かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『20世紀最大の風刺画家 ジョージ・グロス』(図録) (朝日新聞社、2000年)

2012年07月02日 | 読書

 最近、松本竣介の絵に興味を持っていて、彼の画業の意味について私なりの考えをまとめてみたいと思っている。松本竣介に関するいくつかの本を読み、盛岡の岩手県立美術館で開催の「松本竣介展」にも行った(半分は、初めての盛岡じゃじゃ麺に挑戦するためだったが、妻の希望で)。

 松本竣介の絵は、時代とともに画調が大きく変貌する。そのような松本竣介の絵に影響を与えた画家として、モジリアニ、ルオー、ピカソ、マティスなどの名に並んで「ゲオルグ・グロッソ」、「野田英夫」の名もあげられている。この二人の名は知らなかった。ゲオルグ・グロッソがどんな絵を描いて、竣介はそれからどんな影響をうけたか知りたくて、画集を探した。「日本の古本屋」というネットショップを通じて手に入れたのが、表題の本である。

 1893年ベルリンに生まれたGeorge Großは、1908年頃にGroszと表記を変え、さらに「かれを取巻ぐ芸術家仲間たちがことごとくそうであったように、古いヨーロッパを嫌い、新世界のアメリカへの愛着を募らせ、グロスみずからも名前をアメリカ風にし」 [1] 、後半生をアメリカで暮らした。本人の希望にしたがい、ここでもアメリカ風の「ジョージ・グロス」という表記にする。

 ベルリン時代に強烈な毒を含む風刺画、風刺漫画を描き続けたグロスは、酒井忠康によれば「ピー夕ー・ゲイによれば、哲学者ハンナ・アーレン卜が、この時代、つまり20年代には、自分はあまり新聞などを読まなかった、グロスの漫画は私たちには風刺ではなく、現実の報道に思われたものです――、といって」 [2] いたそうである(恥ずかしながら引用の引用の引用なのだが、アーレントの言葉とあれば、私としては引用せざるをえない)。

 社会の真実に迫る風刺ゆえにナチス・ドイツに迫害されアメリカに移住するグロス、共産党の招待でソ連を実見した1年後に共産党を離党し、後に「……残念ながらもう1914年ではないのです……今日、ドイツ共産党の目的(ロシアに従順に従っている)に責任をもち、そのために苦悩するということは、私が入党した頃とはまったく意味が違っています。……マルクス主義者たちはうそつきか、愚か者だから、ファシズムの兄弟と同類なのだ……ヒ卜ラー……スターリン……ムソリーニ……彼らのお見事な同盟ぶりはお見通しです……。」 [3] と語るグロス、画業よりはその人生への興味は尽きないが、それはまた別の話である。

 ここでは、松本竣介との関わりが問題である。

 グロスが竣介に影響を与えたと指摘されるのは、都会と人間とをモンタージュ技法を使って描いた一連の絵についてである。竣介とグロス、対応すると思われるそれぞれの一点を例として示す。

           
              松本竣介 《街》。 1938年、油彩・板131.0×163.0cm、大川美術館 [4]

                         
                                  ジョージ・グロス 《ニューヨークの街路》。 
                         1934年頃、水彩、69.5×45.0cm、個人蔵、スイス [5]

  絵を比べる前に、次の点を明らかにしておく必要がある。社会風刺、政治批判のような思想的な問題でグロスが竣介に影響を与えたわけではない。松本竣介を「抵抗の画家」と評する向きもあるが、私は竣介に非政治性しか見ることができない。確かにそれらしい文章をたくさん書いているが、発言と内実が違うことはままあるのだ。松本竣介の価値は、そんなところにあるわけではない。どちらかといえば芸術至上主義的な感じすらする。つまり、政治性、社会性という点ではグロスと竣介はきわめて遠い存在である、と私は考えている。

  ひとつの画面に異なった複数の画題を配置するという意味ではおなじモンタージュと手法を用いていて、確かに共通点はある。しかし、一見して明確に見てとれることがある。

 グロスのモンタージュは、異なった場面の間の境界ははっきりしていて、きちんと2次元的に配列されている。一つ一つの場面ははっきりした時空として描かれている。ここには西欧絵画におけるキアロスクーロの伝統があるように思える。境界が明確であるという点では、写真を切り貼りしたような構図と同じで、少なくとも私などには「モンタージュ」として思い描く典型的な手法である。

  一方、松本竣介の絵の特徴は2次元配列に加え、奥行き方向の重なりがあり、一つ一つの画題の境は不分明である。重なる画題(この絵ではとくに人物が)は透明(半透明)でなければならない。そのために、中野淳が何度も言及している「多層性のグラッシ法(透明描法)」 [6] が用いられている。

  いわば、松本竣介のモンタージュは複数の時空を重ね合わせ(というよりは相互浸透する多数の時空、というべきか)によって、竣介の思い描く「近代」都市像を表現しようとしたものだと思う。私の現時点での松本竣介像のアイデアは、「未完の近代」の時代に想世界のなかの「近代」を漂泊した松本竣介、というイメージにある。だからこそ、竣介はいろいろな手法を取り入れ、「アバンギャルド」であろうとしたのでないかと思っている。
 そして、そのような松本竣介が際立って表出されているのがモンタージュ手法による一連の多数の人間を配した都会、市街の絵なのだと思う。
 

[1] 酒井忠康「序にかえて」『20世紀最大の風刺画家 ジョージ・グロス』(以下、図録) (朝日新聞社、2000年) p. 9。 
[2] 同上。
[3] ラルフ・イェンチュによる引用「ある芸術家の生涯――大都市ベルリンとニューヨークの間で」、図録 p. 16(原典は1933年6月3日付けのヴィーラント・ヘルツフェルデ宛書簡草稿)。
[4] 松本竣介 《街》『生誕100年 松本竣介展』図録 (NHKプラネット東北 & NHKプロモーション、2012年)p. 53。
[5] ジョージ・グロス 《ニューヨークの街路》、図録 p. 66。
[6] 中野淳 『青い絵具の匂い――松本竣介と私』(中央公論新社、1999年)。