かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (13)

2024年09月27日 | 脱原発

2015531

 採択されたデモの集会アピールには「沖縄への連帯をこめて」という言葉が添えられていた。沖縄・辺野古は、日本の民主主義の闘いの最も突出した現場であり、もっとも鮮烈な象徴の場所である。
 石川為丸という詩人がいる。本土で生れ、沖縄で暮らし、悲しみと憤りを言葉にした詩人だ。私が初めて手に入れることができた1冊の彼の詩集『島惑ひ 私の』は、石川為丸の最後の詩集であった。

仏桑華の赤は あくまでも鮮やかに 島での悲しみはまだ、
終わってはいけないとでもいうかのように 降りそそぐ
ひかりのなかに、顕つひとが見えていたのだ 樹の宿題を
残したままの島惑い 私はそのとき、どこにも属すると
ころのない 異風な声の、なにものかによばれているよう
だったから

       「樹の宿題」(部分) [1]

 20141116日の日曜日、沖縄県知事選挙の日、オール沖縄の闘いが実って翁長雄志さんが勝利した日、沖縄県民の喜びが沸騰し、新たな闘いに踏み出した日、その記念すべき日に、那覇の自宅で石川為丸はこの世を去った。沖縄の闘いに連帯し続けた64歳の孤独死だった。
 沖縄は遠いが、集会のなかで石川為丸の詩の言葉を少しばかり反芻していた。あいかわらず、デモが進む日曜日の一番町は祝祭のように賑わっている。蕩尽の祝祭と言ったら、すこし民俗学ふうで意味ありげに聞こえるが、ただの消費の祭りだ。沖縄の現在とどうイメージを繋げばいいのだろう。

八月の園芸は 水やりが毎日の作業となる
鉢植えの花木は 一日でも水やりを忘れると
強烈なダメジを受けることになる
だから土砂降りが待たれるのだ
雨乞いの祈り
二ューギニアのどこそこの部族には
必ず雨が降るという方法があるそうだ
それは続けること 雨が降るまで祈りを続けるということ
沖縄の八月
空から雨の降らない日は続くけれど
空から異様なものが落ちてくることがある
米軍のへリコプターだ
二〇〇四年八月一三日 大型輸送へリコプターCH53D
沖縄国際大学の構内に墜落
今年二〇一三年八月五日 HH60ペイブホーク
キャンプハンセン敷地内に墜落
にもかかわらず、欠陥機の垂直離着陸輸送機オスプレイは
強行配備され訓練飛行しているのだ
雨乞いの祈りはそれを続ければよかったが
では米軍機の墜落を避けるにはどうすればよいか
簡単だけれど難しい
難しいけれど簡単なこと
米軍機を飛行させないことだ
沖縄の園芸家は額を上げる
怒りに燃えるようなホウオウボクの花々!
沖縄の八月は
今日も水やり
明日も水やり
つづけることだ

       八月の園芸家」(部分) [2]

発芽抑制物質をとばす方法を 内地の人に教えたうえで
園芸家はガジュマルの種子を配布する
受けとった諸君は
播種して七日めにはとても小さな双葉を発見するだろう
生まれたものの弱々しさと
生きようとする意志の不敵なひらめきを諸君は見るだろう
そして そのとき 諸君の耳に
はてしなくつづく芽の行進のどよめきが
かすかにきこえるだろう
そう 沖縄の地から発せられる 芽の行進のどよめきが

     「四月の園芸家」(部分) [3]

 私たちのデモ、アピール行進は、「沖縄の地から発せられる芽の行進」に連なっているだろうか。私たちのコールは、「芽の行進のどよめき」を伝えることができただろうか。
 連なっていると思いたいし、伝えることができたと信じたい。たとえ、そうでなくても、「今日も水やり/明日も水やり/つづけることだ」。それはきっとできる。

[1] 石川為丸(石川為丸遺稿詩集刊行委員会編)『島惑ひ 私の』(榕樹書林、2015年) pp. 8-9
[2]
同上、pp. 97-9
[3]
同上、pp. 110-1

 

2015731

 古い友人から暑中見舞いが届いた。東北大学理学部を卒業し、東京で職業人を終え、今は故郷の北九州で暮らしている。厳しく労働運動を生き抜いた友人らしい葉書だ。涼しげな花火模様の暑中見舞葉書の中央に朱文字で書かれているのはたった2行だけだ。

 安保法制断固反対
 原発再稼働許さじ

 暑中見舞などほとんど書いたことのない私は、さてどんな返事にしたものか思案中だが、この2行以外はすべからく枝葉末節に思えてしまうのが辛い。
  (中略)
 広瀬通りを渡ると、フォーラス前でSEALDs_TOHOKUのメンバーが街宣していたのだが、顔見知りがさきほどのチラシを配っていた。どちらかといえば「ミドルズ」なのだが、応援を買って出たらしい
 SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy-s)が主催する「戦争法案に反対する国会前抗議行動」が圧倒的な動員力を発揮し続けている。それをきっかけに学生を初めとする若者たちが全国各地で声を上げ始めた。
 仙台でもSEALDs_TOHOKUが発足し、89日(日)に最初の抗議行動を起こす。私はミドルズをさらに越えていて「ジールズ」とでも呼ばれるべき年齢だが、せめて後方からでも応援したくて花京院緑地公園には行ってみるつもりだ。
 SEALDsのめざましい動員力をマスコミが積極的に報道するようになったせいか、一方でSEALDsに対する卑劣な中傷、恐喝が始まっている。ネトウヨ市議がSEALDs に参加する学生は就職が難しいなどという脅迫じみた内容をフェイスブックに投稿したり、堀江貴文なる人物が「私なら採用しない」などと、その脅迫投稿に便乗したような発言をしている。挙句の果てに、SEALDs は革マルから資金提供を受けているなどいうデマを政権中枢で口走っているというニュースまで流れている。
 こうした動きは、自公政権がSEALDs を初めとする広範な国民の反対行動に恐れをなして、焦っているためだろうというのが大方の見方である。その辺のことは、730日付けの朝日新聞や31日付けの日刊ゲンダイが取り上げている。
 朝日新聞の記事では企業の人事採用担当者がデモに参加することと人事採用とはまったく関係がないと断言しているし、日刊ゲンダイの記事はこのような権力サイドの誹謗中傷で国民の抗議行動を抑えるのは難しいというコメントで締め括っている。いずれにせよ、安倍自公政権ないしはその周辺の悪あがきに過ぎない。
 私も定年間近の2年間、学科の就職担当教授なるものを引き受けて、多くの企業の人事担当者と話をしたり、就職活動する学生の推薦書を書く仕事を担当いたことがある。その経験から言えば、SEALDsのような活動を立ち上げたり、それに参加するような学生ほど就職に有利だとしか思えないのである。
 優良な企業ほど学生を見る眼がしっかりしていて、学生の社会性、積極性、自発的な解決能力などを高く評価する傾向にある。そして面接などを通じてそのような人材を見抜く目を持っている。短期的に使い捨てるような人材なら何も考えないような学生でもいいだろうが、長期的な視野を持つ会社ほどその傾向が強い。
 多くの人間を組織し、社会のルールに則った抗議行動を企画し、そのうえで自治体や警察ときちんと交渉して公園の使用許可やデモの許可などをもらうという一連のことができる能力を持つ学生をまともな企業が放っておくはずがないのだ。
 証券取引法違反で自らも有罪判決を受け、ライブドアを上場廃止にした堀江貴文が、抗議活動をするような学生を「私なら採用しない」と言ったことは、学生を送る側の立場からは歓迎すべき発言なのだ。そのような経営者がいる企業に優秀な学生を就職させたくはないのだから、経営者の方で採用しないというのはたいへん喜ばしいのである。ブラック企業に就職したい学生なんていないのだから。


 


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