もそれを認めてはいる。だが、日本国民の未来の生命の明白な危険を前に、法的な立場にもかかわらず、「知」の判断から逃亡するほどに劣化しているとまでは思いもしなかった。
 いや、すべての前提を無視すれば、「安全だということは、私は申し上げません」という田中委員長の言葉を是とすることができないわけではない。いかなる厳しい審査基準、世界で一番厳しい審査基準(嘘だが)を満たそうとも原発は安全ではない、安全な原発は存在し得ないという田中委員長の学者としての認識が、「安全だということは、私は申し上げません」という言葉の背後にあるのではないか。
 そうであれば、それは間違いなく科学的に正しい認識である。まだ遅くはない。そのような正しい「専門的知見・認識」によって規制委を運営する機会は厳然と残されている。2014年7月16日を日本の原子力工学の汚辱の記念日にしないためにも、将来の国民の「安全の確保を図る」ためにも、規制委にできることはたくさんある。


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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(14)

2024年09月03日 | 脱原発

2014年5月23日

 2014年5月21日、いいニュースが三つ続いた。

(1) 「第4次厚木基地騒音訴訟」で、横浜地裁は、午後10時から午前6時までの間、やむを得ない場合を除き自衛隊機の飛行差し止めを命じる判決を言い渡した。
(2) 沖縄県教委は、教科書共同採択地区から竹富町の分離を決定した。この決定は、八重山地区教科書採択問題で竹富町を訴える構えを見せていた文科省にその訴訟を諦めさせた。
(3) 「関西電力大飯原発3、4号機運転差し止め訴訟」において福井地裁は、「原子炉を運転してはならない」という判決を出した。

 経験的に言えば、上級審ほど当てにならなくなる。高裁、最高裁と上がるにつれて人事に体制的なバイアスがかかるからだ。ましてや最高裁は、政治の側のピックアップ人事があって、最大の体制バイアスがかかっている。しかし、裁判官といえども時の世論には一定の配慮をするだろうし、福島原発事故が起きてしまったという事実は大きいだろう。だからこそ一層、福島原発事故の実態と真実を明らかにしなければならないし、反原発・脱原発の世論を高めなければならない。それは間違いない。
 判決文そのものは、添付資料を含めて117ページに及ぶ長文である(私は「原子力資料情報室」のサイトから判決謄本のpdfファイルをダウンロードした)。
 主文はあっさりと次のように断言する。

 被告は,別紙目録1記載の各原告に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において,大飯3号機及び4号機の運転をしてはならない。(「関西電力大飯原発3、4号機運転差し止め訴訟」福井地裁判決謄本、p. 1)

 判決は、原子炉の仕組みから始まり、使用済み核燃料の保管方法の説明からその危険性の評価、耐震設計とその審査など仔細に言及する。しかし、なによりも重要なことは、原発の安全性(危険性)を考えるための最も根源的な法的基盤を「人格権」に求めている。それは「第4 当裁判所の判断」という章の「1 はじめに」で決然と述べられている。   

 個人の生命,身体,精神及び生活に関する利益は,各人の人格に本質的なものであって,その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条,25条),また人の生命を基礎とするものであるがゆえに,我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。(p. 38)

 それに続く「2 福島原発事故において」の節で述べられた次の文章に、私は一番感動した。

原子力発電所は,電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが,原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条),原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって,憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。(p. 40)

 脱原発デモで「たかが電気のために」というプラカードがあって、ネットではそれに反発する考えも散見されたが、この判決は、「たかが電気のために」という私たちのいわば感覚的主張を、憲法に基づく人格権によって確固とした法哲学、社会正義の考え方として明示しているではないか。たかが電気を作る一手段が人格権を前にして何ほどのことがあろうか、と主張しているのだ。
 このような法的な考えに基づけば、原発推進を唱える人びとがよくする主張にたいしても、「危険性を一定程度容認しないと社会の発展がさまたげられるのではないかといった葛藤が生じることはない」(p. 40)と一蹴する。
 さらに注目すべき論述が「9 被告のその余の主張について」で為されている。ここには原発問題を考えるうえで極めて重要な法哲学、社会正義の考え方が示されている、と私は考える。第9節の全文を示しておく。

9 被告のその余の主張について
 他方,被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性,コストの低減につながると主張するが(第3の5),当裁判所は,極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり,その譏論の当否を判断すること自体,法的には許されないことであると考えている。我が国における原子力発電への依存率等に照らすと,本件原発の稼動停止によって電力供給が停止し,これに伴なって人の生命,身体が危険にさらされるという因果の流れはこれを考慮する必要のない状況であるといえる。被告の主張においても,本件原発の稼動停止による不都合は電力供給の安定性,コストの問題にとどまっている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが,たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても,これを国富の流出や喪失というべきではなく,豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり,これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
 また,被告は,原子力発電所の稼動がCO2(二酸化炭素)排出削滅に資するもので環境面で優れている旨主張するが(第3の6),原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって,福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害,環境汚染であることに照らすと,環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである(p. 66、太字強調は小野寺による)

 名文である。文章作りが上手いかどうかよりも、書くべき内容が文章の美を決定するという典型的な例ではないだろうか。判決文という硬い文章にもかかわらず、とても美しい文章だと私は思う。正しい社会正義の品格が顕現している文章と言っていい。
 しからば、間違った悪しき考え・思想に基づく文章は悪文である、と言いたくなる。しかし、ほんとうにそうなのかどうか、私にはよく分からない。
 そのことを考える一例として、読売新聞の「大飯再稼働訴訟 不合理な推論が導く否定判決」と題した差し止め判決を非難する社説をあげておく。
 私は読売新聞を読むことはないのだが、東京大学の安冨歩先生のツイッターで、先生が「「大飯原発3,4号機運転差止請求事件判決」に対する読売新聞の社説の分析」と題するブログ記事を書かれていることを知って、そういう社説があることも知ったというわけだ。
 『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』 [1] を著わされた安冨先生は、当然のことながら、この読売社説の欺瞞性を厳しく批判している。ブログは、出だしから快調に飛ばす。 

大島堅一教授が指摘していたが、「大飯原発運転差止請求」なのであって、「再稼働訴訟」ではない。社説のタイトルからいきなり、名を歪めている。原告は、「再稼働するな」と言っているのではなく、「そもそも運転すんな」と言っているのである。

 中身の引用は控えておきたいと思うものの、この楽しさ、心地よさにたまらず、「出だし」に呼応する「締め」の部分も引用してしまうのだ。

大島堅一立命館大学教授のツイートを引用しておく。私と違って温厚な大島氏の発言である。

大島堅一@kenichioshima
読売の社説は、阿呆が書いたと思われても仕方がない。判決文、全文読んだんだろうか。しかも「再稼働訴訟」とか書いてるし。判決では「大飯原発3,4号機運転差し止め請求事件」と書いてある。略すとしたら、「大飯原発差し止め訴訟」だろ。名称まで歪めるとは。    

[1] 安冨歩 『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』 (明石書店、2012年)。


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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(13)

2024年09月01日 | 脱原発

2014年4月11日

 デモから帰ってきたら『週間金曜日』4/11号が届いていて、辺見庸さんと佐高信さんの対談が掲載されていた。「戦後民主主義の終焉、そして人間が侮辱される社会へ」というタイトルで、(上)とあるので続きもあるらしい。
 辺見庸さんの言葉はいつものように厳しい。政治的な情況を語る対談だが、なかに反原発運動に触れた箇所があった。

 もうひとつの、サブスタンスとロールという問題でいえば、ぼくはどうしたって物書く人間なものですから、集会でね、日比谷の野音かどこかでね、白いテーブルクロスしたところにみんな偉そうに座ってね、あれすごく嫌いなんですよ。
(……)
 何十年も原発をほったらかしてきたくせに、今頃偉そうな顔して言うかって思うわけです。そういうときに、ロールではなくて、人としてのサブスタンスが問われてくるんだと。 (p. 20)

 辺見さんの言葉は、ジャーナリストや知識人へ批判の流れの中で語られているのだが、当然のように、それは私にも突き刺さってきた。
 大学、大学院修士課程まで「原子力工学」を学んでいた私は、当時、反原発という動きの中にもいた。それも理由の一部として原子核工学科を追い出された私は、拾ってもらった物理系の研究室で「ほっと」して物理学者への道を選んだ。
 「ほっと」したというのは、就職ができたということもあったが、もう原子力工学をやらなくてもいいという気分が大きかった。それを裏返せば、原発-反原発という構図の現場にもう居なくていいんだという気分があったのだと思う。もう少し突き詰めて言えば、反原発を担う責任のようなものも軽くなったと思っていたのではないかと、今になればそう思うのである。
 辺見さんが言うように、それはロール(役割)としての生き方だったということである。20歳ちょっとの時の反原発はロールとして演じられ、私の存在のサブスタンス(実質)にはなっていなかった、ということだ。
 東電福島第1原発の事故のニュースを聞いたとき、当然のように愕然としたのだが、それは拡大し続けるであろう被害や回復不能な放射能汚染を想像できる知識が私にはあったということでもある。だから、原発が危険であることを専門的知識として学んだ人間が、「何十年も原発をほったらかしてきたくせに」、いまさら事故に愕然としている。そういう自分に重ねて落胆したのだった。
 そのような気分のなかで思ったのは、「それ見ろ、原発は危険だと私が言ったではないか」みたいなことを突然語り出す知識人や政治家や活動家がうじゃうじゃ出て来るだろうということだった。そして、原子力を学んだ私自身こそがそんな薄汚い言動をやりそうではないかと、それをとても怖れた。事故後、一年くらいは友人、知人にもあまり原発事故の話はしなかった。まして、机を並べて原子力工学を学んだ大学時代の友人と連絡を取り合うこともなかった(たぶん、立場は違うにしても友人たちも避けていたのだろうと思う)。
 原発事故後はしばらくしょぼくれて、ある意味では行動不能に陥っていたが、今さらとはいえ、原発は止めなければならないとはもちろん思いつづけていた。ちょうどその頃、「脱原発みやぎ金曜デモ」が組織され、始まったのだった。せめて、デモの後をついて歩くことぐらいはやろうと考えたのだった。
 しかし、原発、原子力、あるいは原子核物理であれ、私が専門として学んだことを人前で話すなどという気分にはとうていなれない。そういうロールを担うということにまだ抵抗があった。2,3度ほど頼まれた集会でのスピーチも断った。突然振られて断り切れなかったときには、原発の話はしなかった。 
 辺見さんは、次のようにも語っている。

 田原総一郎をはじめとするいわゆるジャーナリスト、拡大していえば大江健三郎みたいな人も含めた「良心的な知識人」たちが、いや、だれより私自身なのですが、いま、自分で匕首(あいくち)を自分の喉もとにつきつけて話すくらいの覚悟は要ると思います。 (p. 19)

 そう出来ればと思うものの、かなり難しい。私などは、自分に突きつける匕首を探すことから始めなければならない。その次にはきっと匕首を研がなければ意味をなさないだろう。
 辺見さんの原発事故に触れた箇所だけを取り上げたが、佐高さんとの対談は日本の政治・社会状況全体についてなされていて、それについての辺見さんの決定的な一言。

 とことん、やるのか、死ぬ気でやるのか。そこまで追い詰められているはずですよ、いまの情況は。 (p. 21)


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【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (10)

2024年08月30日 | 脱原発

2014年11月14日

 元鍛治町公園でフリースピーチが始まった。川内原発に続く各地の原発再稼働への電力会社の動向や、その動きにたいする批判などのスピーチの後に、ある本の紹介を兼ねるスピーチがあった。
 矢部宏治さんの『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、2014年)という本である。
 スピーチは、大飯原発で運転差し止め判決が出たにもかかわらず、関西電力は最高裁で逆転判決が出るだろうと楽観しているという話から始まった。その理由として、まずは1957年の砂川事件に対する最高裁判決が挙げられた。
 米軍砂川基地の拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入ったとして起訴された事件で、一審は「基地そのものが憲法九条違反」として無罪としたものの、最高裁は「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」という統治行為論をもって差し戻し、結局有罪とされた事件である。憲法より日米安保条約が上位の法であるかのような、いわば超法規的な判決を下したのである。
 一方、原発に関しては、原子力基本法に「わが国の安全保障に資することを目的として行うものとする」という文言が加えられたことが問題となる。東電福島第1原発事故後に、「原子力安全保安院」を経産省から分離して「原子力規制委員会」で安全行政を一元的に行なうという法律を民主党政権が作った際に、自民党の提言を入れてこの文言を盛り込んでしまったのである。
 「国家の安全保障に資する」原発は、おなじく国家の安全保障に資する「日米安全保障条約」と同じく、「高度な政治性を持つ」イッシュウとして超法規的(つまり権力にとっては恣意的に)に扱われる怖れが生じてしまったということなのだ。
 福井裁判にもかかわらず、裁判を通しての原発廃棄への道は必ずしも容易ではないということである。しかし、逆に考えてみよう。たとえ困難であっても、脱原発を国民の意思として民主的に実現させることは、政府の超法規的な判断の可能性を否定することである。集団的自衛権の問題と同じく、「安全保障」を目的とした憲法無視の政治を否定することなのだ。つまり、憲法が最上位の法規であることを認めさせることである。そういった意味において、集団的自衛権容認や特定秘密保護法などの解釈改憲で憲法を否定しようとしている自民党ネオ・ファシズム政権との闘いと、脱原発の運動は同等、同質の意義を持っているのだ。

 

2014年11月30日

 ネットは総選挙の話題一辺倒になりつつあるが、脱原発はそのまま政治思想の問題である。経済のためには福島の犠牲に眼をつぶる思想と、どんな命も等しく大事に思う思想とのバトルである。FBに目を惹く標語があった。

原発は アベもろともに さようなら

 大賀実恵子さんの投稿である。大賀さんの投稿したポスターの標語もいい。

原発 危険
アベが危険
棄権も危険

 フクシマ以降、どんな政治家も「脱原発依存」だとか「2030年には」だとか、ごまかしとはいえ積極的な原発推進は言えない状況が生まれたのに、安倍自民党政権はあっさりと積極的な原発再稼働にひっくり返してしまった。
 他の政治イッシュウもそうだろうが、今や、原発問題における最大の危険因子は安倍的政治思想であることは、疑いようがない。
 一番町から広瀬通りに曲ると、イチョウの並木もだいぶ葉を振るい落としている。デモの列が歩く車道の端には吹きだまりのようにイチョウの葉が重なっている。
 デモの翌日の朝日歌壇に次のような投稿短歌が選ばれていた。

銀杏(ぎんなん)の熟れて落ちたる実を踏みて金曜デモへ茱萸坂(ぐみざか)を上がる
   (東京都)白倉眞弓(永田和宏選)

 「茱萸坂」とはどこだろうとググったら、日比谷公園から国会議事堂前を通って首相官邸前に上って行く坂のことだった。東京でもこの仙台でも、銀杏の実、黄落の葉を踏みながらデモ人は行くのである。
 季節は違うけれども、私も何度か茱萸坂を上がって行ったことがある。
 1ヶ月前の日曜昼デモも良覚院丁公園からのデモだった。まったく同じコースを歩いて、晩翠通りから青葉通りに曲ったとき、ほとんど同じ構図で写真を撮ったのだが、欅の落葉はほとんど見られなかった。なのに、今日は枝に葉を残す木の方が少なくなっている。季節の移ろいは容赦がないのだ。
 デモが大通りにかかる頃、小雨が降り出してきた。傘を取り出して、前を歩く人に差し掛けてあげるご婦人もいたが、たいていはそのまま歩き続けた。

しぐるるや道は一すぢ 種田山頭火 [1]

 雨が降っても降らなくても、デモ人はまっすぐ歩いて行くしかないのである。

[1] 『定本 種田山頭火句集』(彌生書房 昭和46年)p.189。


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【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(7)

2024年08月28日 | 脱原発

2015年9月4日

 夢を見た。しだいに不愉快になり、憤りのような感情が湧きあがって、そして目が覚めた。
 こんな夢だ。瀬戸内寂聴さんの写真の横に若い男性(たぶん、SEALDsの奥田さん)の写真が並んでいる。お二人は対談したらしいのだ。そこで、その内容を知ろうと探し始める(おそらくネットで)のだが、何も見つからない。
 安保法案のことや闘いのことだろうと予想はつくが、何も見つからない。また、二人の写真の場面から始まって、情報検索、何も見つからない、そんなふうに同じ夢を繰り返す。
 何度かの繰り返しの後に、「いったい俺は何をしてるんだ」と目覚めて(夢の中で)、それからどんどん腹が立ってきて、何か声を上げた瞬間に目覚めた(今度は、ほんとうに)。
 目覚めて、考えた。この夢には少なくとも二つの問題がある。
 反自公政権という立場からは、お二人の言動はたいへん注目されている。とりわけSNSで取り上げられることがきわめて多い。それはそれでたいへん素晴らしいことだと思うし、私もまたお二人を尊敬している。
 ただ、私は自分の中にヒーローを作ってはいけないとずっと考えてきた。だから、どこか心弱くなって、お二人のことを頼りにしているのではないかと夢の中で心配したのだと思う。 ヒーローを待望するようになると、人は自分でものを考えなくなる。泣くにせよ、笑うにせよ、闘うにせよ、逃げるにせよ、自分の精神だけを頼りにしたいのだ。
 自らの精神の活動を閉ざしてしまうのは、自分の力だけで考えることを放棄するためだ。私をつまらない場所に閉じ込めるのは、他ならない私自身の心と肉体なのだ。 

ぼくたちを閉じこめている格子は
鉄でもなければ、木でもなく
なまの筋肉で出来ている、
この動く格子のなかから
ぼくはどうしても逃れることができない。
      鮎川信夫「夜の終わり」より [1]

 もう一つ気になったのは、なぜ何度もお二人の対談内容を探し出そうとしたのかということである。あの執拗さは、どうも単なる知的興味だけとは思えない。何かに役立つと思っていたに違いない。
 たとえば、それをブログネタにしようと考えたというなら最悪である。自発的な行動、行為、経験の後にブログを書くのであって、ブログのために何かの行為が求められるのは私にとっては本末転倒である。ブログを書くために何かをやるくらいなら、ブログなんてやらない。
 いずれにせよ、そんな夢を見る自分に腹を立てているのである。
 寝覚めの悪い1日が始まり、それでも夕べともなれば金デモに出かけるのである(気晴らしに、ということではない、けっして)。

[1] 『鮎川信夫全詩集 1945~1965』(荒地出版社、1965年) p. 86。



2015年9月27日

 9月19日未明に参議院で戦争法案が強行採決されるまで、脱原発金デモに加えて、仙台ばかりでなく東京にも出かけて法案反対のデモや抗議行動に加わった。
 東京のホテルで強行採決のニュースを聞いて、ふっと「この辺で息継ぎをしないと」と思ったのだった。終わりの始まりというより、国会前に集まった無数の人びとを見ていると、何かが始まったように思えた。みんなと一緒に始める前に、深く息継ぎをしておく必要があると思ったのである。
 なのに、息継ぎどころか、熱を出して寝込んでしまった。いや、一仕事終えると熱を出して寝込むことが現職のときの習いのようだった私にとって、これが息継ぎなのかもしれない。
 寝込んでいるあいだ、アーレントの『過去と未来の間』という本を読んだ。国会前に出かけるときもザックに放り込んで読み継いでいたのだが、読み残しているところも読み返さなければならないところもたくさんあった。収められている8編の論考は、プラトンから現代までの政治哲学を縦横に駆使しているので、熱っぽい頭にはなかなか手に負えないのである。
 人間の自然に対する態度を「制作」と「行為」から考察した後に、アーレントはこう書いている。

 人間の行為とは人間を起点とする諸過程を伴うものであるが、こうした人間の行為はわれわれの時代を迎えるまで、人間の世界のうちにとどまり、また、人間が自然に抱く主要な関心は、自然を制作の素材として用い、それをもって人工のものを建設し、この人工のものを自然のエレメントの圧倒的な諸力から守ることに尽きていた。ところが、人間自身の手になる自然過程を開始させた――核分裂はまさに人間が作る一つの自然過程にほかならない――とき、われわれは、自然に対する自らの力を増大させ、地球に与えられた諸力を扱ううえでいっそう攻撃的になっただけではない。われわれはその瞬間に、自然を初めて人間の世界そのもののなかに導き入れ、これまでのあらゆる文明を拘束してきた自然のエレメントと人工のものの間にある防衛戦を取り除いてしまったのである。
 先に言及した人間の行為の諸特徴が人間の条件の核心をなすと考えれば、自然のなかへと介入する行為がいかに危険であるかは明々白々である.予言不可能性は見通しの欠如ではない。人間の事例をいかに工学的に操作しようと、この予言不可能性をけっして除き去ることはけっしてできない。それはちょうど、いかに実践的な思慮(プルーデンス)を訓練しても、為すべき事柄を知りうる知恵(ウィズダム)に達しえないのと同じである。予言不可能性をうまく処理する望みが出てくるとしたら、それは、行為を全面的に条件づける場合、すなわち行為を全面的に廃棄する場合だけだろう。 [1]

 これは1958年に発表された論文の一節である。政府や東京電力が言う「想定外」などという話ではない。核分裂という自然過程を人間の行為として始めることで人間社会に持ち込んだ予言不可能性を処理する方法は、その行為を廃棄するしかないと断言しているのである。
 原発のどこそこが危険で、どれどれは安全、などという細々した話ではない。ギリシャ哲学から現代思想まで動員して考え抜いた「人間の行為の諸特徴」から、原発を廃棄するしかないのだ、というのがアーレントの結論だ。
 そのアーレントの言葉を抱えて、今日も脱原発デモに出かける。まだ熱っぽいのだが、寝ていることに十二分に飽き飽きしていた。

[1] ハンナ・アーレント(引田隆也、齋藤純一訳)『過去と未来の間』(みすず書房、1994年) pp. 78-79。


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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(12)

2024年08月24日 | 脱原発

2014年3月16日

 日本という国において、東北はどのような位置を占めているのか。例えば、小熊英二さんは、太平洋戦争以前の「植民地と勢力圏を中心としたアウタルキー(自給自足)経済」が敗戦によって破綻した後、国内でアウタルキー経済を目指した時代に東北が「米どころ」になった、と指摘する [1] 。文字通り、戦後の東北は旧植民地の代替機能を負わされたのである。
 あるいは、山内明美さんは、東北の置かれた歴史的状況について、天皇制における大嘗祭を取りあげて次のように述べている。

天皇の代替わりの最も重要な儀式である大嘗祭の悠紀に、はじめて東北が登場したのは、1990(平成2)年の秋田県である。それ以前には、東北が大嘗祭に伴う斎国に選定されたことはなかった。あえて天皇儀礼という観点から言ってみるならば、天皇の身体の一部へ東北が摂取され、東北が名実共に天皇の領土としての食国になったのは、20年そこそこの歴史なのである。 [2]

 つまり、太平洋戦争後、食料生産の植民地に過ぎなかった東北は、平成に入って始めて天皇制における日本国の一部になり得たということである。だから、昭和が終る頃、大阪人のサントリーの社長が「東北は熊襲の産地、文化程度も極めて低い」と発言したのは日本国(国民)のありようから考えて当然と言えば言えるのである(熊襲と蝦夷を間違える佐治恵三の低い文化程度はさておいて)。
 だとすれば、原発事故後、それをなかったことにしたい政府は、福島を日本に含めない(含めたくない)という思想をベースに動いていると想定することは容易で、しかるがゆえに、福島の人々よりも東京電力が大切だという政治行動に繋がっていると言える。
 3月17日(デモ翌日、この文を書いている日)に、朝日新聞に次の投稿句が掲載されていた。

ふくしまの棄民に積る涅槃雪
  (福島市)池田義弘(金子兜太選)

[1] 赤坂憲雄、小熊英二(編著)『辺境から始まる 東京/東北論』(明石書店、2012年)p. 315。
[2] 山内明美「〈飢餓〉をめぐる東京/東北」、同上、p. 256

 

2014年4月5日

 フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスを読みたい(というよりも、読まなければ)と思ったのは、ジュディス・バトラーの『生のあやうさ』で引用されていたためである。その本は、グアンタナモ基地に拘束されている囚人(厳密には裁判を受ける権利がないので法律上の囚人ではない。また、国際法の適用も受けないため「捕虜」でもない)や、アフガニスタンやパレスチナで殺害される人々の「生のあやうさ」を取り上げてアメリカ合衆国の国際戦略を批判しているもので、人間における倫理を問うかたちでレヴィナスを引用している。
 エマニュエル・レヴィナスの考えによれば、倫理とは生の脆さ(プレカリアスネス)に対する危惧に依存している。それは他者の脆弱な生のあり方の認知から始まる。レヴィナスは「顔」に注目し、それが生の脆さと暴力の禁止をともに伝える形象であるとする。攻撃性は非暴力の倫理では根絶できない。レヴィナスはこのことを私たちに理解させようとする。倫理的闘争にとって人間の攻撃性こそが絶えざる主題なのだ。攻撃が押さえ込もうとする恐怖と不安、これらを考察することで、レヴィナスは倫理とはまさに恐怖や不安が殺人的行為にいたらないように抑えておく闘いにほかならないと言う。レヴィナスの議論は神学的で、神を源泉とする倫理的要求をたがいに突きつける人間の対面を引きだそうとする。 [1]
 
この「顔」は何を意味するのか、なにか根源的な倫理というものをレヴィナスは論じているのではないかと思ったのだ。というわけで読み始めたものの、2冊目が終わったあたりで諦めかけていた。レヴィナスの思想は、フッサール、ハイデッガー、メルロ・ポンティと続く現象学はさておき、もう一つの根幹にユダヤ教があって、私には容易にアプローチできないのだ。
 もちろん。ことごとく理解できないというわけでもない。扱う主題によっては、私にも理解できることがある。3日間の強制読書期間中には、次のような一文にも出会うのである。

悪しき平和といえども、もちろん、善き戦争よりも善きものではある!ただし、それは抽象的な平和であって、国家の諸権力のうちに、力によって法への服従を確たるものたらしめるような政治のうちに安定を探ろうとする。かくして、正義は政治に、その策略と計略に訴えることになる。(……)そして場合によっては、全体主義国家のなかで、人間は抑圧され、人間の諸権利は愚弄され、人間の諸権利への最終的な回帰は期限なしで延期されてしまうのである。 [2]

 まるで、日本の現状そのままではないか。「日本人は平和ボケしている」と力説するナショナリストたちは、中国や韓国、北朝鮮の脅威を声高に吹聴しながら、それらの国々を挑発することに余念がないし、彼らをあからさまな別働隊とする政府・自民党といえば、対外的には「集団的自衛権」を行使できるように、国内的には「秘密保護法」によって反戦活動を押さえ込もうと「策略と計略に訴え」て、戦争準備に勤しんでいるような「悪しき平和」に日本はある。
 そんな平和であってもいかなる「正義の戦争」よりも正しい「善きもの」だ、という私たちの声を圧殺して、このまま進めば日本は「全体主義国家のなかで、人間は抑圧され、人間の諸権利は愚弄され、人間の諸権利への最終的な回帰は期限なしで延期されてしまう」ようになりかねないのである。
 レヴィナスは、平和の実現を国家論や政治論という形ではなく、人間の倫理の問題として語り進めるのだ。

しかも、平和は単なる非-攻撃性ではなく、こう言ってよければ、それ固有の肯定性・積極性をそなえた平和である。そこにはらまれた善良さの観念はまさに、愛から生じた没-利害を示唆している。それゆえに初めて、唯一者ならびに絶対的に他なる者はその意味を、愛される者ならびに自己自身のなかで表現できるのだ。 [3]

 レヴィナスの語り口は、しだいに神学的になってくる。このあたりからレヴィナスをレヴィナスとして理解すべき領域が始まる(らしい)。上述のように進んできた理路は、まことにレヴィナスらしい次のような文章で受け止められるのだ。そして、私の脳は茫漠としだすというわけだ。

《無-関心-ならざること》、根源的な社会性-善良さ、平和ないし平和への願い、「シャローム」〔平安あれ〕という祝福、出会いという最初の出来事。差異――《無-差異-ならざること》――、そこでは、他なるもの――それも絶対的に他なるもの——、こう言ってよければ、「同じ類」――自我はそこからすでに解き放たれた――に属する諸個人相互の他者性より「以上に他なるものであるような」他なるものが私を見つめている。私を「知覚する」ためではない。そうではなく、他なるものは「私と係わり」、「私が責任を負うべき誰かとして私にとって重きをなす」のだ。この意味・方向において 、他なるものは私を「見つめる」、それは顔なのである。 [4]

 「それは顔なのである」と言われても納得できているわけではない。ここでも「顔」とはなにか、と同じ問いを発するしかない。ぼんやりとは理解できているように感じ、でもやはり分かってはいないと思い直すのだ。
 「顔」について言及した文章には次のようなものもある。

顔は意味を有している。それも、諸関係によってではなく、自分自身を起点として。そしてそれこそが表出なのだ。顔、それは存在者が存在者として呈示され、存在者が人格として呈示されることである。顔は存在者をあらわにするのでも、存在者を覆い隠すのでもない。数々の形式の特徴たる暴露と隠蔽を超えて、顔は表出であり、一個の実体、一個の物自体、自体的(カト・ハウト)な物の実在なのである。 [5]

私を見つめる顔は私を肯定する。顔と顔を突き合わせている以上、私もまた同様に他者を否定することはできない。逆に、本体としての他者の威光のみが対面を可能にするのだ。このように対面は、否定することの不可能性であり、否定の否定である。具体的には、かかる表現の二重構造は次のことを意味している。つまり、「汝、殺すなかれ」が顔に刻み込まれ、それが顔の他者性をなしているのである。それゆえ発語は、相互に制限し合ったり相互に否定し合ったりする自由ではなく、相互に肯定し合う自由同士の関係なのだ。自由は自由に対して超越的である。 [6]

 仏教の本地垂迹説に「垂迹」とか「権現」という考えがある。仏や菩薩が衆生を救うため、日本の神に姿を変えて顕われることである。全ての人間のことを顕わしながらただ「一者」の顔として顕現してくるもの、それがレヴィナスの「顔」ではないか、そう思ったとき「権現」という言葉を思い出した。そして、「顔」の先に(あるいは見えざるものとしてであっても)神が登場してくるのではないかと期待したのだが、どこまでも「顔」なのである。私が想像するようには、レヴィナスは簡単にはいかないのである。ユダヤ教を根幹とする哲学を語っても、ユダヤ教信者として語っているわけではない(らしい)。

[1] ジュディス・バトラー(本橋哲也訳)『生のあやうさ ――哀悼と暴力の政治学』(以文社、2007年)p. 13。
[2] エマニュエル・レヴィナス「人間の諸権利と他者の諸権利」(合田正人訳)『外の主体』(みすず書房、1997年) p. 201。
[3] 同上、p. 202-3。
[4] 同上、p. 203-4。
[5] エマニュエル・レヴィナス「自由と命令」(合田正人編訳)『レヴィナス・コレクション』(ちくま学芸文庫、1999年) p. 378。
[6]エマニュエル・レヴィナス「自我と全体性」同上、 p. 427。


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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(7)

2024年08月21日 | 脱原発

2014912

 学生、院生の頃、私は原子力工学を勉強していた。その後、原子力工学を捨てて物理学に移ったのだが、所属した物理の研究室は、何の因果か「放射線金属物理学講座」だった。
 「第一種放射線取扱主任者」の国家資格も持っていて、一時期は職場の放射線取扱主任者として安全管理業務に携わったこともある。放射線作業従事者の被爆防護に神経を使ったことなど、フクシマ原発事故の放射能汚染や被爆と比べれば、笑ってしまうほど瑣末なことに過ぎないものになってしまった。フクシマの現状から言えば、私たちの職場の放射線作業従事者は現在の一般人よりはるかに安全な作業をしていたことになる。
 放射線作業を行なう職場においては、法によって「放射線取扱主任者」が安全管理を行なうことが義務づけられているうえ、作業従事者(教官も学生も)は放射線取り扱いについて一定の教育訓練を受けなければならない。しかも、一年を超えない期間に再教育を行なうことすら定められている。
 しかるに、福島では「福島エートス」と称して、住民一人ひとりに放射線被曝を管理させようとしている。住民を避難させることなく、「住民が主体となって地域に密着した生活と環境を回復させていく実用的放射線防護文化の構築を目指す」という屁理屈で、被害者である住民の「自己責任論」的なごまかしを行なおうとしている偽善団体があるのだ。
 大量殺人者がそこにいるのに、「自己責任で殺されないようにしましょう」と主張するばかりで、殺人鬼の存在は放置したままのような欺瞞なのである。
 欺瞞と言えば、とうとう910日に原子力規制委員会は川内原発1、2号機が新規制基準を満たすと正式に決めた。もともと政府の雇われ委員会なのだから、学識者の良心など期待すべくもない。残念ながら、予想通りと言うしかない。
 あるマスコミが、規制委員会の決定を発表する田中俊一委員長の表情がこわばっていたと評していたが、それは当然だろう。私よりも一年早く東北大学工学部原子核工学科で原子力工学を学び、日本原子力研究所で研究者、学者として積み上げてきたキャリアはそのままでも、学者としてのアイデンティティを断念した瞬間なのだと、私は思う。
 7月に審査書案を提示した時には、で「安全だということは、私は申し上げません」とか「ゼロリスクだとは申し上げられない」と発言することで、かろうじて学者のアイデンティティを繫ぎ止めていたように思う。
 どんなに腐っても、人間の工学的技術で作った「工作物」が決して壊れないなどと考える工学者はいない。壊れた原発がフクシマという悲惨を生み出した事実を知らない日本人もいない。東電福島第一原発の故吉田昌郎所長が「われわれのイメージは東日本壊滅。本当に死んだと思った」と語ったということは当然だ。壊れた原発がどのような結果をもたらすか想像できない原子力工学者はいないはずだ。
 しかし、自民党政府が規制委員会の決定をもって安全だとすると主張していることは誰でも知っている。そのような情況での規制委員会の決定は、原子力工学者のアイデンティティを放棄することでしか可能ではない。自民党政府の評価は高くなるだろうが、学者、研究者としては無惨である。
 将来、すべての原発事故の責任は田中委員長をはじめとする委員会の全面的責任として問われることになる。そのような簡単な政治的トリックに易々と捕捉される学者の見識は憐れと言うしかないが、同情はしない。
 私たちは、憐れな学者たちのエセ政治的判断の犠牲にはならない。なりたくない。それが、私たちのデモである。

 
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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(6)

2024年08月18日 | 脱原発

20131018

寸断された戦線がみえてくる。そして
核爆発がテレビのむこうがわでつづいている。
われわれは一瞬のさけめから認識へおちる。
われわれはなんども死んだり、詩人みたいに
またもや生きてゆく。
神話をつめたくしているのだ。

   堀川正美「われら365」部分 [1]

 これは1970年出版の詩集のなかのフレーズである。読むべき本、読みたい本が途絶えてしまって、やむなく納戸の奥から引っ張り出してきた43年前の本のなかにあった。ここには、予言された「フクシマ」が見える。そんなふうに思えた。
 原爆や水爆へのイメージには違いない。しかし、大地震でメルトダウンした核燃料が今も地中のどこかで緩やかな核爆発を続けている、というイメージに繋がる。制御できない核分裂反応は、反応の遅速や反応の密度の問題はあっても、本質的に核爆発となんの相違があろう。
 原子炉が爆発してしまってから、愚かといえども日本人は現実の悲惨な裂け目から否定しようのない「認識」へ落ち込んだはずだ。そう考えるのが詩人のイメージというものだ。いまだに、原発を続けたい、外国にも売りつけたいという意図をあからさまにする人間が存在しうるなどと思いもしないだろう。
 原爆、水爆、原発の爆発、この一連の事象こそ、人類が地球上に生まれてから語り継いできた「神話」ですら凍りつくような悲惨だったはずだ。
  
 堀川正美の詩集には、もうひとつ凄いイメージの詩があった。

武器はかぞえるだろう、ほぼ同数の兵士たちを。
製品はかぞえるだろう、ほぼ同数の労働者の時間を。
ヴィタミン剤は、トランジスタラジオは、映画館の入場券はわれわれの
青春を。オレンジジュースはこいびとたちを。
操縦装置のちっちゃなボタンにふれる指のふるえは
一〇〇年きみが生きてもとりかえしがつかない一瞬を――
一〇〇万人の三万フィートも上で。
戦争の死者たちをかぞえることができぬ。ひとりの
兄弟ぐらいは生きのびたもののうちにいるかもしれぬ。

        堀川正美「書物の教訓」部分 [2]

 人間の手によって作られた物は、作られたその瞬間において、そのものが未来に関与するであろう人間と人間の出来事を用意している、という逆説のイメージだ。原発と爆撃機が作られたとき、100万人の広島市民の上空で「ちっちゃなボタン」が押される瞬間が準備されていた、という恐ろしいイメージだ。
 福島県大熊町に東京電力福島第一原子力発電所の建設が始まったとき、15万人を超える人びとの故郷が失われることが定っていた。詩人の逆説のイメージはそう教えている。だとしたら、たとえば大間で、たとえば女川で、たとえば美浜で、たとえば上関で未来に準備されているのは何か。
 その恐ろしいイメージに対抗するには、すべての原発を廃炉にするという現実的手段しかないのだ。

[1]『堀川正美詩集(現代詩文庫29)』(思潮社、1970年)p. 69
[2]
同上、p. 81



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