かわたれどきの頁繰り

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ノーム・チョムスキー(松本剛史訳)『アメリカを占拠せよ!』(ちくま新書、2012年)

2013年01月18日 | 読書

                  

 

 この本をチョムスキーの著作と呼んでいいのかどうかよく分からない。講演とインタビューの書き起こしを編集したものである。もちろん、チョムスキーの言説ではあることに違いはない。あの〈9・11〉後にも彼のインタビューをまとめた本『9.11』を読んだことがある [1] 。〈9・11〉後にチョムスキーがおかれた合州国の言論の状況について、ジュディス・バトラーが次のように述べている。

「九月一一日にはどんな口実もありえない」という叫びが、こうしたテロ行為を可能にした世界を作るのにアメリカ合州国の外交政策がどう手助けしてきたかについての真摯な公的議論をすべて押し殺してしまった。このことをもっとも如実に示す例が、よりバランスのとれた国際紛争の報道の試みが放棄され、アメリカ合州国の軍事政策に対するアルンダティ・ロイやノーム・チョムスキーのような重要な批判が、アメリカの主要新聞から軒並み追放されてしまったことだ。(……)きわめて深刻なことに、異議申し立てを現代アメリカ合州国の民主主義的文化の重要な価値と見なす考え方そのものが疑われるようになったのである。 [2]

 したがって『9.11』には合州国の主要新聞によるインタビュー記事はなかったし、この本にもない。だからといってチョムスキーが著作活動を封じられるということはありえず、その後〈9・11〉についての著書『覇権か、生存か』 [3] を私も読んでいる。 

 本書は、2011年9月19日にニューヨークで「ウォールストリートを占拠しろ(Occupy Wall Street)」という合い言葉のもとに1000人規模で始まった金融資本への抗議として展開した「オキュパイ運動」の解説であり、またオマージュである。加えて、2010年に亡くなった政治学者で社会運動家ハワード・ジンへの追悼をも含んでいる。

ノーム・チョムスキーはこう語っている。「『占拠せよ』運動は、過去三〇年間続いてきた階級間の対立に対し、初めて一般大衆が起こした大規模な反対運動だ」。二〇一一年九月一七日、ニューヨーク市で始まったこの自発的な大衆運動は、たちまち全世界へ拡大した。最初に占拠した場所はほぼ警察に排除されたものの、二〇一二年が明けるころには、運動はすでにテントによる空間の占拠から、国民の良心を占拠することへとその位相を移していた (編集者ノート、p. 9)

 世界経済を蹂躙した米国金融業界を吊し上げるべく始まったこのオキュパイ運動はきわめて象徴的にウォール街から始まり、9月19日の最初のデモから一か月もしないうちに全米30都市に広がった。そこには資産を占有する1%に対する99%の抗議の意志の強さと広がりが示されていた。
 その1%のプルトノミーと99%のプレカリアートについて、チョムスキーは次のように語る。 

 二〇〇五年にシティグループは、投資家向けにこんなタイトルのパンフレットを出しました。「プルトノミー――ぜいたくな暮らしを買う、世界でもまれな人々」。これは投資家に「プルトノミー・インデックス」への投資を薦めるための小冊子なのです。そこにはこうも書かれている。「世界は二つのブロックに分かれつつあります――プルトノミーとそれ以外に」
 プルトノミーとは富裕層、つまりぜいたく品やその他のものを買う人々を指しています。プルトノミー・インデックスは株価指数よりずっと効率がいいですから、皆さん、どんどん投資するべきですよ。あとの人たちのことは、正直どうでもいい。われわれには用がありません。ただし国を安定させるためには、いてもらわないとならない。われわれを守り、いざというときには救済もしてくれますから。でもそれ以外には、基本的になんの役にも立ちません、というわけです。昨今では、そうした層を「プレカリアート」と呼ぶことがあります。社会の周縁で「不安定な」生活を送る人たちという意味です。いや、もはや周縁ではありません。アメリカでも、そして他の国でも、社会の非常に大きな部分を占めるようになっている。しかもそれはいいことだと考えられているのです。 (p. 41) 

 そう、世界はたしかにいま、プルトノミーとプレカリアートに二分されている――オキュパイ運動がイメージとして描く「一パーセントと九九パーセント」に。完全に数字どおりというのではないが、全体像としては正しい。今はプルトノミーばかりが重視されています。そしてこのままの状態が、ずっと続きかねないのです。 (p. 42)

 プレカリアートについては、湯浅誠や雨宮処凜の活動や著作で日本でも知られるようになってきてはいるが、一般には社会の少数派としての貧困層という無理解の方が優勢だとおもう。実際には、湯浅がつとに指摘するように、貧困層はすでに日本のマジョリティになっている。問題は、湯浅が心配するように、その貧困にあえぐ人びとは政治的発言や政治参加が困難なほど生活に追われているということなのである [4] 。であればこそ、プレカリアートの抗議運動として捉えることのできるオキュパイ運動の持つ意味は、私たちにとっても極めて重要であると言うことができよう。

 アラブの春、オキュパイ運動、そして日本の〈3・11〉後の反原発デモは、大衆の抗議運動としてある共通性を持っている。それは組織化されていない個々の市民、大衆の運動であり、動員の手法としてフェイスブックやツィッターなどのソーシャルメディアが活用されているということにある。それは高度化した資本主義社会では既成労働組合やマスメディアは、(安冨歩流に言えば)明確に「体制派」であるということを意味しているし、これからはネグリ&ハートが主張するようにマルチチュードとして概念規定されうる市民の運動がもっとも重要な政治運動を担いうることを意味しているだろう。

 チュニジァでは、独裁者の追放、そして議会選挙の実施に成功し、現在は穏健なイスラム政党が政権を担っている。
 エジプトでは、さっきも言ったとおり、大きな前進はあったものの、軍事体制がまだ強大な権力を握っています。議会選挙は実施されるでしょう。すでに一部では行なわれています。選挙で躍進しているのは、一般国民の間で長年、組織化に努めてきたグループ――ムスリム同胞団やサラフィー主義者です。
 アメリカはまつたくちがう状況にあります。そうした大規模な組織化は実現しませんでした。労働運動は遠い時代に得た勝利を再び手にしょうと闘いつづけ、負けつづけてきた。
 革命という言葉ですが、空念仏でない「革命」を実現するには、国民の過半数が、既存の制度の枠組みのなかでもまだまだ改革が可能であることを認識するか、信じることが必要でしょう。しかし今のこの国には、そういった状況はかけらもありません。 (p. 79-80) 

 チョムスキーが合州国について語るとおりに、日本でも現時点では「空念仏でない「革命」を実現する」状況にはまったくない。しかし、オキュパイ運動や反原発抗議行動がもたらす直接的な意義については、国分功一郎が次のように語っている [5] 

 デモにおいては、普段、市民とか国民とか呼ばれている人たちが、単なる群衆として現れる。統制しょうとすればもはや暴力に訴えかけるしかないような大量の人間の集合である。そうやって人間が集まるだけで、そこで掲げられているテーマとは別のメッセージが発せられることになる。それは何かと言えば、「今は体制に従っているけど、いつどうなるか分からないからな。お前ら調子に乗るなよ」というメッセージである。 (国分功一郎『熱風』2012年2月号) 

 デモのテーマになっている事柄に参加者は深い理解を持たねばならないなどと主張する人はデモの本質を見誤っている。もちろん、デモにはテーマがあるから当然メッセージをもっている(戦争反対、脱原発…)。しかし、デモの本質はむしろ、その存在がメッセージになるという事実、いわば、そのメタ・メッセージ(「いつまでも従っていると思うなよ」)にこそある。このメタ・メッセージを突きつけることこそが重要なのだ。 (同上)

 メタ・メッセージを突きつける重要性に加えて、チョムスキーは運動の重要な「流れ」について次のように語っている。

 オキュパイ運動動を観察すると、大きな二つの流れが見られますが、そのどちらも重要なものだと思います。
 ひとつは、政策指向の流れです。こちらは、根元的な不平等をどうにかすべきだと考え、金融取引税を導入しよう、あるいは企業の法格を剝奪しょう、選挙資金を工面しようなどと、政策面で建設的な提案を数多く出していくもの。
 そしてもうひとつの流れは、私の考えではこちらがさらに重要なのですが、コミュニティをつくりだすということです。
    ……
 人々はほんとうに孤立しています。こうした状態は自然に生まれるわけではなく、途方もない労力を注ぎこんでつくりだされたものです。民衆を統制するには、ひとりひとりをばらばらに孤立させ、自分のことで精いっぱい、他の何にも関心をもてないという状態に追い込むのが一番いい。オキュパイ運動は期せずして、その状態から人々を解き放つものなのです。機会さえあれば、人は自然と交流するようになる。ズコシティパークでもこの近くのデューイスクェアでも、とにかくそういった場所に集まってくると、たちまち相互サポートと連帯から成るコミュニティをつくりだし、たがいに協力しあうようになります。 (p. 182-5)

 誤解のないように付け加えておくが、チョムスキーの語るコミュニティはけっしてソーシャルメディア上のバーチャルなコミュニティではなく、人々が集まる場所で対面しつつ形成されるコミュニティのことである。人々の孤立はソーシャルメデイアが提供するバーチャルコミュニティでは解消されないということだ。私には、いまや実空間とサイバー空間でのコミュニティの絡み合いが必須かつ重要であると思えるのだが、残念ながらその具体的な構造までは思い至らない。
 上の記述でチョムスキーが指摘した「政策指向の流れ」の一つとして、「企業の法人化の廃止」が挙げられている。 

 たとえば、つい二日前にニューヨーク市議会が、おそらくオキュパイ運動の影響を受けてのことでしょうが、企業の法人格に反対する決議を、満場一致(だと思います)で可決しました。この決議は、「企業には自然人が有する全面的保護や『権利』をもつ資格はない。とりわけ選挙の過程に影響を及ぼすために企業の資金を費やすことは、もはや憲法で守られた言論の一形式にはあてはまらない」ことを明確にし、連邦議会に「憲法修正の手続きを開始する」よう求めています。
 そう、これはじつに大きな影響を及ぼしうるものです。この国ではごく一般的な考え方ですし、さらに敷衍していけば、企業や国がつくりだした法的擬制に法外な権利や力を与えてきた一世紀にわたる裁判所判断を覆すことにもなるでしよう。国民はこの法的擬制を嫌っているし、嫌う権利もあります。すでに文言として表す方向に進みはじめていて、それが実際の行動につながっていくかもしれない。 (p. 81-2)

 企業から法人格を剥奪することが、たとえ決議の形とはいえ、ニューヨーク市議会で賛同されるほど理解が得られるものだとは、私はついぞ考えたことがなかった。現実の経済システムに疎い私には、それがアクチュアルな資本主義システムのどのような変更を強いるようなるか見当もつかないが、心臓部に匕首を向けたようなイメージが湧くのは単なる誤解なのだろうか。
 日本にもそのような動きがあるのかどうか、言説にあがるほどのリアリティがあるのかどうかも私には見当がつかないのだが、注目してはおきたいと思う。

 本書には故ハワード・ジンの文章が「コラム」として収録されている。たいへん元気を与えてくれる文章である。短いので、全文を引用しておく。 

 苦しい時代に希望をもつのは、愚かしくロマンティックなことではない。人間の歴史とは、ただ残酷なだけではなく、共感と犠牲、勇気、思いやりの歴史でもある。だからこそわれわれは、希望を抱くことができるのだ。
 この複雑な歴史のなかで、われわれが何を選びとって強調していくかが、われわれの人生を決めるだろう。もし最悪のものにしか目を向けなければ、何かを為すための力は失われる。民衆が気高い行ないを見せた時と場所は、歴史上枚挙にいとまがない。そうした例を思い出すことで、行動するためのエネルギーが湧いてくる。そして少なくとも、この世界という独楽をこれまでとちがった方向に向かわせられる可能性が生まれる。
 たとえ小さなことからでもいい、実際に行動すれば、壮大な夢物語の未来を待ちつづける必要はなくなる。未来とは無限に連なってく現在であり、人はすべからく今を生きるべきなのだ。われわれの周囲を取り巻く悪に目をくれずに、今を生きていくことができれば、それ自体がすばらしい勝利となる。  (Howard Zinn,  You Can’t be Neutral on A Moving Train, Beacon Press, 1994; Howard Zinn, A Power Governments Cannot Suppress, City lights, 2007. )  (p. 141-2)

 

[1] ノーム・チョムスキー(山崎淳訳)『9.11 アメリカに報復する資格はない』(文春文庫、2002年)。
[2] ジュディス・バトラー(本橋哲也訳)『生のあやうさ 哀悼と暴力の政治学』(以文社、2007年)p.22。
[3] ノーム・チョムスキー(鈴木主税訳)『覇権か、生存か』(集英社新書、2004年)。
[4] 湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版、2012年)。
[5] 津田大介による引用『ウェブで政治を動かす!』(朝日新書、2012年)p. 53、p. 55。