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かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『東山魁夷展』(後期) 宮城県美術館

2012年10月24日 | 展覧会

 展覧会の図録に掲載されているものの、宮城県美術館では展示されない絵がいくつかあった。共同企画の北海道立近代美術館では展示されたのだろう。その中で一瞬「写真ではないか」と疑うほどの絵があった。 オーストラリアはザルツブルグでの取材による《樹》である。

 日本の風景を描く、あるいは日本のどこかに画題を取った場合、東山魁夷の絵は、日本の風景の解釈と風景に対峙する画家の美意識はしっかりと確立されていて、写実的であることから大きく離れて、いわば画家の心象風景とも言うべき幻想的な表象として立ち現れているようである。つまり、日本人の美意識が感受しうるような一般化された(抽象化された)風景、日本人が日本画に描かれる風景としてその美を感受しうるような共同的審級に深く根ざして描かれているのではないか、と思う。

 ところが、図録の中の《樹》を眺めていて思いついたことは、ヨーロッパに取材し、画題を定めた絵は、日本の風景を描く場合とは異なって、比較的写実に徹しているのではないか、ということだった。


            《樹》(展示なし) 1984(昭和59)年(オーストラリア、ザルツブルグ)、
                  紙本彩色・額装、114.0×162.0cm、横浜美術館。 [1]

 図録に収められた《樹》を見たとき、写真ではないかと疑った。何回も繰り返された剪定の跡など、そのリアルさは圧倒的である。
 そして、日本画の世界で共有しうる自然とは微妙に異なるヨーロッパの自然を前にして、写実性を重んじるように描く真摯さがこの画家にはあったのだ、というのが思いつきから始まったストーリーだった。 


         《映像》 1962(昭和37)年(スウェーデン、ノルディングロー)、
                  紙本彩色・額装、147.5×221.5cm、東京国立近代美術館。 [2]

 しかし、そのアイデアは上の《映像》や《森の幻想》 [3] のような極端に幻想的、心象的な絵によってあっさりと否定される。湖に映った冬木立は「超現実的な世界」を構成し、画家は「幻想的な情感」を表現する。

 だから、《樹》を見ての私の思いつきは訂正されなければならない。ヨーロッパに取材した絵画群は、日本の風景の場合に較べれば、幻想性(心象性)と写実性のきわめて大きな振幅を示している、と。
 日本画の伝統、日本的美意識の累積によって見慣れた日本の風景は、画家の心象を経ることで現実よりさらに強く日本の風景になる。結果として表象される風景は幻想性を帯びることになる。それを私たちは、日本画家の優れた心象として受けとる。

 一方、ヨーロッパの風景にも日本の風景に共通するものもあるだろうし、画家にとって新しい(場合によっては、異様な)風景として映るものもあるだろう。そして、美しい風景画を描く画家は、やはり自然(風景)に対して真摯であるだろう。だとすれば、時として強く幻想的に描き、時として写実的に描くということがあっても不思議はないのではなかろうか。


       《静唱》 (後期のみ)1981(昭和56)年(フランス、パリ郊外・ソー公園)、
            紙本彩色・額装、140.0×203.0cm、長野県信濃美術館 東山魁夷館。 [4]

 《樹》と同じように、湖面に映る影によって構成される美しさを共通して有する絵を見てみよう。一つは、ヨーロッパで取材した《静唱》で、東山魁夷の絵としては写実性が強い。もう一つは、よく知られた《緑響く》である。明らかに写実的風景と言うより東山魁夷的風景とも言うべきもので、1頭の白馬を配することで極度に幻想的な印象を与える。


           《緑響く》 1982(昭和57)年、紙本彩色・額装、84.0×116.0cm、
                 長野県信濃美術館 東山魁夷館。 [5]

 《静唱》と《緑響く》という2枚の絵の比較も、私の間違った思いつきの原因だったのである。

 後期に入れ替えた作品の中では、どうしても《木枯らし舞う》 を見たかった。ヨーロッパに取材しながら、きわめて幻想的な画家晩年の作である。木の葉が舞う、というよりも、木の葉が辿る風の道を描いているようだ。
 《木枯らし舞う》 を見て、即座に思い浮かべたのが速水御舟の「炎舞」(大正14年、山種美術館)である。上へ上へと燃えあがる赤い炎の周囲を9匹の蛾が舞っている絵である。蛾たちは炎に焼かれて死ぬ運命にあるのか、立ち登っていく炎の道を通じて天上へ向かっていくのか、いわば生と死のあわいを幻想的に描いたものである。ともに、見えない気の道を描いているような印象を受ける。

  
        《行く秋》(展示なし) 1990(平成2)年(ドイツ北部)、紙本彩色・額装、
              114.0×162.0cm、長野県信濃美術館 東山魁夷館。 [6]


      《木枯らし舞う》 (後期のみ)1997(平成9)年(ドイツ北部)、紙本彩色・額装、
                81.0×116.0cm、長野県信濃美術館 東山魁夷館。 [7]

 図録で《木枯らし舞う》の直前に掲載されている絵が《行く秋》である。この絵もぜひみたいものだと思ったのだが、残念ながら展示はされなかった。
 《木枯らし舞う》と較べれば細密で写実的なのだが、それがそのまま琳派につながるようなデザイン性豊かな障壁画のようにも見える。日本画の持つ強靱な描写力なのだと思う。

[1] 『東山魁夷展』(以下、図録)(日本経済新聞社、2012) p. 141。
[2] 図録(日本経済新聞社、2012) p. 79。
[3] 図録(日本経済新聞社、2012) p. 109。
[4] 図録(日本経済新聞社、2012) p. 133。
[5] 図録(日本経済新聞社、2012) p. 135。
[6] 図録(日本経済新聞社、2012) p. 146。
[7] 図録(日本経済新聞社、2012) p. 147。