声とならず言葉とならず黙したる闇に来ているシャガールの馬
道浦母都子 [1]
この歌にある「シャガールの馬」は、私の中にあるシャガールの馬のイメージによくフィットする。それは、濃い藍色の夜の空を駆ける白い馬なのである。そのイメージの根拠となるシャガールの絵そのものを覚えているわけではないが、ずっとそんなイメージを思い描いてきた。「シャガールの馬」を詠ったわけではないが、次のような優れた詩のイメージも、上の歌と相俟って私の「シャガールの馬」のイメージに取り付いているのである。
せめぎあう 光と闇のはざまに
溶けさりながら
涙ではなく
しずかな身ぶるいによって
馬は 哭く
吉原幸子「風景は」部分 [2]
2013年9月3日から始まった「シャガール展」の初日に出かけた。正直に言えば、シャガールの「何」を見たいというモチベーションが強くあったわけではない。近くの美術館でシャガール展が開催されていれば、ごく自然な反応として足を運ぶだろう。そういう動機である。見ないですませるというのがとても不自然に思えたのである。
展示のかなりの部分がシャガールのモニュメンタルな仕事にあてられている。一つは、オペラ座の天井画で、膨大な下絵が展示されている。実際の天井画については大きなスクリーンにビデオ映像が写されていた。そこでは、線描で描かれている人物や天使のその線が太く描かれていて、大写しで見ると、その線そのものに表情があるように感じられ、驚いた。
他にはオペラ「ダフニスとクローエ」の舞台衣装や背景画の仕事、メッス大聖堂やエルサレムのシナゴーグのステンドグラスの仕事、教会の壁を飾る陶版画などが紹介されている。
左:《赤い馬に乗る女曲馬師》1970年、墨・グワッシュ・布のコラージュ、紙、
32×25.5cm、個人蔵 [3]。
中:《ハダサー医療センター附属シナゴーグのステンドグラスのための最終
下絵:シメオンの部族(第5段階)》1960年、グワッシュ・水彩・パステル・
墨、紙、40.7×30.0cm、個人蔵 [4]
右:《フェアトン》1977年、油彩、キャンヴァス、195.0×120.0cm、個人蔵 [5]。
多彩、多様なシャガールの画業に圧倒されてはいたが、会場を回りながら何となく「シャガールの馬」を探していたのだった。馬が登場する絵はいくつかあった。《赤い馬に乗る女曲馬師》は、たしかに夜の情景に違いないが、赤い馬に少しイメージの違和がある。
《ステンドグラスのための最終下絵:シメオンの部族(第5段階)》は白い天馬で私が抱いていたイメージに合わないわけではないが、ステンドグラスの下絵を私が見たはずがないので、イメージの根拠とは考えにくい。それに装飾的な多数のシンボルの配置もなんとなくそぐわない。
《フェアトン》は明らかに夜ではない情景の赤い馬である。私の思い込みの「シャガールの馬」に拘らなければ、この絵はイメージが開放的でとても良い。
左:《ソロモンの雅歌IV》1958年、油彩、キャンヴァスで裏打ちされた紙、
42.0×61.0cm、マルク・シャガール国立美術館(1972年寄贈) [6]。
右:《女曲馬師》1927年、100×8lcm、プラハ,ナロドニ・ギャラリー [7]。
《ソロモンの雅歌IV》の天を飛ぶ白馬がとても良いが、世界は闇ではない。もっと華やかな雅歌の世界である。いったい、私はなぜ「シャガールの馬」を勝手に思い描いているのだろう、そう思って昔眺めていた画集を納戸の奥から引っ張り出してきた。それにも白馬の絵《女曲馬師》があるが、それはシャガールの主要なモチーフの一つのサーカスの絵で、その白馬が幻想性を帯びることはない。
《サン=ポールの上の恋人たち》1970-71年、油彩、キャンヴァスで
裏打ちされた紙、145.0×130.0cm、個人蔵 [8]。
馬が出てくる絵としては、昼の情景であり、頭部だけの青い馬なのだが、たぶん《サン=ポールの上の恋人たち》がいちばん私の好みにフィットする。たぶん、私は青が好きなのだ。
シャガールの〈こひびとたち〉は
やさしく抱きあって浮んでゐるが
さういへばとぶゆめのとき
わたしはいつもひとりだ
吉原幸子 「夜間飛行」部分 [9]
この絵には、村の風景、優しく抱き合う恋人たち、花束など、シャガールの絵に欠かせない要素が揃っている。そういえば、手持ちの古い画集にも同じようなモチーフで描かれた絵《恋人たちと花束》があった。
《恋人たちと花束》1926年、92×73cm、個人蔵 [10]。
《サン=ポールの上の恋人たち》の制作年から45年も前に同じような構図で村の風景の上に浮かぶ恋人たち、花束が描かれ、ここには馬ではなく空を飛ぶ天使が登場する。
暗い藍色の夜空に白い天馬、などというイメージは、作り物だったに違いない。《恋人たちと花束》の白い天使を白い馬に置き換えた私の錯視だったのではないか。そう、思う。青い森に囲まれた青い湖の畔の一頭の白馬、それは東山魁夷の絵なのだが、深い紺青の空を駆ける白い馬というのはあまりにも私好みだったということらしい。
《村の風景を前にした食卓》1968年、油彩、キャンヴァス、
100.0×72.5cm、個人蔵 [11]。
村の風景の上の恋人たち、花束という図柄の絵で惹かれたもう一枚は、《村の風景を前にした食卓》である。
《サン=ポールの上の恋人たち》、《恋人たちと花束》、《村の風景を前にした食卓》には「村の風景」、「花束」、「恋人たち」は共通に描かれているが、もう一つの大切な要素として、それぞれ「青い馬」が「白い天使」に、「白い天使」が「赤い鳥」に替えられて描かれている。とすれば、それぞれの絵の固有性を表象しているのは馬や天使や鳥だということになるだろう。たとえば、天使は二人の愛の象徴などと言えるかもしれないが、三つのシンボルを並べてそれぞれの寓意の異同を語る力は私にはない。またしばらくはイメージの中で「ああだこうだ」と考えるしかない。
恋人たちが登場する絵を眺めていると、意外なことに気付く。かつて私が抱いていたシャガールの絵に対するイメージとは違っていて、空間構成が極めてシンプルだということだ。実空間は村の風景が描かれた時空一つであって、恋人や花束や馬は、その空間に浮いているだけである。
一見、構図的には松本俊介の《都会》や《街にて》の絵に似ているのだが、俊介の絵は何層もの時空が重なり、浸食し合うようなモンタージュ技法で描かれていて、シャガールの絵のようなシンプルさはない。
たぶん、シャガールの空間構成のシンプルさこそが観る者の想像力にリアリティを与えてくれる力になっていると思う。そのことをもっと端的に表わしているのが《夢》という絵ではなかろうか。
《夢》1939-44年、油彩、キャンヴァス、78.7×78.1cm、
公益財団法人吉野石膏美術振興財団(山形美術館寄託) [12]。
シンプルな空間構成という点から言えば、この絵はテーブルのある居間の空間と村の家々が存在する空間の二層構成なのだが、それにもかかわらず平明で優しい感じのとても気に入った作品である。
それは、夢の片々のそれぞれがテーブルに座している人物がいる空間にシンプルに浮かんでいて、明るいテーブルに集約していって人物に繋がっていくように見えるからだろうと思う。
このようなシンプルな空間構成が意外だった、ということにはわけがある。私のシャガール経験の中では《私と村》のような若い時代のキュビズムの影響の強い絵から際立った印象を受けていたからだ。この絵の中では、空間は反転したり、入り組んだり、複雑な様相を呈していて、晩年の平明さと良い対称をなしている。
《私と村》1911年、191.2×150.5cm、ニューヨーク近代美術館 [13]。
《私と村》に描かれた村は、シャガールの原点としての生れ故郷、白ロシアのヴィテブスクという村ということだ。シャガールの作品はすべて、「流謫と定住の弁証法」 [14] に結びついているという。たぶんそれが、人々(シャガールもまた)が住む村の風景、その時空のなかでイメージが開花していくような構図の理由なのであろう。
[1] 『道浦母都子全歌集』(河出書房新社、2005年) p. 139。
[2] 『吉原幸子全詩 III』(思潮社、2012年) p. 282。
[3] 『シャガール展』(以下、図録)(北海道新聞社、2013年) p. 125。
[5] 図録、p. 162。
[6] 図録、p. 193。
[7] 図録、p. 234。
[8] 『ファブリ世界名画集48 シャガール』(以下、「ファブリ」)(平凡社、1970年)図版XIII。
[9] 『吉原幸子全詩 II』(思潮社、1981年) p. 223-4。
[10] 「ファブリ」、図版XII。
[11] 図録、p. 296。
[12] 図録、p. 258。
[13] 「ファブリ」、図版IV。
[14] シルヴィ・フォレスティエ「シャガール、空と海の間で」図録、p. 251。