エル・グレコである。言は費やされ尽くされているだろう。なにしろ、エル・グレコなのである。いわば歴史上の評価の定まった画家で、教科書に占める位置も落ち着いている。そのような画家を、私(たち?)はなぜか理由もなくわかったつもりになっている。世間の知をあたかも自分自身の知であるかのように思いなしているのだ。知の擬態である。
見終わって、帰宅する新幹線の中で図録を眺める。なんと内外の9人もの論者が解説やら評伝やら絵画論などを書いているのである。これもまた、グレコならではと言うべきである。
展示は、「肖像画家エル・グレコ」、「肖像画家としての聖人像」、「見えるものと見えないもの」、「クレタからイタリア、そしてスペインへ」、「トレドでの宗教画:説話と祈り」、「近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として」というカテゴリーに分けて、順に展示してある。なお、文中のページは、図録 『エル・グレコ展』(NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社、2012年)における引用箇所を示す。
左:《燃え木で蝋燭を灯す少年》 1571-72年頃、油彩、カンヴァス、60×49 cm、コロメール・コレクション [p. 35]。
右:《白貂の毛皮をまとう貴婦人》 1577-90年頃、油彩、カンヴァス62×50 cm、グラスゴ一美術館(ポロック・ハウス) [p. 39]。
「肖像画家エル・グレコ」のコーナーで印象深かったのは、グレコの肖像画としては珍しい無名の二人の肖像画である。ひとつは《燃え木で蝋燭を灯す少年》で、文字通り、暗闇の中で息を吹きかけながら、蝋燭に火を灯そうとしている一人の少年の絵である。肖像画というカテゴリーがふさわしいかどうかすら問題になりそうな絵である。
「後の力ラヴアッジョ派の夜の室内画を思わせるような、光の劇的な効果に主眼を置いた作品」 [p. 34] と解説にある。カラバッジョに限らず、ワルトミューラーの風俗画などの光の使い方、闇を含む構図の絵に、私は引かれる。 それに加えて、はっきりした物語性は描かれていないものの、何らかの物語(それがどんな物語かは措くとしても)の始まる予感が感じられて、私の感情が揺すぶられるのだ。
もうひとつの肖像画は、《白貂の毛皮をまとう貴婦人》 である。きわめて美しい人であるが、誰を描いたのかわからないのだという。美しい顔の、その肌の描き方にグレコらしからぬ異質なものを感じる。ほとんどの人物の顔には、荒い筆遣いの跡が見られるのだが、この絵にはそのような跡は見えず、肌はきわめてスムーズに描かれ、人物の美しさを際立たせている。荒い筆致は晩年の作品に多いといわれるが、特に初期の作品というわけでもない。ただ、最近、この絵はグレコの手になるものではないという説があって[p. 38]、興味がもたれる。
左:《悔悛するマグダラのマリア》 1576年頃、油彩、カンヴァス、156.6×121cm、
ブダペスト国立西洋美術館 [p. 83]。右:部分拡大図。
次のお気に入りは、「肖像画家としての聖人像」にカテゴライズされている《悔悛するマグダラのマリア》である。理由は明確で、マリアの顔の美しさにまいったのである。とくに、眼である。しっかりと見開き、悲しまず喜ばず、ひたすら天を見つめるその眼である。言い訳がましく言えば(つまり、言い訳だが)、女性の顔の美しさだけが私の美の審級ではない。人物をその実在の(社会性の、あるいは宗教上の)意味において美しく描くことができるグレコの画力のことを言っているのである(ほんとうか?)。
マグダラのマリアは、宗教画に登場する回数の多い人物である。罪人であり病人であるマリアは、キリストに救われ、「その後、彼に最も近い弟子の一人として磔刑や埋葬に立ち会い、復活の第一の目撃者となった」[p. 82]人物なのである。
左:《十字架のキリスト》 1610-14年頃、油彩、カンヴァス、95.5×61cm、国立西洋美術館、東京 [p. 129]。
中:《十字架のキリスト》 1600-10年頃、油彩、カンヴァス、82.6×51.6cm、ゲッティ美術館、ロサンゼルス [p. 143]。
右:《洗礼者聖ヨハネ》 1605年頃、油彩、カンヴァス、105×64 cm、バレンシア美術館 [p. 141]。
次は、宗教画の中心、キリストの磔刑図である。図録の解説で、左の《十字架のキリスト》について、グレコの宗教画全般に関わる重要な指摘がなされている。
ここでエル・グレコは、頭を垂れた死せるキリストが3人のマリアなど数多くの目撃者たちに囲まれた演劇的表現——ジョット以来の伝統であり、ティントレットがその最も壮大な解釈者の一人であった——に背を向けている。すでに指摘されているとおり、まだ生きているキリストが天を見上げる姿は、ミケランジェロがヴイツトリア・コロンナに贈った有名な素描による《磔刑》に基づき、それを左右反転させたものである。しかし、ミケランジェ口のキリストがまだなお死の苦痛に悩み身をよじらせているのに対し、エル・グレコのキリストは、むしろ肉体的苦痛を超越した法悦の表情を見せる。 [p. 128]
グレコは、宗教画を描く際、信仰の喜び、希望や救いを信者である鑑賞者が汲み取れるように意を砕いているようである。
ふたつの《十字架のキリスト》はともに荒い筆遣いで描かれているが、中の絵のキリストの身体だけは筆致がスムースで、《白貂の毛皮をまとう貴婦人》の筆遣いと共通性があるように見える。キリストを描いたいくつかの絵にこのようなスムーズな筆遣いが見られるようだ。グレコの中で、何に基づいて筆遣いの違いが現れるのか興味深いが、今のところ、私には手がかりがない。
左の《洗礼者聖ヨハネ》は、私の趣味で選んだ。洗礼者ヨハネもまた聖母子像などに登場する頻度の多い人物である。同じような家系に生まれながら、一人は救世主となり、ひとりはその洗礼者となる。祝福される聖母子の脇にたたずむ幼子としてヨハネは描かれるのである。その立ち位置を、私は愛しいと思うのだ。ただの判官贔屓としてのヨハネ贔屓なのである。
この洗礼者ヨハネ像については、次のような解説が付されている。
「AGNVS DEI (神の小羊)」と書かれた布切れを伴っている。この銘文は、小羊が「過越の小羊」、つまり罪人の贖罪と信徒の救済とのためにやがて自らの命を捧げるキリストであることを示している。 [p. 140]
この《洗礼者聖ヨハネ》もそうなのだが、グレコの宗教画に登場する人物は、マニエリスム風の異様な長躯で描かれる。これは、グレコの宗教画が教会に飾られ、信者の崇敬の対象になるという実用的(?)な目的があるためだという。人々が下から見上げて眺めることを想定して描かれているというのだ。そのため、地平線は逆に異様に低く描かれることになる。
左:《受胎告知》 1600年頃、油彩、カンヴァス、114×67 cm、ティッセン=ボルネミッサ美術館、
マドリード [p. 111]。
右:《福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り》 1595年頃、油彩、カンヴァス、236×117 cm、
サンタ・レオ力ディア・イ・サン・ロマン教区聖堂(サンタ・クルス美術館寄託)、トレド [p. 149]。
上の二つの絵は、グレコらしい華麗な荘厳さというべき宗教画だが、私にとってはその宗教概念に強く引かれた。《受胎告知》は、多くの画家に描かれ続けてきた(いる)テーマであるが、受胎告知の場面には、2種類あるのだという。多くは、大天使ガブリエルが受胎を伝える場面であるが、この《受胎告知》の場面は次のようなことだという。
大天使ガブリエルは胸に両腕を交差させて、マリアにすでに崇敬を捧げている。したがって本作は、大天使による受胎告知の後、マリアの胎内で神の言葉が肉となった受胎の瞬間に焦点を当て、托身の神秘そのものを主題としていると考えられる。托身の神秘それ自体の絵画化とは、不可視なものを可視化する試みといえ、そのため自然主義に代わって案出された独特の表現手法は、本作をイタリア滞在期の同主題画(cat. no. 29)と比較することによって、浮き彫りにすることができよう。 [p.110]
言葉が受肉した、というのである。ロゴスがマリアの中で肉体化する。なんという哲学的な美しさをもつイメージだろう、と私は一人で感心してしまったのである。
《福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り》は、「聖ヨハネがギリシアのパトモス島で体験し、『ヨハネの黙示録』に記した幻視が表されている」 [p. 148] のだという。わたしは、「無原罪のお宿り」という宗教概念を知らなかった。処女懐胎でイエス・キリストは生まれてくるが、カソリックの教義では、マリアもまたその母の無原罪の懐胎によって生まれてきた、というのである。このあたりに、キリスト教宗教画におけるマリア像の異様な偏重を訝っていた私への回答があるのかもしれない。
結論、予想通り、私はグレコの絵を何にもわかっていなかったのである。そのことだけはしみじみとよくわかった。