かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

大塚英志、宮台真司 『愚民社会』 (太田出版、2012年)

2012年07月31日 | 読書

 森達也の『A3』がオウム事件後の社会を描きつつ批判しているとすれば、この『愚民社会』は、「3・11」後の社会批判である。とはいっても、3・11後に変わった社会を批判しているわけではない。むしろ、3・11にもかかわらず変わらない「愚民」である私たちの社会を批判しているのである。
 本書は、3つの対談から構成されているが、第一章「すべての動員に抗して――立ち止まって自分の頭で考えるための『災害下の思考』」だけが3・11後になされているので、ここではその章だけに限って触れてみたい。

 宮台真司は「私たち」を「田吾作」と呼び、大塚英志は「土人」と呼ぶ。それは、私たちが「未完の近代」または「前近代」を生きているにすぎないことを前提としている。しかし、深い洞察を秘めた該博な知識を有する二人の俊秀が、雄弁に語り合うことをまとめるのは至難の業である。
 ここでは、これからも続く「震災後社会」を生きる私たちに棘のように刺さってくるであろう(と私が考える)話題を拾い上げるにとどめる。

 対談は、いきなり震災直後の天皇の「おことば」から始まる。

宮台 三月一六日、震災のわずか五日後に天皇のビデオによる「おことば」が流れました。天皇が不特定多数の日本国民に対し、マスメディアを通じて自らメッセージを伝えたことは、一九四五年八月一五日の昭和天皇による玉音放送以来、六六年ぶりだったこともあって、一部では「平成の玉音放送」と表現されたりもしました。
 
僕の考えをいえば、天皇の「おことば」が"田吾作による天皇利用"であるのは至極当たり前です。田吾作というのは、真理や知識が意味を持たず、従ってどこにも大ボスがいないにもかかわらず、空気に縛られる存在のことです。昨今の原子力ムラ的なコミュニケーションが典型です。 (p. 28)

大塚 ……さらにもう一つ指摘しておきたいのは、国難みたいなものに対して天皇の気持ちに国民が心をシンクロさせる、そして、その天皇との心の一体感こそが日本人なんだと思い込むような古典的フレームの存在ですね。ぼくは、ラフカディオ・ハーンのエッセイを思い出さざるを得ない。明治時代に口シア皇太子ニコライを津田三蔵が襲って大騒ぎになった(大津事件)際に、天皇の心中を察して国中がシーンと静寂としている、その姿にハーンは感動したんだけど、冷静に考えれば、強国ロシアの皇太子に手を出してしまって、「まずくないか、おい」つて、国民全体がひいていただけだと思う。それを天皇の心にシンクロしている日本人という、いわば外国人が語った日本人論みたいなものが語られ、日本人の自己像として反復され近代天皇制がつくられていったのだということを改めて実感しました。ハーンの目には、日本人は言葉は悪いけど「土人」に見えたはずです。そこに感動したんですけど、感動された日本人の方が、「そうか、日本人ってそうなのか」と思っちゃった。明治以降、外国人の語る日本人論が日本人像の原型になっているケースが極めて多いですよね。
  ……
 だから、問題は「日本人の自己像」がどう錯誤的につくられてきたのかという問題とも関わってくるのですが、ハーンの誤解が今や日本人の自己像になっている。そういう「日本」にぼくは違和しかない。
  
……
 ぼくが今懐かしく思うのは、昭和天皇が亡くなったときに皇居の前に集まった人たちを見て、浅田彰が「土人」だといったことです。あのときは、さすがに浅田彰はいいすぎだろうとぼくは思ったんだけれど、それは正しかつたと思います。
  ……
 だから震災以降、いろいろなことに対してああ、「土人」なんだ、この国の住人は、そう思うとすべてが氷解する。宮台さんは「田吾作」というけど、やさしすぎる。「土人」なんです、この国は。「天皇」の言説で歴史を区分し得るっていうのも「土人」ですね。「改元」でチャラになってまたやり直すって、つまり「歴史」という近代的な時間軸がつくれないってことでしよう。「時間はただ循環するだけでリセットを繰り返す」というのは思考回路が近代以前にあるってことでしかない。むろん、「土人」というのはあからさまな差別用語ですが、ここでは「日本人」たちが「近代」を忌避し、思考停止の中で生きている状態をそれこそ差別的に指します。 (p. 31-33)

  そして、「近代」とは何か、という議論に進む。宮台は「エリート主義」を標榜してきたが、震災後にはいっそうその必要性を痛感し、近代主義的な行動規範を主張する。

宮台 つまり先に紹介した「〈任せて文句を垂れる作法〉から〈引き受けて考える作法> へ」云々は憲法前文に表明されているのです。ところが憲法施行直後に文部省が配布したあたらしい憲法のはなし』を読むと、民主主義とは多数派政治であり、多数の意見は滅多に間違わないなどと書いてあります。憲法前文に表明された精神から一〇〇歩以上後退しているのです。
 多数派政治よりも大切な民主主義の本質は、参加・自治・少数者尊重・科学的態度です。つまり、(1)「〈任せて文句を垂れる社会〉から〈引き受けて考える社会〉へ」、(2)「〈空気に縛られる社会〉から〈知識を尊重する社会〉へ」、(3)「〈行政に従って褒美を貰う社会から〈善いことをすると儲かる社会〉へ」です。これらを欠いた多数決はクソも同然。
 大塚さんはこうした民主主義に不可欠な 〈心の習慣〉を定着させようとしておられる。僕もそれを唱導しているほどで、それは必要な営みだと思います。 (p. 36-7)

宮台 ヨーロッパでは、一九八六年のチェルノブイリ原発事故で、エネルギーと食の危険が同時に意識されて、従来の〈食の共同体自治〉を目指すスローフードが、〈エネルギー共同体自治〉を目指す自然エネルギー運動につながります。フクシマ以降の日本的脱原発運動は巨大電力会社に電源取替えを要求するだけで、スローフードの取違えをリピートしています。
 
市場であれ国家であれ巨大システムに依存するのは危ないとする〈食の共同体自治〉と〈
エネルギーの共同体自治〉の運動が、日本では巨大システムに食材取替えや電源取替えを要求する運動にすり替わります。ヨーロッパでは、デンマークのサムソ島が典型ですが、共同体の空洞化が始まった場所を、自然エネルギーを通じて再生しようとさえしています。 (p. 102-3)

大塚  今、震災で地域の存続が問題になっていますが、ムラ的な共同体は近代の明治期あたりで解体し始めて、昭和初頭の世界恐慌のときにほぼ崩壊しているわけです。地域の「互助システム」を使って共同体単位で日本を復興しょうとするのは世界恐慌時の政策です。農山漁村の経済更生運動、とかいうやつです。でも失敗した。とうに旧来のムラのシステムは崩壊していたからです。結局、何をやったかといえば郷土史や民話集をつくって「郷土愛」みたいなものを「あること」にして、ファシズムの下支えとしての郷土をつくった。だから厳しい言い方をすれば被災地の復興が進まないという責任の一つには「あなたたち、復興し得るような社会システムやモチベーシヨンを本当は持っていないんでしょう?」ということでしょう。 (p. 115)

大塚 本当になんとかしたいのだったら、東北だけはリアルなカタストロフィが今回あったわけで、それは、彼らだけは「近代」をやり直すチャンスがあるということです。たぶん、やらないで、中央の政治家に助成の陳情して、おしまいだと思いますが。
宮台 暴言で失脚した復興担当大臣の松本龍は実はそういったんですよ。正しいのです。
大塚 お前ら少しは自分の頭で考えろよって、ね。ぼくも彼は正しいなと思いましたよ。震災後の政治家の発言で唯一、同意できた。神戸みたいに復興予算を使い切っても何も変わらないのか、歴史のスパイラルを東北だけは一段先に行けるのかやらせりゃよかった。 (p. 116-7)

大塚 さっきもいったけど明治時代、西洋からやって来た人問はずっとこのことをいい続けているわけです。その日本人像にあわせてきた結果が現在なんですね。パーシヴァル・ローウェルは日本人は進化論的に劣勢だから自我が発達していないといい切った人です。それを踏まえた上でラフカディオ・ハーンをはじめとする明治期の外国人たちの日本人論が成り立っていて、個人的な自我、「個我」と訳されますが、個我が発達していないから集団的なのだ、と、それが最終的には美徳なのだという具合に変わっていく。
 
ローウェルはつまり日本人は猿だ、土人だといつてるのにそれが自己肯定的な日本人像になっていく。どう勘違いすればそうなるのかと思いますけど、「動物化」もこの文脈で受け取るべき日本人論に過ぎない。外国人が語った日本人論によって日本文化が語られて、いわば、それが「近代」へのサボタージュの方便や根拠の一つになっている。 (p. 149)

大塚 宮台さんのおしやつていることはどんどん柳田の「公民の民俗学」に近づいていっています。自分のいる、今、この場所で、公共性や社会を形成していく責任を引き受け、それは具体的には自身の言葉で合理的に考えていくということです。「共同体エリート」とは柳田が『明治大正史 世相編』の中で「選手」という形容をしているあり方に重なります。
 
でもやはり問題はそこから先だということに戻ります。宮台さんが育てるとすればそうした理論的前衛ですよね。「誘導する」側です。でも、思想を具体化する設計された制度を動かす必要もある。さっきいった小さなリーダーの問題ですが、具体的にはそれを各々の行動の中で振る舞い、行動として、あるいは嚙み砕かれた言葉として使っていけるような人間たちをつくっていかなければいけないわけです。それは「土人の近代化」というプログラム抜きにはあり得ない。「草の根運動」は「草の根」が「バカ」ならアメリカのティーパーティーにしかなりません
 
もちろん、前衛やエリートが大衆が「動物」や「土人」でただ欲望と本能で動いていってもなんとかなる社会を設計できるっていうならすればいいし、WEBってツールは「土人」統治にはよく向いている気がします。でも、WEBで「土人」を統治する社会にぼくは関わりたくない。
 
柳田國男が考えていた理想というのは、エリート階級の構築ではなくて、共同体の中での上位グループの実践的教育による近代化の達成です。その人たちが、理論的抽象的概念ではなく、具体的な振る舞いであるとか、民俗学でいうと習慣ですよね。習慣そのものの修正とか再設計をたぶん柳田は野心していたんですよね。 (p. 158-9)

宮台 僕の思惑通り、世田谷区や目黒区のママたちは大挙して子供たちを疎開させました。リスクマネジメントの観点から当然の行動です。ママたちの多くは日頃から原発情報に注意してきたわけではないと思いますが、震災二週問後にメルトダウンの可能性を示唆した原子力安全保安院の係官を左遷した政府&東電連合軍のインチキにいち早く気づいてくれました。
 
政府と東電は嘘つきだから宮台ツイートを参照したほうが良いと口コミしてくれることで、大人数の子供たちの疎開を可能にしたママたちの振る舞いは、明らかに公共的です。批判にはあたりません。ただ、しばらくたって問題だと思ったのは、僕は疎開に際してヨソの子を連れて行きましたが、同じように振る舞った人がほとんどいなかったということです。
大塚 問題はそこですよね。
宮台 大塚さんのいうように、「子供のため」という場合、「え、自分の子供だけだったのか」という問題です。というのは、近隣にも子供がいて、お父さんやお母さんの都合で東京を離れられないケースはいくらでもある。「子供のため」というなら、そういう子たちを連れて行くべきです。でも、実際にはそういう動きがほとんどなかった。想定外でした。
 
この部分には大塚さんの批判があたります。「なぜヨソの子を連れて疎開しないのか」と朝日新聞の記事でも語りました。リスクマネジメントの観点から疎開は合理的だといってきましたが、自分の子だけを疎開させることは合理化できません。そこには母性の自然感情を偽装したエゴセントリズム(自己中心性)があり、それ自体がこの社会の空洞ぶりを顕わにします。
大塚 そうですよね。だから、そこに共同体自治の可能性の契機を見ることは、正直にいえばとてもできない。宮台さんが夢見たように、他の家の子供も疎開させるようなことはなかった。また、ツイッターとかを介しながらも、そのネットワークはたぶん経済的なクラスの中で、完結している。宮台さんのツイッターから持ってきた情報を地域全体の母親が共有するのではなくて、そもそも母親たちは同じような経済状態でカテゴライズされていますから、その同じ階級の中で広がっていく。「安全保障」は常に保障される対象を限定しますよね。貧乏な家の子供は対象外だし、そもそも住めない。
宮台 そうですね。
大塚 その時点でアウトでしょう。 (p. 127-8)

 彼らの広範な話題の展開の中で、上のピックアップは議論を少し矮小化しているかも知れない。いや、じつはハウツー的な矮小化を意図的にやったのである。震災後の今を生きる私たち「愚民」は、近代論や近代社会システム論、はては近代政治論や民俗学の中で迷子になりそうな気がしたためである。小さくとも即応した方がいいのではないか、いや、それは「土人」の行いか。


【書評】森達也『A3』(集英社インターナショナル、2010年)

2012年07月31日 | 読書


 
ぼんやりと鈍感に生きてきた私にも、世の中の空気が変わったな、とはっきりと感じる事件がある。


 近くから挙げれば、もちろん「3・11」大震災である。これは大地震とそれに伴う大津波という「未曾有の自然災害」だが、これに東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融という「未曾有の人災」の複合事故である。
 それから、2001年「9・11」に、ニューヨークの世界貿易センターとアメリカ国防総省(ペンタゴン)へとハイジャックした航空機とともに突入したイスラム原理主義グループ(と喧伝されている)によって敢行された同時多発テロがあった。
 もっと前には、1989~1995年にわたるオウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件に代表される一連の犯罪があった。

 そして、それらの事件、事故は、それ自体の意味というよりは、それへの応答としての社会の反応はさまざまであったけれども、その中でのもっとも歴史的に重要な意味を持つであろう反応が、いわば「愚かさ」または「蒙昧さ」によって主導されるという特徴がある。
 9・11では言うまでもなく、十字軍としての戦いを口にしつつ、イラク侵攻を命令した子ブッシュの政治判断である。イラク侵攻の口実であった大量破壊兵器もアルカイダとの関係も存在しないことが明らかになったように、いかなる正義の根拠も満たされない政治的、軍事的決断・行動であった。
 3・11の原発事故では、広大な放射能汚染地域によって国土を失い、厖大なフクシマの避難民を生みだすことで国民の生活の場を失い、かつ被爆による放射線障害によって将来にわたって国民の命が失われる事が確実に予想されるという、もっとも明確な形をとって原発の安全神話は粉みじんに崩壊した。
 にもかかわらず、野田佳彦は「私の責任において」という虚飾に満ちた前振りのもと、がむしゃらに大飯原発の再稼働を宣言する。「生産の効率優先という政策のテレオノミー(目的指向)の、露骨な貫徹」(見田宗介)はあっても、将来にわたる国土、国民の命にたいする想像力は皆無としか言いようのない決断をする。

 そして、オウム真理教事件に対しても、私たちの愚かで不正義な反応があった。それに対する批判と言うよりは、ジャーナリストらしい冷徹な観察報告として森達也の『A3』はある。『A3』は、「麻原法廷の顛末」を記したものだが、それを通じてオウム真理教事件がもたらした「私たちの側」の社会的実相をくっきりと描き出している、と私は思う。

 結論から言えば、そのような社会のありよう、歪んだ世論やそれを煽り、同調するマスコミのありようを見通す森達也のまなざしの確かさに、私は同意し、強い賛意を持つ。

 例えば、マスメディアと「私たち」はこんなふうに同期していなかったか。

 テレビを筆頭とする当時のマスメディアが、オウムを語る際に使ったレトリックは、結局のところ以下の二つに収斂する。

  (1)狂暴凶悪な殺人集団
  (2)麻原に洗脳されて正常な感情や判断能力を失ったロボットのような不気味な集団

 この二つのレトリックに共通することは、オウム信者が普通ではない(自分たちとは違う存在である)ことを、視聴者や読者に対して強く担保してくれるということだ。
 
それはこの社会の願望である。なぜなら、もしも彼らが普通であることを認めるならば、あれほどに凶悪な事件を起こした彼ら「加害側」と自分たち「被害側」との境界線が不明瞭になる。それは困る。あれほどに凶悪な事件を起こした彼らは、邪悪で狂暴な存在であるはずだ。いや邪悪で狂暴であるべきだ。 (p. 80-1)

  そうして、オウム真理教に関わるすべてのこと、すべての人を憎み、排除し、果てには抹殺することが、あたかも正義を代表するかのように「私たち」は振る舞ったのではなかったのか。テレビなどとは異なり、良質のメデイアと思われた場所においてもこうである。

 「世紀末航海録」連載終了後、『宝島30』(一九九六年三月号)で藤原〔新也〕は、「麻原と水俣病についてもういちど語ろう」と題されたインタビューに応じている。

 宝島 「しかし、ほとんどの人が麻原こそ凶悪犯罪の首謀者であると考えている状況下で『麻原=水俣病』説を展開するということは、『水俣病の人間はそういうことをするのか』という誤解を世間一般に生みかねない、そういう危惧はお持ちではありませんでしたか」
藤原 「それは短絡でしょ。その論法に巻き込まれていったら、何も書けなくなります」(中略)
宝島 「すると麻原彰晃という人物は日本近代が生み出した被差別者であり、だからこそ、そのルサンチマンによって引き起こされた彼の犯罪には文明論的なものがあるという立場になるわけですか」
藤原 「立場というより、その可能性を捨ててはいけないということです」(後略)

 オウムの危険性を煽るばかりの他のメディアとは一線を画していた当時の『宝島30』にして、このときの藤原に対しては詰問調になる。つまり正義をまとっている。ここには当時(そして以降)、メディアと社会とがオウムによって嵌り込んだ隘路の深さが、くっきりと示されている。仮に麻原が水俣病だからといって、「水俣病の人間はそういうことをするのか」などと思う人はまずいない。麻原の視力に先天的な異常があつたからといって、「目が不自由な人は犯罪を起こしやすい」などとは誰も発想しない。もしもいるならばバカと言えばよい。その演繹は明らかに間違っている。 (p. 113-4)

  正義の仮面をかぶった「私たち」の排除の論理は、麻原彰晃の子供たちや信者をこの社会からの排除へと向かう。たとえば、自治体は住民票の登録を拒む。大学は入学許可を取り消す。この二つの出来事は明確な憲法違反である。親のゆえを持って為す、ということは中世における一族郎党をすべて罰する、ということと同等であって、憲法を持ち、刑法を持つ近代国家では許されていない。

 三女が入学を拒絶されたのは和光大だけではない。同年には文教大学が、さらにこの前年には武蔵野大学が、入学を一方的に取り消している。
 
出自によって入学を取り消す。これは明確な差別だ。しかしあらゆる差別問題に取り組むはずの部落解放同盟を含め、ほとんどの人権団体はこの事態に抗議しない。異を唱えない。声をあげない。反応しない。まるですっぽりとエア・ポケットに入っているかのように、明らかな異例が明らかな常態になっている。
 
オウムは特別である。オウムは例外である。暗黙の共通認識となったその意識が、不当逮捕や住民票不受理など警察や行政が行う数々の超法規的(あるいは違法な)措置を、この社会の内枠に増殖させた。つまり普遍化した。だからこそ今もこの社会は、現在進行形で変容しつつある。
 
要するに問題はここだけにあるわけじゃない。そこにもあるし、あそこにもある。そこら中にある。 (p. 146)

 もはや、大学は近代知を代表していない。大学知識人は、マスメディアに煽られる大衆と変わるところはない。もちろん、多くの論者が大学知識人はとうの昔に社会への影響力を失っていると主張していることは承知している。しかし、ここで起きていることはそれ以下の事象である。同じ職にあったものとして忸怩たるものがあるけれども、起きた事実は消えない。

 そして、愚かな私たちが獲得したのは、「団体規制法」という法である。私たちはあたかも、嬉々としてこれを受け入れたのではないか、と思えるほどである。

 しかしそれから二年後の一九九九年、組織の存亡を賭けた公安調査庁は最後の手段として破防法棄却の理由となった「将来における再犯の明らかなおそれ」を適用要件から除外し、団体規制法と名称を変えた新たな治安予防法の成立を再び目論んだ。
 
オウム新法との別名が示すとおり、この法は明らかにオウムを対象に制定された。つまり「法の下の平等原則」(憲法一四条)や、「信教の自由」(憲法二〇条)への侵害であり、恣意的な立入検査が行われることで「住居の平穏」(憲法三五条)や「プライバシー権」(憲法一三条)にも抵触する。さらには「適正続き」(憲法三一条)違反であり、無令状での立ち入り検査は「令状主義」(憲法三五条)に抵触し、事後的な立法によって二度目の応訴を余儀なくさせる「二重の危険の禁止」(憲法三九条)違反にも該当する。つまり多重に憲法を逸脱している。破防法とほぼ同様に(あるいは破防法以上に)問題点が多くある法律だ。
 
でも団体規制法は成立した。その背景には明らかに世論の変化があった。この法案が上程された一九九九年あたりから、自治体によるオウム信者の住民票不受理や、オウムの子供たちの就学拒否などが、当たり前のように行われるようになっていた。つまり「オウムを排除するためなら何でもあり」的な意識が、事件直後の一九九五年より明らかに強くなっている。  (p. 76-7)

  この法律は、オウム真理教にのみ適用し、彼らを排除するのに有効だと私たちは思い込んでいたのではないか、「私たち」には適用されるはずがないと。たかだか1000人規模の集団のために国家が法を作ったと信じられる知性をいまさら疑ってもしょうがない。事実としてそれはあった。
 もちろん、公安調査庁は1億すべての国民に適用する。なぜなら、それこそが「法の下の平等」なのだから。恥ずかしくなるほど、平明な事実である。

 さて、森達也が麻原裁判に対して一貫して主張したことは、裁判の過程で「人格が崩壊した」ように見え、裁判の継続に耐えられないと思われる麻原彰晃に対して、刑事訴訟法第314条を適用して裁判を延期し、麻原に治療を施したうえで再開すべきだということである。
 それが、一連のオウム事件の真実の解明に近づく道ではないか、と主張するのである。

 念のために書くが、麻原に対しての刑の免除や減刑をすべきと主張するつもりはない。ただし治療すべきとは主張する。近年の精神医療の進展はめざましい。症状がこれほどに急激に進行したということは、適切な治療さえ行えば劇的に回復する可能性が大いにあるということを示している。ならば治療してある程度は回復してから、裁判を再開すればよい。きわめて当然のことだと思う。ところが精神鑑定が為されない以上はいつさいの治療が望めない。病状は進行するばかりだ。
 だ
からやっぱり不思議だ。なぜ精神鑑定の動議すらできないのか。なぜ検察も弁護団も裁判所も沈黙してきたのか。なぜこれまで裁判を傍聴してきたメディアや識者やジャーナリストたちは、麻原の様子がどうも普通ではないとアナウンスしてこなかったのか。 (p. 37)

  八四%の人たちに共通するもうひとつの見解は、「これ以上裁判を続けても真相など明らかになるとは思えないから早く結論を出すべきだ」とのレトリックだ。テレビのニュースで観たほとんどの被害者遺族たちも、みなこれを口にした。
 確かに僕も、仮に麻原彰晃が正気を取り戻したとしても、法廷の場で事件の真相が解明されるという全面的な期待はしていない。その可能性はとても低いと考えている。
 
でもだからといって、手続きを省略することが正当化されてはいけない。「期待できない」という主観的な述語が、あるべき審理より優先されるのなら、それはもう近代司法ではない。裁判すら不要になる。国民の多数決で判決を決めればよい。国民の期待に思いきり応えればいい。ただしその瞬間、その国はもはや法治国家ではない。 
 
例外は判例となり、やがて演繹される。人は環境に強く馴致される生きものだ。例外はいつのまにか例外として認識されなくなる。だからこそ司法は原則を踏み外すべきではない。 (p. 272-3)

 そう主張する森達也は、当然のように批判を受ける。一つは、麻原に人格障害を認めないという立場から為される。心神喪失状態の犯罪を罪に問えないという刑法に依拠しているらしいのだが、刑法と刑事訴訟法を取り違えて(故意にかもしれないが)いるだけのことである。
 そして多くの批判は、「私たち」の正悪二元論から為される。敵に有利なことをひと言でも言えば敵である。敵でなければ味方である。絶望的な単純さが人を弾劾するのである。宗教学者・島田裕巳をめぐる人民裁判とでも呼ぶような攻撃がその愚昧な犯罪性を明証している。そして、「私たち」は正義を貫徹しているという幻想に酔いしれる、という深い病に侵されることになる。

 当時も今も、私は、「私たち」に困惑し、ある絶望をもって「私たち」として存在している。時代が進み、知が啓かれていけば、社会はよくなる、という啓蒙主義的な幻想はとっくの昔に捨てているけれども、社会がどんどん「悪い場所」になっていくとも思っていなかった。辛いことではある。
 森は次のように言う。

 サリン事件以降、メディアによって不安と恐怖を煽られながら危機意識で飽和したレセプターは、やがて仮想敵を求め始める。治安状況における意識と実態との乖離を、何とか埋めようとする。検察や警察など捜査権力の暴走は加速し、厳罰化は進行し、設定した仮想敵国への敵意は増大する。こうして冤罪はこれからさらに増えるだろう。自分たちは正義であり、無辜の民であり、害を為す悪を成敗するのだとの意識のもとに。 (p. 492)